エピローグ
最終話です。
それから1年後。
すっかり城の一員となったベリアルと魔王がヴァルトやルカリオと共に小さな扉の前で右往左往していた。
「ま、まだかな!?」
「ま、まだだと思う…けど…」
『でももう4時間ですよ!?』
「ルリアーナ様、大丈夫かなぁ?」
4人が入り乱れてあっちへうろうろ、こっちへうろうろと動き回りながらそんな何の実にもならない会話を交わすこと、さらに1時間。
『……ぅんにゃ、ふぅう、うにゃ、んぎゃぁ…』
扉の向こうから待ちに待った声が不器用に泣いているのが聞こえてきた。
まるでこの世に出ることに不安を抱いているような、身の置き場が本当にあるのかと恐れているような小さな声だ。
「う、生まれました!!」
「王子殿下です!!お世継ぎ様ですよ!!」
だが周りはそんな赤子の不安など吹き飛ばすような歓喜の声に溢れる。
取り上げた医師も助産師も、全員が次代の王族の誕生を喜んでいた。
そのことに勇気をもらったように、生まれた赤子はやがて火がついたように大きく泣き出した。
「う、生まれた…!!」
「旦那!あんた父親だぜ!!」
「おめでとう~」
『我が主もとうとう母親に…』
ヴァルトは信じられない思いで、ルカリオと魔王は心からの言祝ぎで、ベリアルは感慨深い思いで、それぞれがそれぞれの思いと言葉で喜びを表す。
彼らは新たな命との対面を心待ちに、早く許可が出ないかと扉をより一層注視して拳を握っていた。
ガチャリ
そして程なく扉は開き、「おめでとうございます」とヴァルトに笑みを向けた主治医に抱えられた小さな王子がヴァルトに差し出される。
王子は小さな両手を握りしめて、「ふぎゃあ、んきゃぁ」と一生懸命に泣きながら、初めて父親に抱かれた。
「この子が、僕とリアの子…」
ヴァルトは込み上げる愛しさを笑顔に変えて柔らかな頬をそっと撫でる。
その小さな命を抱えて、ヴァルトの幸せは最高潮に達していた。
「あれ、でもさ」
そこでふとルカリオが言う。
「確か、姫さんはカロンを産むって言ってなかったか?」
その言葉に、ヴァルトの手がぴたりと止まる。
もちろん忘れていたわけではないが、今はむしろ忘れていたかった。
「なのに生まれたのは王子って、もしかしてコレ、カロンじゃない?」
ルカリオはヴァルトの心情を読まずに首を傾げる。
主の夫と言うよりも友人としての意識が強いヴァルトの心の機微よりも、主が産んだ子供の正体の方が気になったのだ。
「ちょっと、僕の息子をコレって言わないでくれない?」
同じく妻の護衛と言うよりも同じ苦労を背負う同志としての意識が強いルカリオの言い様にヴァルトは異議を唱えるが、内心では彼と同じことを思っていた。
こんなに愛らしい息子が、敵とは言えないまでも蟠りが完全に解けたわけではない人物の生まれ変わりであるなどと、とても信じられなかったからだ。
「えっと、どうなの?ベリアル」
2人の疑問に自分では答えられない魔王はついと横のベリアルを見上げて問う。
きっと悪魔の彼なら、赤子の魂を見ることができると思ったから。
『そうですねぇ…』
ベリアルは『くくく』と低く嗤いながらヴァルトとルカリオを見て、
『結論から言えば、この子は間違いなくあのカロンという少女の生まれ変わりですよ』
残念でしたね、とさらに嗤いを深くした。
「へぇ、カロンは男の子になったのね」
その後、産後の処理や湯浴み、着替えなどをしてルリアーナが落ち着いた頃、4人は彼女の元へ訪れてベリアルの結論を伝えた。
その腕にはしっかりと赤子が抱えられており、母親の腕の中で安心したのか、赤子はくうくうと愛らしい寝息を立てている。
『ええ。どうやら自分で選択したようですね』
ベリアルは恭しく頷くと、赤子を一瞥する。
『通常、人は生まれ変わる際に天界へ行きます。そこで望めば別の性で生まれ変わることができるのですが、彼女は直接貴女の中に入って転生した。それも大変珍しいことですが、それによって性別が変わることはもっと稀なのです。それこそ本人が強く望まない限りあり得ない。人の性を変えるというのは、魂を作り替えることと同義ですから』
そう言って、ちょんと爪の先で赤子の胸を突く。
その先にある魂を指差すように。
『以前この子の魂の色は薄桃色でした。ですが今は燃え盛る炎のような紅です。きっと我が強くて血気盛んな子になりますよ』
ベリアルがそんな予言めいたことを言うのと、赤子が泣き出すのはほぼ同時だった。
赤子はベリアルの指を跳ね除け、懸命にルリアーナの服や髪の毛を引っ張っている。
『ほらね?私が触るのを嫌がる。というよりも他人との接触を望んでいない。貴女を除いて』
「私?」
『ええ。母親だからではなく、貴女だから受け入れているようです。これから苦労しますよ』
慣れないながらも年の離れた妹の世話を手伝っていた前世の経験から「よしよし」と宥めながらルリアーナは不思議そうな顔をするが、ベリアルは笑うばかりでそれ以上を語らなかった。
魂からある程度の感情を読み取れる彼は、しかし読み取った赤子の心境全てを伝えることを善としなかった。
何故なら。
『その方が面白い反応が見られそうじゃないですか』
思わず漏れてしまったその本音は、幸いなことに誰にも聞かれることはなかった。
「それで、この子の名前なのですが…」
再び眠りについた赤子を抱え直し、ルリアーナはヴァルトを見る。
「カナン、と付けてはダメでしょうか?」
そして母親に拾ってきた猫を見せて「飼ってもいい?」と訊ねる子供みたいに恐る恐る進言した。
「…カナン?」
「ええ、加奈絵とカロンの分も幸せにすると約束したので、2人の名前を混ぜてみたのですけれど」
首を傾げるヴァルトにルリアーナは由来を説く。
新たに生まれた子と彼女らを一緒にするわけではないが、名前に彼女たちの痕跡を残したいと思ったのだと。
それは「絶対に約束を違えない」というルリアーナの決意の表れでもあった。
「そっか」
ヴァルトはそう言って微笑みながらルリアーナの腕の中で眠る赤子を見る。
気のせいかもしれないが、その顔が笑っているように見えた。
ベリアルの話によればその子が唯一望んでいるのはルリアーナらしいので、ならば名前も彼女に与えられたものの方が嬉しいだろう。
「うん、いいよ。王族の名付けにルールはないしね。この子は今からカナンだ」
ヴァルトは決めるや否やさっと紙を取り出し、さらさらと何やら書きつける。
「ミドルネームは父上が決めるって張り切っていたから、カナンという名前に合うものにしてくれるように伝えよう」
数行だけ書いてペンを置くと、チリチリンと鈴を鳴らして侍女を呼ぶ。
そしてその紙を三つ折りにすると封を押し、国王に渡すよう指示を出した。
簡易だが、急ぎ伝える時の手紙の作法には乗っ取ったのでいいだろう。
ヴァルトは「どんな名前になるのか楽しみだね」と再びルリアーナに笑い掛けた。
その日の晩餐時、「うぉっほん」という随分とわざとらしい咳払いで自分に注目を集めた国王はいそいそと懐から巻いた紙を取り出した。
「新しい王子の名前は、カナン・ロエ・ディアとする!!」
そしてヴァルトとルリアーナの顔を見ると、紙をくるりと返してそこに大きく書かれた名前を2人に見えるようにしながら読み上げた。
王妃にはすでに伝えていたため、あくまで2人に知らせるためにとそうしたようなのだが、偶然にも国王が選んだ文字はカロンと加奈絵からカナンを取った残りの文字と同じで、「ぶふっ」「ふうぅっ」とヴァルトとルリアーナは吹き出してしまった。
口にものが入っていなくて本当に良かったと思う。
「なんだ、どうした?何か拙かったか?」と慌てる国王に、2人は不敬だと思いつつもしばらく何も答えることはできなかった。
まさかそんな偶然があるだなんて思ってもいなかったのだ。
ただ、決まった名前にはとても満足していて、ややして落ち着いた2人は多大な感謝と共に国王に深く頭を下げた。
こうして乙女ゲームに転生しただけだと思っていたルリアーナの人生は、紆余曲折あったもののようやく当初の望み通り穏やかなものとなった。
だが、穏やかに見えても小さな波乱は目白押しで、最近では6歳になったカナンとヴァルトが毎日のように言い合いをしている。
「何度も言いますけど、僕を婚約させたかったらお母様以上に美しく聡明で慈愛に満ちた女性を連れてきてください」
「そんな女性、いるわけがないだろう!!」
「知ってます」
「なら妥協しろ!」
「嫌です」
「カナン、我がまま言わないの」
「だって、父様だけずるいです!僕もお母様と結婚したかった!!」
「はいはい、ありがとね」
こんな会話が毎日だ。
いい加減2人とも飽きないだろうかと抱きついてきたカナンを抱きしめ返しながらルリアーナは独り言ちる。
けれど当たり前のように繰り返されるこの会話が、確かな幸せをルリアーナに感じさせてくれていた。
「リアから離れろ」
「ああ!?酷い!!」
「酷くない!王族ともあろう者がいつまでもベタベタと…」
再び言い合いを始めたヴァルトとカナンを放って窓の外を見れば、幾つかの白い雲が浮かぶ青空に数枚の白い花弁が風に飛ばされ舞い上がっていくのが見えた。
「……私はヒロインではないけれど」
ルリアーナは桜吹雪のようにも見えるそれに手を伸ばし、ぱしりと一枚花弁を掴んだ。
「これからもこの幸せを手放さずに、今度こそ笑顔で人生を終えてみせるわ!」
そしてその決意の言葉と共に、掴んだ花弁を再び風に飛ばす。
小さな花弁はどこまでもどこまでも空高く登っていき、やがて見えなくなった。
長らくお付き合いくださった皆様、ありがとうございました。
当初の予定ではもっと救いのない終わり方だったのですが、書いているうちにこうなりました。
納得のいかない方もいらっしゃるかもしれませんが、私の結論はこうでしたので受け入れてくださると嬉しいです。
この後余裕があったら番外編など載せたいなーと思っていますので、その際にはまたよろしくお願いいたします。
(前もそんなこと言ってあげなかったので状況次第ですが^^;)