ちょうどいい天体観測
お久しぶりです。
「それでは出発〜」
「はいはい行ってら」
彼女が玄関から出ていく姿を、床絨毯にへばり付きながら見送った。
ある夏の日である。
大学の試験期間も終わって夏休みが始まり、そして少しが経過した。エアコンの効いた部屋に半分閉じこもっているので暑くもなく、蝉の声もガラス窓を隔てて遠い。
夏が遠いところにあるようだった。
「しかし、夏を遠ざけるのもまた、正しい夏の過ごし方なのであった」
ぱんぱん。両足の平を打ち合わせて、ピリオド。危うくマイナス思考に侵されるところだった。
そのままの体勢で首をそらして、仰向けにテレビを見上げる。
ペルセウス座流星群がなんたらと、若ハゲの男性アナウンサーが丁寧に紹介していた。
そう。夏らしいことを遠ざけて引きこもっていることを、後ろめたく思う必要などないのだ。なぜなら、今日、僕たちはとっても夏らしいことをするのだから!
「ででででー、ででででー、でででー」
流星群の紹介が終わったので、足をパタつかせながら、続く天気予報を眺める。
「よーし、よしよし」
夜まで快晴。
絶好の天体観測日和だ。
今夜、僕たちは公園で天体観測をする。今、彼女が、担いで行くための望遠鏡を買い出しに行っているところだ。別に担がなくてもいいけど。
望遠鏡とかわからないだろうし一緒に行こうと言ったのだけれど、その一言が彼女を熱くさせてしまったらしく、「望遠鏡くらい一人で買ってこれますぅ〜」と無い胸を張って、
「きっと理想の望遠鏡を連れ帰ってくるから!」
と駆け出していったのだった。
ゆえに僕は部屋に一人、ダラけつつ涼みつつ待ちつつ、とやっているわけだ。
「ただ、いま」
お、帰ってきた。
ぜえはあ言いながら、靴を脱いで、駆け込んでくる。
「すずちー」
胸元をパタパタやって僕のところにしゃがみこんでくるのはいいけど、今絶賛仰向け状態なもので……目のやり場に困ったのでささっと起き上がった。
「ん? どしたの?」
「いやなんでも」パンツなど見てないよ。
「ふーん。あ、望遠鏡って、レンズで遠くが見えるやつだよね?」
「そうだけど」
嫌な予感がした。
「ほらこれ! ズーム機能10倍で超特価だからこれ買ってきたよ!」
見事に一眼レフカメラだった。
「これで遠くまで見えるんだよ」
彼女がボタンを押すとレンズの部分がにょにょにょと前に出てくる。なるほど確かに望遠機能はあるのかもしれなかった。ただ残念ながら、これは望遠鏡では無い。
僕は、あまり言いたくないな、と思いながらも、指摘せざるをえなかった。
「すごいズーム性能だね。でもこれは、どうみても望遠鏡じゃないよ」
「え」
彼女の忙しなく一眼レフカメラを弄る手つきが止まった。
炎天下を駆けてきたことで滲んだ汗が、そのままポタリと落ちる音がした。
「これは、カメラだよ、カメラ。ほら、ここのボタンを押すと、写真が撮れる。もちろん、望遠性能も望遠鏡には遠く及ばない」
「そんな……レンズがあるから望遠鏡だと思ったのに」
一眼レフカメラも知らないほど世間知らずだったとは、流石に驚いた。
「望遠鏡ってのは……もっとこう、レンズが大きくて、長くて」
身振り手振りで説明すると、彼女はガバッと立ち上がって、
「今のナシ! ちょっともう一回行ってくる!」
と息急き切って駆け出そうとしたので、
「いや、わからないならついていくよ?」聞くと、
「大丈夫! 次こそは絶対!」
猛スピードで出て行った。
僕は彼女が買ってきた一眼レフカメラを手にして、部屋の写真を適当にパシャパシャ撮って時間を潰す。これはこれで使えるかも、と思った。
「ただいま!」
ややあって、彼女が帰還。
「ほらこれ!」
「ああ、これはー」
台にいくつかのパーツが乗っかるような作りで、いくつかのレンズがレボルバーに取り付けられている。これはつまり……。
「これも、望遠鏡じゃないよ。これは顕微鏡だ」
「顕微鏡?」
いや義務教育はいずこへ。
呆れながらも、僕は部屋の隅に置いていたお守りの石をステージに乗せて、適当に調整してからレンズを覗くように言う。
「これは、小さいものをすごく拡大して見ることができるんだよ」
「わ! この石の表面ってこんな模様になってるんだ……」
すごい! と喜んでいるし確かに顕微鏡はすごいんだけど、いつになったら望遠鏡を担いでいけるんだろう……埒が明かないので、今度こそ同行を買って出た。
しかし。
「お願い今度こそ今度こそ! 絶対100パーセント神に誓って!」
神様にもこんなに熱心に拝まないぞと思うほど頼み込まれたので、結局「これで最後な」と彼女を見送ることしかできなかった。
「まあ、これはこれで楽しいんだけどな」
せっかくなので石を顕微鏡で覗き込んで、倍率を変えたりして楽しんでいると、今度こそ彼女が帰ってきた。
「ほらこれ!」
「よし、やっぱり一緒に買いに行こうな」
彼女が買ってきたのはハ○キルーペだった。
どこ行ってたんだよ。メガネ屋さん? 確かにレンズだけどさぁ。
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ということで、結局二人でアウトドアショップに行って、せっかくなのでカメラと繋げて写真も撮れる望遠鏡を買ってきた。
どちらが担ぐかジャンケンして、負けたので、彼女が望遠鏡を担いでった。
一旦アパートに戻ってから、暗くなるのを待つ。
「望遠鏡って、こういうのなんだね」
「遠くまで見えそうでしょ?」
「うんうん。まさかアウトドアショップにあるなんて」
「一眼レフはまだわかるとして、顕微鏡とかハ○キルーペとか、逆にどこで買ってきたんだよ」
「駅前で超特価ってやってたよ」
「へえ、珍しい」
二人で望遠鏡の説明書を読みながら、しばし涼む。
やがて完全に陽が落ちると、僕たちは腰を上げて、野外に出た。
ムッとした熱が残る夜の空気を浴びながら階段を降り、左に曲がるとすぐそれなりの大きさの公園だ。ここなら天体観測も十分にできるだろう。
まずは公園の中央に三脚を立て、そこに望遠鏡をしっかりと固定する。接眼レンズに一眼レフカメラをはめ込んだ。あとは一眼レフカメラの方から覗き込んで、シャッターを切れば、いつでも天体写真が撮れるというわけだ。もちろんその前にこっそり夏バージョンの彼女も撮っておいた。うーん、画質がいい。
そんなこんなでセッティングが無事完了し、今は彼女が空を覗いている。
「どう? 流れ星見える?」
「んー見えない」
どうやら四苦八苦しているようだ。
と、何気なく見上げていた夜空に、一筋の光が。
「あ、今きた」
「え? どこどこ!?」
もう三脚の意味もないほど、下から持ち上げて色々な方向にレンズを動かしている。が、やはり見えないらしい。
僕が「右、あ今の左ねやっぱ右」と教えても、スピードについてこれない。
「これって……」
「うん……」
「肉眼の方が見えるやつだ……」
「そうだね……」
苦労した挙句の、思わぬ発見だった。
その後は望遠鏡そっちのけで、二人で夜空を見上げた。一夜坊主ですらなかった。彼の全盛期は3時間で終わってしまったのだった。
とはいえ、そこそこの価格のものなので、奥の星々はよく見えて綺麗だった。まあ、今日のメインは流星群だけれど。
すうっと軽やかで重力を感じない光の奇跡は、水中の魚のようだった。実際には、流れ星は重力の影響をバリバリ受けているというのも面白い。むしろ重力の化身みたいなものだ。
ふと気付くと汗が滲んでいて、知らない間に結構な時間が経っていたらしい。そろそろ帰ろうか、と彼女に声をかけようとしたところで、空が一際大きく瞬いた。
やたらと大きな流れ星がそこにあった。
今まで見てきた流れ星とはものが違った。
「綺麗」
彼女が呟くのが聞こえた。
「そうだ! 写真!」
僕は一か八かで望遠鏡に取り付けた一眼レフカメラを覗くと、連続でシャッターを切りまくった。全然見えてないけど少しでも何かしら写っていてくれたらラッキーだ。何しろこんな大きな流れ星は初めて見たんだから!
「流石にもう消えたかな」
いくら大きな流星でも基本的には数瞬で消えるので、僕もすぐにカメラから目を離そうとした。
チラリと、レンズの隅に光が見えた。
「え?」
「危ない!」
彼女の声が聞こえて、
僕が、
手を
どっかあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああん!
吹っ飛んだ。
体がバラバラになったかと思うほどの衝撃で一瞬意識がなかった。
コンクリートで背中を痛打した。
「ぐうっ」
変なうめき声が出た。
よろめきながら立ち上がると、公園の中央にクレーターができていた。
え?
うそ?
隕石?
「彼女は!」
「あいたたた、びっくりしたぁ」
声がして振り向くと、公園の隅の方に人の影が見えた。光に目をやられて詳細には見えないが、どうやら僕より遠くにいたので被害は少なかったらしい。
「よかった……」
「だ、大丈夫!?」
「なんとか」
軽く手を上げて答えると、彼女も安堵したようだった。
二人で近付いて、恐る恐るクレーターを覗き込む。中心に小さな石がめり込んでいるのが分かった。
「これが、隕石」
ブルブルと、先ほど肌を震わせたエネルギーを思い出して身震いする。打ち所が悪ければ、あるいはもう少しだけ隕石が大きければ。
今のこの隕石からは想像もつかないけれど。
しばらく身動きが取れずにいた。
何分だろうか張り詰めた空気を吸って吐いて、
「そうだ!」
いきなり彼女が叫んで走って行った。
その突飛な行動にようやく僕は正気を取り戻し、町内が軽い騒ぎになっていることに気が付いた。
彼女はすぐに戻ってきて、今度はクレーターに飛び込んでいく。
「危ないよ!」
僕はすぐに追いかけた。大した深さではないとはいえ、危険がないとは言えなかった。
彼女はクレーターの中心に降り立ち、顕微鏡のステージに、軽く火傷しながら隕石を載せた。
レンズを覗き込みながら、感嘆の声を漏らしている。
少しすると、無言で手招いてくれたので、僕も顕微鏡で隕石を見た。
なんとも不思議な時間だった。
一生、忘れることが出来ないような気がした。
「ちょうどよかったね」と彼女が言った。
いや、なんで丁度良いんだよ、ほんと。
僕は、顕微鏡にツッコまずにはいられなかった。
▼
あのあと、すぐに警察が来て、翌日事情を聞かれた。
カメラと望遠鏡も公園付近で発見されたらしい。機能は失ったものの記録は残っており、世界で初めて、直近から隕石の衝突の瞬間を捉えたとのことで、法外な値段で研究機関が引き取って行った。
その他諸々、周囲が落ち着くのにも時間がかかり、二週間が経過して、ようやくいつもの日常が戻ってきたところだ。せっかくの夏休みなのに、ここ二週間はほとんど自分のことはできていない。
ただ、久々に今日は楽しみなことがあった。
「買ってきたよー!」
彼女があの日と同じように部屋に駆け込んでくる。
手にはビニール袋をぶら下げている。中身を見ると、どうやら今度はちゃんと買えたらしい。
「私たちのことが新聞に載るなんて、感激だねえ」
言いながら、ワクワクが止まらないとばかりに、彼女はバッサバッサと新聞を広げる。
「ほら、ここだよ! ここ!」
「ムムム……」
指をさされても、文字が小さすぎて読めなぁい!
僕は、あの事故(?)以降、著しく視力が低下していた。目のよさはちょっとしたアイデンティティだったので軽くショックだ。
「そっか、見えないよね」
四苦八苦している僕を見兼ねて、彼女があるものを差し出してきた。
「これ使ってみたら?」
「あ、あの時のハ○キルーペ……」
とりあえずかけてみた。
「おお! 見える! これすごい!」
途端に文字が大きくなって、新聞を読むのが苦じゃなくなる。
『大学生が隕石の衝突の瞬間を撮影』『奇跡の一枚』だとか見出しがついて、僕と彼女のインタビューが掲載され、学者の見解が並んでいた。
ふと横を見ると、彼女が微笑んでいる。
「どうしたの?」尋ねた。
「いや」
と彼女は前置きしてから、僕の目元を指差して、続ける。
「それ、本当にちょうどよかったと思って」
それを聞いて、僕はため息交じりに、ツッコむ。
だからなんで丁度良いんだよ。
〜完〜
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