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イザベルがハーティアに帰ってから3ヶ月弱。
ルリアーナの元にバートランド公爵から一通の手紙が届いた。
『以前ディア国を訪問した際、居合わせたクローヴィア王太子ライカ殿下より貴殿の手腕について聞き及んでいる。この度国王陛下におかれてはその手腕を当国でも発揮してもらい、オスカー殿下を正気に戻してほしいとお考えであるようだ。イザベルの件で迷惑をかけておきながら再びお手を煩わせるのは非常に心苦しいのだが、イザベルのためにも力を貸してはいただけまいか』
「ですって」
「ふーん」
届いた手紙を朗読し、今読んだそれを目の前のヴァルトに差し出す。
流れで受け取ったものの内容はすでに知れているそれにヴァルトは興味なさげな目を向け、すぐに脇に置いた。
「さて、どうしようね?」
そして机の上に手を組み、顎を乗せてルリアーナを見る。
相手の心を惑わすような絶妙な上目遣いになることが完璧に計算された角度。
ショタを卒業してもなお彼の手管は衰えない。
「私の気持ちだけで申し上げれば、オスカー殿下を元に戻して差し上げたいと思っていますわ」
ルリアーナは微笑みに紛れて目を閉ざし、そのまますっと目を逸らしてヴァルトの質問に答える。
あの顔を正面から見てしまえば絶対にヴァルトの思い通りになってしまうので、今までの経験からルリアーナはただ目を逸らすという単純ながら百点満点の行動を取ったのだ。
「それは何故?」
そんなルリアーナの考えなどお見通しのヴァルトは、くすくすとルリアーナの無駄な足掻きを楽しむように目を細めて再度彼女に問い掛ける。
百点満点の行動でも、ヴァルトにとっては飼い猫がそっぽを向いた程度の痛痒しかない。
そのことに歯噛みしながらも、彼に勝てるわけはないと早々に見切りをつけ、ルリアーナはオスカーを救いたい理由を語った。
「単純にイザベルちゃんにこれ以上傷ついてほしくないからです」
帰国したイザベルから何度かもらった手紙には『まだオスカー様はシャーリーの名前を呼んでいて、私が近づくと険しいお顔を見せるのです』と書かれていた。
そんな奴放っておけというのがルリアーナの心情ではあるが、優しいイザベルは彼を見捨てられないらしい。
前世の記憶がなかったお陰で変に考えることなく関係を築いていたために、何かしらの情はあるということだろう。
それに行方不明となっているシャーリーのことも気掛かりだ。
ほぼ正解であろう行き先に心当たりはあるが、それでも違っていたらと思えば心に懸かるし、同じ転生者同士助け合っていきたいとも思う。
オスカーの件をとっとと済ませれば、シャーリーを探す時間は取れるはずだ。
だからこそルリアーナはこの件に乗り気だった。
「それにあそこ、確か王太子殿下以外に直系男児がおりませんでしたよね?」
「まあ、そうだねぇ」
また、とりあえず言ってみただけの本来であれば正当な理由となりうるがルリアーナには一切関係のないそれにヴァルトも苦笑しながら頷く。
個人の思いはともかく、『国』として考えればオスカーを正気に戻すことに協力した方がいいことは明白だ。
だが、それでもヴァルトは乗り気ではなかった。
「魅了に掛かっていたからって婚約者を無理やり攫って国外追放した奴に、王位を預けて大丈夫なのかな」
それをやろうとして王太子をクビになったのが自分の兄であるだけに、同じ境遇でオスカーだけが救われることに対して穏やかな気持ちではいられない。
あまり表には出さないが、兄を尊敬していた弟として隔意を抱くなという方が酷な話である。
それがわかっているだけにルリアーナも「助けてあげましょうよ!」と強く言えないでいた。
「とはいえうちとは状況も違うしね。今回だけは助けてあげるとしよう」
けれど公人として個人を殺せるヴァルトはなんだかんだ言いつつ国政を優先し、オスカーを助けるという結論を出した。
それから1週間後、諸々の公務と所用を済ませ、ついでにハーティアに持って行くものをまとめ終えたヴァルトとルリアーナはハーティアの王宮に着くなり国王とバートランド公爵に呼び出された。
「お疲れのところ申し訳ない」
案内された応接室に待機していたバートランド公爵が暑くもないのに額の汗を拭いながら2人に席を勧める。
2人が座った後に自身も椅子に腰掛け、侍女が紅茶をサーヴし、退室したのを見計らってから口を開いた。
「実は明日オスカー殿下を正気に戻していただくに際して王太子妃殿下のお耳に入れておいていただきたいことがございまして、それを陛下自らご説明なさりたいと仰っておいでで…」
「え、ええ?陛下御自らですか?」
「はい…」
公爵は弱り切ったようにひたすらに汗を拭っている。
中間管理職よりも遥かに上の地位にいるが、さらに上、というか最上位の地位にいる国王と最上位に近い位にいる他国の王族との折衝という状況の只中にいるため、心情的には中間管理職のそれである。
娘のことで相当苦労しただろうに、こんなことでもまた重責を負わされるなんて、なんて運のない人なのだろうか。
ルリアーナはイザベルの親ということを差し引いても、彼には極力優しくしようと思った。
「ここに公爵がいるということは、それはバートランド嬢にも関係することなのかな?」
公爵の現状を憂いていると、隣に座るヴァルトが顎に指を当てながら首を捻る。
ルリアーナは単純に仲介者として公爵がここに来たのだと思っていたが、ヴァルトの意見は違うらしい。
そして物事の裏を読むことに長けているヴァルトの予想は正しかったようで、汗を拭っている公爵の肩が跳ねた。
「…それは私が説明しよう」
「陛下!」
そこへタイミングよく男性の声が割り込んでくる。
誰だと思う間もなく焦ったような公爵の言葉からそれがハーティア国王のものであったと知れた。
彼はルリアーナ達が入って来た廊下に続く扉からではなく、部屋の奥に設置された小さな扉(隣にある王の執務室の1つと繋がっている)から現れたため、公爵は慌てたようだ。
「これはこれは、陛下におかれましてはご機嫌麗しく…」
「よい。今回はこちらが下手に出るべき立場だ。そちらに謙られては堪らない」
ヴァルトとルリアーナはすぐに立ち上がり、型通りの挨拶を口にする。
しかしすぐに国王が止め、深いため息と共に2人の前にある椅子に腰掛けたので、それに倣い2人も席に戻った。
「まあ実際、ご機嫌麗しいわけありませんからね」
「全くだ…」
ヴァルトは苦笑しつつ定型文にツッコミを入れ、国王もそれに同意を示したことで部屋に流れていた重苦しい空気が少しだけ軽くなる。
ハーティア国王とディア国王は親友と言って差し支えない間柄であり、その息子のヴァルトのことも非常に可愛がっていた。
だからこそ許された軽口ではあるが、しかしこれから話す内容を思う国王と公爵の顔は晴れないままだった。
「まずは我が願いを聞き入れてくれたことに感謝申し上げる。他国の王太子妃殿に頼らねばならないなど我が国の恥ではあるが、国のために何卒ご助力願いたい」
気持ちを切り替えるように小さく息を吐いた国王は居住まいを正し、ルリアーナに向けて頭を下げる。
もちろん本来であれば国王が他国の王太子妃(生粋の王族ではない女性)に頭を下げるなど許されないが、今は4人しかいないため公的な会合ではあるが実情は私的な会合と変わらない。
だからこそ国王は国難を救ってくれるであろうルリアーナに対して礼を尽くしたのだ。
国のため民のため息子のために道理を曲げてでも義を通す姿に器の大きさを見たような気がする。
「頭をお上げください。私でよろしければいくらでもお力をお貸ししますわ」
ルリアーナは国王へ向け快諾の意を示すように微笑み、胸に手を当て軽く頭を下げた。
略式ではあるが臣下の身であると示すようなその動作に、国王は安堵の笑みを浮かべ「有難い」と力なく呟いた。
ここに来た時点で了承を取れているということではあるが、それが不承不承か快諾かで心労がまるで違う。
2年前に共にお茶を楽しんだという王妃からは知的で穏やかな素晴らしい女性だったと聞いていたし、3ヶ月前まで共に過ごしていたイザベルからは優しい聖母のような女性だったと聞いてはいるが、彼女の場合助けてもらった恩による補正がないとは言えなかったので実際に会うまで半信半疑だった。
だが実際に会ってその人となりに触れてみれば、なるほど彼女たちは正しかったのだと感じる。
滅多に心から人を褒めない王妃がにこにこ顔だった理由がようやく理解できた。
そう、実はハーティア国王はルリアーナに会ったことがなかったのだ。
正確には2年前にヴァルトと結婚した際に一瞬だけ顔を合わせたのだが、挨拶する間もなくハーティアとディアの王妃に連れ去られて以来、今日までタイミングを逃し続けていた。
だからオスカーによってディアへ追いやられたイザベルを助けてくれたのがクローヴィアの王太子とその婚約者と彼女の3人だと聞いて、そう言えば彼女について何も知らなかったのだと気がつき、王妃や帰国したイザベルに彼女について尋ねた。
まさか自分の未来の娘であるイザベルより素晴らしい女性など早々いないだろうと思っていたが、国王はその認識を改めざるを得ないなと内心で苦笑した。
「重ねて感謝する。実は王太子妃殿にはイザベルの説得をお願いしたいのだ」
そんなルリアーナに国王は藁にも縋る思い、というよりは神に祈るような気持ちで今回の呼び出し理由を告げる。
けれどその意味を掴みあぐねて、ルリアーナは首を傾げた。
「説得…ですか?」
ちらりと横を見れば、ヴァルトもまた怪訝そうな顔をしている。
そして向かい側に座る公爵は何かを堪えるような顔をしていた。
「うむ。知っての通り、オスカーは一人息子で、昔は随分甘やかされて育っていてな」
「…ああ」
苦虫を噛み潰したような顔で話の口火を切る国王の言葉にヴァルトがすっと目を細めて同意を示す。
何故だか酷く実感がこもっているような口ぶりだった。
「昔は手の付けられない悪ガ…悪童だった。しかし誰もそれを諫められず、ほとほと困り果てていた」
国王は渋面を深くしながら話を続ける。
「だが、8歳の時だ。バートランド公爵家のパーティーに出席したオスカーをイザベルが叱り飛ばしてくれたお陰で、オスカーは別人のように心を入れ替えたのだ」
国王は隣にいる公爵に目を向けた。
彼は自分の娘の素晴らしい功績に話が及び、少し得意げに胸を張ってその視線を受け止める。
「話を聞けばオスカーはパーティーに来ていたウォーレン伯爵令嬢に対して随分と酷いことを言ったらしい。それを聞き咎めたイザベルが彼女を助け、オスカーに言ったのだそうだ」
『将来国の頂点に立とうという方が、共に国を支えるべき臣下に対してそのような振る舞いをなさっては、何れ見限られて謀反を起こされますよ』
幼いイザベルは軽くぶつかっただけの伯爵令嬢に愚図だの鈍間だのと暴言を吐くオスカーに対してきっぱりとそう言い放った。
そして彼女を支え、その場を立ち去ろうとする。
『無礼者め!誰だ貴様は!!』
しかし当然怒り散らしたオスカーはその背に叫んだ。
それがどれほど愚かなことかも気づかずに。
イザベルは振り向き、8歳の少女にしては上出来と言えるカーツィと共にこう言った。
『バートランド公爵家長女、イザベルと申します。本日は私の誕生パーティーにお越しくださりありがとうございました。しかしながら私をご存知でいらっしゃらないのでしたら祝っていただかなくて結構ですので、今すぐお帰りください』
さらにその言葉に顔を青くしたオスカーに向かい、
『もし謀反が成りましたら、一番にお祝いに駆けつけますね』
にっこりと笑ってそう言って、そのまま立ち去ったという。
とても8歳の少女の逸話とは思えないが、その時のイザベルの言葉と行動に、そして最後の笑顔にオスカーは胸を撃ち抜かれたのだ。
「それ以来、イザベルに認められるような王を目指し、オスカーは努力に努力を重ねた。そして13歳の時にイザベルに婚約を申し込んだ。その頃にはオスカーの評判は180度変わり、将来を嘱望されていたから公爵からも了承を得られ、無事に婚約と相成った」
「そうだったのですか…」
国王からの話にルリアーナは何と言っていいかわからず、無難な返答をするに留めた。
ちなみにこの時に浮かれ切っていたオスカーが各国の第一王子に自分の婚約者となったイザベルを見せて回った時の記憶がライカに残っていたのだ。
「だが、問題はここからだ」
「え?」
もう話は終わったと思っていたルリアーナは次いだ国王の言葉に驚いた。
え?それだけベタ惚れしていた相手だから、オスカーのために婚約者に戻ってくれるようにお願いしたいってことじゃないの?
ルリアーナは自分の予想が外れるとは思っておらず、では一体どういうことだろうかと次の国王の言葉を待った。
「残念なことにオスカーが幼い頃からイザベルしか見ていなかったせいで、この国には彼女と同程度の王妃教育を受けている令嬢がいないのだ…」
「うわ…」
「まあ」
そして告げられた言葉にヴァルトは盛大に顔を顰め、ルリアーナは大きく開けてしまった口を急いで手で隠す。
通常であれば婚約者とは別に各家の公爵、侯爵令嬢の何人かは妃教育を受けるのが慣例である。
婚約者に不測の事態が起こるかもしれないし、急遽他国の王族に嫁ぐ可能性もゼロではないからだ。
しかし比較的婚約の遅かったオスカーに比べ他国の王子たちは早々に婚約者が決まっており、オスカーの婚約が成るまで自身の婚約を待っていた同年代の令嬢はすぐに内々に決まっていた婚約を成立させた。
そのため国内にはイザベル以外に条件の合う令嬢がいないのだ。
「ちなみにオスカー殿下は現在18歳ですから、他国でも釣り合うような年齢の令嬢にはすでに婚約者がおります」
また、公爵の言葉の通り、他国にも希望を見出せない。
王族に嫁げるような高位の令嬢であればさもありなんという話である。
つまり、どう足掻いてもハーティアはイザベルに王太子妃、ゆくゆくは王妃になってもらいたいと、そういうことであるらしい。
「なるほど、事情はわかりました」
イザベルが再び未来の王妃として婚約をしてくれなければ、オスカーは妃を得るのが遙か先になってしまい、王位を継いだとて子が成せなければ王家の血は傍系に取って代わられてしまう可能性がある。
あんなことがなければ優秀で可愛い息子だったのだから、親としては彼やその子供に王位を継いでいってほしいと考えている。
3ヶ月前にハーティアに戻り、今は失った体力と健康を取り戻している最中のイザベルに負担をかけるのは本当に申し訳ないが、どうかこの国のため、今一度婚約者に戻ってほしい。
まとめると国王の言い分はこんなところだろう。
随分とまあ、オスカー本位な話だ。
読了ありがとうございました。
今回の話で、このシリーズで一番我慢をしているのはもしかしたらヴァルトかもしれないと思いました。