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死化粧に赤い紅を  作者: みーなつむたり
2/5


「とにかく、今日のところは出直してくれ。」


 男の言葉を佐吉は聞くでもなく聞いていた。


 男は少しの苛立ちを覚えながらも努めて冷静に玄関の戸を閉めようとした。すると佐吉は男の横をするりと抜けて、勝手に玄関から室内へと上がり込んでしまった。


「おい!何をしている!」

 

 男の怒号など聞こえぬように、佐吉はずんずん部屋の奥へと小走りに歩を進めた。慌てて男はそれを追う。

 

「勝手に上がり込むとは何事だ!」


 男は奥の部屋の入り口で立ち止まった佐吉の、少し高い位置にある肩を掴むと、強く引っ張り後ろへ引き倒そうとした。すると案外簡単に佐吉は二、三歩後退して、男の背後に移動した。


 そして、低く沈んだ小さな声で佐吉は呻いた。


「新村様、…ご内儀様は、…」


 肩越しに覗き見ると、佐吉は背を丸めて俯き、わずかばかり震えているようでもあった。


 男は佐吉を背に歩を進め、部屋の入り口を塞ぐように立ち、改めて佐吉に向かい合った。向かい合うと、怒りを隠しきれない地を這うような声で男は言った。


「お前には関係のない話だ。今なら無礼を許そう。…すぐに立ち去れ。女房の依頼はもう、無効だ。」


 男の言葉を聞き終えるや否や、佐吉はゆっくりと踵を返した。そして土壁に手を添えて、覚束ない足取りで玄関先まで進み、そのまま草履を履くでもなく玄関に座り込んでしまった。


「……」

 

 男は、背の高い佐吉のその丸まった背中を、暗く刺々しい感情に苛まれながら、しばらく黙って見据えていた。


 どれほどの時が流れた頃か。


「…お前は、女房に絵を依頼されただけの絵師ではないのだな。」


 斜陽に照らされた静かな玄関に、男の言葉は冷たく響いた。


 答えるでもなく項垂れていた佐吉は、一瞬だけ肩を震わせた。泣いているのかと思ったが、不意に佐吉はくくっとくぐもった笑みを漏らした。


「いえいえ、滅相もない。勘繰りすぎですよ。私はしがないただの町絵師です。」

「……」

「せっかくまとまった金子が頂けると目論んでいただけに、落胆が大きいだけです。」

 

 そういうと、佐吉は少し芝居がかった様で振り返り、男を見遣るやゆったり破顔した。眉目がいいだけに、絵にはなるが、どこか作り物のような嘘臭さが漂うなと、男は胸の内で舌を打った。


「そうか。それは残念だったな。」


 だからこそ、男の言葉に労いの色は微塵もなく、ただ硬質で突き放すだけの冷たい声音だった。


「ええ、とても、……残念です。」


 沈んだ声で微笑む佐吉の肩越しに、開け放たれた戸から秋になりきらない生温い風が吹き抜ける。


 佐吉は、張り付いたような笑顔のままで、男を見上げていた。

 男はただ目を細めて佐吉を見下ろした。


「ほら、さっさと帰らぬか。これ以上居座ろうとも時間の無駄だぞ。」

「ええ、ええ、重々承知しております。」


 男に促されて、すくっと佐吉は立ち上がり、草履を履くと、橙に染まった外へと歩み出た。

 しかし、戸外に出るや、不意に立ち止まり、俯き、そして再び背を丸めて肩を震わせた。


「……」


 男は、そんな佐吉の背に、声をかけることはしなかった。

 沸き起こりかけているこの濁った感情を圧し殺すように、深い息を一つ、たたきに向かい大きく吐き捨てた。

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