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菱形をしたトーラン大陸を×字に区切って4つに分けた国の1つ、東国ディア。

良質な鉱山を多数有し、貴金属加工を主産業として栄えたこの国は鉱山に近いレダイアを首都と定めたため、文字通り首都の中心を貫く中央通りには鉱山から運ばれてきた原石を加工する工房とそれを販売する宝石店が多数存在する。

中央通りは王宮から真っ直ぐに伸びて貴族街を抜けると平民街の商業区へと至り、そこからは道の両脇に工房と宝石店とが隣り合う独特な街並みが広がっているのだが、雑然としたものを丁寧に並べたようなその街並みはせっかちで機を見逃さないディア人の性情を表しているかのようだった。


そんな中央通りを少し外れた王宮と高位貴族の屋敷の中間地点に、この国の貴族子弟子女が通う王立学園が建っていた。

12歳で入学が認められる学園では一般教養はもちろん、令嬢には王宮の侍女にもなれるほどの裁縫術やテーブルセッティング術などを、子息には騎士団にも入れるほどの剣術や護衛術などを教えるための学科も用意されており、希望すれば試験はあるが成績優秀ならば平民でも通えるようになっている。

また留学制度もあり、希望者は学術都市リクローバにあるクローヴィア国立大学や、医療大国ハーティアにある国立医学薬学大学校に紹介してもらうことも出来る。

この学園は多くの貴族と一部の平民の将来を決める、若者たちの夢と希望を叶えるための施設であった。

現在この学園にはディア国の第一王子であるジーク・カディオ・ディアが通っている。

現王弟以来15年振りとなる直系王族の入学に、当時を知らない教師陣は恐々としていたが王子が聡明で寛大な人物であることがわかると安心し、『この方が未来の国王ならば我が国は安泰だ』と口々に王子を称賛した。

そして共に入学してきた王子の婚約者ルリアーナ・バールディ・ダイランド公爵令嬢もまた、美しさと気品を兼ね備えた聡明な少女だったため、この時この学園に通う誰もがこの国の将来は盤石だと思っていた。


しかし、王子入学から4年が過ぎた頃、とある事件が起こった。

きっかけが何かと問われれば、多くの人間は『平民のカロン・フラウが編入してきたこと』だと答えるだろうし、原因が何かと問われれば『ジーク王子がフラウ嬢に心を奪われたことだ』と言うだろう。

つまり今、素晴らしい婚約者がいる優秀な王子は平民との道ならぬ恋にうつつを抜かしている。

そしてこのことに異議を唱え王子を正すべき婚約者の令嬢は「殿下の御心は私にはないようですので、身を引かせていただきたく存じます」と言ってこれを認めてしまった。

それにより2人の恋はより一層燃え上がってしまい、最早消火は不可能なほどだろう。

王立学園始まって以来の大惨事である。



『気高き負け犬』

誰かがある令嬢を指して使ったこの言葉はいつの間にか定着し、とうとう本日当人の耳にまで届いてきた。

「だぁれが負け犬だコラァ!」

聞いた瞬間の感情のままにそう叫べればよかったのだが、「一応自分は公爵家の令嬢だ」と言い聞かせ、気高き負け犬こと第一王子の元婚約者であるルリアーナは頬を引き攣らせるだけに止めた。

しかし気持ちまでが治まったわけではなかったので、持っていたティーカップをソーサーに戻す時に少し力を入れ過ぎていた。

ガチャンという大きくはないが小さくもなかった音が学園の中庭に設えられたサロンの中に響く。

「……失礼」

彼女は同席していた5人の令嬢に自分の無作法を詫び、改めて丁寧にカップを戻した。

「い、いえ…」

それに応えたのは件の言葉を知らせた令嬢ミーシア・ナバールで、「私の方こそ失礼しました」と俯いた。

自分が放った言葉でルリアーナを傷つけてしまったと思ったのだろう。

だが彼女はルリアーナがこんな不名誉な二つ名で呼ばれていることを耳にして激昂し、「ルリアーナ様がこんな風に言われるなんてくやしい!!」と報告してくれただけだ。

ルリアーナは彼女が悪いなどとは微塵も思っていない。

「貴女が悪いわけではないわ。少し動揺してしまったけれど、私は大丈夫だから。ほら、もう顔を上げて?」

だから席を立って彼女の元まで行き、そっと彼女を抱きしめた。

それは『嫌いな人間には触れたくない』という人間の心理を逆に利用したルリアーナの親愛表現だったが、その腕の中でミーシアは「やばい、柔らかいしいい匂いするし、心臓止まりそう…」と呟いて顔を真っ赤にしていた。

そして外野では他の4人の令嬢は羨ましそうな顔でミーシアを見つめる。

しかし気づかぬルリアーナはミーシアを解放し、「教えてくれてありがとう」と彼女に礼を言った。

その後すぐに解散となり、5人と別れたルリアーナは帰宅のため馬車停まりへ向かった。

高位貴族であるダイランド公爵家までは学園の門から歩いて10分もかからないが、誘拐や不測の事件に巻き込まれないために多くの高位貴族同様彼女も馬車での通学が推奨されている。

カッポカッポ、ガラガラガラと馬車が進む音を聞きながら、座席に沈むルリアーナは独り言ちた。

「あーあ、ゲームではそんな風に呼ばれてなかったのにな」

妙にゴロが良いのがまたむかつくわ、と。


ルリアーナには前世の記憶があった。

いや、思い出したという方が正しいか。

それは第一王子の5歳の誕生日パーティーで初めて彼の姿を目にした時のこと。

瞬間、この世界とは別の世界で生きていた女性の記憶が奔流のように脳に流れ込んできて、その膨大な情報量に5歳の脳が耐えられず意識を失ってから、ずっとその記憶を夢で見ていた。

野田芽衣子という名前のその女性は地球という星の日本という国に住んでいて、両親と5つ下の妹と暮らしていたらしい。

途切れ途切れのランダム再生のような記憶は、芽衣子が大きくなるにつれ鮮明になり、最後の方は丸1日分途切れることなく見ることもできた。

そして3日間寝込みながら一通り記憶を見て理解したのは、それが自分の前世であることだった。

『生まれ変わり』という概念のないこの世界において、それはものすごい衝撃と恐怖をルリアーナに与えた。

こんなこと、誰にも言えるわけがない。

21歳で亡くなったらしいその女性のことを思い出してもまだ内面が追いついていなかったため、ルリアーナは精神面が落ち着くまでのしばらくの間、人知れず泣き暮らした。

しかも記憶が蘇ったことにより、この世界の秘密も知ってしまった。

それはこの世界が前世でプレイした乙女ゲームの世界であるということ。

『君のとなりで』というタイトルのそれは前世の世界ではよくある学園もののゲームだった。

貴族ばかりの学校に平民の主人公が編入して王族や貴族の子息と知り合い、いつの間にか恋愛に発展するという王道ストーリーで、ここは続編『君のとなりで2』の世界。

攻略対象者は第一王子のジーク、騎士団長子息のフィージャ、神童ローグ、女誑しのアシュレイ、機械人間ユージン、永遠のショタ君ニカ。

そして自分はメイン攻略キャラである第一王子の許嫁の悪役令嬢という、これまた小説なんかでよくある悪役令嬢転生と同じだということを理解した。

絶望した。

芽衣子はこのゲームが大好きだったが、好きだったのは無印の『君のとなりで』の方であって、『君のとなりで2』の方ではない。

主人公も攻略キャラもすべて異なるこれは同シリーズではあるが完全に別の物語であるので、残念ながら『君とななら2でもいい』とはならない。

なにより芽衣子は2が嫌いだった。

何故ならヒロインが信じられないくらいの屑だったからだ。

そのヒロインの名前はカロン・フラウ。

そう、ルリアーナの婚約者であったジーク王子を誑かした女である。

「本当にその通りになるんだもの、記憶が戻っていて本当によかったわ…」

記憶が戻ったお陰でルリアーナには初めからこうなることがわかっていたから、王子と無駄な愛を育むこともなく今まで順調に適度な距離を保ってきた。

いずれ離れていく男に抱く感情があるとしたら、精々「ヒロインとお幸せに」くらいのものだろう。

だから今回の婚約破棄もルリアーナの予定通りだった。

つまりカロンとの王子争奪戦に負けたわけではないのだから、本当に『負け犬』などと呼ばれる覚えはない。

だが世間はそう受け止めないだろうと理解はしている。

「……わかっていたことではあるけれど」

でも、だけど、しかし。

「……やっぱりむかつくわ」

生来負けず嫌いなルリアーナはどうしようもない苛立ちともどかしい思いを抱えて、それを吐き出せない代わりに大きなため息を吐いた。

読了ありがとうございました。

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