オーディンは己の無力を嘆く
マークの木刀がアルの喉元で止まる。
「…はぁっ、はぁ、…やっ、たぞ…!はぁっ…」
「おー」
マークは木刀を地面に突き刺し、片膝を着いた。
「…どう、やったの?」
アルはきょとんとしている。
「ストレングスに強弱をつけてみた。同じ踏み込みの強さでも、ストレングスの強度で移動距離や速さが違っただろ?達人ほど感覚が優れているから、そこに付け込んでみた。…戦いづらかったか?」
マークは少し、得意げだ。
もう4人で冒険をして長いが、マークが剣術だけでアルに勝ったのは初めて見た。
「…ストレングスって自分で使ったり使わなかったりできるもんなの?」
アルがマークに尋ねる。
「手を抜いて打ち込む要領じゃないから、基本的には無理だろうな。そもそもストレングスって日々の鍛錬で自然と身に着くものだから、意識的に使うものじゃない」
マークが立ち上がり、弾いたアルの木刀を取りに行く。
「僕にも教えてよっ!」
アルがいつものように教えを乞う。
「駄目だ」
マークがアルの要望を拒否した。
…珍しい。
「何でっ?ズルい!」
アルが驚きながら叫ぶ。
いつものように教えてもらえると思っていたんだろうな。
私も思ってたけど。
この数年、アルたちの稽古を見てマークの解説を聞くことで、私は戦い方を学ぶのが習慣になっていた。
まぁ、私はあまり参考になっていないけど…
「ズルくない。さっき言っただろう?ストレングスってのは無意識に高めるものなんだ。それを抑えたりしたら、アルフォンスのストレングスが伸び悩む事態になるかもしれない。…つまり、弱くなる可能性があるってことだ。そんな危険なことを教えるわけにはいかない。…それにこれは対人専用の技だ。魔族にはあまり効果的じゃない。お前が使う理由がないだろ」
マークがアルに諭す。
「いや、ズルいね!それじゃあ僕はこれからずっとマークに勝てない。ねぇ、いいじゃん。教えてよ!」
アルがマークに飛びついて羽交い絞めにする。
「…っ、やめろっ!話を聞いてたのか!?」
マークが振り払おうと動き回るがアルは諦め悪くしがみつく。
「…エリンシア!君も見てないで止めてくれ!」
オーディンの顔は真剣そのものだ。
「…父は王としては確かに歴代の方より劣っているのかもしれません。けど、僕たちにとっては大切な親なんです」
オーディンは目に涙を浮かべながらも必死に私に問いかける。
「お兄ちゃん!」
女性の手を解いた女の子が、オーディンにしがみついた。
どうやらこの子はオーディンの妹のようですね。
「…大丈夫ですよ。私はマーク10世に呼ばれた凄腕の魔術師なのです。ここに攻め入る帝国軍を撃退し、ナーシェン王の威光を取り返して見せます」
風魔法を応用して、宙に浮いて見せる。
子供たちは驚いた顔で私を見る。
「どうです?信じてもらえましたか?」
二人に笑顔で微笑むと、子供たちは目を見開いて何度も頷いた。
「…貴女はどうですか?」
先ほどまで身を挺して子供たちを守っていた女性に問いかける。
…彼女は相変わらず不信がっていますね。
2人の子供を交互に見る。
オーディンもその妹も、静かに頷いている。
「…マーク10世様の居場所はナーシェン様が知っています。…私が案内しましょう」
女性は子供達の手を取るとそう言った。
学院の地下には通路があり、王宮への直通路となっていた。
女性は黙って私を案内する。
「…どうして私を信じてくれたのですか?」
単純な興味本位で尋ねる。
こうもあっさり事が進むと、私としては少し不安ですね…
「…マーク10世様が政治に関与していると知る人は国の中枢にしかいません。仮に情報が洩れてたとしても、友人を名乗るのはおかしな話です。彼らは一部では孤高な人物ということで有名ですから…。それに…」
彼女は続ける。
「オーディン様とオフェリア様が信用できると評価したのです。…私は二人を信じます」
…彼女の握る手に力が入るのが分かった。
女性が私室の前にいる衛兵に声をかけ、下がらせる。
王族専用の私室の扉が開かれた。
…中には痩せこけた男性がうな垂れている。
「…ナーシェン様!」
「…ブルーニャ?」
虚ろな瞳のナーシェン王は力なく返事をしたかと思うと、見る見るうちに生気を取り戻した。
「…なぜ君がここに居る?子供たちまで…。何故だっ!?逃げろと言っただろう!」
ナーシェン王の怒声が響き渡る。
「申し訳ありません。どうしても貴方が心配で…」
ブルーニャと呼ばれる女性が、ナーシェン王に歩み寄る。
「どうしてもじゃないっ!この状況が分からないのか!?…私はもう駄目だ。そんな私に、妻と子供まで見殺しにさせたいのか…」
ナーシェン王の声に力が失われていく。
ブルーニャと呼ばれた女性はナーシェン王の妻だったのですね…
どうやら、地下通路から彼女達を逃がす算段だったようです。
「父さん!」
オーディンがナーシェン王に対して呼びかける。
「…オーディン。私は言っただろう?家族を守れ、と」
「はい。…ですが、父さんも僕の家族です。家族は、補い合うためにあると僕は思っています。今の僕には何もできませんけれど、この国の希望を担う方に協力を仰ぐことができました」
オーディンは歳不相応なしっかりとした口調で私を紹介した。
「…初めまして。私はマーク10世の要請を受け、増援に参った魔術師でございます」
左手に出した水の球体を右手の火で合わせて蒸発させる。
発生した蒸気が立ち込め、部屋が一瞬で霧がかった。
発動した風魔法で霧を圧縮し消し去る。
…演出としては分かりやすいでしょう。
「10世様の指示下に入って帝国軍を退けようと思います。…10世様はどちらにいらっしゃるでしょうか?」
ナーシェン王は驚き顔のまま黙ってしまう。
…少し、やり過ぎましたかね?
「…彼女は信用できるのか?」
ナーシェン王がオーディンに尋ねる。
「暗殺者なら、既にこの場で全員殺されているでしょう。…大丈夫です」
オーディンはナーシェン王の顔を見ながら強く言う。
オーディンの態度とは反比例して、ナーシェンの心根は定まってないようですね…
「…はぁ」
深く溜息をついた。
「…分かった」
ナーシェン王が立ち上がる。
「10世は今、西の都で指揮を執っている。今は帝国の軍を退けながら撤退しているはずだ。助けてやってくれ…」
ナーシェン王はぎこちない仕草で頭を下げた。
三人のために召喚術を使い、使い魔を召喚する。
ソマリやバーミラのような立派なものは召喚できませんでしたが、時間稼ぎぐらいにはなるでしょう。
…めまいがする。
魔力を使い過ぎていますね…
「…もう少しです」
飛行魔術は実用性をはるかに上回る魔力消費をする。
これほど魔力を使ったのは、マークとの訓練以来、二度目ですかね。
魔王討伐時にもここまで使っていないはず…
うわの空で飛行していると、視線の先で軍隊が争っているのが見えた。
赤い旗を掲げた軍が、後退しながら青い旗の軍を攻撃している。
「…あれですね」
大分、接近を許しているようです。
加勢しなければ…
「D地点まで引けっ!早く!」
馬に跨り指揮を執っている青年の首元には、ネックレスがかかっていた。
あの紋章は…
地に降り立ち、魔術の詠唱をする。
なるべく広範囲な魔術…
使い慣れたものがいいでしょうね…
「…よし」
青旗の軍の中央に爆発が発生し、辺り一面を吹き飛ばした。
「…はぁっ、はぁっ、はぁっ…」
…頭が痛い。
土煙で周りの状況が分かりませんが、争っている音はしませんね…
取り合えず、敵軍の殲滅は出来たでしょう。
腕を振り、風魔法で乱暴に土煙を吹き飛ばす。
煙を払うと、王国軍の姿があらわになった。
皆、腰を抜かしたように尻餅をついている。
…マーク、は…?
…意識が朦朧とする。
積荷の残骸の下に先ほど指揮官のような人物を見つける。
「…マー、ク」
残骸を吹き飛ばす。
下から、紋章を首に下げた青年が出てきた。
彼の目がゆっくりと開かれる。
「…よか…た。大丈…で…か?」
頭が回らない。
「…手加減できねーのかよ」
私の意識はそこで途切れた。
…頭痛がする。
体も怠いし…
「…んー」
…ん?
10世は?
勢いよく体を起こす。
「…目覚めたか」
目の前にはあの時の青年がいた。
胸にはマークのネックレス…
「…貴方がマーク10世ですか?」
7世とは違い、大分体格がいいですね…
「何で君がここに居る?王宮はどうした?」
…怒っているようですね。
「無事です。王国の危機を耳にして援護に来てしまいました。…すみません」
謝罪の言葉を口にする。
…やはり、マークは私に来てほしくはなかったのでしょう。
「…いや、言い過ぎた。悪い、助かったよ」
10世が謝罪した。
「い、いえ。…それより、王国軍は大丈夫なのですか?」
「あぁ。誰かさんのおかげで、帝国軍の先行部隊が全滅したんだからな。あちらも不気味がって攻撃してこない。…まぁ、それも時間の問題だろうけどな」
10世は遠くを見つめる。
「私はどれ位、眠っていましたか?」
「5時間ほどだ。…心配するな。帝国もあと二日は攻めてこないだろう。開戦は本隊が合流してから、だな」
…私が戦争に参加できる日数は2~4日ほどでしょう。
ソマリやバーミラに魔力を分けねばなりませんから、最終日は余力を残さなければなりませんし…
それまでに出来ることをしないと。
…どうしましょう?
考え込んでいる私に10世が話しかける。
「…それで、君はどこまで知っているんだ?」
10世にこれまでの経緯を話す。
「…そうか、ルーナ様達は生きているのか」
マークが愁眉を開く。
「西の都市はどうなったのですか?」
「…制圧された。…情けない話だな」
10世の表情が沈む。
「…マトイ様が貴方の心配をされていましたよ。ルーナ様も。貴方達は職務に追われて手一杯だと…」
「…それで、か」
合点がいったようですね。
「愛されていますね」
羨ましい話だ。
「…昔の話だ」
彼はつまらなそうに言う。
そこで話は終わってしまった。
「…君はこの戦いに参加するつもりなのか?」
沈黙を破り、10世が喋る。
「…えぇ。ルーナ様達とも、オーディン様達とも約束しましたからね」
2人を助ける、と。
「約束、か。…君がエルフだと言うことは周りにはバレているのか?」
マークが詰め寄る。
「ルーナ様達には知られていますが、ナーシェン王達には知られていないと思います。…貴方は私がエルフだと知られると困るのですか?」
直接正体を隠すよう言われたことはないけれど、何となく雰囲気から察してはいた。
「…人間は自分と違う種族とは相容れないようだ。物覚えは悪いし、好戦的だし、強欲だ。元々、人間と魔族の争いの発端は、人間の相容れない態度が原因のようだし…」
だから、と彼は言う。
…そうか。
もう、この世に私と同じ種族はいない。
エルフも、魔族も…
きっと人間は、不要になったら私を殺す。
10世はそれが分かっていた。
だから私の存在を少しづつ忘れさせたのでしょうね…
「…済まない。本来なら人々から崇められるほどの存在であるにも関わらず、恩知らずな真似をして…」
10世の表情は晴れない。
「…仕方のないこと、なのでしょうね」
きっとこれも。
「…あぁ」
10世は短く相槌を打つ。
…でも。
「構いません。貴方は私を憶えてくれているのでしょう?」
…彼はマークではない。
それは分かっている。
それでも、私には…
「あぁ。必ず」
姿も形も違うはずの10世に、あの時のマークの表情が重なった。
「…準備はいいか?」
「えぇ、魔力も万全ですよ」
「そうか。…前方に帝国軍が見えるか?」
「はい。扇状に進軍しているあれですよね?」
「そうだ。あの大群に向かって落雷を落とす。出来るよな?」
「えぇ。雨雲は今も生成し続けています。これなら不自然さを少しは紛らわせるでしょう」
「あぁ。では俺は軍の指揮に戻る。君はここから援護してくれ」
「分かりました。お互い頑張りましょう」
「…ふっ。その必要はないだろうな」
帝国軍が撤退していくのが見える。
軍の八割以上が一発の雷によって壊滅し、馬も人も感電した。
かろうじて生き延びた者は、息のある負傷者を担ぎ後退する。
…まさかここまであっけないものだとは思いませんでしたね。
10世の、土魔術と水魔術を組み合わせた雨雲で特殊な雨を降らす作戦は思った以上の成果が出た。
この水は、普通の水より何倍も電気を通しやすいらしい。
…よくこんな作戦を思いつくものですね。
「…っつ」
…頭が痛い。
やはり、天候を操るのは無理がありました。
2日前に比べればまだマシですが、結構魔力を使いましたからね…
「…あの雷魔術、すごかったな」
10世が城壁の上までやって来た。
「ふふっ。…そうですか?」
顔がにやけてしまう。
私の唯一の特技ですから…
「あぁ、それに対してこちらの被害はゼロと言ってもいい。…助かったよ」
本当に、と10世が礼を言った。
「…迷惑ではなかったでしょうか?」
…ずっと気になっていた。
この行いは王国のためにはならないのではないか?
これが更なる戦火に繋がってしまうのではないか?
…考えればきりがない。
やはりただの一時しのぎなのでしょうか…
10世を見る。
「…そんなことない。君は皆に頼まれ、ここに来てくれたのだろう?実際、国の危機は退けたし、ナーシェン様の命はまだある。あのまま王国が陥落していたら、確実に処刑台送りになっていた。…君は皆の命を救ったんだ。本来は俺がやらなければならないのに…」
10世はただ立ち尽くし、空を仰ぐ。
雨上がりの空…
「…私は、貴方が万能な人間だとばかり思っていました」
マークも失敗はあったけれど、彼の言うことが間違っていた試しがない。
「…君はいつもそう言うが、そんなことはない」
…きっとそうなのでしょうね。
今まで彼はそう言っていましたが、その意味を今になってやっと実感しました。
「…パーティは補い合うためにある、でしたか?」
かつてのマークの言葉を引用する。
10世は目を見開いてこちらを見た。
「ふっ。…君は本当に変わったな。次代のマークを継承したいくらいだよ」
想像もしなかった返答が帰ってくる。
…私がマーク、ですか。
「ふふっ。そうですか?それも面白いかもしれませんね」
思わず笑ってしまう。
「あぁ、あと200年ほども教えれば、君は立派なマークだ」
マークが馬鹿にしたような顔で私に言う。
…懐かしい。
昔はよく喧嘩になったものですが、今はそれがただただ嬉しい。
「…私だって、少しは成長しているのですよ?」
少しだけ意固地になってしまう。
「ははっ」
10世は笑う。
「…分かってる」
彼はそう言うと黙り、城壁に囲まれた城下町を見下ろした。