西の森へ
「では、レナさん急ではありますが、彼のことを宜しくお願いします」
「………あの、基本的に私は何をすればいいんでしょうか」
外に出てからこんな話をして………黒髪の男性はこちらを見て呆れるようにため息をついていた。
「ギルド長、ほんとにその女で大丈夫かよ」
「うるさい! 今より上位階級の仕事をしたいと言うなら、森で女性守るぐらい簡単にしてもらわないとこっちだって困るんですよ!」
「………わ、わかった」
黒髪の男性はベルナールさんの気迫に押されてそのまま黙った。
「レナさん、貴女は彼が違反をしないか監視するだけです。そして、こちらを支給させて頂きますのでご確認下さい」
私はベルナールさんから小さなリュックと書類を持たされる。書類には水晶花の特徴と違反行為が書かれていた。
水晶花は手の平くらいの大きな花で、複数の花弁で形成されており、青空のような、穏やかな海のような、見るだけで心が癒される色合いをしているらしい。最大の特徴は咲いた花の周囲がキラキラと光っているとのこと。全然ピンとこないが、見たらわかるのかな………………
違反行為の方は、他人に採取させた物を提出すること、予め採取していた物を提出すること、同行者を死亡させることと書かれている。私としては最後の違反行為がどうしても気になる。
「リュックにはレナさん用の最低限の食料が入っています。万が一の時にリュックの中を開けてください。基本は、彼が同行者の食事も考えます」
「俺?!」
「そうです。昇格後の仕事の中には、非戦闘員を遠方まで送り届ける等あります。なので、先ほども言いましたが、西の森くらい楽にこなして頂かなくては困るんですよ。何日も野営することを考えたら自分と同行者の食事を考えるなんて当たり前のことです」
そんなこと言われると、私、この人と長くて2泊3日は森で野営することになるんだ。初仕事が脂っこ過ぎるよ。普通の事務仕事させてくれ。
「ま、野営には慣れてるからわかったよ。水晶花の採取とその女の面倒を見ればいい。そういうことだろ?」
「そういうことです」
腹立つー! まぁ、面倒を見てもらうことに違いはないけれど!
「よし、時間が惜しいから行くか」
「お気をつけて」
行きたくないけれど、引き受けてしまったので、私は黒髪の男性の後をついて行った。
「あんた、名前は?」
無言でしばらく歩き続け、そろそろ森に入るという頃に急に名前を聞かれた。
「レナです。今更ですが宜しくお願いします」
「俺はリオネル。宜しく」
リオネルと聞いて、寮のもう一人の人間ではないかと一瞬考えたが、この人はギルド職員じゃないので、違うだろう。そもそもリオ君とやらは帰って来なかったし。
「森に入るのは本当に初めてか?」
「はい」
続けて異世界から昨日来たばかりであることを伝えた方がいいのか考える。一気に不安にさせてしまうだろうが、数日一緒に過ごすなら、私がこの世界の常識を知らないことを予め伝えておいた方がお互いにいいのかもしれない。
うん。伝えておこう。
「あ………」
「早速お出迎えだな」
「え?」
急に何を言っているのだろうかと思ったが、リオネルさんの目線の先には大きな虫型の魔物が翅を広げて飛んでいた。まるでてんとう虫のような形をしているが、軽車両程の大きさで、ただただグロテスクで気持ち悪い。翅の音も草刈機のエンジン音みたいに煩い。
「レナ、少し下がってろよ」
「は、はい」
リオネルさんは慣れた様子で魔物の前に出て行く。男性から呼び捨てされるなんて何年ぶりだろう。いやいや、そんなことより、私には彼が丸腰に見えるけれど、武器とかいらないのかな。そう思った瞬間、彼は腰に着けていたツールベルトから何かを取り出し手首を振ると、そこから長い剣が出てきた。す、すごい! ファンタジーだわ。ゲームでよく聞く魔法剣とかそんな感じなのかな。
こちらに気付いた飛行する魔物はリオネルさんに向かって突進するが、彼はひらりとかわした。………そう、かわしたから、真っ直ぐ魔物が私の方へ向かってくる。
「ひゃあ!」
「下がってろって言っただろ!」
私はどうにか右側に走って近くにあった細い木に掴まり、とりあえずしゃがんだ。無茶苦茶怖い! 周りは細い木ばかりで姿を隠せそうなところはない。このままじっとしていよう。
「こっちだ!」
リオネルさんは声を上げ、魔物が私に行かないように挑発しているようだ。魔物に向かってひらひらと空いている手を振っている。飛行する魔物は素直に方向を変え、彼の方へまた飛んでいった。そのまま彼は振っていた手を魔物に向け何かを唱える。すると魔物の下に魔法陣が現れ、彼に近づくにつれ速度は遅くなり高さも低くなっていく。突進ではなく、まるで彼にゆっくり吸い込まれていくような感じだ。そして彼は持っている剣を下から上に振り上げあっという間に倒してしまった。
「レナ! 大丈夫か?」
「………はい」
倒し終わったリオネルさんは、しゃがんでいた私を迎えにきてくれた。今までの言動から上から目線で馬鹿にされるんだと思っていたが、思いの外優しいな。
「………本当に、大丈夫か?」
なかなか立てないので、心配されてしまった。大丈夫。私は大丈夫。心臓はバクバクと鳴っていたが、自分に言い聞かせないと立てそうもない。どうしよう。やっと森に入ったくらいでこれじゃあ駄目だよね。
「大丈夫です! ちょっと待って下さいね」
細い木に掴まりながら、ゆっくり立ち上がる。前に進まないと。この人にしたら、猶予はそれ程ないんだから。
「震えながら大丈夫って言われてもな」
「大丈夫です! ………すぐに、治りますから」
言われるまで震えてることなんて気が付かなかった。確かに手と足が少し震えている。………情けない。
「じゃ、行くか」
「はい」
少しだけ目が潤んだ。だけど、気付かないでほしい。また大丈夫かと声をかけられたら、そのまま涙となって頬に流れてしまいそうだ。今までがむしゃらに仕事してきて怒鳴られたことも先輩から嫌がらせを受けたりしたこともあったけれど、絶対に泣かなかったし、何より負けたくなかった。今だってそうだ。まだ始まったばかりの初仕事、絶対に完遂してみせる。
「今みたいに急に魔物が出てきたり襲ってきたりするけど、その都度さっきみたいに隠れてろよ。倒すから」
「わかりました」
それから何度か魔物に遭遇したが、リオネルさんがあっさりと倒していった。確かにこの森では余裕なぐらい強いらしい。
リオネルさんは前を歩きながら、ちょくちょく私の方を振り返り、様子を確認する。進むにつれ確かに足場が悪くなってきた。木々が増え、草花も多くなっていく。きっと私の面倒なんか見ないで、水晶花を探すことに専念したいだろうな。
「!」
「な、大丈夫か?!」
少し余所見をしただけで転んでしまった。足元には盛り上がった木の根が広がっている。
「大丈夫です」
「あんた、どんくさいな」
「………」
どんくさい。私が一番言われたくない言葉だ。社会に出てキビキビ働いてきたが、本当はどちらかというと、のんびりした性格で幼少期は何をするにも遅く、周囲は苛々させられていたらしい。実際、親からは「鈍臭くて邪魔くさい」「見てるだけで苛々する」と時々言われてきた。幼少期に言われたそれは今でも私の心に刺さって抜けない。まさか、ここで言われてしまうとは………
「怪我はないか?」
「はい」
「はいって………膝から血が出てんじゃん」
本当だ。でも大した傷ではないから気にするほどでもないだろう。
「そんなに痛くないので、大丈夫です。気にせず行きましょう」
「いいわけないだろ。いいからそこ座れ」
「え」
「小さくても傷が残るの嫌だろ」
なんていうか、この人、本当はジェントルマンなのかな。口調は多少荒いけれど行動は優しい。今も私を地面に座らせ膝を手当てしてくれている。リオネルさんが血が出ている膝に手をかざししばらくすると、小さな魔法陣と白い光が現れ怪我が消えてしまった。ほんのり膝が温かい。
「治った………」
思わず口から出てしまう。
「この程度の傷なら誰でも出来るだろ」
「そうなんですか?」
聞き返すと「何言ってんだこいつ」的な感情が読み取れる程に、目を見開いてこちらを見ていた。そういえば、リオネルさんに異世界から来たこと、まだ言えてなかったな。
「実は………」
「敬語やめないか」
「え?」
「数日は一緒に過ごすんだ。お互い仕事かもしれないが、会話くらい砕けてもいいだろ。ずっと一緒にいるのに堅苦しいしな」
「………わかりました」
地面に座る私に目線を合わせてしゃがんでくれているので顔が近い。整った顔が真面目な顔をしてこちらを見ている。思わず見惚れてしまうよね。
「だから、俺のこともリオネルって呼べよ」
「はい」
「はい、じゃなくて、うん、でいいだろ」
「は………うん」
「レナ、呼んでみろ」
「………リオネル」
なんだか一気に距離が近づいた気がする。若いって素晴らしいな。いや、社交性のない私がよそよそしくし過ぎただけか。思えば社会に出てから出会った人で、呼び捨てにするのもされるのもなかったかも。浅い付き合いしかしてこなかったから。ここでなら、多少なりとも変われるのだろうか。
「よし、まだ全然進んでねーから行くぞ」
「は………うん!」
返事をしたものの、リオネルの背中を見てついて行くのがやっとだった。普段の運動量は皆無。私が住んでいたのは地下鉄のない町でバスもあまりなかった為、通勤には車を使っていた。歩くことは買い物する店内か会社の無駄に広い敷地内を歩くくらい。疲れた。休みたい。こんな凸凹した道を歩くことないから体力の消耗も激しい。太腿もふくらはぎも足の裏も疲労が溜まっている。でも、情けないこと考えてないでとにかく歩かないと! と思う自分もいる。
「あの、リオネル、今、どの辺、なのかな?」
「すげー息切らしてるけど、大丈夫か?」
話しかけたことで、息切れが思いっきりバレてしまった。頑張って悟られないように黙々と歩いてきたのに。
「森に入ったことがない女ってこと忘れてたわ。ごめん。疲れたよな。休むか」
「大丈夫! 大丈夫だから!」
今ここで甘えたら休む癖がついてしまいそうだ! 最初が肝心。もっと自分を追い込まないと!
「体力温存は基本だ。俺はレナに死なれたら困るんだよ。あんたの体力のこと考えてなかった俺が悪いんだから、とりあえず休むぞ」
「………」
ちょっとだけリオネルの声がさっきより低く感じた。やばい。足手まとい過ぎて苛々してるよね。ここに来てから何やっても駄目だな。私に得意なことがあればいいけれど、身を助けてくれるような芸も何もない。
「ごめんね」
「は?」
「その………何もかも出来なくて」
迷惑しかかけられない自分が本当に情けない。
「はぁ。気にするな」
ため息つかれちゃったよ。もう消えてなくなりたい。
「これやるから、ここで休んでろ」
「?」
「昼飯だ」
「………リオネルの分?」
「俺もあるから安心しろ。少し周囲を見てくるから、何かあったら大声で呼べ」
「………わかった」
すぐに戻ってくるだろうけれど、とうとう別行動になってしまった。ちょうど切り株と大きな岩がいくつもあるところで、座りやすい高さの切り株に腰を下ろし、もらったパンと水をとりあえず摂取する。どこから出したんだろ。剣だって魔法で出したみたいだし、異次元ポケット的なやつか。そういえば、結局ここが森のどの辺か教えてくれなかったな。魔物さえ出なければ、今日は晴れてるし、森林浴みたいな感じでゆっくり出来るのに。風が吹くと周りの木々が揺れ、なんだか葉っぱの音が笑っているように感じた。今は一人だし、なんだか怖い。
「?」
なんの音だろう。音がする。そう………森に入って最初に聞いた翅の音だ! 近づいてくる。リオネルを呼ぼうかと思ったが、今声を上げたら寧ろ気付かれて危険ではないだろうか。切り株と切り株の間に私はしゃがんで、隠れてやり過ごそうとする。
しばらくすると、翅の音は通り過ぎたようで、また葉の音だけが響き渡る。よかった。どうにかリオネルを呼ばずに身を守れたようだ。そう思ったのは束の間で、立ち上がった私は一気に地面と引き離された。
「ひゃ………!」
耳元で大きな翅の音がする。どうやら、てんとう虫みたいな飛行する魔物に捕まったらしい。気が動転して声も出ないし涙も出ない。ただ漠然と、これから死ぬのかな………という恐怖が私を染めていった。