異世界にとびました
どういうことだろうか?
会社のデスクでパソコンの画面を睨みつけながらキーボードを叩いていたはずなのに、瞬きの一瞬で世界が変わった。
私は自分のデスクではなく、応接間のような室内で、知らない白髪のお爺さんとローテーブルを挟んでソファーに腰掛けていた。
「………え?」
突然景色が変わって思わず声が出る。
何がどうなっているんだ………
このお爺ちゃん、誰?
「山田さん、その書類にわかる範囲で記入しなさい」
「え………」
目の前にいるお爺さんに、突然名字を呼ばれ困惑する。
名乗っていないのに何故名前がわかるのか………
正直、気味が悪い。寒気がした。
自分が今どこにいるのか少しでも把握する為に辺りを見渡した。
赤い絨毯が床一面に敷かれ、私が座るソファの前にはダークブラウンで重厚感あるセンターテーブルがあり、さらに奥には1人掛けソファが二つ並んでいる。派手な応接室と言った感じだろうか。
白髪頭に白い髭のお爺さんは、深緑色の膝くらいまで長いシャツに、ゆったりとしたズボン姿で、どこかの民族衣装にありそうな格好をしていた。ここからではよく見えないが、襟や裾に草花のようなペイズリー柄が入っている。室内は洋風なのにお爺さんの格好はアジアな雰囲気が漂い、私にはちぐはぐな感じがした。
「あの………ここはどこですか?」
「山田さん、その書類にわかる範囲で記入しなさい」
私の質問は、即座に先程と全く同じ文言で返された。
目の前のお爺さんには威圧感とかは全くない。寧ろ、ニコニコ優しく笑っている。なのにそれがかえって気味が悪くて寒気が止まらない。
お爺さんが言う「その書類」は、目の前のテーブルに置かれていた。手に取って見てみると、質問と回答欄が沢山ある。
名前、身長体重、現在の職種、アレルギー、日々の運動量など……
一瞬履歴書を思い起こしたが、職歴や志望動機、特技などの欄はなく、どちらかと言えば、幼い頃に友人同士で交換したプロフィール帳に近かった。
特に明かしたくないような個人情報でもなかったので、大人しく従うことにした。幸い私にはアレルギーもないし。
私の名前:山田玲七
身長:165センチ
体重:48キロ
職種:事務職
主にデスクワークな上に、自家用車で通勤している為、運動量は限りなく0に近い。
「山田さん、正直に書いて下さい」
「は、はい」
別に嘘つこうなんて思っていなかったが、ドキッとした。このお爺ちゃん、こわい。
紙に書かれた質問は、持病の有無や毎日の飲酒の量に続いた。もはや病院で書く問診票だ。
持病もないし、酒も全く飲まないっと……
遺伝なのか、酒には弱く身体がすぐに赤くなる。ビールも苦くて飲めない。それでも、同僚が仕事終わりにビールを飲んでストレス発散している姿を見ると羨ましく思う。私も飲めたら毎日が少しは楽しいのかな。
もはや、ここはどこで、何のためにこの書類を書かされているかなんて考えなくなっていた。
「全ての記入が終わったら、魔力測定に入りますから、教えて下さいね」
「魔力測定?」
なにそれ? 魔力? 魔力測定?
聞こえてきた単語に驚いて目を見開く。
私、今年で29歳だよ? アラサーだよ?
魔力って………
「書き終わりましたか?」
「………はい」
書き終わったけど………
本当に私、今何してるんだろう
目の前のお爺さんは椅子から立ち上がった。
「今、測定器を持ってきます。少し待っていて下さい」
「はい」
お爺さんは部屋の外から出て行った。
魔力測定器ってどんなもの持って来るんだろう。私、夢でも見てるのかな。最近残業続いていたし、気付かないうちに無理してたのかな。
部屋で一人になり、色々考えてしまう。自分が今どこにいるのか、あのお爺さんは何者なのか、さっき聞いた魔力測定とは何なのか、グルグルと考えてみるが、答えは出ない。
「マジかよ?!」
「本当だって! あいつ、昇格試験受けるらしいぞ!」
「はぁ?! 俺より弱いくせに試験受かるわけないだろ?!」
「知らねーよ! お前も受けてみればいいだろ」
窓の外から少し乱暴な声が聞こえた。元気の有り余る若い男性の声だ。
………若いな。試験がどうのこうので、そんなに騒げるなんて、羨ましいわ。
私にはそんなことで一緒に騒げる仲間なんていないよ。友達ほしい。
まだお爺さんは戻って来ないので、ソファから立ち上がり、窓に近付いた。
雲がなく晴れた空。とても天気が良い。緑色の地面が広がり、体格の良い男性二人が並んでいるのが見えた。建物の周りは木に囲まれているようだが、木々の隙間から海なのか湖なのか水面が見える。
本当にここはどこなのだろう。
建物のそばにいる男性二人のうち一人は、黒い髪に服装も黒っぽく、もう一人はオレンジ色の明るい髪色で、服装は白系にまとめられていた。なんとなく雰囲気で二人とも若い子だろうなと思った。
「山田さん、お待たせしました」
「!」
完全に窓の外に気を取られていて、お爺さんが部屋に入ってきたことに気が付いていなかった。声をかけられ驚いてしまう。
「外が騒がしくて申し訳ありませんね」
「……いえ、そんな」
お爺さんに目を向けると、魔力測定器なのだろうか、小型の機器を一つと野球ボールくらいの黒い球を持っていた。
「それでは、早速測りますか。ソファにお掛け下さい」
「はい」
素直に従い、私は先程まで座っていたソファにまた腰を下ろした。さっきまでは感じる余裕がなかったが、改めて座ってみるとソファの柔らかさに感動した。このソファ、絶対高い。
「山田さん、この球を両手で包んで下さい」
お爺さんから黒い球を渡される。硬さはあるが、触った感じはしっとりしていて濡れる程ではないものの水分を感じる。こんなに感触がはっきりとわかるなら、夢ではないのだろうか。
ピピピ……ピ………………ピピピピピピピピピ!
渡された球体に夢中になっていたが、反対側に腰掛けるお爺さんの方から電子機器のような音が鳴り止まない。大丈夫なのだろうか。お爺さんは手にしている測定器のボタンを押しまくっていた。
そんなに機器のボタンを過剰に押したら、フリーズしてしまうのではないか。
経験からそう思ったが、その機器について何も知らないどころか、そもそもお爺さんについても全く知らないので、黙って様子を伺うことにした。
「………く」
ピピピピピピピピピ………ピー………ピー
本当に大丈夫かな。お爺さん、絶対使い慣れてないよね。誰か他に測定器に詳しい人いないのかな。こういう年配の人が電子機器で困っている姿を見ていられないよ。
「よし、大丈夫だろう。たぶん」
「え………」
「山田さん、始めましょうか」
「はい」
本当に大丈夫なの?! 心配で仕方がないが、自分の置かれている状況も把握し切れていないので、とりあえず従うことにする。
「では、両手に包んだ球に怒りをぶつけて下さい」
「ぶつける?」
「そうです。今の私でしたら、使いにくい機器への怒りを球に込めるように握り潰してやりますね」
やっぱりお爺さん、測定器にイライラしたんだ。相当今のでストレス溜めたんだろうな。
私はお爺さんに言われた通り、球に怒りをぶつける為、最近のイライラした記憶を探した。
下らない嫌がらせばかりするお局
通常業務を周囲に押し付けデスクで菓子ばかり頬張るお局
顧客から電話応対や窓口接客で不遜な態度のお局
同僚のプライベートのスケジュールまで把握しようとするお局
ミスを指摘したら反省どころか逆切れするお局
上司にだけは媚び諂うお局
それに全く気が付かずお局の仕事ぶりを褒める上司
「ふん!」
私は数々のお局への怒りを球にぶつけた。
握り潰す!
「………………あれ?」
硬い。硬すぎる。全然潰せないんだけど。球はびくともしない。
私のこのストレスはどこに向ければいいの?
「山田さん………全然魔力ないですね」
お爺さんは少しがっかりしている。そのがっかりした様子を見て、私もがっかりした。
なんだろう………………試験に落ちた気持ちだわ。こんな気持ちになって、先程建物のそばで何かの試験の話をしていた男性達を思い出す。ああ、気持ちを分かち合える友達がほしい。
というか、たったあれだけで魔力測定出来るの? 測定器がちゃんと稼働していたかどうか、怪しいと思うけれど。
「仕方がありませんね。これだけ全く魔力がないなら、魔力測定はもういいです。この世界とこれからのことをお話ししましょうか」
「………はい」
色々思うことはあったが、やっと自分がどこにいるのか、何が起きたのかを知ることが出来ると思うと、魔力云々より前に進みたい気持ちの方が強かった。