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短編『転生した悪役令嬢はろくでもない主人公から攻略対象者たちを守るために前作の悪役令嬢を頼ることにしました』の部分です。
内容に変更はありませんが、加筆ありです。
アデル・ウィレルは学園の女王である。
と言っても君臨しているわけではない。
単にクローヴィア王太子の婚約者であるがために彼女までもが女王扱いされているだけだ。
「おはようございます、アデル様」
「今日も一日よろしくお願いいたします」
過ぎ行くクラスメイトが小さく手を振りながら挨拶をしていく様子を見ても、彼女が恐れられているわけではないことが窺える。
「おはようお2人とも。私の方こそよろしくお願いいたしますわ」
それにアデルが挨拶を返せば、彼女らは頬を染めて立ち去っていった。
その様子から、どちらかといえば憧れの的といったところかもしれない。
だがしかし彼女には困ったことがある。
「今の人達、悪役令嬢と仲の良かった2人組に似てる…」
今まではただのクラスメイトでしかなかったはずの人物達が、遠い記憶の中にある、こことは違う世界としか思えない場所で自分が好んでいたとあるゲームのキャラクターに似ていると認識してしまえること。
そして、そのゲームで『悪役令嬢』と呼ばれていたヒロインの敵キャラクターが自分だとしか思えないことだ。
アデルには前世の記憶があった。
思い出したのは3日前で、きっかけはなんだったのかわからないがふとした瞬間に既視感を覚えたのだ。
その既視感の正体を探ろうとした時、自分の奥底にこの世界では見たことのない景色が隠すようにひっそりと存在していることを認識した。
その景色を手繰り寄せれば、自分が前世でオタクと呼ばれるような人種であったこと、そして心臓発作と思しき症状で意識が途切れたことが思い出された。
そして同時に、自分が『君のとなりで』通称『君とな』という乙女ゲームのシリーズ4作目の世界に転生したことにも気がついてしまった。
「そんな、乙ゲー転生なんて二次元でしか起きないと思っていたのに…」
慌てて現世の記憶を辿ればすでにゲーム開始時期からは1週間ほどが過ぎており、ヒロインは何人かの攻略対象者たちと接点を持っている。
つまりもうゲームは始まって順調に進んでおり、今更ゲーム開始前には戻せない。
ということは今の自分もすでに『悪役令嬢』ということだろうか。
『悪役令嬢アデル・ウィレル。
王立学園の女王と謳われる第一王子ライカの婚約者で全令嬢の模範となる侯爵令嬢。
いつでも崩れぬ微笑は穏やかな知性を示し、差し出される白魚の如き手は誰かを導き、また違う誰かに差し出される。
国母に相応しい人柄と品位に誰もが彼女に憧れ、尊敬の念を抱かずにはいられない。
しかし学園に主人公が転入してきてから彼女の人生は一変する。
婚約者を奪われた彼女の慈愛に満ちた笑みは嫉妬に狂う般若の怒りに変わり、他者を導いていたはずの手は自らを罪の道へ堕としていったのだった…。』
というのが説明書に載っていたアデルの紹介文だった。
これだけを見れば完璧令嬢が婚約者を奪われた嫉妬により悪行に手を染めたように感じるだろう。
だがアデルの人生は決して幸せなだけのものではない
5歳で第一王子の婚約者になってから毎日礼儀作法の稽古や王国史、地理、社会情勢、語学などの様々な勉強をさせられ子供らしいことをほとんどせずに幼少期を過ごした。
そして学園に通うようになってからも全令嬢の模範たれと厳しく自分を律して過ごしてきた。
それが完璧令嬢と言われる所以だろうが、本人が望んだことでもなければ辛くなかったわけでもない。
幸いにも婚約者である王太子のライカとは心を通わせていたが、逆に言えばそれだけが彼女の心の支えであったのだ。
『完璧令嬢の仮面を被ったライカに恋する淋しき空虚な令嬢』、それがアデルの本質だった。
なのにこのままではヒロインにその支えが奪われてしまう。
「これから私はどうしたらいいの…?」
実体のない不安が冷気を伴って足元から這い上がってくるような恐怖に、しかし誰にも相談などできるはずはなく、アデルは1人でじっと耐えていた。
今の自分にできることと言えば、せめて何が起こるかわからない主人公の傍にはなるべく近づかないでおくことぐらいだろうか。
「アディ、そんなところで何をしているんだい?」
思考の海に落ちているうちに立ち止まってしまっていたらしいアデルの耳によく知っている声が届く。
それは悪役令嬢アデル・ウィレルの婚約者であり、攻略対象者でもあるこの国の第一王子ライカ・ジュリアス・クローヴィアのものだった。
「ライカ様、おはようございます」
「ああ、おはよう」
アデルが慌てて挨拶をすると、彼は鷹揚に頷きながらも怪訝そうな顔で彼女を見た。
「で、何をしていたの?」
ライカは先ほどと同じ質問を繰り返す。
その顔からそれほどまでに自分は不審気だったのだろうかと思い、アデルは苦笑を零した。
「何、というほどのことをしていたわけではございませんわ。単に考え事をしていただけですから」
正確には『前世の知識から今後の自分の身の振り方について悩んでいた』のだが、そう正直に言うわけにもいかない。
前世という概念のないこの世界でそんなことを言っても頭がおかしいとされるだけだろうから。
「そう。だけど往来の真ん中で立ち止まっているのはいただけないね」
顎に手を当て「ふむ」と息を吐いたライカはアデルの腰に手を添えると、
「随分と真剣な顔をしていたもの。悩み事なら相談に乗ろうか?」
と言ってどこかへ(ライカは生徒会長でもあるので、恐らく生徒会室あたりへ)エスコートする素振りを見せた。
「い、いいいいいえ、大丈夫ですわ。お忙しいライカ様の手を煩わせずとも、このくらい一人で解決してみせますから」
だがアデルは慌ててその手から逃れてライカに一礼し、逃げるようにその場から去っていく。
穏やかながら時々妙に強引なところがあるライカに迫られたらなんでも口にしてしまいそうで、誤魔化し切る自信がなかったのだ。
「そう?残念だな…」
ぴゅーっという効果音が似合いそうな逃げっぷりをみせるアデルに、淋しそうに呟かれたライカの声は届かなかった。
授業が全て終わった放課後、渡り廊下を歩いていたアデルは横に広がる中庭の光景の一部に気になるものを見つけた。
「貴女、ご自分の行動を理解していらして!?」
「生徒会の方々は皆様本当にお忙しいんですのよ!」
「それなのに時も弁えずにうろちょろと。少しは皆様の迷惑をお考えになったら!?」
「そんな、いつでも頼っていいと言ってくれたのはライカ様です!他の皆も困ったことがあったら頼ってほしいと…」
それは大きな木の前に立つストロベリーブロンドの美少女を3人の令嬢が取り囲んでいる光景。
見覚えがあると思ったその光景は、但し涙ながらにそう訴える美少女からの視点であろうものだった。
何故かと言えばあの美少女こそが『君とな4』の主人公であるルナなのだから。
それにしても遭遇を避けようと思っていた矢先にこんな場面に出会うとは。
と思ったところではたと気づく。
確か本来であればこのシーンには自分もいたはずだ。
しかもあの3人を従えて、それこそ女王のようにルナにきつい言葉をビシバシと浴びせていた。
何気なく通った道だが、やはり自分がこの場に来るようにゲームの強制力が導いたのか。
自分の努力程度では抗えない力を感じてアデルは項垂れる。
「貴女如きが殿下をお名前で!?不敬にもほどがあります!」
「ご尊名をお呼びできるのは王族の方々と許された諸侯の皆様、そしてご婚約者であるアデル様だけですわ!」
「平民どころか、私たち貴族でさえ分相応に殿下とお呼びするのが礼儀です!それなのに!」
そんなアデルの心情をよそに彼女たちの会話は続いていく。
ルナの言葉に3人の伯爵令嬢、赤髪のカティア・バートレイと金髪のナタリア・フィングスと紺髪のリリアナ・クロムが再び窘めようと口を開いたのだ。
先ほどと同じく厳しい言葉がルナに向けられる。
しかしそれを見てもアデルにはルナが可哀想とは思えなかった。
今世では前世の記憶が戻る前から3人のことを知っているが、彼女たちは完璧令嬢と呼ばれるアデルの学友として相応しく聡明で礼儀作法に明るい。
つまり彼女たちの言っていることには何の矛盾もなく、どころか他の令嬢であったならば即座に自身の不明を謝罪し、指摘してくれたことに礼を言うレベルのものである。
けれどそれに対してルナはさらに瞳を潤ませただけで、自分が悪いなどとは微塵も思っていなさそうだった。
これはゲーム第二章の冒頭、平民でありながら特待生として学園に通う主人公が第一章で攻略対象である生徒会メンバーと出会い、それぞれの好感度を2へ上げたところで二章へ進み、学園の日常パートを終えたところで悪役令嬢であるアデルとその取り巻き3人に中庭へ連れられ、身分違いを責められるシーンだったはずだ。
ゲームと今に相違があるとすればアデルがあの輪の中にいないことだけ。
「ええと、確かこの後は…」
生徒会会長のライカと副会長ウォルター・ジェイブ侯爵令息が通りかかり、アデルからルナを庇っていた。
はずなのだが。
「あれ?アディ、今日はよく会うね」
「ふぇ!?ラ、ライカ様!?」
どうやらゲームの彼らは渡り廊下を歩いている最中に彼女たちを見つけて声を掛けたという設定だったようで、その渡り廊下で同じように彼女たちを見かけて立ち止まっていたアデルと鉢合わせしてしまった。
下手をすると自分がいじめを指示して、それを安全圏から覗いていたと取られかねない状況。
そのことに気づいたアデルは冷静に取り繕うこともできず、目に見えて慌てていた。
「ふぇって、相変わらずアディは可愛いなぁ」
「こんにちはウィレル嬢。何をなさっていたのですか?」
だがアデルが突然のことに慌てているとわかっていて笑うライカと、ふんわりとした陽だまりのような穏やかな笑みで言外に「慌てなくても大丈夫だ」と伝えるように優しく声を掛けてくれるリリアナの婚約者でもあるウォルターを見るに、今のところそれは杞憂に終わりそうだった。
思いやりと優しさに溢れる、正に乙女ゲームの攻略対象者と言わんばかりの2人に対して言葉を発したのは、しかし目の前のアデルではなかった。
「あ、ライカ様とウォルター様!」
そう言いながらたたたっと小走りで3人の方に近づいてきたのはルナで、「聞いてくださいよぉ」と涙目で2人に話し掛けた。
「あの3人が私をいじめるんです!私が平民だから、忙しいライカ様達には声を掛けちゃダメだってぇ」
酷いですぅと言って泣く彼女は確かに可哀想な被害者に見えた。
今この場だけを見れば、カティア達3人は弱々しい美少女をいじめていた悪者にしか見えないだろう。
だが彼女の言葉は正しくない。
カティア達の言った言葉の順番を変えて、まるでルナが平民だから虐げられているかのように錯覚させている。
確かに彼女たちの言い方はきつかったが、ルナは至極当然のことしか言われていなかったはずだ。
だからアデルは彼女たちを庇うために口を出した。
「お話し中失礼いたします。ルナさん、その言い方では誤解を招くわ。彼女たちの注意は当然のものです。正しく理解して己が身を律しなさい」
そう、庇うためだったのは間違いない。
「そう言ってアデル様も私をいじめるんですね!あの人達が友達だから庇うんでしょぉ!?」
だからそれをそんな風に利用されて、ほんの少しだけ躊躇い、苛立った。
前世の自分が好んでいたのは主人公の目を通して見ていたこのゲームの世界であり登場人物で、目でしかなかった主人公のことなどパッケージや説明書に載っていた外見以外特に覚えてもいなければ意識もしていない。
カティア達3人や今では自身であるアデルのことも、主人公とは敵対する立場ながら間違ったことは言わない悪役として嫌いではなかった。
むしろ現実となった今では頼れる友人として大好きな3人であるし、誇れる我が身だ。
それをこの女は今、自分の行いを棚上げして悪役にしたのだ。
ヒロイン特権とはいえ、それを許せるわけがない。
この瞬間にアデルははっきりと理解した。
ゲームの『悪役令嬢』というのは主人公にとっての『悪役』であるだけで、他の人にはそうではなかったのだと。
「カティア達が私の大切な友人というのは間違っていないわ。だから庇うというのも。けれど、いじめているというのは大きな間違いよ」
だからアデルは決めた。
私がこのろくでもない主人公から皆を守らなくては!
「カティア達は貴女がライカ様がお忙しい時でも大したことのない用事で呼び止めること、そして王族でも諸侯でも婚約者でもないのに殿下と呼ぶべき方をライカ様と呼んでいたことを注意した。それは正しいことであり、指摘された貴女はそれを真摯に受け止め改めなければならない。そうは思わなくて?」
アデルがきっぱりそう言い放てば、ルナは一瞬グッと詰まり、けれどすぐさま持ち直して「でもっ」と反論しようとした。
「そうか。それはバートレイ嬢達が正しいね」
「そうですね。我々も気を遣いすぎていたかもしれません」
しかしそれはライカ達の言葉に封じられる。
「なっ!?」
声を上げて首がもげそうな勢いでそちらを振り返ったルナは信じられないものを見たように目を見開き、動揺からか小さく震えてさえいた。
何故だとその目が強く訴えているが、2人は駄目だよと諭すように苦笑を浮かべながら首を振る。
「ライカ様…」
安堵からついアデルが彼の名を呼べば、自分を見たライカにふわりと柔らかな微笑みが向けられる。
ヒロインであるルナではなく、悪役令嬢の自分に。
それに心が温かくなったアデルも自然と微笑んでいた。
前世では別の攻略対象者―近衛騎士のギレンが好きだったが、転生した今はアデルの意志が強いのか、ライカに対して慕わしい感情が胸を占める。
ゲームの時にはわからなかったアデルの気持ちが今は痛いほどよくわかるのだ。
そりゃああんな態度の主人公だったら文句の一つや二つや十や百くらい出てしまっても仕方ないだろう、と。
まして大好きな婚約者の仕事の邪魔をしているのだ。
腹が立つのは当然だし、嫌味くらい言いたくなっても仕方がないとも思う。
それにしても、自分はもちろんだがライカの態度を見ているとどうやら2人はアデルの記憶が戻る前から相思相愛だったように思える。
ゲームではそんな描写はなかったが、もし以前からそうだったのだとしたら何故ライカはルナに心を移したのだろうか。
そう思った時、
「ふざけないで!そんなの、絶対認めない!!」
ぶわりと、ルナの身体からピンク色と紫色が混ざり合った煙のような何かが噴き出した。
「うわっ」
「なに!?」
「きゃあ!」
近くにいたアデル達3人はもろにそれを喰らい、甘ったるい匂いのするそれを吸い込んでしまった。
げほごほと噎せたものの数秒で晴れたそれがなんなのか、思い至った時にはもう遅かった。
「ライカ様ぁ、今のって本当に私が悪いんですかぁ?」
聞こえた声に顔を上げれば、甘えるように自身の腕に縋りつくルナにライカは蕩けるような瞳を向けていた。
「ライ…」
信じがたいその光景に思わず彼の名を呼ぼうとすれば、
「いや、やっぱりルナは悪くないよ。悪いのは彼女達だ」
ライカはそう言ってアデルを見た。
その目には先ほどまでの温かさなど微塵もなく、底冷えするような冷たさしか存在してはいなかった。
その冷たさにアデルの心が音を立てて凍り付く。
そしてそれはウォルターも同様で、ちらりと無感情な目でアデルと後ろの3人を一瞥した後、「お前たちよりもルナの方が大切だ」と言わんばかりにライカと2人で彼女を守るように支えながらその場を立ち去っていく。
残されたアデルと3人はそれを黙って見送ることしかできなかった。
読了ありがとうございました。