プロローグ
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〜町のうちにひとりの貧しい知恵のある人がいて、その知恵をもって町を救った。ところがだれひとり、その貧しい人を記憶する者がなかった。〜
(旧約聖書:伝道の書:9-15)
自業自得であるということは認めるわ。だけど、あんまりだ。この私、天使である私に、あの傲慢で嘘つきで臭くて汚い「人」なる生き物とともに生活しろだなんて。だって、ヤツらは私を罠にはめたのよ!
あのね。そこの君。君よ。お話聞いてよね!
天使と一口に言ってもいろいろ階級がある。ああ、私、まぁ〜。自慢じゃないけど。下級、下っ端、小間使いかな。悪かったわね。でも、ちゃんと役目があるわ。人という変な生物、神の失敗作に生と死を告げること。前者を告命天使、後者を告死天使って呼び習わされている。一般には死を司る印象が強いからかな。告死天使と呼ばれることが多いかも。いずれにしても。多重人格というわけでもないけれど、やっぱり死を告げる時には、私、キャラが変わるみたい。
私たちの天界、神様の掟はとっても教条的。形式美というのかしら。どんな意味があるのかは、百億を数える歴史の中に埋もれてしまったのだけれど。私たちが絶対、必ず、守らなければならないこと。それは。生を告げる、すなわち、誕生を祝福する際には人の足元から。赤ちゃんがどこから生まれて来るか? って考えれば、これは当然よね。死を告げる場合は、その逆。人の枕元に立ってその懺悔を聞く。然る後、私は「死」を宣告し、生者の名を記した書物からその名を消す。
で、ああ、思い出すだけで腸が煮えくり返りそうだわ。あの狡猾な老人の死に立ち会った日。私は彼の懺悔を聞いていた。
「暑い夏のはじめのある日…」
それは長い長い彼の人生の物語だった。と、その時は信じていた。彼は強欲で狡猾な金貸しの老婆を殺し、奪ったお金で善行を行おうとしたけれど、たまたま殺人現場に妹が居合わせた。心のならずも妹も殺してしまった彼は苦悩する。最後に彼を救ったのはある娼婦。彼女が自らを犠牲にして家族を救う姿に心を打たれた彼はついに自首を決意する。
なんて感動的な人生なんだろう! 私は涙し、ちょっと、ちょっどだけなのだけど気が緩んでしまった。と、その時。
何かの仕掛けがしてあったのだろう。老人のベッドが百八十度回転した。どうなってるの? 頭の中は真っ白。茫然自失。足元に立つことになってしまった私は、何が起きたのかすら分からぬまま、強制的に天界に送還された。
もちろん、この老人は数日生きながらえただけで、天界で重い罰を受けることになった。でも、こんな油断をしてしまった私は「職務怠慢」として処罰を受けることに。私の上司である大天使が語る。
「いいですか。貴女は人のことを知らなさ過ぎる。お聞きになったというあのお話。全部、作り話なのですよ」
「えっ! どうして、そんなことが分かるのですか?」
「あのねぇ〜。教養がないのも、いい加減にしてください。あれは、人界のロシアという国の文豪ドストエフスキーが書いた『罪と罰』という小説まんまなのですから」
「そんなぁ〜」
「貴女は人界に赴き、もう少し人というものを勉強してきてください。人界にある本というものを読み、人と触れ合うことで、貴女はもう少しマシな天使になれるでしょう」
反論を試みようとしたが、言葉が出てこなかった。自分のバカさ加減に呆れていたとも言える。これは私の罪。なのだろう。素直に従うことにした。大天使は続けた。
「この花を貴女に差し上げましょう。今、たくさんの蕾がついていますよね。この蕾が全て咲くまで、天界に戻ることを許しません」
渡されたのは直径二十センチほどの植木鉢。人界でいうところのエーデルワイスに似た花が植わっている。たくさんの小さな蕾を付けているが「人界植物図鑑」で見たものより随分とサイズが小さい。天界の花ということだろう、枯れる心配もないのではないか。
荷物をまとめて、といっても、着替えと身の回りの物が入ったボストンバッグに日傘が一本、それが全てなのだけれど。あの花の鉢を抱えて地上に降りようとしたその時。
「待って! 待ちなさいよ!」後ろから声がした。
「誰? あなた?」
「だからポンコツなのよ貴女は! 見れば分かるでしょ? 貴女が抱えているお花の精よ。貴女。勉強したなんて言ってるけど、人界のことはまだよく知らないでしょ? どうやって生活する? いいかな、僕と契約してくれたら、ちゃんとガイドしてあげるから」
それは、天界によくいるクリーチャーといった存在のようだった。見た目は青味がかった白い毛の猫のぬいぐるみに見える。人界でぬいぐるみが話すという行為は、随分シュールらしいのだが、天界ではよくあることだ。「契約」という言葉が少し引っ掛かったが、澄み切ったトパーズブルーの瞳をしている。彼女の言うことにも一理ある。ま、白くて赤い目の生き物じゃないから、多分大丈夫だろう。
「いいわ。あなたのお前は?」
「決まってるでしょ? アーデルハイド。呼びにくければ、アーデルでもハイジでも何でもいいわ」
私の微笑みを契約成立と判断したのだろう。その猫のような生き物は身軽にジャンプして、私の肩に乗った。私たちは地上へ続く階段を降り始める。
エーデルワイスの花言葉は「大切な思い出」。ああ、そういうことなのか。私の心は決まった。そう。高慢、物欲、嫉妬、怒り、色欲、貪食、怠惰…な、あなた方、クソッタレさんたちを大好きになって、天界に戻るから!