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ヴァルトとルリアーナの婚約から1ヶ月後、ヴァルトは立太子の儀式を終え、正式にディア国王太子になった。

それで今すぐ何が変わるわけではない、とルリアーナを始め多くの貴族が考えていたが、事態はルリアーナの予想外の方向へ舵を切ることとなる。


「ジーク殿下を堕落させ、未来の国母となられるバールディ公爵家令嬢を害そうとしたカロン・フラウを斬首に処す」

ディア王宮審判の間。

国家に害を及ぼした罪人の姿と罪状を国主が確認するために存在する一室に宰相の厳かながら朗々とした声が響く。

その声を聞いたのは国主である国王と王太子であるヴァルト、そして罪人であるカロンとカロンを連れて来た騎士団長のみ。

100人近い人間が収まりそうな大きな部屋で、1人の少女の死が決定づけられた瞬間に立ち会ったのはたったの4人であった。

言い渡されたカロンは初めて入る王宮の見覚えのある玉座にある国王の、その隣に立つヴァルトを見る。

本来であればそこにはジークがいるはずで、さらにその隣の今は空白の場所には自分がいるはずであったのにと約束されたはずだった未来を幻視して目を細めた。

けれど実際には悪役令嬢たるルリアーナがいるべきはずの場所に自分は跪かされており、カロンとして生きた、かつて松本加奈絵と呼ばれた少女の2度目の人生の終わりがたった今決定した。

その場に立ち会ったのが自身の未来の夫と定めたジークの父である国王と弟である王太子、一番のお気に入りだったローグの父である宰相、一番自分に入れ込んでいたフィージャの父である騎士団長だったのはなんの嫌味だ。

何も言葉を発せず、しかし自嘲するように口元を歪ませ、カロンは静かに牢屋へと戻って行った。


松本加奈絵。

その名が示す通り、そしてルリアーナの推察通りカロンは転生者である。

彼女はいつからかわからないくらい幼い頃からここではない世界で生きた少女の記憶を毎夜夢で垣間見ていた。

幼い頃はそれがなんなのか全く理解していなかったが、成長し知能が育つとその夢には特別な意味があるとわかるようになった。

恐らくこれは自分の前の人生なのだろうと。

それを確信したのは自分と同じように年々成長する夢の少女がやがて高校へ通うようになり、そこで『異世界転生』という事象を知って、それを題材にした物語にのめり込むようになった時だ。

多くの主人公が自分と同じように前世の記憶を持っていて、その知識を元に異世界で活躍する。

ならばそれと同じ状況にいる自分にもそれができるのだとカロンは絶対の自信で以って活躍の機会を窺っていた。

その後夢の中の加奈絵が『君のとなりで2』という乙女ゲームと出会った時、カロンは『自分が君のとなりで2に乙女ゲーム転生をした』ということに気がつき、同時に自分の為すべきことも理解した。

ややして加奈絵は交通事故で亡くなりそれ以降その夢の続きを見ることは叶わなくなってしまったが、それでも加奈絵は乙女ゲームをクリアしてから死んだため、カロンはこの世界での自分の立ち位置―即ち自分がヒロインという物語の主人公であることを知っていた。

だから自分はこの後王立学園へ通って王子たちと出会い、その中の誰かと恋に落ちて幸せになるのだと、それが彼女に課せられた義務なのだとさえ思っていた。

『今の自分は交通事故で死んだ不幸を神様が憐れんだ結果』だと思っていたし、『この世界の主人公として何をしても許される』とも思っていたし、『ゲームにはないハーレムエンドができるかもしれない』とまで思っていた、思ってしまっていた。

その結果が現在の彼女の姿であるので、それは間違っていたのだろう。

だがその勘違いの報いが死罪とは。

「……絶望しすぎて涙も出ないわ」

カロンは瞑目し、あの日を、卒業パーティーの前日を思い出す。

ルリアーナたち悪役令嬢を断罪すると言ったジークの、ローグの、フィージャの、アシュレイの、ユージンの、ニカの、自分を見る昏い瞳を。

それを見た時、確かにカロンは迷ったのだ。

果たしてこれでよかったのか、と。

「あの時思いとどまっていれば、結果は変わったのかしら…」

答えはわからない。

だが自分が次にここから出る時は死ぬ時だろうと、それだけははっきりとわかっていた。


「カロンの処刑が決まった…!?」

王妃の招待によって王宮に赴いたルリアーナはまたも同席したヴァルトが言った言葉を鸚鵡返しに、しかし彼よりも2倍近い声量で繰り返した。

「どうして…っ」

普段ならその不敬を自ら律する、と言うよりも最初から犯さないルリアーナがそれに気づきもしないまま言葉を次いだあたりに彼女の心情を察した2人は同じ顔で笑うと彼女に座るよう促す。

気がつけばルリアーナはテーブルに手をついて立ち上がっており、王族である2人を見下ろしていたのだ。

度重なる不敬にようやく気づき、「…し、失礼しました…」と気まずげに椅子に腰を下ろした彼女はしゅんと小さくなる。

「驚くのも無理ないわ。一応面識もあることですし」

「あまりいい面識じゃないけどね」

ほほほ、ふふふ、と笑い合いながら、2人は羞恥に顔を染めるルリアーナに事情を説明する。

「実はね、話自体は元々あったんだよ。具体的にはルリアーナ姉様が婚約破棄を言い出した辺りから」

「…え?」

説明を始めたヴァルトの言葉にやっと顔を上げたルリアーナは、しかしその言葉に首を傾げる。

「だって、私の可愛い可愛いリアちゃんが急にお嫁に来ないって言い出したのよ?当然理由を調べるでしょう。そうしたらあの女のせいだって言うじゃない。これはもう殺るしかないかなって…」

「母様、姉様が引いてるよ」

「あら?…こほん、失礼」

王妃は悩ましげな顔で頬に手を当てながら何故そんな話が出たのかをルリアーナに説いたが、ぽろっと漏らしてしまった本音にルリアーナは軽く引いた。

穏やかで麗しい、全令嬢の憧れと言っても過言ではない王妃の中身がただ者でないことくらいヴァルトを見ていればわかるが、まさか彼とほぼ同類だとは思っていなかったからだ。

ヴァルトはそんなルリアーナを見てくすりと笑うとそっと彼女の手を取って宥めるように撫でる。

「でもその時は学園内の出来事だし、兄様がしっかりしていなかったせいでもあるのだから、いくら何でもそれだけで民を処刑までするのは、って父様が反対したんだ」

ゆっくりと滑らかな肌を堪能するように動くヴァルトの指に戸惑いながら、ルリアーナは彼の話の続きを待つ。

「けれど卒業パーティーの日、あの女はこともあろうに姉様を陥れようとした。それで父様もぷっつりきちゃってね、やっぱりあの女は殺ろうって話になったんだけど、まだちょっと足りなくて」

説明の合間にビクッと震えたルリアーナの手をきゅっと握りしめ、ヴァルトは笑みを深くする。

同時にぞくりとした不穏な気配を感じて王妃を見れば、確かな血の繋がりを感じさせる笑みがその顔を彩っていた。

「他にも何かないかって騎士団に行った兄様やローグ兄上にあの女のことを聞きに行ったんだ。そしたら『あの時は酷く盲目的で、物事をカロンを中心にしてしか考えられなかったが、今では何故あんなことをしたのかわからない』って言い出して。それなら、もしかしたらあの女は何か特殊な能力、例えば人を洗脳できたり、惚れ薬みたいなものが作れたりするんじゃないかって話になったんだよ。それなら危険人物だから国家の敵という大義名分の下処刑できるから問題ないんじゃないか、って」

「そんな危険な女を生かしておくなんて、リスクが高すぎますものね」

ほほほ、ふふふと先ほど同様に笑う2人は、よく見ると全然目が笑っていなかった。

むしろにじみ出る怒りによって目元には昏い影が差している。

一方のルリアーナは淡々と告げられるカロンの多すぎる死亡フラグと避けられなかった処刑に対して『え?このゲームって悪役令嬢でも処刑されないんだけど、罪重くない?』と冷や汗を流していた。

第一あの6人がカロンに惹かれたのはゲームの設定によるところが大きいのだから、怪しげな能力があるとかそんな理由で彼女を処刑にする必要などないのだ。

かと言ってそれを説明するのは難しく、さてどう思いとどまらせたものかとルリアーナが焦っていると、

「まあ、そもそもリアちゃんが婚約破棄を言い出した時点で許す気はありませんでしたから、こうなることは必然でしたね」

王妃がそう言ったので、自分が婚約破棄を打診したことが一番の死亡フラグだったのだと知った。

「そんな…」

そのことに少なからずショックを受けていると、いまだに手を握っていたヴァルトがその手にぐっと力を入れ、

「姉様のせいじゃないからね?責任は兄様に近づいたあの女と、まんまと落ちた兄様にあるんだから」

そう言って少し青褪めていたルリアーナに笑い掛けた。

それは今まで見せていた昏い影の差した笑みではなく大切な人へ向けての温かな笑みで、少しだけルリアーナの心を軽くした。

「そうですよ。それに、結果的にリアちゃんはヴァルトのお嫁さんとして嫁いでくれることになったし、ヴァルトは長年の片思いを実らせた。ジークのことは残念だけれど、反面いいこともあったのよ?」

続いて王妃もそう言っていつもの彼女らしい穏やかな笑みを浮かべていたので、ルリアーナの気持ちはさらに幾分か上向いたが、そこでふと気がついた。

「そういえば、レティは、レティシアはどうなったのです?」

それはヴァルトの元婚約者、レティシア・アイル・メランドのことである。

ローグの妹である彼女は当然ルリアーナの遠縁でもあり、未来の姉妹となる以前から縁のある相手だ。

自分がヴァルトの婚約者となったことで頭がいっぱいだったため今まで彼女の存在に意識が向かなかったのは我ながら薄情だとは思うが、気がついてしまえばものすごく気になる。

なにせカロンが自分から婚約者を奪ったのだとしたら、自分はレティシアから婚約者を奪ったことになるのだから。

しかもカロンは確定していた未来だが、レティシアは不幸な偶然だ。

もしそのせいで彼女の将来の予定が大幅に狂ってしまうのなら、なんとしても彼女に婚約者の地位を返したい。

「そんな顔をしなくても大丈夫ですよ。レティにはルイの婚約者になってもらいました」

けれど王妃はまたも穏やかな笑みと共にルリアーナを安心させるための言葉を発した。

「…ルイ様の?」

確かにまだ彼には婚約者はいなかったな、と思い出し、であればそれはつまり、とその言葉の意味するところを理解しようと、ルリアーナは考える。

レティシアは現在7歳、ヴァルトの6歳下である。

ルイはヴァルトの8歳年下だから現在5歳。

ということは、ルイとはヴァルトとよりも年が近く、彼女のためにはむしろこちらの方がいいのかもしれない。

しかもヴァルトの婚約者選びが大いに難航したために、彼女がヴァルトと婚約したのは数年前だ。

まだ年若く傷も浅いことを考えれば、何も問題はないかもしれない。

レティシアの意見を聞いていないので、あくまでも『かもしれない』ではあるが。

「レティなら大丈夫だよ。あの子は別に僕と結婚したいわけじゃないから」

ヴァルトもその考えを読んだ上で後押しするように笑いながら今度はルリアーナの手を弄ぶ。

「ええと、それは、どういう…?」

むにむにと手入れの行き届いた柔らかいルリアーナの手を楽しそうに揉んでいるヴァルトに「そろそろ手を離してくれないか」と言い出せないまま、ルリアーナは言葉の意味を問う。

レティシアも神童と言われた兄のローグに似て聡明だが、まだ7歳児。

わけがわからないまま婚約破棄では可哀想ではないか。

そう思っていたが、違うのだろうか。

「うーん、流石にそれを僕の口から言うのは、なんていうかアレだから、本人に聞いてくれると助かるなぁ」

しかし返されたのは珍しく答えでもヒントでもなく先送り。

「そ、そうですか…」

ならば余程言い難いような理由なのだろうと察して、ルリアーナは無理やり話題を逸らそうと王妃へ話を振る。

「それにしても、ええっと、その、…王子がいっぱいいてよかったですね!」

だが焦ってあまり気の利いたことが言えず、しかも口をついて出た言葉はあまり逸らせていない話題だった。

思わず心の中で頭を抱え、「何言ってんの私!!」と悩める熊よろしく身を捩っていたのだが、

「ふふふ、こんなこともあろうかと思って」

変わらない穏やかな笑みを浮かべた王妃の言葉に、今度は薄ら寒い恐怖を感じてぶるりと身を震わせた。

ヴァルトのような思考回路を持つ王妃が想定した『こんなこと』が何か。

思い当たらないような思い当たりたくないような気がして、とりあえず怖すぎる。

「ともかく。この決定はもう何があろうと覆らない。兄様は廃嫡されて国境守護騎士に。僕は王太子に。姉様は僕と結婚して王太子妃に。あの女は死刑に。それで今回の事件は終わりだよ」

パンッとヴァルトが些か強めに手を打ち、話を締め括ったところでお茶会もお開きとなった。

同時にそれは、絶対にルリアーナではカロンを助けられないというヴァルトからの締め出しでもあった。


なお、後日気になったので時間を作ってレティシアに会いに行き、婚約者が変わったことをどう思っているのか尋ねてみた。

「ああ、それですか?」

サロンでクッキーを頬張りながらこてんと首を傾げたまだあどけない少女は「んー」と斜め上を見上げ、

「お父様は『王家へ嫁げ』と仰いましたので、嫁ぐ先が王家であれば第二だろうと第三だろうと王子には変わりありませんから問題ありませんわ。それにこちらが分家ですから、下手に私が王太子妃や王妃にならずに済んでお父様はむしろほっとしているご様子でした」

大した思い入れもなさそうにそう言ってくぴっと紅茶を含む。

その言葉に「ええー…」とルリアーナが引いたような困ったような声を上げていると、

「それに今からならルイ様を私好みの殿方に育てられますわ。正直他の女のことしか考えていないような方なんて御免でしたし…」

ぼそりと、かろうじて聞こえる程度の音量でのレティシアの呟きが耳に届いた。

それがまるで吐き捨てるかのようだったなんて、きっと自分の気のせいだとルリアーナは喉まで込み上げてきた気持ちと言葉を残っていた紅茶で胃へと押し込んだ。

冷めてしまったことと最後の一口だったことが原因か、紅茶の苦みと渋みが増しているように感じた。

生粋の貴族は幼くても恐ろしい。

読了ありがとうございました。

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