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1/27/14:20追記:今更気がつきました。今章、シャーリー編じゃなくてリーネ編でした…orz
イザベルがオスカーとの再婚約を了承してから3日。
半年前の婚約破棄を撤回するべくハーティア王宮全体が慌ただしい中、その王宮に滞在しながらも全く関係のないルリアーナはイザベルをお茶に誘い、官僚が駆け回る様を眺めながらイザベルが好物だと持参してきたガトーショコラを口に運ぶ。
芳醇で濃厚なチョコの香りが先に鼻腔を擽り、次いで口内から匂いに比べて甘さの抑えられたほろ苦い味わいが伝わってくる。
以前クローヴィアでアデルが持ってきたウィレル侯爵家のオレンジピールが効いたチョコフィナンシェも絶品だったが、こちらも劣らずの逸品だ。
「…いかがですか?」
飲み込んだ後も香りを逃したくないと無言だったためか、イザベルがやや自信なさげにルリアーナの様子を窺う。
しまった、せっかく美味しいお菓子を持ってきてくれたのに感想も言わないなんて失礼だったわ、とルリアーナは慌ててイザベルに笑顔を向けた。
「とっても美味しいわ!余韻に浸りすぎて感想を言うのも忘れるくらいに!」
ごめんね、と笑うと、イザベルがほっと胸を撫で下ろす。
「よかった。私、昔からうちのコックのガトーショコラが大好きで、是非ルリアーナ様にも食べていただきたかったんです」
そう言って自身もそれを口に運び、変わらぬ美味しさ、いや、食べる度に増していくような気さえする美味しさに舌鼓を打った。
一口食べては幸せを噛み締め、口に残る香りもストレートの紅茶で余すことなく奥へ流し込む。
まさに至福のひと時である。
「だいぶ食欲が戻ったみたいね」
元々の食事量はわからないし、健康な令嬢に比べればまだまだ食は細いが、それでも水のように薄いおかゆや具のないスープばかり飲んでいた状態を見てきたルリアーナとしては美味しそうにお菓子を食べて紅茶を啜る姿に感動を覚える。
「最近、ようやくお菓子もたくさん食べられるようになったんです」
イザベルは自分の頑張りに気づいてもらえたことに少し照れくさいと感じたが、同時に感じた嬉しさの方が割合は大きい。
そんな変化に気づいてくれるほど自分を気にかけてもらえていたのだと。
それは今回の騒動で傷ついた心を癒す面で大きなプラスになるはずだ。
現にルリアーナとハーティアで再会してから、格段に彼女の笑顔は増えた。
念のためにと控えていたイザベルの主治医は、ルリアーナと話すイザベルのそんな明るい表情を見て安堵し、これまでの彼女のことを思い出して瞳を潤ませる。
ディアが工業大国でありクローヴィアが学術大国であるように、ハーティアは医療大国である。
平民が気軽に医療を受けられることはもちろん、貴族ともなるとお抱え医師を持っているのが普通のこの国で代々バートランド公爵家の医療を支える家に生まれた彼は、イザベルが母親のお腹の中にいる時から彼女を知っていた。
幼い頃から利発的だった彼女は大きな怪我も病気もすることなくすくすくと成長し、美しさと聡明さを兼ね備えた立派な公爵令嬢となった。
その将来は王妃という重圧にも負けず、何れ手に入る権力にも決して驕らない。
誰もが褒め讃える、彼にとっては娘のように可愛いこの令嬢は、一介の医師に過ぎない自分にも「私たちの命を支えてくれる大切な先生だから」と分け隔てなく接してくれる。
彼女が結婚し家を出るまでその尊い命を守るのは自分だと自負してきた。
なのに半年前、イザベルは公爵家から連れ去られ姿を消した。
家人や彼女を慕う多くの人間が総出で行方を捜し、ディアの国境に捨てられたと聞けば「なんてことをしてくれたんだ」という怒りをなんとか抑えてディアへ向かい、血眼になって彼女の痕跡を探した。
古着屋で彼女のドレスが売っているのを見つけて問い質せば、「世間知らずのお嬢ちゃんから二束三文で買い取ったのさ」と自慢げに話されたため、彼女がハーティアの公爵令嬢だと伝えた上で衛兵に突き出した。
その際「自分が服や靴を売って路銀にしてはどうかと彼女に提案した。申し訳ないことをしてしまった」と国境警備隊のジークという若者が頭を下げに来てくれたが、彼は何も悪くない。
むしろ打ち捨てられたイザベルに手を差し伸べてくれたことに感謝したほどだ。
それからも地道に探していると、ディア王家からイザベルを保護したと手紙が届いた。
それを送ってくれたのは今自分の目の前にいるこの王太子妃だという。
その報せに自分たちがどれほど喜んだか、きっと彼女は知らない。
けれどその感謝の念だけは生涯消えることはないだろう。
まして、今でもこうして無意識ながらイザベルの心のケアをしてくれているのだから、膨れに膨れたこの大恩を自分たちがどう返していくか、どこまで返せるのかと日々頭を悩ませている。
「あ、そうそう、明日から私はトライアへ行ってくるわね」
そんな主治医の逡巡はルリアーナの言葉で中断された。
彼女の向かい側に座るイザベルも顔を凍り付かせる。
とうとうこの楽しいひと時も終わる時が来てしまったのだ。
「そう、ですか。やっぱり、行ってしまわれるんですね…」
イザベルは目に見えて肩を落とし、残り一口となっていたガトーショコラを飲み込んだが、さっきまでは美味しかったそれがなんだか味気のないものに感じてしまい、すっかり冷めてしまった紅茶で一息に飲み込んだ。
舌の上に嫌な苦味だけが纏わりつくように残った気さえする。
「ごめんなさいね。イザベルちゃんにはやっぱりまだ無理をさせられないから一緒に連れては行けないけれど、シャーリーはちゃんと見つけて、どうしているのかを確認してくるから」
あからさまにがっかりしているイザベルの頭を撫で、ルリアーナは窓の外を見る。
今日はあいにくの曇りだが、明日からは晴れると宮廷占い師が言っていたから、きっと爽やかな旅立ちとなるだろう。
そして馬車で5時間も走ればトライアに着く。
それなりに大きな街ではあるが国王に貸しを作ったお陰でハーティア中を自由に動けるので、シャーリーを探し出すことはそう難しくないはずだ。
「トライアを探すだけだもの、順調にいけば5日もかからないわ。もしシャーリーが別の街に行ったという情報があればちゃんと手紙も書くし、何の情報もなければ5日でここに帰ってくる。だから心配しないで」
ね?と言い聞かせるように優しくイザベルに言えば、彼女は小さく「はい」と答えて顔を上げた。
「ルリアーナがいないのは淋しいけど、私はここで王妃教育でも受けながらお帰りをお待ちしてますね…」
ちゃんとお2人と並べるようにしないといけないから、とイザベルが拳を握って見せれば、
「…うん、でも少しはオスカー様のことも考えてあげてね?」
ルリアーナは苦笑しながらそう言って、再びイザベルの頭を撫でた。
その光景をイザベルの主治医も彼女と同じくらい悲し気な瞳で見守り、柱の陰でルリアーナの出発を止められない己の無力を嘆いた。
大陸外の敵国に攻め入れられないよう海から離れた王都とは違い、国境の街トライアには海がある。
大きな菱形をしたこのトーラン大陸は、その中にバツ印を書き入れて小さな菱形を4つくっつけたような形で各国の国境が引かれているため、国境に隣接して港町があることは珍しくない。
だがそのため国防の要衝でもあり、海には軍艦が、港には多くの海兵の姿が見えるが、何代も前から平和が続く昨今では戦時中のような殺伐とした空気など流れてはいなかった。
はずなのだが。
「……なんだか少し騒がしいね」
ヴァルトとルリアーナが情報を集めようと港に足を踏み入れると、停泊している大きな商船の周りに人集りができており、そこには少なくない海兵の姿があった。
「違法船の取り締まり、にしては大袈裟ですね」
「ああ。それに見てごらん。船がボロボロだ」
「…本当だわ」
平和な港町で海兵が集まるようなことと言えば違法船の検挙くらいだろうと考えていたルリアーナはヴァルトの指摘に目を丸くする。
遠くから見ただけでも帆は裂け、マストに砲弾が当たったような跡と焼け焦げが見える。
まるで戦地を通り抜けてきたようだ。
「ちょっと話を聞いてくる。リアはここにいて」
「いえ、騒ぎの中離れるのは危険ですから、私も共に参ります」
オスカーが元に戻れば付き添いで来ただけの自分には何の出番もないとルリアーナについてきたヴァルトは、彼女の探し人であるシャーリーの件もあるが、港の不穏な状況に隣国ディアの王太子として詳しい話を聞く必要があると感じてルリアーナには待機を命じた。
だがルリアーナは首を振って顔を上げ、真っ直ぐにヴァルトの目を見る。
「それに、愛するヴァルト様だけを危険な目になんて合わせられません」
そして恥じらうように頬を染め、目を潤ませながらそう言ったのだが、ヴァルトはそれを見て真顔で目を細めた。
辞書の『胡乱げ』という言葉の挿絵に使ってほしいほどの胡乱げな瞳がそこにあった。
「……リア、本音は?」
怒らないから言ってごらん?とヴァルトがルリアーナの髪を一房指に絡ませれば、
「気になるから私も聞きたいです!」
バレたなら仕方ないと思ったのか、元々そんなに隠す気がなかったのか、ルリアーナはすぐに本音を明かした。
てへっといたずらっ子のように笑うその顔はとても成人女性とは思えないほど少女然としていて、
「…そんなことだろうと思ったよ」
年下のはずのヴァルトはお兄ちゃんの顔で苦笑した。
「…か・い・ぞ・くぅ?」
「ちょ、リア、顔、顔」
人集りの中にいた船の乗組員だったという男に話を聞くと、彼の乗っていた商船は海賊に襲われたとのことだった。
だがこの世界では海賊というのは御伽噺にしか出てこない存在なので、ルリアーナはつい「んな馬鹿な」という心情を顔に出してしまっていたらしい。
「まあ、普通そう思うわなぁ」
しかし乗組員の方も「自分が当事者じゃなければ信じられなかったよ」と笑ってくれたので、不興は買わずに済んだようだ。
「連れがすみません。それで、海賊は何をしていったんですか?」
ヴァルトは妻の非礼を詫び、話の続きを促す。
事件の原因が海賊ともなれば、四方を海に囲まれているこの大陸で無関係な国はない。
であるならばディア国に被害が及びそうかどうかも含め、なるべく詳しい情報が欲しかった。
「ああ、奴らは急に大砲を打ち込んで来て俺らの船を止めて乗り込んできたんだ。武器持ってたし、やる気満々って顔してたから俺らも覚悟を決めていた。だが意外にも奴らは別に暴れることもなくこう言ったんだ」
『スズカを知っているか?』
「…スズカ?」
「ああ。それが何かはわからん。だから知らないというと水だけを奪って帰って行ったよ」
「そうですか…」
乗組員の話を聞き終え、ヴァルトは思考を巡らせる。
海賊らしき者たちは『スズカ』というものを探しているらしい。
けれど乗組員の誰も知らなかったように、ヴァルトもまたそれが何か心当たりはない。
「お疲れのところお話しいただき、ありがとうございました」
「こんくらい別にいーってことよ」
これ以上情報は得られないだろうとヴァルトは乗組員の男に礼を言い「よければ船の修理代の足しに」と金貨を1枚渡してその場を去った。
残された男は渡されたのが金貨だと知ると「うへぇ!?」と奇声を上げ、ヴァルトを探した。
だがその時にはもう港にヴァルトの姿はなく、連れだと言っていた女性もいなくなっていた。
読了ありがとうございました。
イザベルに助言をくれた国境警備隊の人がジークだというのは短編時からの設定で、彼はオスカーがイザベルを自慢して回っていた時のことを覚えており、似ている彼女を本人だとは思っていませんでしたが、姉妹かもしれないと思ってできる限り助けようとしました。
それは自分がルリアーナにしようとしていたことを目の前でされて、改めて自分がしようとしていたことの非道さに気がついて罪の意識に苛まれたためであり、その意識への贖罪のためでありました。
結果、それがさらに彼女を窮地に追いやったのだと知って申し訳ないと謝りに来ましたが、公爵家の人々に感謝されて、少しだけ救われたような気持ちになったのです。
それからも彼は成功と失敗を繰り返しながら、これからも国境で色んな人に手を貸すでしょう。
それが後々の失地回復に繋がりますが、短編の最後に書いたように彼は死ぬまで中央には戻らず、国境で贖罪を続けるのでした。
なんてことを本文中でちゃんと書ける文才がない…。




