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「さて殿下。この騒ぎは一体何だったのでしょうか?」
カロンを見つめて呆然としている王子に向かい、ルリアーナは再び言葉を掛けた。
その声に肩をびくりと震わせるものの、しかし王子はルリアーナの方を見ようともしなかった。
流石に自分がしたことの愚かさに気がついたのだろう。
気まずい沈黙が会場に流れる。
「殿下、疑いは晴れたようですし、私はもう下がってもよろしいでしょうか」
ルリアーナはとりあえずこの場を収めようと辞去の言葉を述べた。
予定と違い断罪イベントに巻き込まれてしまったが、そのお陰でルリアーナの無実が学園全員の知るところとなり、逆にカロンの悪行が曝された。
結果としては上々である。
あとは王子に形ばかりの許可をもらって帰るだけだ。
けれどルリアーナが請うたその許可が下りる前に、もう一人の馬鹿が彼女の目の前に現れた。
「ダイランド嬢のことに関してはカロンの勘違いだったのかもしれない。だが、こいつらは別だろう!?」
勢い込んでそう声を上げたもう一人の馬鹿は、最初にカロンの横で婚約破棄を宣言した後は王子にいいとこ取りをされて仕方がなく彼女の後ろにいたレイシーの婚約者であり騎士団長の息子でもあるフィージャ・ボガードだった。
声も体も大きいが脳みそは小さい、いわゆる脳筋タイプの人間である。
恋は盲目とは言うが、しかしいくら脳筋でもあれを勘違いで済まそうというのは無理があるだろう。
現に周りの目も如実に「お前頭大丈夫か」と言っているが、残念ながらルリアーナを睨んでいる彼には見えていなさそうだ。
それよりも、彼が言った『こいつら』とは当然ルリアーナ以外の5人の令嬢のことと推察される。
本人たちもそうと気づいていて肩を震わせていたが、気丈にも彼女らは寄り添うように支え合い、しっかりとその場に立っていた。
ちらりとそれを確認したルリアーナは確実にその辺の令嬢よりも強くなった彼女たちのメンタルを心の中で称賛し、溢れ出た喜ばしさが口元に緩やかな弧を形作った。
それにしてもか弱い女性を慮る立場にある騎士の、その頂点に立つ騎士団長の子息が言うに事欠いて令嬢を『こいつら』呼ばわりとは実に嘆かわしいことだ。
どうせついでだし、こいつもやっとこう。
そう考えたルリアーナはフィージャに向き直る。
「ボガード様、まさかとは思いますが、今こちらの皆様を『こいつら』と仰いました?」
ルリアーナは改めて扇を開き、顔に当てて彼を見た。
それは悪臭のするものから鼻を守る仕草に似ている、と思ったのは誰であったか。
「誇り高き我が国の騎士団長のご子息が、理由はどうあれ令嬢方をそのように扱うなど、騎士道どころか貴族として、いえ、人として恥ずかしくはございませんの?」
「なっ!?」
ルリアーナは機先を制そうと口を開く。
その言葉にボガードはたじろぐが、彼女はまだ攻撃の手を緩めなかった。
「それに彼女たちの罪もまだ確定しておりませんわよね?先ほどのフラウ様の行いを見て勘違いだと言える程度の知能しかない貴方には理解できないかもしれませんが、彼女たちは冤罪である可能性の方がはるかに高いのですよ」
ルリアーナはあえて馬鹿にするように鼻で笑いながらフィージャを挑発する。
数秒間を置いてからそのことにやっと気がついたのか、フィージャは顔を茹で上がらせるとルリアーナの狙い通り彼女に食って掛かってきた。
「なんだと!この俺を侮辱したな!」
既に騎士団の訓練に加わっているフィージャは鍛えられた体と声の大きさも相まって中々に迫力がある。
だがそんなものには怯まないルリアーナは激昂して怒鳴り散らすフィージャに眉を顰め、不快であると明確に意思表示をする。
その目は酔っぱらって前後不覚になりながら部下を怒鳴りつけるパワハラ親父を見るが如くだ。
それは目の前の光景と前世の夢で垣間見た記憶が一瞬フラッシュバックして重なったせいかもしれない。
「侮辱?真実を述べることが侮辱であるならば、それはただ単にあなたの能力が足りていないだけのことでしょう?」
ルリアーナはひとまず前世の記憶を押しやり、目の前のフィージャに不快感を隠そうともせず、むしろより一層不快だと示すように目を眇めた。
その様子は最早、大声も威圧的な態度も、彼の存在の何もかもが不快だと言わんばかりだ。
「なんだと!?」
フィージャは気づいているのかいないのか、それでもルリアーナがなおも彼を馬鹿にしていることは感じ取り、頭に上って行く血が彼の顔を赤く染めていく。
今の彼はさながら赤鬼のようだった。
「実際足りていないでしょう。あれを見てどうして勘違いで済ませられます?どう見ても私を陥れようとしていたではありませんか。であるならばこちらの皆様も同じように陥れられようとしていたのだとは考えつきませんか?」
ルリアーナはいい感じに熱くなってきたフィージャに扇の陰で笑うと、諭すようでありながらその実物凄い上から目線な言葉を投げ掛ける。
そうすると彼女の思惑通り、彼は立派な道化となるべくさらに自分の愚かさをひけらかした。
「俺はそんな捻じくれた考え方などしない!それに心優しいカロンが人を陥れるなどあるわけがないだろう!」
ルリアーナの言葉に反射で返しているとしか思えない速度で紡がれるその言葉には理論も何もない。
恐らく彼は頭に血が上りすぎて何も考えないまま言葉を発しているのだろう。
それが彼を、延いては彼らを窮地に追い込んでいく。
「現に今、私はありもしない罪で訴えられたばかりですが」
扇の陰でほくそ笑むルリアーナは再度言葉を重ねた。
何の意味もないと知りながら、それでもこの馬鹿男は何と返すのだろうという多少の興味と、この男の浅はかさを全員に知らしめるという追い打ち目的のために。
「だから、それは勘違いだろう?」
ふんと息を吐き、フィージャは「さっきからそう言っているだろう」と、むしろルリアーナを馬鹿にしたように答える。
彼の目は「なにを言っているんだ」と言いたげだったが、そう言いたいのはルリアーナの方である。
やはりこいつは何も考えていないただの馬鹿だったな。
そう結論付け、彼に対する興味を失ったルリアーナはため息を吐いた。
また、時を同じくして同じ結論に達した周囲の至る所からもため息が聞こえる。
「な、なんだよ?」
会場にいた多くの人が堪え切れなかったため息の数は多く、集まったその音はフィージャの耳にも届いたようで、彼は思いもよらなかった反応に戸惑いを見せた。
顔の赤みが引き、代わりに汗が頬を伝い始める。
「今のため息がなんなのか、本当におわかりになりませんか?」
その様子がいっそ哀れに思えてきて、ルリアーナは呆れながらではあるが少し口調を弱めて言った。
気分は小学校の、それも低学年を受け持った先生と同じかもしれない。
「彼女はクロークに保管していた私の鞄に自分の髪飾りを入れて、まるで私が取り上げたかのようにこの場で殿下に訴えたのです。この場で一番権力を持っている上に自分への好意から盲目的に信じると確信できる『利用しやすい』殿下に」
「うぐっ」
ルリアーナが一部強調していった台詞に、ついさっきまで物言わぬ彫像と化していた王子から自分の過ちを抉られる指摘をされたことによる羞恥と苦悶が入り混じった呻きが聞こえてきた。
だが今はそんなことに構っていられないので、ちらりと目線をやっただけで無視して話を進める。
「髪飾りがなくなり、それを私が偶然見つけて鞄に入れていたが、事情を知らない第三者が私がフラウ様から取り上げたものだと思った、というのであるならばそれは勘違いと言える状況でしょう。しかし今回は明らかに違いました」
周囲の人間もルリアーナの言葉に何度も頷き、それが間違っていないことをフィージャに教える。
「というか、ここまで言ってまだ貴方は勘違いだったと仰るのですか?」
「いや…」
ルリアーナが噛み砕きすぎて液状になったような懇切丁寧な説明をしているこの状況にバツの悪さを感じたのか、フィージャはぐしゃりと己の髪を掴み、なんとか納得しようとしていた。
自分の発言の愚かさに気がついたようなその態度に少しではあるが溜飲が下がったルリアーナは、今度は5人の冤罪についても話し始める。
「ご納得いただけたようでなによりですわ。そして本題ですが、フラウ様はこちらにいる5人の令嬢に対しても、私にしたのと同じように冤罪をかけたと思われます」
ルリアーナは話しかける対象をフィージャから周囲で様子を見守っている卒業生、在校生、および教師や来賓に変更する。
大きく手を広げ、5人の令嬢たちを庇うようにしながら彼らに切に訴えた。
「……それは、また話が違うのではないか?確かにおま、貴女に対してはその様にしたかもしれないが、彼女たちに対してもそうだったとは限らないだろう」
その背後から今までとは違い少し考える素振りを見せてから発せられたフィージャの言葉に、ルリアーナは彼の進歩を評して『お前』と言いかけていたことを水に流してあげながら彼の言葉に答える。
「ええ、何も知らなければそうでしょうね。しかし私はそれが事実無根の冤罪であることを知っているのです。でなければ私は彼女たちを庇おうとは思いませんでした」
そう言ってルリアーナは種明かしをするべく、再び周囲の人間に訴えかけるように声を大きくした。
「彼女たちは無実です!」
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