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「……ユリカ?」
「ああ。そう言ってたぜ」
「………アンナじゃなくて?」
「いや、アンナとも言ってた」
「…………どういうことだい?」
夜も明けきらない早朝に戻ってきたルカリオは、流石に自分の部屋に気を失った少女を連れて行くわけにもいかず、悪いとは思ったがルリアーナの私室に入り、内扉で繋がる寝室のドアを軽く叩く。
気配は2人分だったが動いた気配は1人分で、静かに寝室のドアが開けばそこにいたのは予想に違わず気配に敏いヴァルトだった。
ルカリオはアンナを連れ帰ったこと、しかし気を失っているためどこかに寝せた方がいいから部屋を用意してほしいことを伝える。
残念ながらルカリオの正体は王太子夫妻の他は国王夫妻と数人の重鎮しか知らないため、『ただの護衛』と思われているだけの彼ではこの時間にいるはずのない不審な女性を侍女に頼むこともできなかったのだ。
ヴァルトもそれは承知していたので「すぐに用意させよう」と言うと上着を羽織り、部屋を出る。
そして言葉通りすぐに戻ってきた彼はルリアーナの私室のソファに横たわるアンナのことを侍女(王太子が相手であれば何故王太子妃の部屋に突然少女がいるのか、何故その面倒を王太子が見ているのか、などを問う心配はない)に任せ、改めてルカリオの報告を聞いたのだが、ルカリオが「クレッセンがアンナのことをユリカと呼んでいた」と伝えると怪訝な顔になった。
「確かアナスタシア妃の話ではアンナという名前だけだったはずだが…」
他にも呼び名があったのか。
それとも何かの称号だろうか。
「なあ旦那」
まさか召喚者違いかとも思ったがアンナとも呼ばれていたということはそうではないようだし、と悩むヴァルトにルカリオが呼び掛けた。
「何かな?」
ヴァルトは顔を上げてにっこりと笑う。
もちろんただ反射で作っただけの外面だったが、今更外す必要もないかとその顔のままルカリオの言葉を待つ。
そして「あー、なんつーか、確実にそうだと思っているわけじゃないんだけど」と若干躊躇いを見せるルカリオを見ながら『今更だけど旦那って呼び方はなんだか安っぽいチンピラの親分みたいだな』と、ここ2年で定着した自身の呼び名について思いを飛ばしていた。
別に嫌だというわけでもないし、『悪役令嬢』らしいルリアーナと同じ『悪役』になったみたいで、ちょっとだけ心が浮き立ちもするが、なんだか自分の方がちんけな小悪党のように思えるのもまた事実で。
そう思ったところで結局「まあいいか」といういつもの結論に至った。
別に不都合があるわけでもないし。
「何でもかんでもそう思うのは間違いだとは思うんだけどさ、可能性の一つとして一応聞いてくれ」
「うん」
まさか目の前でヴァルトが外面笑顔の下でそんなどうでもいいことを考えていると思っていないルカリオは「ふう」と息を吐くと、
「姫さんの『ルリアーナ』があいつの『アンナ』なら、姫さんのめいちゃん…『メイコ』があいつの『ユリカ』なんじゃないか?」
と、アンナもまた転生者の可能性があるのではないかと言う。
一瞬面を喰らったものの、すぐにその言葉を吟味し、ヴァルトが出した結論は。
「ああ、そういう…?」
ルカリオの推測が正しい可能性が極めて高いという結論だった。
翌朝、目覚めたルリアーナに状況を説明しつつ、アナスタシアにも連絡を取ってアンナらしき少女の顔を確認してもらう。
彼女は「アンナで間違いないと思います」と消極的な肯定を示したが、その顔は確信的だったのでほぼ間違いないということだ。
であれば後は目覚めるのを待つばかり、と言いたいところだが、ヴァルトはルカリオが聞いた「ユリカ」という名前について話さなければならない。
「2人とも、落ち着いて聞いてほしいんだけど」
ヴァルトはアンナの寝顔を見守るルリアーナとアナスタシアにそう前置きして、顔を見合わせつつも頷きを返す2人を確認してから徐に口を開く。
「そちらのアンナ嬢なんだけど、もしかしたら君たちと同じ、転生者かもしれないんだ」
ヴァルトは「また自分たちと同じ境遇の女性が増えてショックかもしれないけど」という思いを表情に滲ませる。
しかし再び顔を見合わせたルリアーナとアナスタシアは
「えっと、そうだと思っていましたけれど…」
「むしろそうだと期待していましたけれど…」
ヴァルトの懸念など微塵も意に介さず、当然のこととしてそれを受け入れていて。
「…………そう」
ならいいんだ、と微笑むヴァルトの顔は珍しく引き攣っていた。
うっかり『ユリカ』と言う名前を告げるのを忘れるほどに、彼はショックを受けたようだ。
「………ん」
「…気がついたかしら?」
ルリアーナとアナスタシアとヴァルトが「えっと、初めから知っていたの?」「いえ、知っていたというか、そうだろうなと思っていただけというか」「確信があったわけではないけれど、今までのパターン的にそうかなと思っていたんです」と話している横で小さく声が上がり、アンナが目を覚ましたのではとそちらを注視する。
すると薄っすら目を開けたアンナの目に飛び込んできたのは、深緋の髪に緑の瞳が鮮やかな鮮烈な美女と、深緑の髪にヘーゼルの瞳が理知的な印象を加える妖艶な美女と、淡く輝くプラチナブロンドに妖しい紫の瞳を持った美青年の顔で。
「………えっと、天国?」
そう呟いた彼女は再び気を失ったようだった。
「………」
「……………」
「…………………」
沈黙のまま目を交わし合った3人は、ややしてため息を吐くと、
「ヴァルト様が天使みたいな見た目をしているから…!!」
「僕のせいじゃないよ。リアが美人過ぎるからでしょう?」
「いえ、お二人が美し過ぎるせいかと…」
「「アナスタシアちゃん(妃)も人のこと言えないからね?」」
成人した王族とは思えないほどの大人げなさでアンナが気絶した責任を互いに擦り付け合った。
その争いは様子を見に来たルカリオが「要は全員のせいってことだろ?」と結論を出すまで続いたが、アンナが気を失ったのは単に転移の影響だったという真相には辿り着けないままだった。
読了ありがとうございました。