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「はぁ、はぁ、はっ…」

大通りから一つ脇道に入り、胃の中身がせりあがるような息苦しさと痛いくらいの動悸に耐える。

尤もここ何日も水さえまともに口にできていないのだから、せり上がってきているのは胃酸だけだろう。

つい3ヶ月前まで何不自由なく暮らしていた身には、その事実だけでも酷く惨めに思えた。

「十分頑張ったわよ、ね?国王様との約束は守れなかったけれど、もうどうしようもできないわ…」

呟き、10代後半とおぼしき少女は鉱石の欠片や石炭の煤で汚れた石畳に膝をつく。

だが座り込む力もないのかそのまま華奢と言うにも細すぎる身体は傾ぎ、重力に従って地に伏した。

「…つぅ!?」

その時に頭でも打ったのか少女の脳裏に砂嵐のようなノイズが走り、その隙間に見たことのない服を着た見たことのない人間が見えた。

ノイズのせいで口元しか見えないその人間は、見上げる形になっている少女に向かって何かを言っている。

『…ぬな!鈴華!!』

「え?」

『死ぬな!私を置いて、行かないで!!』

必死と言ってもまだ足りないほどの、全身全霊を賭したかのような悲痛な言葉。

けれどその言葉の意味を理解する間もなく少女は意識を手放した。


視界の端で、何かが倒れるのが見えた気がした。

「……え?」

「どうしたのアディ?」

妙に気になったその残像にアデルは周囲を見回す。

何も音は聞こえなかったが、自分は確かに何かが倒れるのを見た。

ならば倒れたそれが音も聞こえないほど柔らかいものであった場合、それは『何か』ではなく『誰か』かもしれない。

「今、ちらりと倒れるものが目に入ったんです。でも、音がしなかったから…」

ライカの問いに答えながらもアデルの目はきょろきょろと忙しなく動く。

直前の自分の視線の動きを思い出してなんとか方角を絞ったが、それでも倒れている物も人も見当たらない。

「ああ、人かもしれないんだね。でも…見当たらないな」

「ええ…」

いくら大通りとはいえ、人なり物なりが倒れていたらわかるはずだ。

だがそんな不自然なものはどこにもない。

「見間違いならいいのですが…」

そう言ってアデルが気のせいかと思った時、

「見つけた!!」

少し広めの建物の隙間だと思っていた細い小道に不自然に広がる白い布が見えた。


「あの、大丈夫ですか?」

すぐに小道に入りその布の正体を見れば、自分たちと同年代と思しき黒髪の少女が倒れていた。

細かな外傷もあったが、それよりも目を引く肉の薄さが彼女が倒れた理由を物語っている。

アデルは僅かな振動でも骨が折れてしまうのではと不安に思いながら、ゆさゆさと軽く体が揺さぶりつつ声を掛けた。

すると少女は程なく目を覚まし、虚ろな表情でアデルを見上げる。

その瞳はハッとするほど美しく深い紅。

一瞬の既視感がアデルに齎される。

「……ぅっ」

けれど不意に少女は顔を顰めて頭を押さえたことで、それは霧散してしまった。

もしかしたら倒れた時に頭でも打ったのだろうかとアデルは力の抜けた少女の細すぎる肩を支える。

「アディ、あまり揺らさない方が良さそうだよ」

「そのようですね。ごめんなさい、お姉さん」

ライカもその可能性に思い至ったのだろう、アデルにそっと耳打ちする。

その言葉に頷き、揺らさぬように注意しながら肩に添えていた手をそっと放した。

彼女の動きの妨げになるし、女性同士とはいえ見ず知らずの人間にいつまでも触られていたら不快かもしれないと考えて。

「…ぁ」

少し落ち着いたのか、少女が何か言おうと口を開く。

しかし僅かに目を見開くとすぐに後ろを向いて肩を震わせた。

怯えさせてしまったのかと思い様子を窺えば、彼女は戻していたらしい。

「やだ!」

どうしよう、もしかして頭を打ったせいかもしれない!!

アデルは前世で同級生が校庭のジャングルジムから落ちた時、頭を打って軽い脳震盪を起こして吐いているのを見たことがあった。

先ほど彼女は頭を押さえていたし、もしかしたら同級生と同じように脳震盪を起こしているかもしれない。

いや、打ち所が悪ければ脳出血の可能性もある。

「大変!早くお医者様に見せなくちゃ!ライカ様、一度戻ってもよろしいでしょうか」

脳へのダメージは一刻を争うというのはよく聞く話だ。

アデルはこれからいくらでもできる街歩きよりも人命を優先させたいとライカに許可を乞う。

「うーん」

ライカはそれに首を傾げ、少女を見た。

やせ細り薄汚れてはいるが、どこか見覚えがあるような気がする少女を。

「どっちかっていうと、間借りしている屋敷に戻るより直接王宮に連れて行った方がいいんじゃないかな?医者や薬師も常駐しているだろうし」

もしそれが勘違いでなければ、この国か他国の貴族が何らかの事情によってこんなことになっている可能性もなくはない。

それが没落なら仕方のない所もあるが、誘拐などの犯罪に巻き込まれてのことであれば下手な扱いをするのは悪手にしかならない。

という建前とヴァルトへの言い訳を用意して、ライカは少女を王宮へ連れて行くことを決めた。

そもそも彼にはアデルが助けると決めた人間を放棄する気などさらさらない。

「あ、そうですね!流石ライカ様」

そしてアデルは彼の予想通り、愛らしい顔いっぱいに嬉しさと自分への好意を映してくれる。

それが見られれば後はどうなってもなんとかできる自信がある。

「ど、して…?」

そんな2人のやり取りを聞いていたのか、少女は不思議そうな顔で2人を見た。

乾き掠れた声は聞き取りにくかったが、今の状況とその顔を見れば「どうして」と言われたことくらいはわかる。

「どうしてって、当たり前でしょう?」

「他国とはいえ民が傷ついているのだから、助けるのは王族の務めだよ」

だからアデルとライカはその問いに素直に答えたのだが、少女は驚いたように目を見開いた後、スッと意識を失った。

心なしかアデルにはその表情が何かを諦めたもののように見えた。

「……もしかして王族って言わない方がよかったかな」

驚きすぎて気を失ったのかと思案するライカの横で、「ああそういう可能性もあったか」とアデルは今更ながらに気がついた。

確かに行き倒れるような少女が王族に助けられたと知ったら、驚くか信じられないかのどちらかだろう。

彼女は驚いていたが、さてライカの言葉を信じたのだろうか。

しかしそう思ってみても、やはり最後の表情だけは謎のままだった。

読了ありがとうございました。

ツッコまれる前に補足:ライカたちは周辺国へ結婚報告をするため荷物が多いので、王宮の隣にある屋敷(王宮の離れ)に宿泊しています。

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