幽霊失格
例の事件はもちろん、人は天界から見て原罪を負った身のはず。好きになる努力をしなければならない、それが私の罰なのだろうが、嫌悪感がないといえば嘘になる。だが、人には個性というものがあることをこの家族は教えてくれる。真っ白な人などというものは存在しないが、自らの邪心を隠さぬ正直な人もいる。もう一度感謝の言葉を述べ、私は食事を終えた。
天界と違い人界はいろいろ面倒なことも多い。お風呂に入るにもガスというものが必要とのことだ。今夜は未開栓らしく吉野家の風呂を使わせてもらうことにした。湯船が狭く体を折り曲げて入るのには少々辟易したが、暖まるしさっぱりする効果は天界と同じだ。
荷物を整理。といっても前の住人が残したであろう机に例のお花を置いて。ボストンバッグを押し入れにしまっただけだが。先ほどの吉野家の人たちとの触れ合いからだろう。いくつかの花弁が開いていた。って。この花には百を優に超える蕾がある。人界のエーデルワイスでは苞葉、変形した葉のということになるが、一つの蕾に白い花弁が二十ほど。これが少しずつ開くって……いつになったら、天界に帰れるのやら? まぁ、気長に頑張れということなのだろう。
明日は土曜日。休日らしい。朝からノブコちゃんとショッピング、その後、管理人さんにバイト先を紹介してもらう約束をしている。私は早々に布団を敷いて中に潜り込んだ。シーツはとても清潔でほのかに洗剤の香りがした。
天使は寝るのか? だって? ええ、もちろんよ。夢だって見るし、人の夢の中に入る力もあるんだから。夢に入れるのか? だって。もう、いちいち質問が多いわね。私は天使なの。て・ん・し。人の誕生を祝福する天使や死を看取る天使を見た人いるかしら? いないわよね。あれは、私たちが夢の世界、仮に夢界とでもしておきましょう。天界と人界の狭間という言い方がいいかな、から行っているということ。分かるわよね?
夢に入るというような、人から見れば魔法のような力を私たちは霊力と呼んでいる。だって天使が「魔」力じゃおかしいでしょ? ただ、今、人界にいる状態で私のSPはゼロ。SPというのは、人界で流行っているRPGというもののMPと考えてもらえばいいかしら? 力がなくなったわけではないけれど、使うことができないってこと。天使が人界に「降りる」ための一種の対価ということかな。
で、その夜。
この部屋で自殺した人がいると聞いたが、深夜になると確かに存在を感知できた。霊力の行使はできなくとも、幽体を見るくらいの力は、私にも残っている。一般に「自殺をすると天国へ行けない」と言われているけど、あれは迷信よ。自殺や事故というものは天界のスケジュール、すなわち人の天命に合わない行為だから告死天使の派遣が遅れるだけ。でも、いずれにしてもお勧めはしない行為よ。だって、数十年くらいは普通、運が悪いと百年以上、放置されることだって珍しくないのだから。
天使はサボってるんじゃないって! 何言ってるのかしら? 十九世紀末に十六億だった世界人口は二十世紀半に二十五億。いまや八十億に迫ろうとしている。で、告死天使の数は太古の昔から変わっていない。もう一つのお仕事である告命をおざなりにしても、全然、回っていない。やっと、やっと最近、第二次大戦時のバックログが処理できたくらいなのだから。
「あら、幽霊さん?」
「えっ、私が見えるのですか? 恐れもしていない様子ですし、もしかして、貴女も悪魔か何か?」
「悪魔? 違いますよ。私は天使です。まぁ、天界追放の身ですけど」
「そうなんですか! もしかして、天国から私への使者様? ああ、でも。酒に女にギャンブル。挙げ句の果てに事業を失敗して多額の借金を抱える。いよいよ首が回らなくなって自殺…… こんな恥の多い生涯を送った僕が天国なんかに行けるわけないですよね?」
「いいえ。神様は教条的なところもあるけれど、概ね寛大よ。貴方は自らの行いを恥じ、十分に反省、懺悔してるでしょう? 大丈夫。天使の私が天国に導いてあげる…… あっ!!」