10
「事件の発端はある男、後のストーカー野郎がうちの学校の女子生徒をナンパして失敗したことだったみたいで、それを逆恨みした男は同じ制服を着ていた女の子をストーカーしたみたい」
「なにそれ怖い」
優里花が多少怯えた様子を見せたので、これで手打ちにしてやろうと溜飲を下げたリーネは顔を元に戻してストーカー事件についての説明を始めた。
気持ちの切り替えが早い優里花はリーネがプレッシャーを解いたとわかると肩の力を抜いてリーネの説明に耳を傾けたが、すぐにまた気持ちが悪く得体の知れない恐怖に身を竦めることになる。
彼女たちが通っていた学校は男子生徒よりも女子生徒が多かったせいか、それとも繁華街に近かったせいか、それとも他の何かが理由だったのか女子生徒がナンパされる率が高く、かく言う優里花自身も一度だけナンパをされたことがあった。
しかし男性は二次元までしか耐えられない優里花は一目散に逃げ出し、たまたま居合わせたクラスメイトに助けを求めた。
その際助けてくれた彼女の背中があまりにも恰好よくて、恋にも近い憧れを抱いたため以降は彼女を信奉して過ごしたのは高校時代の忘れられない思い出だ。
その人物こそ優里花の永遠の憧れであり、献本をしたかった人物である。
「その男はまずシャーリーちゃんをストーキングした。そして次に貴女かカロンをストーキングしたと思うんだけど、貴女は前世でストーキングされたことはある?」
「へ?い、いや、ない…はず」
憧れの人に向かい掛けていた意識は思いもしなかった言葉で引き戻される。
自分は憧れの人をストーキングしたことはあってもされたことはない。
「そう…。ならやっぱり、それはカロンなのね…」
優里花の返答に、少し離れたところでルリアーナはそっと息を吐く。
この話をする度に処刑直前に見たカロンの生を諦めた顔がフラッシュバックするのにももう慣れてしまったが、それでも本当は平気なわけではない。
けれど繰り返すほどに平気なフリだけは上手くなり、今回もまた誰もルリアーナの本心には気づかなかった。
「そっか。それで、その2人はストーカーから逃げられたみたいなんだけど、その次にストーカーに目を付けられたのがイザベル様で、彼女は実は私の前世の妹なんだけど、ストーカー男に追われて私のバイト先の店まで逃げてきたところであいつに刺されて殺されてしまったわ」
「……っ!?」
一つ頷いて話を再開したリーネは、そこからは淡々と事件について語り進めた。
しかし彼女の場合はルリアーナとは異なり、初めて話を聞いた優里花を除く全員が辛さを隠すために敢えてそう話しているのだと気づいている。
たまらずイザベルはリーネの肩に手を置くが、振り向いたリーネは「大丈夫よ」と苦笑交じりに微笑んだ。
自分が一番絶望していたその時の記憶は確かに辛くはあるけれど、今こうして語れるくらいには自分の中で整理をつけられているのだ、と。
「その後あいつはまた別の女の子に目を付けた。それがルリアーナ様の妹さんで、彼女は自宅前にいたストーカー男に鉢合わせてしまって、逃げている最中に亡くなったそうよ。その次はルナちゃんで、彼女はストーカー男に車道に突き飛ばされた」
だからリーネはまた淡々と話を再開した。
ここはあくまで人から聞いた部分であり彼女の傷に触れないからというのもあるが、幾つか隠したいことがあるからさらっと進めた、という事情もある。
「そして最後にアデル様が狙われたんだけど、私は妹の敵としてその男を追っていて、丁度アデル様をストーキングしていた男を見つけたの。だから男は逃げた。お陰でアデル様は助かったんだけど、あの男はあろうことか私と間違ってアナスタシア様を刺してしまった。それで私は復讐という目的を失って自殺したってわけ」
リーネは「これが私たちが知っている事件の概要よ」と言って優里花への説明を終えた。
だが淡々と話された重い話に、まだ優里花の頭はついていけていない。
そんな大きな事件を自分が知らないということは、きっと締め切りに追われて漫画を描いている間に起きた事件なのだろうと思う。
あの頃はテレビを見る余裕などなかったし、季節が変わっていたことにすら気がつかないほど世の中との関わりを断っていたから。
だが、いくら事情を知らないからと言って、能天気と思えるほど明るい彼女でもやはり目の前にいる人物たちの何人かが悲惨な最期を迎えているという話を聞いてしまっては、いつものようにへらへらと笑うことはできなかった。
彼女は空気を読まない行動をするが、空気が読めないわけではない。
大事にならない時は読んでも敢えて無視をするだけで、弁える時はちゃんと弁えることができる。
だからこそ彼女の性格を知るリーネが説明役を買って出たのだ。
彼女がちゃんと空気を読んでくれる状況にするために。
そしてこの後、恐らく彼女はなにをどうしたところで空気を読めなくなるだろうこともリーネとルリアーナにはわかっていた。
「それじゃあ、後はアンタが知りたがってた私たちの正体だけど」
リーネはそう言ってため息を吐きながらルリアーナを見る。
その目は「覚悟はいい?」と問い掛けてきていた。
ルリアーナは「いえ全く」と答えたい衝動を堪えながらぎこちなく頷く。
リーネは「そうよね」と苦笑を漏らすと、視線を優里花に戻した。
「まずは当たり障りのない所からいこうか。えーと、アデル様はルリアーナ様の妹さんの親友で石橋秋奈ちゃん、ルナちゃんは2人の先輩で清水莉緒ちゃん。巻き込まれたアナスタシア様が柳井美紀子さん、シャーリーちゃんは私たちが高校3年生の時に亡くなった新生徒会長になるはずだった棚橋紗理奈ちゃん」
まだ少し混乱しているものの、優里花はリーネが手で示す人たちを順に見遣る。
特にシャーリーである紗理奈は校内でニアミスしていたかもしれない人物だとわかり、まじまじと見ている。
「で、イザベル様がさっき言った通り私の妹で中村鈴華。そして私リーネが姉の中村美涼」
そしてまたリーネの示す通りイザベル、リーネへと視線を動かしたのだが、
「…………なかみー?」
遅れてやっとその名前が自分が大好きだった同級生のものだと理解して、確認のようにあだ名を口にする。
「そうよ。そういえばアンタだけがそのあだ名で私を呼んでたのよね」
それにリーネが複雑な色を乗せながらも微笑んで頷けば、
「なかみー!!」
優里花はもの凄い勢いでリーネの腹にタックルを喰らわせた。
その衝撃にリーネは「ぐふぅっ!?」と呻くが、そんなことでは優里花は止まらない。
「なかみーだ!!え、嘘、ってことはなかみー死んだってこと!?え?いつ?お姉様より早いの!?」
優里花はガバリと顔を上げると、リーネの顔を両手で掴み、一方的に捲し立てる。
「そう、そうよ、お姉様!私の大好きな、芽衣子お姉様!!お姉様も亡くなったって貴女知ってた!?私そのショックで死んだんだけど、死因とか聞いてないって今気づいたわ!!ねぇ、お姉様のこと、何か知らない!!?」
がっくんがっくんとリーネの頭を揺らしながら、優里花は一人、周りを置いてきぼりで大好きな同級生の死に涙する。
自分を窮地から救ってくれた、崇拝しているといっても過言ではない野田芽衣子の死に。
「え?」
「あっ」
「ああ」
「そういう…」
リーネに向かってひたすら自分の思いをぶつける姿に、何故リーネが、そしてルリアーナが逃げようとしていたのかを悟った残りの面々はちらりとルリアーナを見遣る。
きっといたたまれない顔をしているのだろうと思ったが、
「あ、ルリアーナ様が逃げる」
ルナが言った通り、ルリアーナは部屋の入口を目指してそろりそろりと移動しているところだった。
「ちょ、ルナちゃん、しーっ!!」
ルリアーナは慌ててルナの口を閉じさせようと口に人差し指を当てたが、ひと足遅かったようだ。
「なんですって!?」
優里花の大声を耳元で浴びながらもルナの言葉を正確に拾い上げたリーネは、自分の惨状を見て逃げ出した裏切り者を許さなかった。
沸き上がる怒りに身を任せ、自分の顔を掴んでいる優里花の細い腕をがしりと掴む。
「キョン、よく聞きなさい」
そして彼女は凄絶な笑みで以ってルリアーナを地獄へ叩き落とした。
「あそこにいるルリアーナ様が、貴女の大好きなめいちゃんよ!!」
ルリアーナは前世でも今世でも、これほど恐ろしい『めいちゃん』を聞いたことがなかった。
読了ありがとうございました。




