四話 無情
それからだった、志摩さんと連絡がつかなくなったのは。
つわりが辛いだの、母が泣いて責めてくるだの、堕胎したくないだの、あたしの不安を詰め合わせたメッセージが既読になることはなかった。電話も、呼び出し音だけが続いた。
逃げられたのだ。
志摩さんが逃げるなんて、到底信じられず、何度も何度も電話をかけた。しかし、やはり繋がることはなかった。
あたしは取り乱し、泣いている母にわめきちらした。「父親がいないから、なめられるんだ。」とも言った。明日には、連絡がつく、明日には、結婚の挨拶にくる――。とりつかれたようにそう言うあたしを、母は涙を流しながら抱き締めた。
なんて、馬鹿で情けない親不孝娘なのだろう。
処置の日、晴天に顔をしかめながら母の車に乗り込んだ。病院へは車で片道十分程度。流れる景色は一瞬だが、この十分間を永遠トラウマとして抱えそうだ。
全身麻酔をうつため、昨日の晩から何も食べていない。背中と腹がくっついてしまいそうなほどの空腹を感じる。こんな気分でも、腹は減るのか。
ベッドに寝そべり、天井のダウンライトをぼんやりと眺める。
前処置として、子宮口の拡張を待っている。生理痛に似た鈍痛がだんだんと大きくなってくる。
どうして、こんなことになってしまったのだろう。志摩さんと付き合ったから?避妊を彼に委ねたから?不純異性交遊の天罰?彼が悪いの?あたしが悪いの?そんなことが頭をぐるぐるとまわる。
空腹も相まって、とても胸がむかむかする。ビニール袋を掴む手に力が入る。つわりは、見えない命を実感する唯一の体感だ。でも、この気持ち悪さも、数時間後には無くなってしまう。
志摩さんが囁いた沢山の愛は、行為に及ぶための前戯でしかなかったというのに、今まであたしは愛されているだなんて馬鹿みたいに思い込んでいた。今日これから、若気の至りでは片付けられないほどの罪を犯す。なのに今、ここにいるのはあたしだけ、彼はいない。
不思議と今日は、涙がでない。考えることに夢中なせいだろうか。あっという間に時間は過ぎた。
処置室へ通された。
これから手術だというのに実感がわかないのは、自分の中でまだ何一つ解決も納得もできていないからだ。この堕胎も、あたしの意思ではない、母の意思だ。一人で妊娠したわけでもないのに、パートナーは雲隠れ。麻酔から覚めて、もし罪の意識でおかしくなっていても、誰もきっと助けてくれない。こんなこと、誰にも話せやしない。
ここにきて急に、母や志摩さんへの怒りが噴出した。責任転嫁もいいところだが、そうでもしないと、心が保てそうもないのだ。
そうこうしているうちに看護婦が入ってきて、麻酔の入った点滴袋とあたしの血管を繋いだ。自意識過剰か、白い目で見られていると感じてしまう。辛くてそっぽを向いた。
看護婦が十を数える間もなく、幻聴だろうが耳元でシンバルが鳴らされたような音がして、じんわりと深い眠りの世界に堕ちていった。
次話、いよいよ大きく物語がうごきます!たぶん!