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吐息に飛ばされた魂たちはふわりと浮き上がると、揺らめきながら朧げな人の形を取った。
漆黒の魂はクレッセンに肉をつけて精悍にして髪を伸ばしたような姿に、青黒い魂は前世で見た神狩勇気の姿に、そして薄桃色の魂は膝を抱えて蹲るカロンの姿に。
「カロン…」
ルリアーナは懐かしいその姿に一歩足を踏み出す。
しかし彼女の瞳は固く閉ざされ、殻に閉じこもるように縮められた体と同じように開く気配を見せない。
だが他の2人はすぐに薄く目を開き、今の状況に戸惑うように視線を彷徨わせた。
『さてカガリ。契約に従い貴方の魂と生贄となる3人分の魂をいただきに参りました。あと1人分、今すぐ用意していただきましょうか?』
悪魔は契約者だからか幾分丁寧に神狩に話し掛ける。
けれど肝心の神狩は状況が飲み込めないこともさることながら、用意した覚えのない2人分の魂の存在に首を捻った。
『何故だ?俺はまだ優里花と結ばれていないし、あの3人に復讐も果たしていないぞ』
だから悪魔にそう答えたのだが、それを聞いた悪魔は一瞬目を瞠った後、額に手を当てて笑い始めた。
『あっはははは!!貴方まさか、自分が死んだことにも気づいていない!?これは傑作だ』
『は?』
『足元を見て御覧なさい。今世の貴方の死体がありますよ』
突然大笑いし始めた悪魔に今度は神狩が目を見開くが、聞こえてきた言葉にさらに目を剥き、慌てて足元に視線を遣る。
するとそこには確かに喉にナイフを突き刺されて事切れているクレッセンの遺体があり、悪魔が嘘を吐いているわけではないと悟り、しかし何故自分が死んだのかは理解していない状態だった。
『何故、いつ、誰が!?』
神狩はギョロギョロと視線を巡らせ、ルリアーナに目を留める。
神狩から一番恨みを買っているのは自分だから仕方がないとわかってはいるが、どうして皆私を見るのだろうかと、目が合ってしまったルリアーナはため息しか出ない。
しかもきっと彼はルリアーナが自分を殺したと思っただろう。
ルリアーナに凶悪な顔を向けると、案の定『お前か!!』と吠えた。
「あ、違う違う、俺だよ俺」
しかしその間にさっと割り込んだルカリオが気楽な様子で手を振りながら神狩に言う。
そして腰からもう一本ナイフを取り出して「ほらな?」とそれを見せると、くるりと持ち直しクレッセンの遺体に向けて無造作に投げつけた。
その切っ先は過たずにすでに動いていないクレッセンの心臓を一突きにする。
そのせいで聖堂内にまた血の汚れが広がったが、ルカリオもルリアーナも今更だと思って気にしないことにした。
「てか姫さんにこんなことできるわけないだろ」
ルカリオは「全く死にたてだからって焦り過ぎだぜ?」と笑うが、当然ながら笑っているのは彼だけだ。
いや、悪魔も笑っているというか、ニヤニヤと嗤っている。
『そんな…』
神狩は何一つ目的を遂げられないまま自分が死んだことを嘆くようにその顔に絶望を浮かべるが、前世の自分の行いの報いが来たのだと諦めてもらおう。
『理解できたようですね?では、あとの1人は誰にするので?私としては美しい女性だとより嬉しいのですが』
悪魔はニヤニヤしたままさっさと話しを戻すと、項垂れている神狩に問う。
契約の対価は神狩を含めた4人分の魂。
今ここにはあるのは3つの魂だから、もう1つ用意して然るべきだと。
だが待ってほしい。
「ねぇ悪魔…さん?ちょっといいかしら」
ルリアーナはルカリオを下げて1歩進みながら悪魔に待ったをかける。
もちろん神狩を助けようというわけではない。
「そこにいるカロンなんだけれど、その子は関係ないから連れて行かないでくれないかしら?」
「……リア?」
隣にいたヴァルトはその言葉に驚く。
カロンとは因縁とまでは言わないが決して友好的な関係ではないのに、その彼女の魂を守るようなことを言うのは何故なのかと瞳を揺らす。
彼女のせいでヴァルトは兄を失い、ルリアーナを得た。
だから彼女に向ける感情は恨みだけではないが、それでもやはり好意的な感情は抱けない。
しかしルリアーナは彼の雄弁な目から言いたいことを読み取ると苦笑を返し、
「私は一度カロンを見捨てました。あの時は確かに相容れない関係でしたけど、でも今は彼女のことを知ったから、もう見捨てられない」
そう言って悪魔の顔を見る。
「その子は2度も不幸な最期を迎えたわ。だから次は絶対に幸せにならなきゃいけないのよ。悪魔の生贄になんて、絶対にさせられないわ」
だから連れて行かないでとルリアーナは悪魔に訴えた。
悪魔はそれに面白そうな目を向けると、
『なるほど。では貴女が彼女の代わりに生贄になると?』
そう言ってにぃっと薄気味悪い嗤いを浮かべた。
ただでさえ足りないのにそこからさらに奪おうというのだから、それが筋だろうと。
「いいえ」
だがルリアーナは拒否を示す。
「契約か何か知らないけれど、そもそもその身一つで賄えないならばそれは不釣り合いなものよ。等価でない契約なんて成立しないわ。それに、もしそれを認めたところで神狩勇気の望みは叶っていないのだから、それって契約不履行って言わないかしら?」
さらに現状を踏まえて悪魔に反論までする。
気の弱いフージャやシャーリーは『この人の胆力どうなってんだ』と元々青褪めていた顔を別の意味でさらに青くしていた。
『いいえ?私とカガリの契約は『彼の望みを叶えられる世界を創ること』。対価と不釣り合いかはさておき、この世界を創った時点で私の仕事は終わっている』
悪魔は律義にルリアーナの言葉に答える。
まるで自分に臆せず向かってくる彼女との会話を楽しんでいるかのように、その声には喜色が混じっていた。
「あら、じゃあやっぱり不履行じゃない」
ルリアーナもルリアーナで悪魔との対話を面白がるように顔に笑みを刷く。
何より今の言葉で、ルリアーナは勝利を確信した。
「だって、現状この世界は『神狩勇気の望みが叶っていない世界』だもの。彼の努力が足りなかったのもあるでしょうけど、世界を創って「はい、頑張って」じゃ、ちょっと無責任すぎたんじゃないかしら?」
ねぇ?と笑みを深くしてルリアーナは悪魔の目を真っ直ぐに見た。
「契約通りの世界にならなかったのは監督を怠った貴方の責任でもある。だから対価を全て支払う必要はないわ」
そして晴れやかな笑顔でそう言い切った。
それはもう気持ちがいいくらいに。
だからだろうか。
言われた悪魔は怒りもせず反論もせずにじっとルリアーナを見ていた。
それこそ穴が開きかねないと思うほどにじっと。
周りの人間はその沈黙の視線にハラハラして いるが、ルリアーナは平然とそれを受け止めている。
どのくらい黙っていただろう、ややして悪魔は一転満面の笑みを浮かべると『素晴らしい!』とルリアーナを褒め始めた。
言葉通りその目には悪魔に似つかわしくないキラキラとした称賛の光がある。
『なんという屁理屈、なんという身勝手!!しかしながら筋が通ってないわけではない。いやはや、まさかこんな人間にこんなところでお目にかかれるとは…!!』
悪魔は予想外のことに笑うしかないと言わんばかりに、酷く愉快そうな顔をする。
しかし次第に笑みが深くなるほどに、それは不穏なものへと変わっていった。
といっても暴力的な意味での不穏ではない。
望まない展開になりそうだという意味で、だ。
『気が変わりました。4つの魂などいらない』
悪魔はゆっくりと目を細めると、
『貴女だけが手に入ればいい』
そう言って蕩けるような笑みをルリアーナに向けた。
読了ありがとうございました。




