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「大丈夫?」
「はへ~…」
「うん、まだ駄目だね」
ルリアーナは窓から臨む美しい庭園を眺めながら、侍女がいないため手ずから入れた紅茶を啜る。
その様子はとても美しく、それこそゲームのスチル絵にでもなりそうなものだった。
しかしそれでもアデルのダメージは癒せない。
「ねえアデルちゃん。貴女はもしかして、君とな4の悪役令嬢だったりする?」
紅茶を置いたルリアーナはふと思い出したようにアデルに問う。
「そうですぅ」
アデルはのろのろと顔を上げ、それに答えた。
いい加減顔くらいは上げないと流石に失礼過ぎるとこの世界で16年生きたアデルが言っている。
けれど遠のいたと思っていた断罪と処刑が変わらずすぐ傍にあることを知った衝撃は中々抜けない。
そうしてアデルが礼儀とダメージの境目で彷徨っている間にルリアーナはふむと頷き、
「ってことはもしかして、もう少しで断罪されちゃうとか?」
とアデルの最近の悩みにズバリと切り込んだ。
アデルはその言葉で最後に見たライカの冷たい瞳を思い出してずうんと音がしそうなほどに再び落ち込んでしまう。
シリーズは違えどゲームの流れはほぼ一緒であるから、ルリアーナにはアデルの様子から現状がわかったのだろう。
もしかしたら王妃に告げたライカとの不仲を聞いていたのかもしれない。
そこから、知り合ったばかりのアデルの終わりが近いことを察したのだ。
だが、そこにオブラートを求めるのは間違いだろうか。
ただでさえダメージが大きいのに、これ以上後がない現実を突きつけないでほしい。
「そっか。それなら私、力になれるかも」
「……え?」
あまりにもさり気なく発せられた言葉を絶望に満ちていた頭が理解できず、思考が一瞬真っ白になる。
ややして意味を理解してバッと顔を上げれば、ルリアーナはどこかの名探偵のように顎に親指と人差し指を当てていた。
しかしその顔には自信が垣間見え、4のストーリーを知らないなら助力は得られないと完全に諦めていたアデルに光明が差す。
「なんたって私、断罪返ししてますからね!」
ふふんと得意げに胸を張るルリアーナがアデルには女神に見えた。
「…とは言ったけど、私4やってないから私と同じやり方で乗り切れるかはわからないんだけど」
ルリアーナはそう言って顎にあった手を頬に移して「うーん」と唸る。
あれは初期からの下準備があったから円滑に進んだのであって、断罪目前であるならば逆転は難しい。
さてどうしたものかとルリアーナが考えていると、
「それでもいいです。どうやって断罪返しをしたのか、教えてもらえますか?」
アデルが彼女に話を請うてきた。
結局お茶会でもルリアーナがどうやって断罪返しをしたのか聞いていなかったアデルは、今は少しでもヒントがほしいと藁にも縋る思いでルリアーナを見つめる。
アデルの強い意志の宿った目に彼女の覚悟を認め、ルリアーナは「わかった」と頷いて姿勢を正して口を開いた。
「アデルちゃんは2もクリアしたの?」
前提条件の確認として発した前置きにちらりとアデルを見れば、彼女はこくりと頷く。
「はい。主人公のカロンはあまり好きではありませんでしたが、一応全クリしてます」
「じゃあ2の話の流れはわかるのね。カロンが陥れ系ヒロインで、私がカロンをいじめていたとでっち上げられて断罪されることも」
ルリアーナがそう言えばアデルはまたも頷いた。
ならば詳細を省き一気に説明してしまおうと、ルリアーナはこの世界に転生した自分が何をしたかをアデルに伝える。
「私はゲーム序盤あたりで予めジーク様と婚約破棄をしていたの。断罪とか真っ平だし平和に過ごしたかったから、カロンが彼と出会って思い合うならそれでいいって。でもね、カロンはどうしても私を断罪したかったらしくて、卒業パーティーの時に私を嵌めようとした。そうなると話は別じゃない?降りかかる火の粉を払うため、私は彼女の主張する『いじめた証拠』とやらをゲームの知識を使って全て潰したの。そして自身の無罪を証明するついでに他の悪役令嬢の無実も証明した。結果、彼女の嘘がみんなにバレたわけ」
やれやれだったわと息を吐いたルリアーナは一度紅茶で喉を潤すと、続きを話し始める。
「嘘がバレた後、カロンは処刑されたわ。ゲームでは悪役令嬢ですら処刑されないのにとは思ったけど、国王夫妻が酷くお怒りでね。で、第一王子のジーク様は廃嫡、私はお役御免のはずだったんだけど、なんか第二王子のヴァルト様の婚約者になっちゃって、そのまま結婚したの」
これが私のお話、とルリアーナは口を閉じた。
カロンが自分を断罪しようとしたのは、恐らく前世のゲームの記憶からだったのだろう思うが、今それを説明する必要はないと敢えてそこには触れなかった。
ルリアーナは紅茶の最後の一口を飲み干すと、
「さ、次はアデルちゃんの番よ。4のストーリーと今の状況を教えてくれる?」
とアデルに水を向けた。
それに頷いたアデルは、ルリアーナ同様に紅茶を一口啜ってから君とな4の概要を話し始める。
「4は無印に近い感じです。王立学園にルナという平民が特待生で転入してきて、生徒会メンバーや騎士と結ばれます。悪役令嬢は私1人で、私は第一王子で生徒会長のライカ様の婚約者です」
アデルは息継ぎするように深呼吸をする。
「私が前世を思い出したのは、恐らくゲームスタート直後の時期です。私が記憶を取り戻した時にはすでにライカ様や攻略対象者たちはルナに会ってしまっていた。そしてどう対応していいかもわからず、何の準備もしていなかった私の目の前でライカ様はルナの魅了にかかってしまったのです…」
それが2ヶ月前のことですと言うと、「はい」とルリアーナが手を上げる。
「魅了にかかってしまったって、どういうこと?」
不思議そうな顔で「はて?」とルリアーナが首を傾げたところでアデルは気がついた。
「ああ、3で明かされたんですけど、歴代のヒロインは皆無意識ながら魅了の魔法が使えたんだそうですよ」
2の途中までしかプレイしていないルリアーナはそのことを知らなかったのだと気がついたアデルがそう教えれば、
「はあ?なにそれ、そんな設定あったの?」
ルリアーナは「自分の力で落としてると思ってたのにショック~…」と頭に手を当てて項垂れた。
だがそうと知れば腑に落ちるところも多い。
他の対象者はよく知らないが、唯一王子以外の対象者で幼い頃から知っているローグについては、内心あの堅物がよくあんな頭の軽そうな女に落ちたものだと思っていたから。
アデルは快活なルリアーナの気落ちした様子に、状況が理解できないながらももしかしてこれは教えてはいけないことだったのかと焦る。
先ほどは自分がルリアーナの言葉にダメージを受けたが、今度は自分が与えることになろうとは。
生来気遣い屋のアデルは自分が他人を害することを酷く気にする。
それが自分の我が儘で頼った相手ならばなおさらだ。
一体どう詫びればと思っていたが、次の瞬間ガバリと起き上がったルリアーナは、
「魔法のお陰ならあんなに苦労して好感度上げる必要ないじゃん!!」
と言って力いっぱいテーブルを叩いた。
突然の暴挙にどうしたのかとさらに焦ったアデルだが、
「無印のアサシンルート、何回やり直したと思ってんのよー!!」
その叫びを聞いて全ての事情を察してしまい、そっとルリアーナの肩に手を置いた。
ルリアーナが叫んだ無印のアサシンルートとはイベント特典にしかない隠しルートのことで、名前の通り暗殺者が攻略対象となる。
内容は「イザベル(無印の悪役令嬢)に雇われてヒロインを殺しに来た」と言う暗殺者から示される3つの選択肢の内、生き延びことができる正解の答えをひたすら選び続けるというもの。
3つの中に正解は1つしかなく、残り2つのどちらかを選んでしまえば即死亡となるハードモード仕様だった。
しかもアサシン相手のため、死亡エンド=ノーマルエンドという扱いであるため、生き延びるにはトゥルーエンドを目指すしかない。
君となファンはこの単純ながら難易度の高い記憶ゲーに「それの何が面白いの?」と首を傾げていたが、実際にそれをプレイすると全員が面白いようにハマった。
『単純に選択をミスったのが悔しい』『最早ただの意地』『初めてのクリア者になりたい』など理由は様々だったが、一番多かったのは間違いなく『攻略対象者全ての属性持ち暗殺者が好き過ぎる』というものだっただろう。
イベント特典だったこのルートはネットの情報も少なく、『流離うメイコ』という人物が完全攻略情報を出すまで多くのプレイヤーを苦しめてきた。
自分を殺すその瞬間すら愛おしいと評判だったが、地道な周回作業はまさに地獄。
その苦行を前世のルリアーナは体験したのだという。
アデルはネット情報でしかそのルートを知らないが、だからこそ多くの苦しみの声を見てきたため、同情を禁じ得なかった。
「苦行過ぎてクリア後すぐにネットにクリア方法拡散したったわ!運営ざまあみろ!!」
その時を思い出して「ひーっひっひっひっ」と魔女のように笑い始めたルリアーナは何故か運営への悪態を吐き始めたが、アデルはちょっと待てとその言葉を頭の中で反芻する。
クリア方法拡散って、もしかして?
「え?流離うメイコ?」
まさかとは思ったがそう口に出せば、
「あれ、なんでその名前知ってんの?」
ルリアーナはアデルの言葉を肯定した。
どうやらそのまさかだったようだ。
なんてことだ、生ける伝説に死んでから出会ってしまった。
アデルの胸に複雑な思いが去来する。
さておき。
「あのそれで、私はどうしたらいいと思いますか?」
自棄になったように笑い続けていたルリアーナだが、その言葉には笑みを消すと、
「決まってる。何としても、意地でも魅了を解くのよ。解く方法は絶対にある、そうよね?」
そう言って先ほどとは別種の、凄絶とも言える笑みをその顔に浮かべた。
なまじ美しいだけに背筋に走る悪寒はえげつないレベルだ。
だが「…魅了の設定が余程悔しかったんだな」と察したアデルは、憐れみと同情から零れそうになる涙をそっと拭った。
読了ありがとうございました。




