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しばらくしてようやくアナスタシアの涙が尽きてきた頃、リーネは彼女の前に跪き、そのまま土下座をした。

「アナスタシア様、本当に申し訳ございませんでした」

リーネは顔を上げないまま言葉を続ける。

「私はあの時あの現場におりました。ですが貴女が私と間違って刺された時、私は貴女を助けることはおろか、立ち上がることさえできなかった。無関係な貴女を巻き込んでおきながら何もしないなんて最低なことだとわかっているのに、鈴華のことを思い出して体が動かなくなってしまった」

肩を震わせつつも、リーネの謝罪は続く。

「ごめんなさい、助けられなくて。ごめんなさい、あの男を逃がしてしまって。謝ったくらいじゃ全然、償いにはならないけど、だけど、今の私にはそれ以外に方法がないから」

ごめんなさい、と。

誰も言葉を発しないから、リーネの声だけが狭くはないモードレイア家の応接間に響いていた。

「……リーネさん」

ぐすっと鼻を啜ったアナスタシアはいまだ床に額づくリーネに声を掛ける。

涙に揺れるその声は、しかし不思議なほどに澄んでいて、リーネは恐る恐る顔を上げた。

「私は、私を殺したあの男が今でも憎いです。もしこの世界にいるならもう一度殺したいくらいには。けれど、貴女のことは恨みません」

するとアナスタシアはそう言い、うっすらと笑顔まで向けてくれる。

それが何故なのかわからなくて、無意識のうちにリーネの口から「どうして」と言葉が漏れた。

「私は勘違いで私を殺した人間のことを憎んでも、勘違いの原因となった貴女を恨みはしません。全ては勘違いをしたあの男が悪いんですから」

「でも」

「よく言うでしょう?人を憎んで武器を憎まずって。人殺しに使われた銃に罪はない。罪は実行した人だけにあり、その他の事象はただの付属要因に過ぎないのです。だから貴女が私に謝る必要なんてない」

アナスタシアは立ち上がり、リーネのことも立たせた。

「むしろ貴女の敵を私が奪ってしまったのね。あの時はもう死ぬってわかっていたから頭に血が上っちゃってあの男を刺してしまったけど、貴女は悔しかったでしょう。私こそ余計なことをしてごめんなさい」

そして右手を差し出し、リーネに正面から向き合う。

「これからは同じ男に苦しめられた被害者同士、今までよりもずっと、仲良くしてくれたら嬉しいわ」

そう言ってにっこりと笑った後、いつまでも手を出さないリーネの右手を差し出させて、しっかりと握手を交わした。

「…アナスタシア様」

「なにかしら?」

リーネはその手に力を入れないようにしながらそっとアナスタシアに言う。

「せめて傷のない左手で握手してください!傷に障ります!!」

「……あら?」

リーネの言う通り、涙は止まってもまだ血は止まっていなかった。


アナスタシアの手の治療を終え、前世では『柳井美紀子』という名前だったという彼女の素性もわかったところで、ルリアーナには気になることがあった。

それは先ほど聞いた『漫画版』のこと。

もしかしたらそれの話を聞けば、転生者に出会う度に実は密かにずっと気にしていた『あること』の原因がわかるかもしれないと期待して。

「アナスタシアちゃん、ルナちゃん、ちょっと聞いてもいいかしら」

だから漫画版を読んだことがあるという2人に声を掛けた。

「はい」

「はい?」

2人はルリアーナの方を向き、なんだろうかと軽く首を傾げる。

「さっき貴女たちが言っていた漫画版のことなのだけれど」

ルリアーナがそう切り出せば、2人は「ああだから自分たちか」と納得を見せ、ルリアーナの言葉を待った。

ルナはきっと彼女なら漫画版があったというだけでも何か新しいことに気がついたのだろうと思って。

アナスタシアはゲームのことはわからないけど漫画版のことなら役に立てると思って。

「えっとね、できるだけ詳しく内容を教えてほしいの。ゲームからどれくらい経っていそうとか、キャラクターの年齢とか、わかっている限りの細かいところまで」

ルリアーナはそう言って紅茶を一口含む。

それを傍から見ていたアデルは「ルリアーナ様?」と小さく呟いたが、3人には聞こえなかった。

アデルにはルリアーナがなんとなく気まずげというか、何かを酷く気にしているように見えたのだが、紅茶を置いた彼女の顔はいつも通りだったので、自分の気のせいだと思うことにした。

同じく横から見ているシャーリーやリーネやフージャも気がついていなさそうであったし、ルリアーナの機微に聡過ぎるルカリオでさえも特に気にしていなさそうだったからだ。

「なら多分私よりもアナスタシア様の方が詳しいと思いますので、お願いしてもいいですか」

ルナは1巻しか読んでいない上、記憶が混乱してゲームの知識が混ざってしまう可能性があることを考えてアナスタシアに説明役をしてほしいと言う。

アナスタシアも自分が一番詳しいだろうと思っていたので「わかりました」と了承し、1巻の内容からできるだけ詳しく思い出す。

「漫画版のタイトルは『君のとなりで~異世界の少女と封印の魔王~』というもので、1巻の冒頭でトーラン正教の大司祭が500年前にジョカ山頂上に封じられた魔王が復活したと信託を受けて、『魔王を倒せるのは異世界の乙女のみ』と書かれた教会に伝わる古文書を頼りに主人公を異世界から召喚するところから始まります」

アナスタシアは「えーと」と再度集中して記憶を掘り起こす。

「主人公は16歳で名前は豊田杏奈ですが、大司祭が後見人となるために養子となったため、すぐにアンナ・ニルヴァニアという名前に変わります。そしてアンナは古文書に従い各国の王族から国宝のオーブ、ハーティアはルビー、ディアはトパーズ、クローヴィアはエメラルド、そしてスペーディアはサファイアが球体に加工されたものでしたが、それを借りるために大陸を一周します」

アナスタシアがそう言ったところで、そのオーブに心当たりのあったルリアーナが「ああ、見たことあるわ」と言えば、アナスタシアは「この世界にも実在するんですか!?」と身を乗り出す。

ルリアーナがそれを見たのはヴァルトの立太子式典だったが、確か彼のマントの留め具として大きく目立つトパーズがあったのを覚えていたので「ええ」と頷いた。

そしてアデルも「そう言えばライカ様も立太子式典の時に大きなエメラルドを身につけていらっしゃいましたね。こちらは腰に下げているだけで、マントでほとんど見えませんでしたけど」と言い、実在は間違いないだろうという結論が出る。

アナスタシアは自分の知識とこの世界が初めて重なったことで、ようやく自分が『君とな』の世界に転生したのだと実感した。

「それで、アンナはどこから回って行ったの?」

「あ、ハーティアです。そこから反時計回りに進んで、ディアが最後ですね」

ルリアーナが漫画に話を戻したので、アナスタシアは慌てて答える。

「ハーティアでは教会に祈りに来た、王太子の婚約者であるシャーリーに協力してもらってオスカー経由で話を国王まで通してました。あっと、ここでは不敬になりますね。シャーリーさんからオスカー様経由で国王陛下に奏上していました。同じようにスペーディアではリーネさん経由でガイラス様に、クローヴィアではルナさん経由でライカ様に、そしてディア、ですが」

途中向こうの世界に引っ張られていた感覚をこちらのものに修正しながらの説明は、そこで不自然に噤まれた。

「どうしたの?」

ルリアーナが不思議に思って問えば、「あの」とアナスタシアが狼狽える。

「確か、ディアの国王がジーク様という名前で、カロンさんはすでに王妃になっていたのですが、ルリアーナ様の旦那様ってヴァルト様って仰ってませんでした?ジーク様って誰なんでしょう…?」

あれ?おかしいな、とアナスタシアが説明が中断させた理由を口にする。

ガイラスはオスカーとは逆に勿体ぶってアナスタシアを他の王子たちに見せまいと隠していたので、ガイラスに興味のなかったアナスタシアは他国の王族のことにも詳しくなかった。

というより名前さえあやふやなほどに彼らに関する情報が隠されていた。

ガイラスの独占欲に皆が協力した結果ではあるが、いずれ王家に嫁ぐ女性の教育として正しいわけがない。

他国のことに口を挟むことはできないが、それでもその話を聞いたルリアーナとアデルは彼女に同情した。

「ジーク様というのは私の元婚約者の第一王子よ。ヴァルト様は第二王子。ジーク様はカロンのせいで廃嫡されたから」

だからルリアーナは敢えてあっさりと説明したのだが、アナスタシアは「…え?」と顔を青くする。

それはこの世界で貴族として生きている人間としての反応で、彼女は王子が廃嫡されたという国家レベルの異常事態の方に慄いたのだ。

「まあ、その辺の事情は追々説明するわ。だから気にせず続けてちょうだいな」

だが当事者のルリアーナは意に関せず、朗らかに笑うばかり。

ならば今は言う通りにするのがいいだろうと、アナスタシアはまだ戸惑いを残しながらもとりあえず説明を続けた。

読了ありがとうございました。

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