第六話(後編)
天を覆う樹木が空の光を遮り、日中であることさえも忘れさせるように視界を薄暗く染める。
泥濘が足を取り、まるで自然が侵入者を阻むように歩くことさえもままならない。
そんな深緑の森の中、我輩達は黙して歩みを進めていた。
先頭には道案内として我輩が立ち、そのすぐ後ろをスレスタ殿が付いて来ている。後続が歩きやすいように枝や雑草などを払い、念の為として通過した道に印を付けているようだ。
そして少し離れた位置にシャルロア殿、その後ろにギータ殿とバハドゥル殿。
計5人で、我輩の討伐した魔獣の核を回収しに行く道中なのである。
我輩が核を取り逃していた事が判明した直後は少々取り乱していたシャルロア殿だが、バハドゥル殿より「当初の目的通り調査に向かうだけです」と諭され、落ち着きを取り戻した後はすぐに森へと向かう算段を整え、村長に話を取り付けるとあっという間に出発の準備を整えてしまった。やはり成すべき事が明確であると真価を発揮するお方のようだ。
元々魔核をそのまま放置してしまった場合でも、魔獣が肉体を再構成して復活するまでの猶予は一月ほど掛かり、まだ充分間に合うという事だ。改めて回収することが出来れば、それほど慌てることもないらしい。
その際、我輩に魔獣を討伐した地点までの同行を申し入れ、我輩もこれを承諾。森の中を歩くのであればと参加を申し出たスレスタ殿も含めて、この人数となったのだ。
「やれやれ……もしかしたら泥も虫刺されも気にせずに帰れるのかとも期待したのだけどね」
いつの間にか近くまで来ていたシャルロア殿が、沈黙を破り愚痴を零した。騎士二人と比べて軽装である彼女は、負担が少ない方なのだろう。皮肉げに浮かべた笑顔からも余裕が感じられる。
「元々この為に呼ばれたのだろう。サボる必要が無くなったと喜ぶんだな」
「言うじゃないか。ま、どっちにしろ彼が生まれた場所の調査もしておく必要もあっただろうしね。それが僕らである必要は無かっただろうが……地点の確認が前倒しになったとでも思うことにするよ」
スレスタ殿が振り返らずに枝を払いながら軽口を叩くが、涼しい顔でそれを受け流す。村での話し合いでも感じた事だが、かなり話の分かる方のようだ。或いは、この年頃特有の人懐っこさの表れなのやも知れない。
ふと、最初から気になっていた疑問が改めて頭に浮かんだ。我輩は歩みを止めず、頭の中に浮かび上がる地図を確認しながら後ろに向けて話しかける。
「不躾ではあるやも知れませぬが、シャルロア殿は……」
「敬語はいいよ。今だから言うけど、堅苦しいのは苦手なんだ」
「む、承知致した。ごほん……シャルロア殿は随分と若いように見受けられるが、王都ではそのような騎士も珍しくは無いのだろうか?」
「殿が取れてないが……まぁいいか。いや、流石に僕のような者は珍しいだろうさ」
そう答えると、シャルロア殿は一旦言葉を区切り、少しだけ何かを思い出すように目を伏せると、話を続けた。
「村でも話しただろう? 魔導研究部署は特異な素質を持つものであれば、誰でも入り込めると。実は僕もそういったケースの一人でね。火・水・雷・風……基本的に魔術といえばこれらにしか変換出来ないエネルギーなんだけどね。僕はそのどれでもない魔術が行使出来たんだよ」
「どれでもない……とは?」
「治癒魔術。気づいたのは偶然だったんだけどね。まぁ、それで僕は大喜びで研究部署の門を叩いたんだよ。父親が騎士だったモンだから、ここで僕の貢献が認められれば父と同じ騎士になれるかも! とね。結果は大当たり。かーなーり無茶は言ったけど、研究に対して協力は続けるという交換条件付きで、晴れて騎士の仲間入りって訳だ!」
「……お父上がどうにか取り計らい、特例として在籍を許された形であるがな」
「実力が無かったらただのマスコットですな」
話を聞いている内に、知らず知らず歩みが遅れていたようだ。追いついた二人の騎士が補足を入れ、それを聞いたシャルロア殿が拗ねたように口を尖らせる。
「元々あと数年もしたら入隊試験を受けるつもりだったんだ。前借りくらい良いじゃないか」
「……その数年を我慢出来ない質だから心配になったのだろう。今でも危険な任務を回されないよう常に配慮されておられる」
バハドゥル殿の言葉に思い当たる節があったのだろう。「道理で」と呟いたシャルロア殿は、ますます口を尖らせて顔を背けてしまった。
その行動にとても親近感を覚えていると、突然はっとしたように我輩の方へ向き直り、人差し指を我輩の顔の前に立て、悪戯するように笑った、
「毎回初対面では聞かれるから教えてる事ではあったんだが、君達が話しやすいせいかちょっと喋りすぎてしまったね。今の話、内緒だよ?」
バハドゥル殿が呆れたように首を振り、ギータ殿が愉快そうに笑った。聞いていて感じた事ではあったのだが、言い触らされるとまずい類の話であったようだ。だが、この程度の口止めで済ませてくれるということは、我輩達は恐らく信用してもらっているのだろう。
我輩は勿論だと言うように強く頷くと、シャルロア殿は満足げに微笑んだ。その様子を見てどこか嬉しそうにしているバハドゥル殿は、ふと前方に顔を向けると、やや大きめの声で、皆に聞こえるよう言葉を発した。
「開けた場所があるぞ。着いたのではないか?」
見れば、確かにこれまでの鬱蒼とした道程とは違い、光に溢れた広場が存在していた。
***
一行が到着したそこは、皆にとっては初めての空間であり、我輩にとっては始まりの地。
姉上と出会った日のまま何も変わらないこの場所は、やはりそれまでの鬱屈とした森林の空気とはまるで違い、整地された遊び場のように広々と、そして清麗とした雰囲気に包まれていた。
不快な虫も、苔むした倒木も存在しない。ただ草花が生い茂り、野生動物の声さえ届かない空間は、世界から切り離されたような静寂さえも感じさせた。
「こんな場所が……確かに、何か普通ではなさそうな空気がするね」
「あぁ。ここだけ妙に、森から浮いてる感じだな」
シャルロア殿とスレスタ殿も、どこか落ち着かない様子で辺りを見渡している。大分弱まってはいるが、それでも誤認識の結界が僅かに張られていた空間だ。本来であれば感じられる筈の生き物の気配が無い事もあって、違和感があるのだろう。
そんな中、冷静に周囲を確認していた騎士二人は、広場の外周には怪しいものは見当たらないと判断したようで、中央の大穴を指差すとこちらに向かい声を掛ける。
「あれが、貴公の壊してしまったという施設かな?」
「そうだな。今はすっかり土塊となってしまっているが……」
「ふはは。なぁに力仕事は騎士の本懐よ! 大きい瓦礫は先にどかして参る故、どの辺りで魔獣を仕留めたか後で教えて下され。そこを重点的に掘り返せばどうにかなるであろう」
そう元気よく応えたギータ殿は、一足先に大穴へと歩み寄る。たった今森の中を歩き通して到着したばかりだというのに、なんという責任感だ。騎士というものはなんと漢らしいものかと感激する。
「騎士の本懐なのか?」と質問したスレスタ殿に「そんな訳あるか」とシャルロア殿が返していた気もするが、注視していた訳ではないので確信は持てない。気のせいかも知れない。
しかし手持ち無沙汰でいるというのも申し訳が立たない。どうせやることがないのだから我輩もギータ殿の手伝いをしてこようと一歩足を踏み出した時、隣に居たバハドゥル殿が呟いた。
「……妙だな」
「如何致した? バハドゥル殿」
「揺れている」
辺りを注意深く見渡していた彼の言葉に、すぐ全身の感覚を集中させる。
確かに僅かながら、地面が振動しているようだった。震源地は恐らく、すぐ目の前。
ギータ殿が作業している大穴の中心部であると思われた。
揺れは少しずつ大きくなっていく。スレスタ殿とシャルロア殿も気づいたらしく、四方や上空に異変が無いかを即座に見極めているようだった。
ギータ殿を注視する。彼は不安定な足場であるが故に足を取られ、その場を離れる事が出来ずに踏み止まっていた。
「ギータ殿! 今そちらへ向かう!」
「いや、来るな! この下で何か――」
最後まで言葉を繋げることは出来ず、ギータ殿は土塊の下から突然生えてきた腕に、すっぽりと包み込まれた。
彼を握りしめた手はそのまま地面へと振り落とされ、もう片方の手が生えて来て同じように大地を握りしめると同時に、手の中に握られたギータ殿を後方へと投げ飛ばした。
まるで紙くずのように軽々と宙を舞ったギータ殿は、広場の奥、森との境界線間際まで放り投げられると、その勢いのまま地面へと激突し、数回転がると動かなくなる。
力なく投げ出された身体からはまるで意識を感じられない。打ちどころが悪く気を失ってしまったのか、それとも……。
「ぎ、ギータぁ!!」
「待て隊長! 今動いてはならん!」
悲痛な叫びを上げ走り出そうとするシャルロア殿を、バハドゥル殿が止める。しかし彼の視線も今しがた生えてきた腕を注視しているようでその向こうの横たわる鎧を凝視しており、今すぐにでも動き出したいという気持ちを抑えているようであった。
かくいう我輩もスレスタ殿の目配せが無ければ、駆け出してしまっていた所である。彼の浮かべた脂汗が、今冷静さを失う事の恐ろしさを伝えているような気がしたのだ。
地面から姿を見せた二本の腕は、力を込めるように一度関節を折りたたむと、地響きと共にその下の肉体を穴の中から引きずり出した。
その姿は黒い体毛に覆われた、暴力的な爪をぶら下げた不気味な体。そして爬虫類のような頭部。四足で体を支えてはいるが、我輩が討伐した魔獣と瓜二つの特徴を有していた。眉間には蒼く輝く宝石のような何かが飛び出しており、以前と違う部分のひとつはその部位であろう。
だが、最も大きな違いは。
「……なぁ、千鉄。アンタ、あんなのを一度でも討伐したのか?」
「いや……我輩が切り伏せた時より、遥かに大きくなっている。成長期であろうか……」
以前2mを超す程度が精々であったろうその体躯は、優に10mをも超える巨体となっていた。
その巨大な怪物は眼下の獲物を捉えた事による興奮からか、全身を震わせると、空気が裂けるような大声で天に向かって吠えた。