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死化粧に赤い紅を  作者: みーなつむたり
1/5

 

 死んだ女房の血の気の引いた唇に、血ほどの赤い紅を差す。


 しかし男の武骨な人差し指は、女房の唇よりも厚く、紅はうっかりはみ出してしまった。

 これを化粧と言うには憚られる。誰に言うでもない言い訳が頭を掠り、男は自嘲気味に笑った。


 意識してはいなかったが、男の指は僅かばかり震えていた。


 思案した挙げ句、手の甲で紅を拭おうとした。だが、手の甲が触れた女房の唇の、あまりの冷たさに驚き、反射的に手を引き戻す。


 くうをさ迷う手のひらは柔らかく握られている。男はその手をじっと見つめた。


「ごめんください、」


 不意に、見知らぬ男の声がして、男はゆっくりと振り返り、声の方を見た。

 その声は、玄関から聞こえてくる。


 右側に置いていた刀を握り、男はのろのろと立ち上がると、ゆっくり刀を腰に差した。


 長屋の狭い部屋を重い足取りで進む男の足音にさえも、客人は耳をすませていたのか。男が玄関にたどり着くと、玄関の戸がするすると開いた。


「……」


 戸に手をかけ、開けている何者かの手は、薄汚れていて黒く汚い。

 あまりに不自然な黒さに、男は目を細めた。


「おい、何用だ。」


 男の声に、開きかけていた戸がぴたりと止まる。


「あ、私は佐吉と申します。御内儀様に頼まれて、姿絵を描かせていただくことになっておりました絵師にございます。」

「絵師?」

「はい。先日御内儀様が私のもとにおいでになりまして、ぜひ、ご自身のお姿を絵に残しておきたいとご所望されまして、」

「…自分の姿を?」


 それは、男にとって寝耳に水の話だった。女房が自分の姿を残したいと思う意図が図り知れず、顔が曇る。

 

 しかし男が訝しげに眉根を寄せる間に、戸がガラリと一気に開いた。一瞬面食らった男の眼前に、見上げるほど大きくて細い男が現れた。


 背中に背負った遮光に遮られ、人相までははっきりとしない。だが、若く精悍な顔立ちは、影に覆われた姿の中からも見てとれる。


 佐吉は、やけに華のある男であった。その姿に驚き、思わず男は視線を落とした。

 そんな男の頭上へ向け、佐吉は不躾な声音で問う。


「それで、御内儀様は何処へ?」

「……」


 男は、佐吉と名乗ったこの若い男の薄汚れた手を見つめたまま、紡ぐ言葉を探していた。


 事実を述べて、この場から佐吉を追い出したいという強い衝動が胸を渦巻いた。だが、事実を言葉にして佐吉に詳細を尋ねられることはもっとも避けたいことでもあった。

 

「…今は留守にしている。」

「お留守ですか?ですが、御内儀様の草履が、ほら、そこに、」


 佐吉の薄汚れた人差し指が指し示す先には、昔、男が女房にせがまれて買った安物の朱色の草履が一組、たたきにきちんと揃えて置かれている。


 使い古し、色の剥げ落ちたそれを佐吉が指差すことで、薄暗い玄関に、いやに生々しい女房の姿が匂いたった。


 男は身を少しずらしてたたきに下り、佐吉の視界から草履を隠すように立ちふさがった。そしてしっかりと佐吉の目を見てもう一度言った。


「女房は留守だ。今日のところはお引き取り願いたい。」

「……」


 佐吉が一瞬怪訝そうに眉根を寄せたのを、男は見逃すことができなかった。

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