三話 通例
胃袋の中の固形物を出しきった。昼過ぎに食べたフライドポテトに、再び会えるとは。
「ちょっと…大丈夫?」
志摩さんが背中をさすってくれている。鼻水まで垂れ流して吐いているところなんて、見てもらいたくないのだが、それどころではなかった。
手を引かれながらベッドへ戻った。志摩さんもあたしに添うように横になる。
一息ついてから、あたしは重い口を開いた。
「…話があるって、あたし、言ったじゃないですか。」
「うん。」
「最近体調が悪くて。ずっと…吐き気が続いてて。それでもしかしてと思って、昨日検査薬試したんです。」
自分で話していて辛くなってしまい、喉がつっかえるような感覚がした。
唾を飲み込み、深呼吸して、再度口を開いた。
「あたし、妊娠してるみたいです…。」
数拍おいてから、暗い声で志摩さんは言った。
「ああ…。なんとなく、そんな話じゃないかなとは思ってたよ。」
長く、口から息を吐き出す音がした。
「母には諦めなさいって言われてしまって…。でも絶対、中絶したらあたし後悔します。志摩さん、お願いです…一緒に母を説得してくれませんか。」
母の、彼へ対する心象はかなり悪い。きちんと挨拶をして、良好な関係があれば、今頃母も孫ができたことに少しは喜びを感じてくれたかもしれない。そう思わずにはいられない。今からでも、志摩さんが畏まって挨拶に来てくれたなら、母も考え直してくれるかも。
期待を込めて、彼の返答を待つ。
「…瑠奈ちゃんはさあ…産みたいんだ?」
逆に質問を投げ掛けられ、苛立ちが態度にでてしまいそうになる。
「え…。産みたいから言ってるんじゃないですか。」
「いやね、瑠奈ちゃん。きっと学校もやめなくちゃいけなくなるよ。君のためにも、俺はおすすめしないな。」
「それに」と、彼は続ける。
「まだ病院、行ってないんでしょ?異所性妊娠だってあり得る。受診して、それからどうするか考えても良いんじゃない。」
異所性妊娠が何かわからなかったが、聞き返すことはしなかった。とにかく、彼が妊娠を喜んでいないということだけは、馬鹿なあたしにもわかった。背中越しに密着した身体、まわされた腕から伝わる体温が、冷めたもののように感じた。
「そう…ですね。志摩さんの言うとおり、かも。」
確かに、まだ検査薬を試してみた段階だ、病院でエコーをとったわけでもない。今からどうするか悩んで、無闇に心労を増やすことはないのかもしれない。
しかし、正常に妊娠していたら?彼は、やはり中絶を希望するのだろうか?
腰にまわされた腕にぐっと力が入り、引き寄せられた。
「うん、うん。来てもいない不安な未来のことを案じたって仕方がないよ。大丈夫、俺は味方だから。」
そう言うと、志摩さんはあたしのTシャツの裾から手を忍ばせ、下着に手をかけた。
ぎょっとした。今はとてもじゃないがそんな気分にはなれず、払いのける。
「嫌…。」
「…わかるよ、不安だよね。」
志摩さんはそっと手を引っ込めた。
「…まあでも、瑠奈ちゃんがどんな決断をしたとしても、ちゃんと責任とるから。心配しないで。」
「え!?」
「そりゃそうだよ。大好きな瑠奈ちゃんを苦しめるつもりはないよ。」
大好きという言葉に舞い上がる。
体の右側を下にするように寝返り、彼と対面した。彼は微笑んでいて、あたしの頬にそっと触れた。
「さっきは驚いて微妙な反応しちゃったけど、俺、子どもできたって聞いて実はすっごく嬉しいんだよ。」
その言葉が一番聞きたかったかもしれない。心が軽くなり、明るい未来が開けた錯覚さえする。
「ほんと…?てっきり、嫌なのかと…。」
彼と結婚して、子どもが産まれて――そんな未来は、きっと高校生活をひきかえにしてもかけがえのないものだと思えるだろう。
感極まり、泣き出しそうになってしまったあたしの口を、志摩さんは口でふさいだ。目を閉じて、それを受け入れた。
シャワーから上がり、髪をタオルで押さえながらスマホを見やると、通知を知らせるランプが点滅していた。チェックすると、着信が数件とメッセージが届いていた。全て母からだった。心臓をばくばくさせながら、画面をタップしてメッセージを開く。
《瑠奈、どこにいるの。帰って来て。帰らないなら、あなたの彼氏が未成年を連れまわしたとして、警察に行く。》
警察へ行くという文言が強烈で、慌てて志摩さんに、母からのメッセージを見せた。彼は事後ということもあり、かなり気だるそうに、身支度を始めた。
あたしが大急ぎで髪を乾かし、着衣を整えていると、志摩さんに「ちょっと待って。」と呼び止められた。
「出る前に一服、していい?」
彼は当然のように、肺を満たした煙を室内に吐き出した。
義父母が来たりなんだりで忙しくて更新がおくれました。