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庶民が利用するには少し高いが貴族向けではない宿屋に戻った2人は情報を整理しようと紙を広げたテーブルを囲む。
「なんだかよくわからなかったね。海で得難い水を奪って行ったのは理解できるけれど、彼らの一番の目的は水や金品ではなく『スズカ』というものだったようだし。でも肝心のそれが何かわからないなんて…」
ヴァルトは紙に『スズカ』と記すと、その横に文字を書き連ねる。
「植物や動物の名前でも聞いたことがないし、国や街の名前でも聞いたことがない。スズカなんて物も知らないし…」
植物、動物、地名、物、など口にしながら候補を出すが、やはり心当たりはなかった。
「人の名前にしては聞かない響きだし、もしかして何かの言葉の一部とかかな?」
人名、何かの一部分、とさらに書き足し、うーんと唸りながらそれを見つめる。
しかしやはりと言うべきか、それだけではなにもわからないままだ。
「そういえばリアはさっき随分静かだったし、今も静かだけど、何か心当たりでもあるの?」
ペンを置いて息を吐いたヴァルトは思考に行き詰まりを感じ、先ほどから何も話さないルリアーナに意見を求める。
普段煩くはないが口数の多い彼女が黙っているのは、もしかして何かわかっていることがあるからではと期待したのだ。
「…いえ、私にもわかりかねますわ」
けれどルリアーナには心当たりがなかったらしく、「お役に立てなくてすみません」と返された。
だがその表情は浮かないもので、心当たりはなくとも何か気がかりなことはあるのだろうと推察される。
「僕も知らないことだからそれはいいんだけど、ならどうしてリアはそんなに浮かない顔をしているの?」
「それは…」
だからヴァルトはルリアーナにそれを問うたのだが、何事でもわりとはっきり答える彼女が珍しく口ごもったので少し意外に思い、詳しく聞くついでにいつもは遠慮していることについても一歩踏み込んでみることにした。
「リアがはっきり言わないってことは確信がないことなんだろうけど、何がヒントになるかわからないからできればそれを教えてほしいな」
言いながら椅子から立ち上がって彼女の横に移動し、優しく肩を抱く。
「あとね、なんで縁もゆかりもないシャーリーっていう子を探そうとしているのかも、そろそろ教えてほしいかなって」
瞬間、ヴァルトの手の下にあるルリアーナの肩がぴくりと反応する。
それを抑えるように、ヴァルトは少しだけ手に力を込めた。
「……話だけ聞くと、オスカーの身に起きたことはライカの身に起きたこととそっくりだよね?学園に通う婚約者持ちの王族が何故か魅了の魔法を持つ平民に虜にされ、その平民を虐めたと噂が立った婚約者と婚約破棄をしようとする。言い換えればバートランド嬢とウィレル嬢の境遇はひどく似通っているんだ。そして僕は、そんな人たちをもう一組知っている」
「っ!」
ルリアーナが立ち上がろうとする。
だが肩に置かれたヴァルトの手がそれを阻む。
はじめからそのために手を置いていたのだと、ルリアーナは今更ながらに気がつき唇を噛んだ。
「ねえリア。僕には知る権利があると思わない?」
「…知る権利?」
「そうだよ。だって兄様がカロン・フラウに誑かされなければ僕は今頃気楽な第二王子として過ごすはずだったんだ。あの人はあんなことさえなければ間違いなく国王になれる器を持っていた。リアもそれはわかっていたでしょう?でもリアは『まるでそうなるとわかっていたかのように』兄様に興味も持たず、カロン・フラウの接近を許したばかりかどんどん愚かになっていく兄様を諫めることもなく、すぐに身を引いた」
ごくり、とルリアーナの喉が動く。
「当時の、ルリアーナ姉様だった頃の貴女は確かに淑女という猫を被っていたよ。でも母様や僕に気に入られる程度には本性も漏れていた。だから婚約を破棄したことも気高き負け犬なんて名前を受け入れていることも信じられなかった。でも、最近その謎が解け始めているんだ」
するりと肩に回されていた手が外され、代わりにその手がルリアーナの顎を取る。
「貴女と、少なくともウィレル嬢は事の真相を知っているよね?その真相、そろそろ僕にも教えてくれないかなぁ?」
ねぇ、ルリアーナお姉様?
そう言いながら近づいてきた顔はあの頃の無邪気な弟の顔ではなく、次代の為政者であり、獰猛な獣のような男の顔だった。
「…これで全部です」
ルリアーナはヴァルトに自分の前世とこの世界の繋がり、そしてアデルとの繋がりを包み隠さず話した。
と言ってもアデルに関してはこのゲームを4までプレイしていたことくらいしか知らないので『同じ世界で生きて同じものを愛した同志だ』と説明しただけだが。
「前世、ね。俄かには信じられないけど」
長い話になるからと席に戻されたヴァルトは聞き終えると「うーん」と呻きながこめかみを押さえ、
「まあでも、これでなんでリアが魅了の魔法のことを知っても驚かなかったのかとか、ウィレル嬢とバートランド嬢を気にかけているのかとか、…愛されていたのに兄様を愛さなかったのか、とか、ずっと気になっていたことが解決したよ」
そう言ってどことなく淋しさが垣間見える表情でディア国がある方角を見た。
彼の兄であるジークが廃嫡されて所属した国境守護騎士団は王都から離れたハーティア側の国境を守護している。
今回の越境時にはもちろん姿を見ることはなかったが、それでも13年間兄として慕っていた人物のことをそう簡単には割り切れない。
まして愛した人を自分の意志とは関係なく裏切らせられたのだということがわかった今、弟として、また同じ人を愛した者として不憫に思う。
本当は願ってはいけないけれど、できることなら戻ってきてほしい。
ルリアーナは不快に思うかもしれないが、それが弟としてのヴァルトの本心だった。
「あの、ヴァルト様…」
ここからは見えぬ地にいる兄を偲んでいたヴァルトはルリアーナの声に視線を彼女に戻す。
すると彼女は随分と驚いた顔をしており、
「私、ジーク様に愛されていたの…?」
呆然としたようにそう言って、その目から一滴だけ涙を流した。
それがどんな感情から来たものかヴァルトにはわからなかったが、その脳裏に在りし日の兄の言葉が蘇る。
『ルリアーナは俺を愛してなどいないのだろう』
『何故ですか?お2人は婚約者でしょう?』
それは酷く気落ちした様子の兄に、自分が永遠に手に入れられないものを持っているくせに贅沢だと面白くない気持ちを抱きながらそう言った時の記憶。
『…そろそろお前も色々な令嬢と面会させられている頃か?』
『ええ。退屈な時間ですが、婚約者は早く決めておいた方がいいと母様にも言われまして、仕方なく』
早くリアちゃんを諦めるためにも、次の恋を探した方がいいわ。
気の毒そうな目で痛ましそうに自分を見る母にそう言われたから、当時のヴァルトはなるべくルリアーナの面影のない令嬢を探そうとして毎日失敗していた。
笑顔が似ている、爪の形が似ている、髪質が似ている。
今思えばそんなに似ていなかったようにも思えるが、当時は彼女たちの粗を探すように少しでも似ているところを探しては、彼女たちではダメだと言って断っていた。
その挙句に妥協して選んだのは自分に微塵も興味を抱いていないという、ある意味内面がルリアーナに一番似た令嬢だったが。
『その令嬢たちは名を呼ぶと、嬉しそうにお前を見ないか?』
『…そうですね。中には先走って自分が選ばれたのだという顔をする者までいましたよ』
そんな令嬢たちの顔を思い出してヴァルトはうんざりする。
自分がその表情を見たい唯一の人は絶対に自分をそんな目で見ないのだから。
『…それはそれで面倒だな』
ジークも経験があるからか苦笑いをして慰めるようにヴァルトの頭を撫でる。
『それが、どうかしたのですか?』
もう子供じゃありませんよ、とその手を拒み、要領を得ない兄の話に苛々した気持ちになってきたヴァルトは目元を険しくさせてジークを見た。
『…ルリアーナはな、俺が名を呼ぶと無表情になるんだ』
『……え?』
すまんと淋し気に謝った兄が、さらに淋しさを乗せて言った言葉がヴァルトには信じられなくて、思わず聞き返してしまった。
『誰かと談笑している彼女に声を掛けると無表情になるし、2人でお茶をしている時など目も合わない。……俺はルリアーナに嫌われているんだ』
兄はそう言うと、目元をくしゃりと歪めて、
『それでも俺は彼女を愛しているから、彼女を解放してやることができない…』
俺は情けない男だよ、と涙こそ流さなかったが、兄は確かに弟の前で泣いたのだ。
…きっとこの話をすれば、ルリアーナもまた傷つくだろう。
実際にそうなったように、未来で自分を捨てるはずの男を愛せなかったルリアーナの気持ちもわかる。
だが、未来など知らなかったジークが純粋にルリアーナだけを愛していた気持ちもまた、ヴァルトには痛いほどよくわかる。
「…少なくともカロン・フラウに出会うまでは」
だから自分が知っている兄の気持ちは自分だけが覚えておけばいいと、ルリアーナには伝えなかった。
先ほど聞いた話では自分もカロンと出会っていれば魅了される可能性があったということだったから、そうならずに済んだことを神に感謝した。
きっと正気に戻った兄が呪うであろう神に。
ヴァルトはため息を一つ吐いて気持ちを切り替え、脱線してしまった話を戻すべくルリアーナに問う。
「それで、その前世と『スズカ』はもしかして繋がるの?」
「え?…ああ、そうでしたね」
ルリアーナも今は思い出に浸っている時ではないと頭を振り、ヴァルトに向き直った。
「私の前世では『スズカ』という音は普通にあるものだったんです。地名にしろ人の名前にしろ、その音が特別耳慣れないということはありませんでした」
そして自分が気にかかっていた理由を告げた。
もちろん、海賊が言っていた『スズカ』が前世に関連したものを指すのかなどわからない。
それでもルリアーナの知る限り転生者が4人(ルリアーナ、アデル、シャーリー、ルナ。確証のないカロンやイザベルは除外)もいるのだから、可能性はゼロではない。
「………そういえば」
そう思ったところで、ルリアーナはまだ出会っていないものの、転生者である可能性が高い2人の人物に思い至った。
君とな無印のヒロインはシャーリー、悪役令嬢はイザベル。
君とな2のヒロインはカロン、悪役令嬢は自分。
君とな4のヒロインはルナ、悪役令嬢はアデル。
ならば、
「こうしちゃいられない!アデルちゃんに手紙を書かなくちゃ!!」
残る君とな3のヒロインと悪役令嬢もこの世界にいて、そのどちらかが『スズカ』、もしくはそれを探している人かもしれない。
ルリアーナはそれを知っている可能性が高い人物、君となを4まで余すことなくプレイしたというアデルに協力を仰ぐべく急いで彼女に手紙を送ろうと、便箋を買いに再び街へと繰り出した。
読了ありがとうございました。




