イザベルへの報せ
ルナの話のはずだったのに、気づけばイザベルの話になってました…。
ということでルナは次回です。
「……そう、なの」
「はい」
思わず「なんで?」と言いそうになったのをぐっと堪えたルリアーナの顔は少し引き攣っていたが、幸いなことに視線を下げていたイザベルは気がついていないようだった。
ルリアーナとしてはお祝いをしたいと思ったのならすればいいじゃないかとしか思わないが、これほどまでに悩んでいる姿を見ると、なにかのっぴきならない事情があるのではと思える。
「ええっと、理由を聞いても、いいかしら?」
だから当たり障りのないようにオブラートに包もうとしたのだが、変に回りくどく聞いて正確なところがわからなければ意味がないと思い直し、直球で問うことにした。
そこには嫌なことはさっさと終わらせてあげようという気遣いも含まれている。
「はい、実は…」
目線を上げたイザベルは思いつめた顔で何故そう考えたのかを話し始めた。
「……えーっと、つまり?以前散々迷惑を掛けた自分がアデルちゃんに趣味違いの贈り物をあげるとさらに迷惑を掛けるんじゃないかってことを気にしてお祝いができない、と、そういうことかしら?」
「ぐすっ…は、い…そうですぅ、うぅ…」
話しをしているうちに涙を堪えられなくなったイザベルの話をまとめるとこういうことだった。
出会った時自分は死にかけていて、というかアデルがいなければ本当に死んでいたかもしれなくて、自分としては彼女には感謝してもしきれないほどの恩があるのだが彼女にとってみれば自分は散々迷惑を掛けた存在でしかなく、優しいアデルは今も何かと気に掛けてくれているがそれにも申し訳なさを感じており、今回手紙でルナの件を教えてもらった時もお祝いをしたいと思ったのだが、アデルの趣味嗜好がわからず、彼女の趣味ではない贈り物を贈ってさらに迷惑を掛けてしまうのではと恐れたため身動きが取れなくなってしまった、と、そういうことらしい。
「そ、それに、お祝いをするべき相手は、ルナさんが侍女になってくれて喜んでいるアデル様なのか、それともアデル様の侍女になれたルナさんをなのかも、わからなくなって…」
事情を話して泣いて気持ちが軽くなったのか、先ほどよりも顔色が良くなったイザベルはそこも悩んでいると告げる。
こうなれば全部話してしまっても同じだと思ったのだろう。
だがルリアーナに言わせれば、イザベルははっきり言って気を遣い過ぎである。
さらに言えば、ルリアーナにはそれで悩む意味がわからなかった。
何故ならこんな時、彼女ならこうするからだ。
「なら、取るべき行動はひとつではない?」
言うと同時に立ち上がるとティーセットの置かれたテーブルに手をついてイザベルの方に身を乗り出す。
「取るべき…行動…?」
イザベルは間近に迫ったルリアーナの顔に頬を赤らめながら、涙を拭っていた白いハンカチをきゅっと握り込む。
「そうよ」
そのイザベルの手を右手でしっかりと握り込んだルリアーナはにこりと笑った。
「直接アデルちゃんに聞けばいいのよ!」
そして力強く言うと、すぐに共にクローヴィアへと旅立つべく、イザベルの手を引いてオスカーの元へと向かっていった。
オスカーから「え、そんな急な…ああ、でも、いいです、はい、私が淋しいだけなので、ええ、全然、問題、ないですとも…」と『快く』了承をもらったルリアーナは、翌日トリフォリウムへと向かい、「シャーリーちゃん、急なのだけれどこれからクローヴィアへ行くことになったから、ヴァルト様へのお土産の他にアデルちゃんにあげられそうな日持ちするパンをいくつかいただいてもいいかしら?あ、あと道中のおやつもほしいわ!イザベルちゃんと一緒に食べるから」と言って大量に買ったパンを持ってディア国へと向かった。
ルリアーナが去った後、売れた分を補充しようと大急ぎでパンを焼きながら購入されたパンの行き先を訊ねた店主は、行き先がディア国の王太子とクローヴィアの王太子妃と自国の王太子妃の元だと知って気絶しかけるのだが、そもそも購入者であるルリアーナがディア国の王太子妃本人であることを知らされると泡を吹いて白目で倒れたため、その日トリフォリウムは臨時休業となった。
「父さんの代わりに俺が作るよ!」と言った息子と「アタシも手伝うからね!」と言った女将に同じ質問をされたシャーリーが同じ答えを伝えたところ、2人も同じように精神的負荷で昏倒したからだ。
そんな惨状が生まれているとは知らないルリアーナは「はい、イザベルちゃんの分よ」と購入したばかりのクリームパンをイザベルと共に頬張りながら、一路ディアへの道を進んでいた。
コンコンコンコン、ガチャッ
「ただいまヴァルト様!これお土産のシャーリーちゃんのところのパンですわ。あとこのままイザベルちゃんと一緒にアデルちゃんのところへ行ってきますので、カナンのことはもう少しの間お任せしますね、行ってきます!!」
バタンッガチャリ
「今、リアの声が!?って、いない…?え?何この大量のパン…ちょっ、シエル、ベリアルー!!」
ドタドタ、ガチャッ
「今ルリアーナ様いたよね!?」
『乙女よ、お早いお帰りで…!?』
タイミング悪くヴァルトが執務室の奥にある書庫で資料を探している間に執務室に来たルリアーナは、しかしだからと言ってヴァルトの戻りを待つこともなくパンだけを応接テーブルの上に置いてすぐに踵を返して部屋を出た。
そしてディア王宮滞在僅か3分(しかも2分半は移動時間)でクローヴィアへと向かったため、慌てて書庫から出てきたヴァルトばかりか、どこからともなく現れたシエルとベリアルもルリアーナと会うことはできなかった。
「さて、お土産も置いてきたし、このままクローヴィアまで行きましょうか!」
「……早くね?」
だからその早すぎる帰還に御者と共に馬車の馬を代えていたルカリオは思わずそう言ったが、すでに大体の事情は察しており、これは戻ってきた時に自分が文句を言われるパターンではと思い至った。
だからと言って言い訳をしに戻るわけにもいかず、ルカリオはため息を一つ吐いて諦めて、クローヴィアへ向けて馬車を走らせるべく慌てふためく御者に出発の指示を出した。
「ルリアーナ様、イザベル様、ようこそいらっしゃいました!!」
途中で先触れ代わりにルカリオを走らせてクローヴィアのディア王家離宮(ハーティアにある屋敷同様アデルとライカがルリアーナとついでにヴァルトのために用意したものである)に数時間後の来訪を伝達したルリアーナは、離宮に着くなり執事から「クローヴィア王太子妃様がいらっしゃっています…」と報告を受けた。
その際彼が沈痛にも似た非常に辛そうな顔をしていたのだが、その理由について理解が及んだのは彼と共にルリアーナたちの到着を待っていたルカリオだけであった。
しかもそのタイミングで執事の後ろから勢いよくアデルが飛び出てきて歓迎のあいさつを述べたため、そのことはうやむやなまま忘れ去られていった。
その夜、彼の部屋の扉に匿名の差し入れで胃薬が5回分届けられており、送り主を察した執事は大変有難く思ったのだが、逆に考えれば今飲む分を差し引いてもあと4回は胃薬を飲まねばならないような事態になるという予告なのか…?と送り主のメッセージを正確に読み取ってしまったために胃を押さえて蹲り、通りかかった侍女に酷く心配されることとなったのだが、そのことにルリアーナたちが気づくことはなかった。
さておき、ルカリオからルリアーナ来訪の報せを受けたアデルは、こうしてはいられないとルカリオと共に急いで離宮にやって来た。
というのも、実はアデルもルリアーナに相談したいことがあり、近日中にディアへ行こうかと悩んでいたからだ。
「ありがとうアデルちゃん。急にごめんなさいね」
「お久しぶりですアデル様」
3人は久々の再会とばかりに微笑み合う。
タイプが違う美女が3人も笑顔を見せている光景は正にこの世の天国といったところか。
だが実際3人が前回会ったのはカナンの3歳の生誕祭で、それからまだ2ヶ月と経ってはいない。
なので「いや、ついこないだ会ったじゃん?」と思っているルカリオが3人を見る目は冷静過ぎるほど静かなもので、離宮の侍従たちは『美女3人を前にあの態度とは…』『あれほど強い心を持っていないと王太子妃付きにはなれないのだろうな…』という間違った認識による尊敬をルカリオに向けていた。
「今日はルナちゃんはいないのね」
「はい。専属侍女用の部屋にお引っ越しするためにお休みにしてもらいました」
場所を応接間に移してすぐにルリアーナはアデルがルナではない侍女を連れているのを見て言う。
専属侍女になったと聞いたからてっきりルナも来ていると思い、どうやって席を外してもらおうか考えていたが手間が省けて好都合だ。
「なら今のうちにイザベルちゃんの相談をしてしまってもいいかしら?聞かれて困ることではないけれど、内緒でサプライズというのも面白いでしょう?」
ルリアーナはルナにサプライズを仕掛けているシーンを思い浮かべてくすくすと笑う。
事情を知らないアデルは「サプライズ?」と首を傾げ、相談者本人であるイザベルは「それはいいアイディアです!」とルリアーナにキラキラした目を向けた。
「今日ここに来たのはね、イザベルちゃんがルナちゃんが専属になって喜んでいるアデルちゃんにお祝いの品を送りたいけれど、何を贈ったらいいか迷っていると相談されたからなの」
「…え?」
「私が何かを選んでもよかったのだけれど、どうせなら本人の望むものを贈ったらいいんじゃないかと思って、アデルちゃんが今欲しいものを聞きに来たのよ」
「……ええっ!?」
いまだ笑みを浮かべるルリアーナから来訪の目的を教えられ、アデルは戸惑って声を上げた。
確かに急な来訪はルナが専属侍女になったことと関係があるだろうとは思っていたが、まさか祝いの品は何がいいかと聞かれるとは思ってもいなかったのだ。
というか、この場合祝われるのは厳しい試験を乗り越えて侍女になったルナであるはずで、何故自分が祝われることになるのかわからなかった。
「ええと、私に、ですか?」
アデルは聞き間違い、言い間違い、とりあえず何かの間違いではないかとルリアーナを見て、イザベルを見る。
しかし返ってきたのは苦笑とブンブンと勢い良く振られる頭だけで否定はない。
つまりはプレゼントの送り先は自分で間違いないということだ。
「何故…?」
しかしだからと言って「じゃあこれください!」というほどアデルは無遠慮ではない。
暗に送られる理由がないとアデルはイザベルに重ねて問うた。
「あの、ごめんなさい、やっぱり、迷惑…ですよね?」
一方のイザベルはアデルの困惑を感じ取って申し訳なさそうに眉をハの字にする。
だがルリアーナがアデルにお祝いを贈りたいと言った自分の行動を否定しなかったことから、決して的外れで頓珍漢な行動ではないはずだと己を鼓舞した。
「私、アデル様に命を助けていただいてからもずっと気に掛けてもらえて、と、友達だって言ってもらえて、すごく嬉しかったんです」
イザベルは遠慮がちにだがしっかりと自分の思いをアデルに伝えようと懸命に口を動かす。
「だから、アデル様からルナさんが専属侍女になって嬉しいってお手紙をいただいた時、お祝いをしたいと思ったんです。友達が嬉しいと思ったことにおめでとう、よかったねって言いたくて」
「イザベル様…」
胸の前で祈るように手を組んで、イザベルは真っ直ぐにアデルを見る。
アデルの方はそんな風に思ってくれていたのかと驚きと感動で目を見開いていた。
自分は偶然気がついただけで、その後のことは人として当然の、助けられる手段があったから手を差し伸べただけのことだというのに。
そんなに恩義を感じてくれているとは思ってもみなかった。
だがそう思っているアデルのその顔が、イザベルには自分の身勝手な願いに呆れているように映った。
そう思えば、今までの自分の浮かれたような発言が急に恥ずかしく、浅ましく、独りよがりなものに思えていく。
「私、今まで散々迷惑を掛けてて、そんな私からプレゼントを贈ってもいいものかわからなくて、やっぱりルナさんに贈るのが正しいとは思ったんですけど、でも贈りたい気持ちがずっとあって、でもアデル様にとって価値のないものだったらって思うと怖くて、嫌われちゃうんじゃないかって、思って…」
だからネガティブな思いを口にし、アデルがそのままの表情で固まっているのを見て、突然涙が溢れてしまった。
「ごめんなさい!こんなことで国まで押し掛けて、忙しいアデル様に迷惑を掛けてしまって…。や、やっぱり私帰ります!!」
イザベルはそう言うと勢いよく立ち上がり、ガタリとテーブルに足を打ちつけたのにも構わず部屋から出て行こうとする。
「へぁ!?ちょ、イザベルちゃん!?」
「イザベル様!?」
当然2人はそんなイザベルの行動に驚き、制止しようと思ったのだが。
その前に、ぐらぁ、とイザベルの世界が歪んだ。
「……はれ?」
立っていられなくなったイザベルは床に座り込み、回る視界を制御しようと目元に手を当てた。
しかしそんなことでは視界は戻らず、イザベルはすぐに倒れ伏す。
「イザベル様!!」
「ルカリオ!すぐにお医者様を呼んでちょうだい!!」
「はいよー」
アデルはあの時のイザベルが小道で倒れていた姿がフラッシュバックして慌てて駆け寄り、ルリアーナはすぐに医者に診せるべきだとルカリオに指示を飛ばした。
そうして和やかだったはずのお茶会は慌ただしく幕を閉じた。
「う、う…ぅん?」
「……気がついたかしら?」
「イザベル様!?」
目を覚ましたばかりのイザベルの目に、ベッドに横たわる自身の傍らに付き添うルリアーナとアデルの姿が映る。
意識が朦朧とし、霞がかかったような思考の中で、その光景は7年前の記憶を思い出させた。
まだ前世の記憶が戻っておらず、婚約破棄をされて捨てられて、もうここで自分の命が尽きるのだと思って諦めていた時に見た、美しく貴い光。
イザベルにとって、大袈裟でなく人生が変わった瞬間の、一生忘れられない光景が。
「あの…、私…」
イザベルは急いでベッドから起き上がろうとする。
あの時とは違い今の自分は健康体であるからすぐにそれは叶えられたのだが、目の前の美女2人は慌てて支えるためにと手を伸ばしてくる。
それが申し訳ないながらも嬉しくて、イザベルの目はまた潤み出す。
自分でも何故こんなに涙が出るのかわからない。
だが、最近1週間ほど妙に感情が抑えられず、すぐに泣いてしまうのだ。
「またご迷惑をお掛けしてしまって、本当に申し訳ありません」
イザベルは指でそっと涙を拭いながら2人に頭を下げる。
それもまた7年前のことを思い出させ、あの時から自分は成長できていないように感じた。
「いいのよ。それよりもお医者様が急いでイザベルちゃんに伝えなくてはいけないことがあるとずっと待っていらっしゃるのだけれど、今呼んでもいいかしら?」
ルリアーナは俯くイザベルの頭を宥めるようにポンと軽く撫でる。
そしてイザベルが小さく頷くと、侍女に医者を呼ぶように伝えた。
ややして現れた医者の言葉は3人の予想をはるかに超えており、部屋は一瞬沈黙に包まれた。
「あ、あの、ほ、本当、に…?」
イザベルは自分の身に起きたことが信じられず、にこにこと温かな笑顔で自分を見る医者に訊ねる。
本当に間違いなく、そうなのかと医者を見つめる瞳でも問う。
「ええ、本当ですとも」
年嵩の医者は自分の言葉を信じていないようなイザベルの態度にも気を悪くした素振りも見せず、むしろ笑みを深くして、再度同じ言葉を告げた。
「イザベル様はご懐妊していらっしゃいますよ」
それは晴天の霹靂とも言うべき衝撃を持ってイザベルを打ち、彼女の体をベッドへと戻した。
読了ありがとうございました。




