第二話
太陽の光が差す、地下の空間の中。出会ったばかりの一人と一体は、ただ見つめ合っていた。
一人は目の前の鎧に見惚れて、もう一体はただ単に返事を待って。
一向に言葉を発しない少女を鎧は不思議に思いはしたが、刺激して怯えさせるのも良くない気がしたので、応えを急かしはせず、観察する。
少女はやや癖のある黒髪を肩より少々上の方で切り揃えており、側面へと軽く流れる前髪を髪飾りで留めていることから、お洒落に気を遣わない程がさつではないように見受けられた。或いは余程大事にされているのかも知れない。
大きな瞳は透き通るように蒼く、長めの睫毛はそれをほんの少し覆い隠し、まるで眠たげな印象を抱かせる。
鼻はそれほど高くはないが、筋は通っていて形の良さを主張している。将来はきっと愛嬌のある女性に育つのだろう。
総合してみると内気な雰囲気を漂わせており、もしや声が出せないのは自分が恐ろしくて何も言えないのではないか、と鎧は不安を抱き始める。
このまま日が落ちるまで見つめ合っているのではないかと思わされる程の時間が経った時、ふいに鎧のほうが動き出した。
「む? これはまずい! 少々派手に暴れすぎたか!」
「え?」
辺りを見渡して急に焦りだした鎧を目の当たりにし、少女の方もようやく正気に戻る。
鎧に倣い天井に目をやると、僅かにヒビが入り、しかし段々と大きくなっていように見えた。
心なしか、部屋全体も揺れているような感覚も二人を包み始めていた。
「起動した時にやらかしたやも知れぬ……すまぬ、人の子よ!」
「え? えぇ!?」
突然、鎧は少女を抱き上げる。少女の方はいきなりの行動に戸惑い、なんと言葉を返せばいいのかも分からない様子だ。
そのまま揺れを激しくする地下を後にすべく、少女を抱きかかえたまま鎧は地下の階段を駆け上る。
何とか地上へと辿り着くと同時に、地下へと繋がる小屋は完全に崩れ、下に広がる空間もまた天井に位置すると思しき地面が見事に陥没しており、危機一髪で脱出に成功したのだということが見て取れた。
「ふぅ……危ないところであったな。怪我はないか」
「あっ……うん、大丈夫……」
「そうか。それは何よりだ。では改めて話を……っておぉお!? そ、その腕は如何したのだ、人の子よ!」
「うで? ……あっ!」
眼前に広がる光景から少女へと目を移し、安否を気にかける鎧が唐突に狼狽えた。少女はというと、指摘された事で先程まで忘れていた腕の腫れをようやく思い出し、自身の腕の具合を確認する。
「もしや我輩の抱え方がまずかったせいで……す、すまぬ! 加減が分からなかったのだ!」
「う、うぅん違うよ! これはさっきの魔獣に……痛っ!」
やはり改めて意識すると決して浅い傷ではないようで、少女は説明しようとするもすぐに痛みに顔を歪め、冷静さを失った。
「うっ……い、痛い……ぐすっ……」
「あぁ! な、泣くでない人の子よ! 泣かれるとどうして良いのか分からぬのだ!」
腕を抑えてぐずり始めた少女に、鎧はより一層狼狽える。見るからに子守など不向きそうな見た目である。経験のなさから下手をすると幼子よりも余程冷静さを失っているように見えるのも無理からぬ反応であろう。
「よし、待つが良い。すぐに手当をして見せよう。……ふんっ!!」
「うぅ……ふぇ? えぇ!?」
殊更に騒いだ後、鎧はそう宣言し、すぐさま己の角飾りを片方掴み、力任せに折った。
その次は背中の外套を丸ごと破り取り、更に細かく千切り始めたのだ。
あまりにも突然の奇行に少女が戦慄していると、鎧は努めて優しく少女の右手をとり、折った角飾りを添え木にして細く破いた外套で患部を固定し、応急処置を施した。
「うむ……応急処置だが、一先ずこれで良いだろう。きつくはないか?」
「う、うん……大丈夫……」
腕に巻かれた赤い布と、意外と軽い角飾りの感触を確かに感じつつ、患部の調子を確かめた少女はそう答えた。
その答えを聞いて心底安心したのか、鎧は「そうか」と一声呟くと、何度も頷いて少女を見る。どうやら本気で心配していたようだ。
その様子を見て、少女は申し訳なく思う。目の前の鎧は、自分のせいでは無いというのに、体の装飾を使ってまで自分の体を気遣ってくれたのだ。
「あ、あの……ごめんなさい」
「む? 何を謝ることがある」
「えっと……角とマント、私のせいで台無しにしちゃって……」
「なんだ、そのような事か。何、気にする事はない。また生えてくる」
「生えてくるの!?」
予想外の答えに少女は思わず声が大きくなった。明らかに無機物としか思えない目の前の存在が、まるで髪の毛でも生え変わるかのように事も無げに言ってのけたのだ。驚きもするだろう。
「うむ。我輩、こう見えて魔術で編まれた回路に形状記憶を施し、そこに貼り付けた外装に魔素を溶け込ませて体を形成しているちゃんとした魔法生物なのだ。大気中、或いは自らに蓄えた魔素さえあれば自動で鉄分を作り上げて……」
「??」
「すまぬ、難しかったな。要するに、我輩生きた鎧なのだ。この角も爪みたいなモノである」
「そうなんだね!」
「そうなのだ!」
元気よく返事が貰えたことに気をよくしたのだろう、鎧も一際声を大きくして迎合した。
そのテンションに少女が少しも物怖じしなかったのは、どこか子供らしい鎧の態度に親近感を覚え始めていたのだろう。
「もっとも、外套の方は後付故、流石に生えては来ないのだがな」
「そうなんだ……ごめんね」
「はっはっは。言ったであろう、気にする事は無いと! それに見よ、こうして余った部分を改めて結べばな……どうだ!」
鎧は包帯として使われなかった千切れた外套の特に長い部分を拾うと、襟巻きのように首に括り付け棚引かせてみせた。何がそんなに楽しいのか、ポーズまで付ける始末である。
慰めのつもりなのか、それとも本気でこちらの方が好みなのか。判断のつかないその行動に少女は自然と笑いが溢れ、何の気兼ねもなく言葉を繋ぐ事が出来た。
「ふふふ、変だよぉ」
「なんと! 変であるか?」
「うん、さっきのがカッコよかったもん」
「……そうであったか。これも中々イケていると思ったのだが」
少しだけ悔しそうな鎧の態度が、ますます少女を笑顔にさせた。この不思議な存在は、見た目からは想像もできないほどに気安い生き物のようだ。
鎧の方も、何がそこまで可笑しいのか不思議ではあったようだが、この小さな存在が楽しそうにしているのは気分が良い。そう考え、これ以上つまらない意地を張るのをやめたようだった。
いつしか笑い声が鎧の方からも発せられ、二人分の大きさとなった。
空が夕焼け色に染まり始めた頃、一人と一体は完全に打ち解けていた。
***
「なんと! それではカリン殿は、その友人の為だけにこのような場所にまで?」
「そう! すっごく大変だったんだよ!」
肩の上で揺られながら、己の冒険譚を誇らしげに語る少女を連れて、我輩は森を進む。
お互いひとしきり笑いあったところで、改めてお互いの紹介を済ませ、まだ幼い身である人の子には夜の森は危険であると諭し、日が落ちきってしまうまでに少女の住まう村へと向けて歩き出したのだ。
その際抱き上げて移動しようとする我輩に少女は「一人で大丈夫だよ!」と酷く顔を赤らめ抵抗したが、今までの苦労が祟ったのか、何もないところで転びそうになる危うさを見かね、結局肩車にて移動する事にしたのである。
始めはやはり抵抗がある様子だったが、目線の高さがお気に召したらしい。すぐに目を輝かせ、出発を促してきた。時間が経った今でも、こうしてご機嫌なままなのである。
「あっ! あそこだよ鎧さん! あそこに見える広場が、いつも遊んでるとこなの!」
「承知。方角に間違いは無いようで何よりであった」
ちなみに自己紹介の際に、少女はカリンと名乗ったが、我輩には個体名が存在しなかった――思い出せないだけなのかも知れないが――ので、“空鎧”だと種族名で名乗った。
それを聞いた少女は即座に「じゃあ、鎧さんでいいよね!」と笑顔で略したのだ。
そこまで短くするとただの武具と変わりない気もしたのだが、あまりにも良い笑顔だったので我輩も二つ返事で受け入れた。
理由は分からないが、この少女が楽しげにしていると自分も炉心が暖かくなるのだ。
恐らくこの年頃の人間というものは、先天的に魅了の魔術を行使しているのだろう。全く、末恐ろしい生き物である。
「ついたー! ありがとう、鎧さん!」
「何、カリン殿がちゃんと方角を覚えていたから辿り着けたのだ。我輩の力ではない」
「そんな事ないよ、運んでくれたでしょ! 良い子良い子してあげるね」
「恐悦至極!」
肩車の体勢のまま頭頂部を優しく擦る少女の手のひらの感触に、達成感で胸部装甲が一杯になる。
事実、いつもの遊び場から見ると太陽はどちらへ沈んでいるのか、と質問した際に、ちょうど村がある方に沈んでいくのだと少女が答えたからこそ、迷わずにここへ来れたのだ。
だというのに、ただ歩いただけの自身にこうして労いの言葉を与えてくれた。どうやら人の子とは心まで広い生き物らしい。
「……でも、やっぱり精霊さん、いないな……」
我輩の体から降りて、辺りを見回した少女はぽつりとそう呟いた。ひょっとしたらすれ違いになっただけなのかも知れないと期待していたようだ。
小さな背中が、更にか細く見える。無理もない、話を聞く限りでは大事な友人だったようなのだ。
それが魔獣の目撃とほぼ同時期に姿を消したとなると、悪い想像が消えないのだろう。
どうにか元気づけてやれはしないか。そう思い、自らも辺りを見回した。
ふと、石の下に何か掘り返された後のような物を見つける。
「む? これは……」
「鎧さん?」
石を除け、下を覗くと葉っぱが一枚置かれていた。
念の為少女にも確認してみたが、普段腰掛けにしているだけの石らしく、このような葉っぱにも見覚えはないらしい。
「文字が書いてある! 読めない!」
「エルフ文字のようであるな」
手にとって眺めていた少女の声に、後ろから眺めていた我輩が答える。
我輩の頭脳には幾つかの言語がインプットされている。どうやら偶々そのうちの1つが該当したようだ。これなら何とか読めるだろう。
「ふむ……『カリンへ。この森がちょっと騒がしくなってきたから、少しの間離れるね。あなたもなるべく来ないほうがいいよ』と、書いてあるようだ」
「精霊さんだ! やっぱり無事だったんだ!」
両手を上げて喜ぶ少女をよそに、我輩の頭には少しだけ疑問が浮かぶ。
精霊でありながらエルフ文字を使う。それはいいだろう。文字という文化が成り立っている種族はそう多くない。恐らくどこかで覚えた文字がこれだけだったのだろう。
だが。
「カリン殿よ」
「うん?」
「ここは秘密の遊び場で、他には誰も来たことはないのだな?」
「うん。私と精霊さん以外は、誰も見てないよ。精霊さんも他の人には教えてないって言ってた」
「ふむ……」
確かに、我輩が眠らされていた空間と同じように、僅かに誤認識を誘発する結界らしきものが張られているようだ。視覚で多くを判断する類の生き物であれば、知らず知らずこの場から離れてしまうのだろう。ただの遊び場にしては少々大仰だが、精霊ともなるとこの程度はそれこそ遊びの感覚でやれてしまうのかも知れない。
しかし、だとするとわざわざ隠すように手紙を石の下へ置いたのは何故だろう?
二人しか辿り着けない場所であるなら、そのまま目立つ場所に置いて気づいて貰えればいいはずだ。肝心の受取人が気付かずに風化してしまっては意味がない。事実そうなる寸前であった。
少女以外に見られる可能性を少しでも減らしたかったのだろうか? それとも……。
「鎧さん?」
「おっと! ……すまぬ、考え事をしていた。何用か?」
「もうすぐ夕日が沈んじゃうよ。村、行かないの?」
「おぉ、そうであったな。かたじけない」
考えても詮無き事だ。推測だけの堂々巡りでしかないのだから。
それよりも今すべき事は、この少女を村へと安全に送り届ける事だ。
そう頭を切り替えて、立ち上がると少女の隣へ立ち、目を合わせて頷いた。
「では、参ろうか」
「うん! ……えへへ。えいっ!」
「む?」
歩き出すと同時に、少女は隣にいる我輩の右手を左手で掴み、握手のようにして顔を綻ばせた。
「カリン殿? これは一体……」
「暗くなってきたから、お手手繋がなきゃいけないんだよ! 鎧さんが迷子になったら大変でしょ?」
「なるほど! これなら抱えなくとも、お互いを見失う事はない。見知らぬ土地で吾輩が迷う危険をも想定していたとは……カリン殿はなんと利口なのだ!」
「ふふん!」
己が意を得たりとばかりに胸を張って笑う少女の姿に、器の大きさを見た。
この逸材を危険な目に遭わせる訳にはいかない。なんとしても村へと送り届けねば。
そう決意を新たにし、歩幅を少女に合わせて村に向かって歩き出す。
夕日が沈む寸前の空は、地平線に紫と橙が混じり合い、とても美しかった。
***
その頃、村では村長は酷く青い顔で、一人家の中で俯いていた。
集会を終えた後に、外を見回りすれ違う人と挨拶を交わし、何人かと世間話をした後、水汲みを終えて家に戻ると、カリンが居なくなっていたのだ。
あれほど口を酸っぱくして外出はいけないと言ったはずなのに、遊びに行ってしまったのかと憤慨もした。帰ったらきつく言ってやらねばならないと、蔵所を整理しつつ、何を言うべきか心の中でまとめもした。しかし、幾ら待ってもカリンは戻って来ない。
太陽が西へ傾き始めた頃、流石に不安を覚え近所を見回ってみた。カリンが何処へ居るのか、知らないかと。
家から離れた世帯に顔を出してみても、親の手伝いで畑に出ている子に聞いてみても、誰も行方を知らないのだという。
この時点で村長は既に血の気が引く思いであった。まさか、森へ出向いたのでは、と。
空が赤く染まり始めた頃、心配になったのか数人の大人が家に来てくれた。もうカリンは戻ってきたのか、と。
し かし、村長は首を降るしか無い。事実、未だに帰って来ていないのだから。
「とすると……やっぱり、森に行ってしまったのか?」
「いや、それはねぇだろう! うちの子だって魔獣の話を聞いてからは、トイレもロクに行けやしねぇんだぞ? 本を読むのが好きなあの子だったら、尚更じゃねぇのか?」
「でもあの子、両親が亡くなってから、森に遊びに行く事が多くなってたしねぇ……何か、あの場所にしかない思い入れでもあるんじゃないかしら……」
「だからって魔獣の話を聞いてすぐ向かうかねぇ?」
居間で、数人の大人たちが意見を出し合っている。皆カリンの事を心配し、あらゆる方向から物事を考えて、可能性を浮かび上がらせているのだろう。
しかし、村長にはまるで自分から切り離された世界での話し合いのように感じられた。それもそうだろう、今の今までカリンの身を案じていた村長にとっては、既に何度も考えた意見なのだ。その上姿を消してからずっとストレスに曝されていた老体は、心身ともに摩耗している。集まってくれても、真剣に耳を傾ける事が出来ずにいるのだ。
「……やはり、俺が森に行って確かめるしかあるまい」
その言葉に、村長を含めその場に居た全員の視線が一人の男に集中する。
先日、森に出て魔獣の姿を確認したという男、スレスタは、愛用の弓と弩を手入れしながら、今まで黙って口を挟まなかった。それがようやく口を開いたと思えば、先程のような危険を顧みない言葉なのである。皆一様に驚き、呆気にとられていた。
「……いや、お前さんが如何に手慣れていようと、それは……」
「村長。長引くほど、彼女の命が危うくなるというのは分かっている筈だ。魔獣らしき存在を確認したのは俺だけ。となれば、その存在をいち早く視認する事が出来るのも俺だけだ。逃げ切れる算段はもっとも高い」
最初から、最悪の事態を想定していたのだろう。彼は村長の家に狩りに使う得物を携え、カリンの行方がまだ分からないと聞くや否や、上がり込ませてもらうとその場で手入れを始めたのだ。きっと他の大人たちが訪ねて来なければ、そのまま村長に一言だけ伝えて森へ向かっていたのかも知れない。そういう男だった。
止めるべきなのだろう。村長はそう考えながらも、何故か言葉が出てこなかった。
目の前の男の決意は固い。恐らく、何を言われようと森へ向かうつもりだ。
しかしそれ以上に、村長の中に確かな期待があった。もし、あの子が本当に森へ向かってしまっていたのだとしたら。
この男が、救ってくれるというのなら。
「……行って、くれるのか……?」
「任せろ」
絞り出すような声で問いかけた村長に、スレスタはただ一言だけ返す。
「……すまない。どうかあの子を――」
「ただいまー!!」
緊張した空気が、一瞬で弾け飛ぶ。
底抜けに明るい声に、その場に居た全員が玄関へと目をやると、そこには噂の渦中の張本人が、朗らかな顔で手を上げていた。
「かっ……カリン……!!」
「ただいま、おじいちゃん!」
「お、お前! 今まで何処に行ってやがったんだ!」
「皆心配してたのよ!?」
集まっていた大人たちは玄関へと駆け出し、確かにカリンなのだと確かめるように言葉を投げかける。
スレスタはというと、安心したように目を細くすると、帰り支度を始めた。
この場に居た誰もが本気で彼女の帰還を歓迎し、喜んで迎え入れていた。
が、しかし。
「この……馬鹿者がッ!!!」
「っ!!」
村長の張り上げた声に、場は水を打ったように静まり返る。
カリンと向き合った村長は顔を真っ赤にし、怒りで体を震わせている。
村長がここまで怒ったのを初めて見たのだろうか、カリンも目を丸くしてただ驚いていた。
「お前、やはり森へ行っていたのだな……あれだけ危険だから近づくなと言っておいたのに……」
「え、えっと、その……ご、ごめんなさい……」
「皆がどれだけ心配したと思っている!? 何かあってからでは遅いのだぞ!!」
凄まじい剣幕で詰め寄る長老に、心配になった大人の一人が間に割って入ろうとする。
が、スレスタはそれを止めた。大丈夫だと言わんばかりに首を振り、無言でことの成り行きを見つめる。
「もう二度と……心配させるでないぞ。この大馬鹿者が……!」
村長は少しずつ消え入りそうな声で叱りつけると、カリンを強く抱きしめた。
姿が見えなくなってからずっと、カリンの身を案じていたのだろう。もし命にかかわるような事があったのかと思うと、気を失ってしまいそうな程だったのだろう。
無事に帰って来てくれた事は何よりも嬉しいが、一歩間違えれば悪い予感が現実の物になっていたのかも知れないのだ。そんな危険な真似は、もう二度として欲しくない。
そんな愛情が伝わったのか、カリンの方も涙を零しながら、村長の体にしがみつく。
「う……ぐす……ご、ごめんなさい……うぅ……」
村長とカリンの、二人分のすすり泣きが部屋に響く。
村の数多くもない事件の中でも、特に人を騒がせたこの失踪事件は、これにて落着してのだと、部屋の誰もがそう感じた。
これ以上は野暮だろうと、二人きりにすべくスレスタが促し、皆で村長の家を後にしようと玄関へ足を向けたその時。
開け放しの扉の向こうに、何やら全身真っ黒の鎧が目頭を抑えて立ち尽くしている姿が見えた。
「くっ……なんと、なんという愛情! 家族とはかくも暖かいものなのか……!」
その鎧は涙も流れていないというのに目元を擦り、まるで感激するかのように体を震わせている。
あまりにも珍妙な光景に、大人たちがただ立ちすくんでいると、泣き止んだカリンが思い出したかのように鎧に顔を向け、親しげに声をかけた。
「あっ鎧さん! ごめんね、お外で待たせちゃって!」
「いや、構わぬ。我輩はこれで失礼する故、今日はゆっくり話し合うと良い」
「ダメだよ! ちゃんとお礼したいもん! ね、上がって上がって」
カリンは外の鎧にそう言うと、手を引いて家の中へと連れ込んだ。
外に注意を向けていなかった村長はそこで初めてその存在に気づき、ぎょっとした顔で見つめると、カリンへと顔を向けて質問した。
「……えっと、お知り合いかな?」
「うん! この人……人? とにかく鎧さんのお陰でたっくさん助かったんだよ!」
元気に答えるカリンに、少々面食らった村長は、改めて目の前の鎧に向き直る。
一見すると禍々しい出で立ちだが、この子の恩人だというのなら悪い人間ではないのだろう。そう思い、咳払いをすると、一礼と共に自己紹介を始める。
「始めまして、うちの子が大変お世話になったそうで……本当に有難うございます。私はこの村の村長で、パウリィと申します。大したお礼は出来ませんが、どうぞお上がり下さい」
「いえ、お礼を頂ける程の事など何もしておりませぬ。ただ自分に出来ることをさせて頂いただけの事。そのお気持ちだけで充分でございます。おぉ! 申し訳ない。名乗って頂いたのに、最初に己の名を名乗り忘れるとは」
なるほど、多少そそっかしいが、中々に物腰の柔らかい男のようだと、村長は思った。
やはり人を見た目で判断するものではないな、と胸をなでおろした次の瞬間、鎧の男の口から爆弾発言が飛び出した。
「申し遅れました。我輩、魔王軍所属の空鎧と申します」
「は?」
「む?」
「え?」
「「「……魔王軍ンンンンンンン!!!!???」」」
こうして、数多くもない村を騒がせた事件は、失踪事件の直後に最大規模の事件が舞い降りてくるのだった。