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「気づいていて連れて来たのかと思っていたわ」

自分が連れて来た少女の正体を知って驚くアデルにルリアーナはくすくすと笑う。

それも特大のいたずらが成功した時ような、邪気のない子供のような顔で。

「放っておいてはいけない気はしたんですけど、まさか無印の悪役令嬢だったとは思いませんでした…」

それが嘲笑でないことはわかっているが、アデルはいたたまれない思いで小さくなる。

自分の方が長期にわたってシリーズに関わっていた分『君とな』について詳しいと思っていたが、無印の知識だけは『流離うメイコ』に勝てる気がしない。

そんな2人を見て、今気がついたアデルはともかく、ルリアーナは元々自分のことを知っていたのだとわかり、イザベルは身を固くした。

害されると思ったわけではないが、自分のことを知りつつ動いていたのであればこの善意には裏があったのではないかと勘繰ってしまうのは仕方のないことだ。

近しい人間に裏切られた記憶は新しく、まだ膿んでいるその傷口には瘡蓋すらできていないのだから。

「あ、しまった、イザベルちゃん放置しちゃった」

硬い表情で2人を見るイザベルの様子に気がついたルリアーナは「ごめんごめん」と謝りながら彼女に今の出来事を説明するべく、アデルとともに再度イザベルに向き合った。

そうすれば自分たちがイザベルの敵ではないとわかってもらえるだろうと考えたのだ。

「うーんと、先に質問なのだけれど、貴女は『悪役令嬢』ってなにか知っている?」

とはいえこの世界の彼女についてはこれまで全く接点がない。

今までのことを鑑みれば悪役令嬢である以上彼女も転生者なのだろうとは思えるが、今のところ記憶を持っているようなそぶりは見せていない。

ならばまずは自分の役割について知っているかどうかから聞こうとした。

彼女の境遇を見るに『君とな』についての記憶はなさそうだが、それ以外ならば記憶があるのかと。

「あ、悪役…?」

しかしイザベルはその単語にピンときた様子もなく、わからないとダメなのかとおろおろしている。

だが『悪役令嬢』というのはある意味専門用語のようなものなので、知らないことがイコール転生者ではないということではない。

「知らなそうですね。なら、『乙女ゲーム』は知っていますか?」

「ええっと…」

続くアデルの質問はもう少し一般的に知られているものについてだったが、それにも反応は同じだった。

「んー、じゃあ『テレビゲーム』なら?」

「……すみません」

「そっか」

そして再びルリアーナが問いかけるが、流石に現代社会を生きていてテレビゲームを知らない可能性はもの凄く低いものであると思えば、その答えを聞いて導き出される答えは1つだ。

つまり、『イザベルに地球の記憶はない』。

そうなると一から十まで説明しなければ理解できないだろうと、ルリアーナは言葉を選びながらイザベルに自分が知っているこの世界の秘密を教える。

「ならちょっとイザベルちゃんには理解しづらいかもしれないのだけれど、私とアデルちゃんには前世、今の人生の前の人生ね、その記憶があるの」

この言い方で伝わるだろうかと顎に人差し指を当てて視線を上げて考えていたルリアーナはイザベルの顔を見ていなかった。

「ぜん…せ?」

この世界にはない概念で知らないはずのその言葉に僅かに強張ったイザベルの顔を。

「そう、前世。この世界はね、私やアデルちゃんの前世で流行していた乙女ゲーム、ええと、疑似恋愛を楽しむ遊び…っていうとなんだかいかがわしいけれど、そういう物語みたいなものの世界と同じなの」

ルリアーナが思った通り、全く予備知識がない人間にそれを伝えるのは難しく、イザベルの表情を窺えば案の定「…はぁ」と呟いて不思議そうな顔をしている。

だがとりあえず全部話してみなければ質問も受け付けづらいとそのまま続きを話した。

「それには4つのお話しがあって、貴女が出てくる1つ目の物語ではシャーリーという女の子が主人公なの。彼女は貴女の婚約者だった王太子殿下や彼の学友や護衛の内の誰かと恋愛して結ばれることを目指すのだけれど、それを邪魔するべく登場するのが悪役令嬢であるイザベル、つまり貴女よ」

今度はイザベルの顔を見ながら話していたルリアーナは、説明の途中でイザベルが『シャーリー』『王太子』『恋愛』『邪魔する』などの単語でピクリと反応し、段々と表情を暗くしていったことに気がついた。

その単語ごとに思い当たる節があったのかもしれない。

物語を知らない彼女はきっと、シャーリーとの恋愛に燃える王太子の邪魔をしたはずだ。

だからこそ、彼女は今ここにいるのだろうから。

「そして最後にはシャーリーをいじめたって責められて、国外に追放されちゃうんです」

アデルはそんな彼女の心情を唯一理解できる者としてきゅっと眉を顰め、痛ましそうに彼女を見ながら彼女がここに至った理由を口にする。

あの時記憶が戻らなければ、そしてあの時ルリアーナに出会わなければ、もしかしたら自分も同じような状況に陥っていたかもしれないと思えばなおさらに彼女への同情の念は大きくなる。

今のイザベルの姿は、『あの時のもしも』がなかった場合の自分の姿だと思った。

「なるほど…」

ふ、と小さく息を漏らしたイザベルはそう言って頷いた。

恐らく『悪役令嬢』や『乙女ゲーム』については全く理解していないだろうが、『シャーリーを虐めたせいで国外に追放された』という自分の状況と一致する2人の話自体は納得できた、というところだろう。

自分のことを知っていた理由がまさかこの世界そのものについて知っていたからだとは思わなかったが、納得できなくはない。

2人はこの世界を自分たちが前世で見た物語だと言っていたし、それと同じ状況が再現されているということはイザベル自身で身を以って証明した。

信じられるかは別として、話の筋は通っている。

なんだそれ、とイザベルは思った。

物語を踏襲しているということはつまり、言い換えれば予めイザベルの運命は決められていたのだということだ。

誰が悪い悪くないではなく、初めからそうと定められていたのだと。

自分が如何に清く正しく生きようとも、結局冤罪を被せられて終わるのだと。

そんなの、自分の意志で生きていると言えるのだろうか。

だが、同時にいっそその方が諦めがつくかもしれないとも思った。

こうなったのが自分のせいではなく、こうあれと定められた世界の力によるものだと言われた方が心には優しい。

ややしてイザベルは全てを諦めたように全身から力を抜き、うっすらと笑った。

「でも私、本当にシャーリーには何もしてなかったのになぁ…」

話を聞いた中で唯一自分と異なる点についてイザベルは呟く。

王太子の婚約者として、そして公爵令嬢として生きた自分の誇りにかけて、断じて彼女を虐げるような行いはしていない。

そんな些細な差など世界の力の前では意味がないものだったのかもしれないが、少なくとも家名のために冤罪だけは防ぎたかった。

それはいまだに胸に残る公爵令嬢としてのイザベルの後悔。

王太子妃にもなれず、他の有力貴族に嫁ぐこともなく、できたのは家名に泥を塗ることだけ。

たとえ定められた運命だったのだとしても、なに不自由なく育ててくれた両親に自分がしたことがそれだけだと思うと胸が痛かった。

「…何もしなかった?」

力なくため息を吐くイザベルにアデルが不思議そうに言う。

シャーリーを虐めていたという彼女の知識と異なったからだろうと思ったイザベルは一つ頷くと理由を口にする。

「彼女に何かするとオスカー様に目をつけられると学園で有名でしたから。私はオスカー様の行動を諫めるだけにしていたのです」

それだけが理由ではないが、それでも自分が苦言を呈した相手はシャーリーではなくオスカーだったと。

「オスカー様はそれを嫉妬故の醜い言葉だと一切耳を貸してはくれませんでした。そして私ではなくシャーリーとの結婚を望み、国王様に願い出ました。しかし国王様はお認めにならず、頭を冷やすようにとオスカー様に謹慎を言い渡しました。ですが何故か、彼はそれを全て私がそのように画策したのだと思い込んだのです」

言いながら当時の思いが蘇ってきたイザベルはぐっと上掛けを握る。

皺ひとつなかった柔らかいアイボリーのカバーに幾筋もの線が走った。

「後日オスカー様は謹慎を破り私の家に押しかけました。そして私を無理やり馬車に乗せ、この国に放り捨てたのです」

カバーを掴む手にさらに力がこもり、皺が深くなる。

イザベルはあの時の絶望を今でも鮮明に覚えていた。

馬車の窓から見える薄暗い森の道も、突き飛ばされ地に放り出された痛みも、最初に感じた冷たい石畳の感触もなにもかも。

この先どうすればいいのかわからず、呆然とするしかなかったあの時の惨めな心を。

オスカーが完全に自分を捨てた、あの時の絶望を。

今もまだ、鮮やか過ぎるほどにはっきりと覚えている。

「幸いにも親切な方が今着ている服を売ればしばらくはお金に困らないだろうと教えてくださり、その通りにしましたが、二ヶ月ほどでお金も尽き、あそこで行き倒れたのです」

イザベルはやっと自分の身に起きたことを話せた。

助けてもらっておいてこちらの事情を伝えないのは不義理だと思っていたから、肩の荷が下ろせたような気持ちでつい一気に話してしまったが、物語として大体のことを知っていた2人にはそれで問題なかったようだ。

「そうだったんですか…」

「大変だったわね」

黙って話しを聞いていたアデルもルリアーナも我が事のように辛そうな顔をイザベルに向ける。

安い同情なんかではなく、彼女の状況を理解して心から案じているというその顔を見て、初対面の私の気持ちを理解して同調してくれるなんて、なんて優しい人達だろうと、久々に人の優しさに触れたイザベルはそう思い、暖かなものがじわりと胸に広がるのを感じた。

「いえ、そんな…」

その2人の心を嬉しいと感じるが、優しい2人には辛い顔をしてほしくないとその言葉を否定しようとする。

「……あれ?」

だが思いとは裏腹にイザベルの頬を温かなものが伝っていった。

学園に居た時も、オスカーに詰られた時も、この国に追放された時ですら流れなかった涙が、何故か今は止めどなく溢れて次から次へと雫を零していく。

「どうして…」

止めようにも涙は拭う先から溢れてくる。

涙腺が壊れたかのようだ。

焦り戸惑うイザベルにアデルは立ち上がってそっと近づき、ハンカチを差し出す。

「張り詰めていた気持ちが楽になったんですよ、きっと」

隣に立つアデルを見上げ、次いでハンカチに視線を映したイザベルは、しかしそれを受け取らずに視線を彷徨わせる。

心遣いを嬉しく思っているが綺麗なそれを汚してはいけないと躊躇い、受け取れないでるようだ。

それに気がついたアデルは微笑むと、受け取られなかったそれでイザベルの頬を拭う。

イザベルはびくりと肩を震わせ目を見開いたが、アデルは手を止めなかった。

「その涙は貴女が頑張って耐えてきたものの結晶よ。今後不要になるんだから、今のうちに全部お出しなさいな」

そして頬を拭き終えたアデルと入れ替わるようにイザベルに寄ったルリアーナは優しくイザベルの黒髪を梳き、きゅっと抱きしめる。

寝ているイザベルの負担にならないように体重を右肘のみで支えるのは大変だろうに、彼女はそれをおくびにも出さないで母が子を温めるようにイザベルを包み込んだ。

その2人の優しさと思いやりが、裏切りに固くなり放浪に疲れ切っていたイザベルの心を溶かしたのだろう、しばらくの間イザベルは心の澱を全て流すように泣き続けた。


「調べましょう」

イザベルの涙が収まってきた頃、彼女を抱きしめたままのルリアーナが突然そんなことを言い出した。

「な、なにを、でしょう?」

ぐすりと鼻を啜り、ようやく涙に濡れた顔を上げたイザベルはそう問うたが、次の瞬間ルリアーナの顔に浮かんだ表情見て涙と呼吸を止める。

「ハーティアの王太子殿下が今どうしているか、そしてシャーリーがどうなったのかを」

ルリアーナのその顔がこの上なく美しく思えて、イザベルは驚き見惚れてしまったのだ。

「気になるじゃない。ヒロインを選んだ男の末路がどんなものなのか」

にやりともにたりともつかない、人を破滅へ導くような黒い笑みがその美しい顔を彩る。

今までの聖母のような印象とは真逆の、極めて悪に近いその笑みは不思議と彼女に似合っていた。

「ルリアーナ様、悪い顔してるぅ~」

顔を上げたイザベルの涙を再度拭っていたアデルはルリアーナの顔を見てそう言ったが、イザベルが視線を向ければ彼女もまた美しい顔に同種の笑みを浮かべていた。

模範的な令嬢のような佇まいながら、今はまるでいたずらな少女のように見える。

「ほーっほっほっ、だって私、悪役令嬢ですもの」

元々正義側の人間じゃなくってよ?とその顔のまま高らかに笑ったルリアーナは確かに悪役令嬢という言葉に相応しいとイザベルは思った。

読了ありがとうございました。

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