街へ
「馬車をお願い出来るところまで歩きます」
「わかりました」
馬車を使うなら、車なんて当然ないよね。私は街の中心部に向かって歩くベルナールさんの隣を歩きながら景色を見渡した。ここは街の外れなのか人の声は聞こえず静かで、鳥のさえずりや海の音が荒んだ心を少しだけ癒してくれる。気温も暖かく、上着を羽織らずとも過ごしやすい。ただ、仕事中に召喚された私はヒールのあるオフィスサンダルを履いていた為、下り坂に加え舗装されていない土の道は所々にある砂利のせいでやや歩きにくかった。街中に行ったら靴屋に寄りたいと考えたが、無一文なので悩ましい。あとでその辺のこともベルナールさんに相談しないとな。
「山田さん、大丈夫ですか?」
履いている靴のせいで歩く速度が遅れていた私を少し先にいたベルナールさんが振り返って心配そうに見ている。
「遅くてすみません。室内用のサンダルなので、歩きにくくて」
「そうでしたか。時間はありますから、ゆっくり行きましょう」
「ありがとうございます」
ベルナールさんは私に合わせてゆっくり歩き始めた。
「たしかに、今まで過ごされていた山田さんの世界とは違いますから、これから苦労するでしょう。しばらくは住むところはもちろん、衣類や食事もこちらで提供させて頂きますので、ご安心ください」
「た、助かります。ありがとうございます」
ちょうど感じていた不安が解消された。そういえば、食文化合うのかな………
「あそこに見える建物が馬車小屋です。定期的に街中を回る馬車と、行きたい所まで直行する馬車があります」
「へぇ、馬車なんて初めてです」
バスとタクシーみたいなものかな。小屋のすぐ隣に馬車が並んでいる。馬なんて生きてきてあまり見る機会はなかったが、私が知っている姿形をしていた。よかった。どう見ても普通の馬だ。小屋の裏側にはいくつかの荷車と馬小屋もあった。荷車と繋がれていない馬はそこにいるのだろう。
「山田さん、馬車を頼んでくるので少し待っていてください」
「わかりました」
ベルナールさんは小屋の中に入っていったので、待っている間、私は辺りを見て回ることにした。並んでいたのは幌付きの馬車で、一頭立てと二頭立てと大きさに種類があった。どれに乗るんだろう。馬車に乗った経験がないので、どれでも大歓迎だ。繋がれた馬は大人しく佇んでいる。
「………馬、かわいい」
黒く大きな目が私を捉えていた。艶のある栗色の毛並みだが、額から鼻にかけて白い模様があり、立ち姿が上品で目が離せない。可愛いからって撫でたらダメだよね。
「その馬可愛いでしょう?」
「!」
振り向くと背が高くスタイルの良い女性がベルナールさんと共にこちらに歩いてきていた。長い黒髪をポニーテールにしていて、焦げ茶色のつなぎに黒いブーツ姿だ。やや吊り目の黒い瞳から気の強そうな印象を受ける。
「こんなに近くで馬を見るのは初めてですけれど、大人しいんですね。可愛いです」
「見たことがあんまりないって………馬車乗ることないの?」
「………………初めて馬車に乗ります」
「初めて?!」
何言ってんだこの女………そんな声が聞こえそうな顔をされた。でも、ここまで引かれるんだから、馬車は生活の中で当たり前にある存在なんだろうな。
「あなた、もしかしてギルド長に召喚された子?」
「………そうです。それも、つい先程」
なんで知ってるんだろう。もしかして召喚する前に周囲の人間に告知でもしていたのかな。目の前の女性は私が異世界から来たとわかった途端、私を上から下まで舐めるように見た。嫌な気分だが、異世界から来た人間となると、逆の立場になったら私でもジロジロ見てしまうと思う。
「………………確かに、変わった服装ね」
なにを言われるかと思ったが、それだけだった。まぁ、言葉を選んだだけかもしれないが。ちなみに変わった服装などではない。私は白いワイシャツの上に灰色のカーディガン、黒のタイトスカートに肌色ストッキングを着用している。少し色味が地味だが、いたって普通の事務員スタイルだと………………私は思う。
「私がいた世界では地味ですけれど、これが普通でした」
「ふーん。あなたが言うように確かに格好は地味だけれど………………髪型も服装も変えたら、大変身しそうね! 今度一緒に買い物行きましょ! 私が変えてあげるわ!」
急にスイッチが入ったように、ポニーテールの女性は私に詰め寄る。距離が近くなり思わず後退りした。
「自己紹介を忘れていたわ! 私はソフィア。ここで馬車の管理や御者をしているの。気分次第でギルドへ仕事を受けに行ったりもするから、今後色々と宜しくね!」
まだギルドで働くかも、ここに定住するかも曖昧だが、ソフィアさんはそのつもりらしい。召喚する前から異世界人がギルド職員になると吹聴していたのかもしれない。とりあえず、このまま流しておこう。
「私は山田玲奈と申します。宜しくお願いします」
「ヤマダレナ? やっぱり異世界から来たとなると聴き慣れない名前ね!」
「………………やっぱり、レナと呼んで下さい」
全然違うイントネーションで聞き返されてしまったので、今後はレナと名乗ろう。
「ベルナールさんも、私のことはレナと呼んで下さい」
「わかりました。山田さんではなく、レナさんとしましょう」
こうやって少しずつ自分を変え、この世界に適応していかなくてはならないんだと思い知った。
「ギルド長、街中を案内しに行くだけだから、小さい馬車でいいわよね?」
「今日は小さくていいでしょう。明日以降でも生活するにあたり必要なもの一式買い揃える際は、大きめの馬車にしてあげてください」
「はいよー」
ソフィアさんは軽く返事をすると、一頭立ての馬車を選び「さ、行くわよー」と言いながら馬を頭を撫でた。御者席に乗り込むと、馬車を私とベルナールさんの目の前につけてくれた。
「さ、乗って!」
「はい!」
初の馬車に緊張してしまうが、乗ってみると座布団と背中のクッションが柔らかく乗り心地が良かった。目線も高くなったので、見晴らしが良く気持ちがいい。
「レナさん、初めての馬車はいかがですか?」
隣に乗るベルナールさんが微笑みを浮かべている。敬語ではあるが久しぶりに会った孫を気遣うお爺さんみたいだな………なんて、思わず考えてしまった。
「快適ですね。風も感じられて見晴らしもいいですし」
「それはよかった。馬車もいいですが。この世界に慣れたら今度は馬の背にも是非乗ってみて下さい」
馬車から急にハードルが上がる。でも、動物は好きなので、いつの日か乗馬もいいかもしれない。
少しの間馬車に揺られると、建物が増えていくにつれ通行人も増えていく。
「この辺は民家ばかりで、もう少し行くとお店が増えていきます。レナさんはお腹は空いていますか?」
ベルナールさんにそう言われ、焼き上げたパンのような甘く香ばしい香りがすることに気付いたが、つい先程この世界に来て緊張しっぱなしだからか食欲はなかった。というか、お昼休憩を取ってからここに来たから、食事は済ませている。
「いえ、私は空いていません」
「そうですか。では、このまま進みましょう」
もしかして、ベルナールさん食べてないのかな。悪いことしたかな、とも思ったが、隣を見てもそんな様子は窺えないので気にするのをやめた。
「左にある赤い屋根の建物がこの辺で評判のレストランになります。昼食と夕食の時間になると大変混みますので、行きたい時は予約するか少し早めに行くといいでしょう」
「わかりました」
予約したい時どうするんだろう。電話とかあるのかな? でも今細々と質問すると進まないから、とりあえず後でまとめて聞くとしよう。
レストランを過ぎると川が流れており、橋がかかっていた。
「この橋を越え真っ直ぐ進むと余所のギルドや商店街、治療院があり、左に行くと、この街を治めるロアン伯爵の屋敷があります」
伯爵に用はない。今後橋を超えても左に進むことはないだろう。
馬車は真っ直ぐに進み、ギルドを超え商店街に差し掛かった。………ギルドっていくつもあるんだ。
結局、商店街の中を進むには馬車から降りなければならないので、今日はそのまま外側を通り過ぎ、後日改めて買い物させてくれることになった。その時はお店に詳しいギルドの人が同行してくれるらしい。通り過ぎた商店街には楽しそうな笑い声や話し声が多く聞こえていた。
街の雰囲気はよさそうだが、あまり密な人間関係を築いて生きてこなかったので、今後買い物をした際に店の人に顔を覚えられ、どこに行くにも煩わしい気持ちを抱くことになるのではないか、などと考えてしまうのは、ネガティブな自分の悪い癖だと思う。
またしばらく進んでいくと、左側に禍々しい雰囲気を醸し出す屋敷が見えた。いや、建物自体は青緑色の屋根に白い外壁でパッと見ると綺麗な屋敷ではあるのだが、周囲の木々が枯れ果てており、地面の雑草も所々にしか生えていない。なんというか、建物から生気を感じない。誰もいない廃屋なのかな。
「あの………エメラルドグリーンの屋根のお屋敷はなんですか?」
「あれは魔石研究所です。この辺は魔石が採れる鉱山が多いので、採掘されたものはあそこで鑑定し、生活に使われる魔石と魔術に使用する魔石に分けられ市場に出回ります。私のギルドにも研究所から採掘依頼が時々ありますので、レナさんが職員になってくれたら、研究者と打ち合わせすることもあるでしょう」
「………とりあえず、わかりました」
正直、魔石も魔石の用途も何もわからないが、今ベルナールさんけら聞いた内容によると、生活の中で使う機会があるようなので、自分が使うときに確認しよう。本当に分からないことが多すぎる。
「レナさん、この建物がサザンカの寮になります。しばらくはこの寮で生活して頂こうと思います」
魔石研究所の近くに、私が今後しばらく住む予定の寮があった。まだ馴染みがないので、サザンカと言われても、ギルドの名前だとすぐにはピンと来なかったが、建物はここに来て初めて見たギルドと同じ色合いで、黒い三角屋根に赤茶色の外壁、黒い窓枠が特徴的だった。
「………寮って仰いましたけれど、何人くらいいるんですか?」
「全部で4部屋ありますが、今はリオ君しかいないから………………レナさんで2人目ですね」
おいおい、リオ君ってことは男性だよね? 危なくない? 私、これから見知らぬ男性と2人きりで寮生活すんの?
「リオ君はほとんど出歩いているでしょうから、実質レナさんだけの生活になると思いますよ」
「………そうですか」
私の引き気味の反応に気付いたのか、ベルナールさんは最後にそう付け加えた。
「この後はもう、サザンカに帰るだけですから、このまま寮の中をご案内し、休んで頂きましょう。ソフィアさん、お願いします」
「はいよ」
馬車は寮の前で停車した。ベルナールさんが先に降りて手を差し出そうとしたが、その前にソフィアさんが御者席から降り、颯爽と私に手を差し出した。女性だけれどイケメンだな。
「ソフィアさん、このまま少し待っていて下さい」
「わかったよー」
「ソフィアさん、今日はありがとうございました」
「どういたしまして! 疲れたでしょうから、ゆっくり休んで! また今度」
ソフィアさんはウインクをして手を振ってくれたので、控えめに手を振り返してお別れをした。………フランクだな。