第五話(後編)
昼を済ませた後は結局、スレスタ殿が後日罠を仕掛けるために丁度良さそうな場所を下見して周り、その後に普段は足を運ばないらしい森の外周などを魔獣を警戒しつつ歩き周り、当初の目的を済ませた。
切り分けた部位を保存用の籠に入れ、持ち帰れない分は自然の栄養になることを願い、人があまり通らない場所へと置いていく。
それらの作業の手順や目的など、逐一解説してもらいながら済ませていたので、村に帰る頃には日も落ち始め、夕方に差し掛かろうという時刻であった。
「これなら世話になってる人たちに幾らか分けても有り余る程だな。今日は運も相棒も良かった」
「そう褒めるでない、調子に乗ってしまうではないか」
「お世辞じゃないからな。アンタさえ良ければ本当に組んで仕事をしても……」
「おや? あれは姉上達ではないか」
「…………みたいだな」
何かを言い掛けていたスレスタ殿の言葉を遮ってしまったせいか、僅かにしょんぼりして見えるその表情に気づくことは出来ず、我輩は子供たちの集団へと駆け出した。
「おーい、皆の衆~!!」
「あ、鎧の人だよ!」「鉄っちゃんだよ鉄っちゃん!」「本当だ、鉄人だ!」
「アンタ段々好き勝手に呼ばれるようになってないか」
手を降って近づくと、我輩たちの姿に気づいた子供たちが一斉に声を上げる。
愉快な名で呼ばれる事を僅かに心配したスレスタ殿だが、我輩の方は特に気にならない。
それだけ距離が近いということなのだから、むしろ光栄であろう。
折角だ。大物が獲れたという事も彼らに報告して、後ほど家庭にお裾分けしに向かうことを伝えた上で喜ばせてやろう。そう思い、我輩は今日の収穫を掲げて子供たちへと披露する。
「見るが良い、皆の衆! これが本日の成果物である! 今夜はご馳走であるぞ!」
「おぉーでっけぇ!」「何か多いね、凄い!」「これ二人で獲ったのー?」
「あぁ。俺と千ちゃんの二人でな」
珍しくひと目で判るほど嬉しそうにスレスタ殿が応える。やはり彼のような達人でも喜ばれるのは悪くない気分なのだろう。
我輩も皆が楽しそうに騒いでいるのを微笑ましく眺めていたが、ふと姉上が一言も声を発していない事に気づく。
何か考え事でもしているのだろうか。気になった我輩は、姉上に声を掛けた。
「姉上? 如何致した」
「うひゃ!? あれ? 千ちゃん!?」
姉上は身体を大きく跳ね上げると、驚いたように我輩の顔を見つめた。
どうやらこの騒ぎの中、我輩が来たことにも気付かないほどに上の空だったようだ。
やはり体調でも崩しているのかも知れない。視線も忙しなく移り変わり、顔色も良くない。
「姉上。どこか身体の具合でも……」
「えっと、その……な、何でも無いよ!」
「姉上!?」
事情を問い質す暇も無く、姉上は脱兎の如く走り去る。
その態度は、まるで我輩を避けるような物であった。先程から一度も視線を合わさなかった事も、我輩の想像力を補強する。
やはり、朝の事で嫌われてしまったのだろうか。姉上が走り去った跡を呆然と眺めていると、後ろからスレスタ殿と子供たちの話し声が届いてきた。
「どうしたんだ、カリンの奴は」
「うーん……わかんない。今日もちょっとお話だけしようって誘ったら来てはくれたんだけど……」
「なんだか、ずっとあんな感じだったよね。何か悩んでるような、落ち込んでるような」
「ふーん……」
子供たちの話を聞いたスレスタ殿は何かを考えるように腕を組み、黙り込む。
もしかしたら推測くらいは出来ているのかも知れないが、我輩にはその感情の機微を読み取る事は出来ない。何れにしろ、今しがた起きた出来事に冷静さを失っていた我輩には、助言を仰ぐという手段すら思いつかなかったのだが。
が、しかし。足元に何やら一度味わった覚えのある衝撃が響くと同時に、頭は僅かに覚醒を果たした。
「ぬぉっ!?」
「よう千ちゃん。カリンと何かあったのか?」
「モラン殿……」
そこに居たのは、昨日と同じく我輩を転ばせた少年、モラン殿だった。
多少は打ち解けたと想ったのだが、我輩に対する扱いはそう変える気はないようだ。
「あったといえばあったが……しかし我輩には何をどうすれば良かったのか……」
「ちぇっ。全く頼りないんだから……ちょっとこっち来いよ!」
「むむっ?」
腕を引っ張られ、集団から少し離れた木陰へと誘導される。
されるがままにモラン殿に引きずられていく我輩だが、ふと思い立ってスレスタ殿へと声を掛ける。
「す、スレスタ殿! すまないが、時間が掛かってしまった時は、色々と任せてよいか!」
「任された。ちゃんとアンタからの贈り物だと伝えて配っておくさ。アンタはじっくり、自分の家の問題を解決しな」
「恩に着る!」
その言葉にスレスタ殿は親指を立てて我輩を送り出す。本当に気の利く御仁だ。近い内に、お礼も兼ねて家を尋ねるべきだろう。
そんな事を考えながら、我輩はただ子供の腕にされるがままであった。
***
やや大きめの木が作る影の下、我輩とモラン殿は二人で並んで座っていた。
朝の事情をなるべく丁寧に伝えるように言い渡されたので、要望通り詳細に説明したのだが、話し終えると同時にモラン殿が黙り込んでしまったのだ。
我輩としても見解を催促するのは野暮かと思い、ただ座してモラン殿の反応を待つ。
子供たちも皆それぞれの家へと帰り、遊び場もすっかり人気が無くなってしまった頃、モラン殿がようやく口を開いた。
「そうかー……何となく分かった」
「なんと! もう分かったというのか! ……して、やはり……我輩が悪かったのだろうか?」
「あ? 別に千ちゃんは悪くね―よ。つーか悪いのはカリンだろ。流石にワガママだよ」
「そ、そうなのか?」
意外だ。人と関わるという経験が圧倒的に少ない我輩が対応を間違えてしまったせいで、姉上の機嫌損ねてしまったのだとばかり考えていた。
だが、そうなると我輩の方から謝れば済むという話でも無いのだろう。ますます頭を悩ませる我輩に、モラン殿は鼻で笑うと、やや皮肉げに告げた。
「千ちゃんは別に何もしなくていいよ。どうせ放っとけばあっちから謝ってくるからな」
「むぅ……何故そう言い切れるのだ?」
「何故って……俺も似たような気持ちになったことあるからだよ」
そういうとモラン殿は足を前方に投げ出し、暗くなり始めた空を見て自嘲するように話し始めた。
「俺んちもお父さんいなくてさ。普段母ちゃんしかいないから、つい遊んで欲しくて仕方ない時があって……忙しい時でも、無茶言って困らせたりしてさ。そうやって怒らせて、でも俺もなんか謝れなくて、その……変な感じになっちゃう時があるんだ」
己の失敗を正面から受け止めるというのは、やはり簡単なものでは無いのだろう。ところどころ言い淀みながらも、それでもモラン殿は語る。
「ちょっと時間が経つと、やっぱ分かっちゃうんだよ。俺の方が悪いんだって。でもなんか、時間が経っちゃってるから、謝るの、なんか難しくて……わかるだろ?」
「謝罪したくとも、蒸し返してまた相手を困らせやしないかと悩むといった所か?」
「そう! そんな感じ! んで、まぁ……謝った所で、母ちゃんもせいぜい笑い飛ばして終わりなんだけどさ。もしそうじゃなかったらと思うと、難しくて」
「そうか。勇気ある行為なのだな」
「だからさ。カリンも別に千ちゃんが嫌いなわけじゃねーと思う。カリンも謝りたいけど、タイミングが分かんないんだよ。だからさ、なんつーか……千ちゃんは、家でいつものように過ごしてやれよ。カリンが自分から謝るまで、待っててあればいいと思う」
「そうか……有難う。モラン殿」
お礼を言うと、モラン殿はまた鼻を鳴らすと、「遅くなっちまった」と言い、我輩に軽く手を振りながら家へと走って行った。
その後ろ姿を見つめながら、我輩は思う。子供たちも、己の失態と向き合う恥ずかしさや、保護者との信頼が保てる距離を守る為に出来ることを、日々学んでいるのだ。
であれば、我輩が出来ることはその手助けなのだろう。
貴重な子供目線の心の内を無駄にはしないように、家庭問題の解決を見据え帰り道を歩き出した。
***
家に戻ると、姉上は居間で何をするわけでもなく、ただ座って居た。
どうやら我輩を待っていたようだ。扉を開けるとすぐさま反応し、どこかそわそわした様子で声を掛けて来た。
「……お、おかえりなさい」
「うむ。ただいまだ姉上。遅くなってすまなかった、すぐ晩ごはんの用意をしよう」
「あっ……」
「む?」
挨拶もそこそこに、いつもより遅めの支度を始めるために台所へと向かおうとすると、姉上が小さく声を上げる。
モラン殿の推測が正しければ、早めに謝りたいが切り出し方が分からないと行った様子なのだろう。応援してやりたいが、今回の我輩は何も知らない体裁を保つ必要があると判断し、ただ次の言葉を待つ。非常に辛いが、これも姉上の為なのだと堪えた。
「えっと……あのね……」
「うむ」
「……あ、朝は……その……ごめんなさい!」
顔を赤くし、気の毒に思えるほど身体を震わせながら、姉上は謝罪の言葉を漸く絞り出すと、勢いよく頭を下げた。
余程緊張したのだろう。頭を下げて固まった今でも震えは止まらず、我輩に合わせる顔が無いと言わんばかりに下を向く。
「あの……おじいちゃんにも怒られちゃって……私、ちょっとワガママが過ぎるって……」
「姉上」
「わかんないけど、千ちゃんと遊びたいって気持ちが止まんなくて……困らせたい訳じゃ……」
「姉上!」
ほんの少しだけ語気を強め、目線の高さを合わせるように跪くと姉上の両肩に手を乗せる。
我輩の突然の行動に怯えたのだろう、身を竦める姉上を落ち着かせるように肩を擦り、我輩は言葉を返した。
「良く謝れたな。立派であった」
「……え?」
「分かってくれたのなら良い。我輩は何も怒ってはいない」
ようやく顔を上げた姉上は一瞬呆けたような顔をしたと思うと、目を潤ませて我輩の胸元に頭を擦り付けてきた。あまり接触すると鋭利な部分に引っ掛けて傷でも付いてしまわないかと心配なのだが、これくらいは大目に見るべきなのであろう。
「……嫌いになってない……?」
「何を馬鹿な。我輩が姉上を嫌いになるなど有るものか」
「ワガママ言って、ごめんね……」
「怒ってないと言ったであろう。よし、晩ごはんを作るぞ! それで元気を取り戻すと良い」
「うん!」
やや涙目ながらも笑顔を浮かべて元気に返事をすると、姉上は今の椅子へと戻る。彼女の中での蟠りは、きっと解消されたのだろう。
姉上は少々情緒不安定だ。それはまだ短い付き合いである我輩でも理解できた。子供たちが姉上に対して気遣いが良く出来ているのも、恐らく心の弱さというものを感じ取っているからなのだろう。
理由は事情を知らないまでも、これまでの話から推測は出来る。幼い身でありながら両親を失い、最も身近な家族を失って、心の均衡が崩れてしまったのだろう。
その寂しさは恐らく多忙を極める村長では到底埋めきれず、常に孤独感に苛まれていたに違いない。
だから我輩に固執しがちになる。今まで己を取り巻いていた環境から、連れ出してくれる予感のする、非現実感の強い存在に。家族であろうとする。
「今日は我輩の獲ってきた食材であるぞ! 楽しみにするがいい!」
「やったー! ご馳走だー!」
しかし、今はそれでいい。姉上はまだ子供なのだ。
現実に押し潰されそうな彼女が、自分を愛して欲しいと求める事に何の罪があるというのか。
今はただ優しさに囲まれて、健やかに育てばいい。己を顧みる事が出来る彼女は、一歩一歩確実に学んでいける人物なのだから。
そしてそれは、記憶の抜け落ちた我輩も同様だ。人と繋がる度、姉上と関わる度に、新しく何かを学んでいく。足りないものが埋まっていくような心地良さを、ここでの生活で感じることが出来る。
許されるなら、このままお互いが一人前になるまで、共に過ごしていたいとさえ思う。
ただの拾われの身である以上、それが叶わぬ願いであることは重々承知の上であったが。
***
スレスタ殿と狩りに出かけてから三日後。
姉上が起きる前に朝の支度を済ませる為に動いていた我輩は、村長の家に向かう複数の足音に気が付き、思わず手を止めた。
早朝から来客とは珍しい。始めはその程度に考えていたが、村長を呼ぶその声に、この村での滞在に終わりを告げる使者が来たのだとようやく理解した。
「頼もう! 魔獣調査の件で王都から使わされた者だ! この村の責任者はおられるか!」