さまよえる運命
ユキオ君がそれを受けて続けた。
「家族と再び素直な気持ちで向き合えるヒントをくれたのは、イリスさんですから」
「あの自動応答は、ディープラーニングを随分勉強して作ったもので、見破られるとは」
「いえいえ。見破った訳ではなく、そうじゃないか? と直感的に言っただけですから」
「うーむ。やっぱり、マジ天使?」
「あはは。じゃ、天使として言いましょう。人は何か悪いことがあったとき、これも運命、定められしことと絶望してしまうかもしれません。ですが、ご存知ですよね、ラプラスの悪魔は完全に否定されていると」
「おお、不確定性原理ですね。イリスさん博識ですねぇ」
「ここからが、天使たるところですよ。実は、神さえも物理法則に従うしかないのですよ。ですから、神は未来を知ることができない。すなわち、神すら知らぬ未来を悲観するのは無意味かと」
そうなのだ。本来は因果関係が反対だ。物理法則とは神が定めたこと。今、人から見て魔法に見える現象だったとしても、それは、人類がまだそれに纏わる物理法則を発見していないだけ。
「なるほどぉ〜。そう言われると、また力が沸きますね。イリスさんのその羽、コスプレです? もしかして、拙者の運命の人?」
「え、ええ!!!」
「羽? 僕には見えないですよ」
「あれ、気のせいかぁ〜。って冗談、冗談」
あれ、さっきから、ノブコが無口になってしまっている。あれ? なんだか、顔色が悪い。
「楽しいお話の最中ごめんなさい。ちょっと気分が悪くて、ト……」
トイレへ立ちかけたノブコが、突然うずくまった。胸の辺りを押さえていて、とても苦しそうだ。
「どうしたの? ノブコ??」
「き、救急車!!!!」
ノブコは近くの病院の救急外来に運び込まれた。救急車には、私が付き添い、早々に、アキコさんにも連絡を入れた。だが、幸い点滴をしたくらいで、すぐに顔色も元に戻ってきたようだ。
「ノ、ノブコ、大丈夫か!!」
「ノブコさんの保護者の方ですね。後で少しお話があります。ですが、ノブコさん、今日のところは、もう大丈夫、いったんお家に戻って安静にしていてください。月曜からは学校に行っても問題ないと思いますよ」
アキコはお医者さんとお話があるようなので、私はノブコと二人、タクシーでアパートに戻った。今日はお風呂はやめて、早めに寝た方がいいだろう。軽い夕食を済ませ、ノブコが横になるのを確認した後、自室にて。
「ちゃんと、おうどんも食べたから、大きな問題はないと思うけど、ノブコちゃんって心臓に持病がある?」
「うーーん。天界でも最近、個人情報保護が煩くて、僕が調べてあげるわけにはいかないけど。アキコさんだけが残ってお医者さんと話しているところを見ると」
「もしかして深刻?」
「かもね」
なんだろう。この期に及んで、どうして? こんな気持ちじゃ、天界に帰れないじゃないの? その夜、私の心は揺れに揺れて、よく眠ることができなかった。日曜は一日安静にしていたノブコ、夕刻にはずいぶん元気を取り戻していた。アキコさんは、今日は遅いらしく二人での夕食。
「ねえ。イリス。貴女にどうしても、今日、お話しておきたいことがあるの」
「え? 改まってなに?」
ノブコの真っ直ぐに私を見つめる目。そうか! ハイジは慧眼だったのだろう。彼女の予想は的中した。
「貴女のことが好き。私の命が燃え尽きる刹那の間、どうか、恋人でいて」
ノブコの表情からして、冗談でも何でもない。私には少々唐突に感じられるけれど、彼女の本音、それも今、言わないと言えなくなるという、切迫感が感じられる。
「私の答えは、ごめんなさい、でも、はい、でもないわ。あのね。これから、二人でお風呂に入りましょう」
「え? 何? 私が真剣に告白したのにふざけてるの?」
「違うわ。私が何者かをその目で見てほしい」
そう。Hな諸氏には具体的には教えてあげないわ。私の体は、ほぼ、女性。だけど、ちゃんと裸を見れば、私が人ではないことは一目瞭然なの。二人は背中を流し合い、せまいけど、無理やり湯船に入った。
「予想はしていたけど、本当にイリス、人じゃないんだ。でも、明らかにしちゃって大丈夫なの?」
「天界のルールには優先順位というものがあるの。大きな災厄を生むのなら、多少のルール違反は認められる」
「天使であることを私に知られても、大切にしなければならないことって?」
「貴女の気持ち。永遠を生きる天使と人、真の意味で恋人にはなれないわ。恋人ごっこならできるけど、そんな不誠実なこと、大切な、何より大切な貴女には、できない」
「どうせ答えは『ごめんなさい』だと思ってた。そこまで律儀に考える必要はなかったのかもれない。だけど、私の望みとは違えども、イリスがそんなにも私のことを想ってくれるのなら、もういいわ。安心して天国へ行ける」
「いいえ。そうはさせないわ」
「イリス。気づいているでしょ? 私の病気は治らないの。臓器移植という最後の手段も、ドナーが見つからず、もう手遅れよ。次に発作が来たら入院して、二度と、お家には戻ってこれない
「だから、貴女を死なせはしない」
「え! もしかして? 『死なせない』って、天使として、魔法を使うみたいな?」
「霊力という言い方をするけど、そうね」
「ダメよ!!!」
「なぜ? どうして?」
「イリス。天使には言わない嘘は認められているのかしら?」
ああ、ノブコは利発過ぎる……。




