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その日、正気に戻ったライカはすぐにアデルを呼び出した。
「午後でもよろしければ伺います」と返事をもらい、約2ヶ月ぶりとなる対面に喜んだのも束の間、自分の所業を振り返って一転青褪め、どうすればいいのかとルリアーナに縋った。
今のライカには自分を正気に戻してくれた彼女だけが頼りだった。
「別に何もしなくていいと思いますよ?ただ、心の底の底から誠心誠意謝ればいいのです。アデルちゃんならそれで許してくれますわ」
ルリアーナはライカが正気に戻ってからはまるで聖母のような優しく温かな眼差しでライカを見ていたし、先ほどから幾度となくこうしてライカにアドバイスをしていたので、今もまたライカの問い掛けに優しく答える。
その様はまさに救い主、慈悲深き女神の如きであったが、それでも「アデルに捨てられたくない」と怯えてだんだんと震え始めてきたライカの不安は簡単には晴れなかった。
「で、でも、僕、アディに酷いことを…」
よく覚えてはいないが、この2ヶ月アデルのことを煩わしく思い、忌々しいとさえ感じていたことは記憶にあり、そして彼女に会わないことで自分の気持ちが離れていることを察してもらおうとしていたことも覚えている。
誠実さの欠片もない自分勝手な行動。
思い出しただけで自分への怒りでどうにかなりそうだった。
誰よりも大切な女の子になんてことをしてしまったのかと。
一生を懸けてもとても償えないのではないかと。
もう、見捨てられてしまうのではないかと。
今のライカは疑心暗鬼、暗中模索、五里霧中。
頭に浮かぶのは名案ではなく不安と自責だけだった。
「それがわかっているのならなおさらです。言い訳も釈明もいらない。必要なのは償いだけですから」
大切なのはアデルへの誠意だとルリアーナはライカに向かってにっこりと微笑む。
アデルに何を言われてもそれが貴方の罰なのだから、甘んじて全て受け入れなさい。
声に出されないルリアーナの心の内が聞こえるようなその笑顔に、ライカは覚悟を決めてグッと唇を結ぶ。
こうなったら一か八か、当たって砕けろだ。
あ、待って、やっぱ砕けたくはない、せめて割れるくらいでお願い。
割れたくらいなら後でくっつけられる…はず!
…………だよね!?
アデルが登城するまで「あああああぁぁぁああ!!」と百面相しながら床を蟻に集られた虫のようにのた打ち回っていたライカは史上最高の見世物だったと後にヴァルトは語った。
「ライカ様」
昼食から間もなく、皆がシェフの料理に舌鼓を打つ横で食事が喉を通らなかったライカに、衛士から知らせを受けた執事がアデルの登城を告げる。
「わかった。いつもの応接間に通して」
「畏まりました」
今はサロンで持て成されているであろうアデルを隣の応接間に案内するよう執事に告げ、ライカは重い腰を上げた。
「……うぅ」
だが、立ち上がっただけなのに自分の身体が紙になってしまったかのように力が入らないし、服は鉛製かと思うほど重く、足に纏わりついて歩行の邪魔をしてくる。
早く行かなければアデルが来てしまうのに、気持ちだけが焦って上手く進めない。
「…はっ」
「おいおい、落ち着けよ」
おまけに呼吸まで思うようにならず、ふらっとよろけたライカを慌ててヴァルトが支える。
自分では気がついていなさそうだが、ライカの顔は土気色をしており、呼吸は浅く早い。
こんな状態ではいつまで経っても移動などできないだろう。
「肩貸してやるから、ちゃんと自分で歩け」
だからヴァルトは彼の腕を取り自分の肩に乗せるとそのまま歩き出した。
同時に発破を掛けるようにライカの背を叩き、小声で「ちゃんと謝りに行くんだろ?」と言ってにやりと笑う。
「…うん!」
ライカはヴァルトに決意の宿った熱い視線を返し、肩を借りながらではあったが真っ直ぐに立って歩き始める。
その姿に「男の子同士の友情か。熱いね!」と思っていたルリアーナもその後に続いた。
そしてさらに国王夫妻も見守りたいと同席したため、総勢5名の王族がアデルを迎えることとなった。
「アデル・ウィレル様をお連れ致しました」
応接間の扉のドアがノックされ、ここまでアデルを案内してきた侍女が入室の許可を求めて声を上げる。
普段なら扉の外で彼女が来るのを待っている王子がいないことを不審に思いながらも、それを訊ねることができる立場にないその侍女は、やや硬い「どうぞ」の声にも首を傾げながら扉を開ける。
頭を下げてアデルが部屋に入るのを見届けてから扉を閉めたが、閉まる直前に覗き見た部屋では王子どころか国王夫妻に隣国の王太子夫妻まで揃っているのが見えて、一体彼女は何をやらかしたのだと青褪めた。
恐らくアデルは覚えていないだろうが、その侍女は以前アデルに助けられたことがあったため彼女を慕っており、無関係ながらに彼女の身を案じて心の中で必死に祈る。
どうか酷いことにはなりませんように、と。
実際には扉の中で恐らく侍女が考えていたのと真逆のことが起きていたが、彼女は夜までそれを知ることはない。
扉を隔てた外の侍女が去った後、室内で扉の前に立つアデルは不安そうな顔を見せていた。
ライカ、国王、王妃、そしてルリアーナとアデルとは面識のないヴァルト。
扉が開いた瞬間その5人がずらりと一列に並んでアデルを迎え入れているのが見えたのだから、顔を引き攣らせても致し方ないことと言える。
「アディ!!」
そんなアデルを見たライカは今まで感じていた身体の重さが急になくなったように思えて、急いで彼女の元に駆け寄る。
そして彼女の前に着くなりすぐさま、
「アディごめん!」
お手本のような見事な土下座と共に彼女への謝罪を口にした。
「…………へ?」
シーンと静まり返る応接間にアデルの発した幾分気の抜けた声が響く。
この謝罪は一体何なのか。
魅了が解けて今までのことを謝っているのか、それとも自分とは結婚できないから婚約を解消してほしいと願うために謝っているのか。
状況がわからずに混乱し、事情を知っているであろう自国と他国の王族たちに目を遣れば。
「あっはは!!ちょ、リア、見た!?僕あんな機敏な土下座初めて見たんだけど!!」
「いや、確かにちょっと面白かったですけど、今は静かにしましょう、ね?」
ライカを指差して大笑いしているヴァルトに慌ててそれを窘めるルリアーナ。
そして腕を組んでうんうんと頷く国王夫妻が見えた。
「え?あの、すみません、誰か説明を…」
ライカ以外の4人の様子に、この中で状況が理解できていないのが自分だけだと悟って、アデルは比較的聞きやすい王妃とルリアーナを交互に見ながら説明を求める。
その間、手ではライカを起こそうと彼の肩を手で押し上げようとしていたが、ライカは微動だにせず徒労に終わっていた。
「はは、ふぅっ…、さっき、リ、リアがライカの魅了を解いたんだよ。それで正気になって、今までの自分の行いを省みて、君に嫌われたくなくて必死に謝ったってとこ」
そんなアデルに「あー、可笑しい」と笑いながらだが説明してくれたのはヴァルトで、彼は土下座するライカの元まで来ると、一向に上げようとしない頭をツンツンと突いて遊び出した。
その姿はとてもさっきまで親切に肩を貸してやっていた親友とは思えない。
それを眺めるアデルは「いや、遊んでないで立ち上がらせてくださいよ」と言いたかったが、面識もない隣国の王太子にそんなことは言えず、「はぁ…」と納得とも疑問ともつかない声を上げるにとどめた。
「…本当にごめん。まさか自分がそんな風になっているなんて思わなくて、君に酷いことを…」
ライカはヴァルトに突かれながらもその顔を後悔に染め、じっとアデルを見上げた。
「僕はこれからも君だけしか愛さないし、君しか大切にしない。だから、もう一度チャンスをくれないかな…」
どうかお願いしますと、反省して真摯に詫びるその姿はアデルの胸に迫りくるものがあり、アデルは涙が溢れそうになった。
だが、溢れることはなかった。
何故なら、
「…ヴァルト様、台無しですわ」
近寄って来たルリアーナの言う通り、横でいまだにライカをツンツンしているヴァルトのせいで全てが台無しだったからである。
読了ありがとうございました。