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「まあ、こんなもんじゃね?」
ことりと筆を置き、正面左右とルリアーナの顔を見たルカリオは、作業は完了したと伝えるためにルリアーナに手鏡を渡す。
けれどルリアーナがその鏡に顔を映せば、そこにあるのは深緋の髪をしたアナスタシアの顔だった。
「完璧じゃない!ルカリオ凄いわ!!」
そう言うのと同時に鏡の中のアナスタシアの口が動くが、やはり出てきた声は間違いなくルリアーナのもので。
「なにこれ脳がバグる」
「美人が化けて美人になりましたね」
横から見ていたルナとアデルはでき上ったルリアーナとアナスタシアが混ざった女性の姿に目を見開いて驚いていた。
「まさか暗殺者にこんな高度な変装技術が必要とは…」
「ぱっと見では全く分かりませんね」
反対側ではリーネとシャーリーも感嘆の声を上げている。
「やっぱり貴方を頼ってよかったわ!」
周囲からの反応に確かな手応えを感じたルリアーナはルカリオを呼び寄せ頭を撫でる。
実際されるまでは嫌そうにしていたのに現金なものだと思わなくはないが、その素直さも彼女の魅力であるのでルカリオは「…どーも」とぶっきら棒に言いつつも照れたように少し顔を赤くした。
「後は貴方が私の後ろでアナスタシアちゃんの声真似をすれば、ガイラス様のいい練習台になれるわ!」
ルリアーナは勝利を確信したボクサーの如く、自身に満ちた笑みを浮かべながら天に向けて拳を振り上げた。
ルリアーナが早朝に思い付き、即ルカリオに依頼した内容は『暗殺技術を使ってもう一人のアナスタシアを作り上げる』こと。
それは前世の知識でルカリオが暗殺時に美女に化けたり、対象者の娘を装って近づいていたということを知っていたからこその思い付きで、今すぐにできることの中では最善の策だと思えるものだった。
だから彼に頼んで誰かの顔をアナスタシアのものにしてもらい、その誰かにアナスタシアの所作を真似させつつ背後に潜んだルカリオにアナスタシアの声真似で用意した台詞を言ってもらえれば、ガイラスがアナスタシアを目の前にした時と限りなく近い状況で訓練ができるだろうと考えたのだ。
ルリアーナは朝にこの作戦を思いついてからずっとウキウキしていた。
一体どんな面白いものが見られるのかと。
なのにまさか自分がアナスタシア役になるとは思ってもいなかった。
せっかく慌てふためくガイラスが見られると思ったのに。
そのことについてのみ「残念でならないわ」とルリアーナは不満を漏らしたが、
「ん?アナスタシアの役になったんなら、その慌て様を特等席で見れるってことじゃね?」
小首を傾げたルカリオにそう言われ、それもそうだと即座に機嫌を直した。
そしてそんな話をしている間にフージャがようやくガイラス関係の手続きから戻ってきて、ルリアーナを見た彼が「え!?なんでここにアナスタシア様が!!?」と腰を抜かさんばかりに驚いたので、成功を確信してさらに機嫌が良くなった。
昼食を終え、ルカリオが軽くルリアーナのメイク直しをしていると、ガイラスが到着したとバスタから連絡が来た。
「思ったより早かったな」
「ルリアーナ様からの呼び出しだからじゃない?」
「だろうな。俺も手続するまで忘れてたけど、この人国賓だから」
「そういえばそうだったわね」
フージャとリーネが思いの外早いガイラスの到着にそんな会話をしているのを聞きながら、ルカリオとルリアーナは応接室内に扉のある隣室に移動する。
そのドアが閉まると同時にバスタに案内されたガイラスが応接室に現れた。
フージャたちが「間一髪」と胸を撫で下ろす中、最早迎えが必要ないほどこの屋敷に馴染んでしまった一国の王子は見回した室内に呼び出した本人がいないことに首を傾げる。
「悪かったな、急に」
戸惑うガイラスに笑いを堪えながらフージャは「まあこっち来て座れよ」と席を勧め、メイドが入れた紅茶を彼に差し出した。
「まあ、多少無理はしたがそれはいい。それで、肝心のルリアーナ殿は…」
気を静めるようにこくりと紅茶を口に含んだガイラスは、やはりルリアーナが一向に姿を見せないことが気になるようで、キョロキョロと室内を見回しながら性急に結論を急いだ。
こういう場合は相手がトイレに行っているという状況などを考えて、相手に恥ずかしい思いをさせないよう暫く触れずに待つものだが、今のガイラスの頭からはそういったことが抜け落ちている。
フージャはその様子に苦笑すると、「もうすぐ来るから落ち着いて待っとけ」と彼にクッキーやチョコも勧めた。
ややして準備を整え終えたルリアーナたちは隣室から廊下に出て応接室の扉を叩いた。
同時にガイラスに対し「お待たせしました」と告げる声はまだルリアーナのものだ。
その声に反応して「今開けるわ」と扉に向かったリーネの背を眺めていたガイラスは、
「よし、今から気をしっかり持てよ!!」
「ぐっふぅ!?」
突然フージャに激励と共に背中をバシッと叩かれたため、取り繕う間もなく吹いた。
そして「お前…っ」とフージャを睨んだが、その間にリーネが応接室の扉を開いてしまったので、「後で覚えていろよ…っ」と睨むだけで矛を収めた。
フージャはちょっと悪かったなと思いつつ、「大丈夫、この後の衝撃で帰る頃にはこんな些細なこと綺麗さっぱり忘れてるだろうよ」と肩を竦めた。
「ごきげんよう、ガイラス様」
応接室に入ってきたルリアーナは少し俯いて広げた扇で顔を隠している上、社交場でもない室内なのに何故か大きな帽子を被っており、ガイラスは不思議に思ってそのことを訊ねた。
「ルリアーナ殿もご機嫌麗しく。ところでその、その恰好は一体…?」
だがその訊ね方はよろしくない。
素直に「何故帽子を?」と言えばまだよかったものの、その訊ね方では「何故そんな珍妙な恰好をしているのか」と取られかねない。
「ガイラス…」
「なんて残念な…」
貴族であるフージャとアデルは彼の言葉に揃ってため息を吐いた。
相手がルリアーナだったからまだよかったものの、これがアナスタシアだったら目も当てられない。
失地回復どころかもう二度と会ってもらえなくなるかも。
もしかしてこれは、恋愛とかそれ以前の問題では…?
嫌な予感が2人に過った。
「ふふ、これこそ私が貴方をお呼び立てした理由ですわ」
案の定ルリアーナはガイラスの失言には触れず彼の疑問に答える。
そこにツッコむよりも面白いことがこれから起こるのだと思えばある程度の失言は笑顔でスルーできるというもの。
ルリアーナは扇の下でにんまり笑うと「お覚悟くださいませね?」と言って扇を閉じ、勢いよく帽子を取り去った。
「………んなっ!?」
帽子の下から現れたのは深緋のウェーブがかった柔らかな髪ではなく、深緑のストレートで性のいい艶やかな髪で、扇の下からは大輪のバラのような華やかな美貌ではなく、冴え凍る月のような凛とした美貌が現れた。
「アナスタシア!?」
ガイラスは突如そこに現れた自身の最愛の姿を見て大口を開けて目を丸くする。
そして「え?ルリアーナ殿は!?」と今まで話していた人物はどこへ消えたのだと首を巡らせるが、
「さあ、ここからが本番ですよ!」
目の前の最愛が恩人の声で話すのを聞き、目を白黒させた後、頭を抱えてその場に蹲った。
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