ナーシェンは迫り来る軍勢に慄く
「凱旋だ!門を開けろー!」
馬車を止めた兵士が、門の奥にいるであろう兵士に向かって叫ぶ。
「そんなこと出来るわけねーだろ。目の前の門が見えねーのか?」
城下町側の門番が冷たく言う。
目の前の門は、この前の魔族の襲撃でボロボロだ。
開閉機能がもう使えないだろうことは、素人の私が見ても分かる。
「やめて下さいっ!…恥ずかしいです」
シャロが顔を赤らめ、門番に向かって言う。
「何言ってるんですか!貴方達は魔王を倒したんですよ?もっと胸を張って下さい!」
門番は彼女の言葉を聞かずに囃し立てた。
「私は何も…」
シャロは頬に手を当て、身をねじりながら恥ずかしがる。
…少しだけ、嬉しそうだ。
「勇敢な者、アルフォンスとその御一行が凱旋したぞー!門を開けろー!」
「うるせーな!無理だって言ってんだろ!」
…怒鳴りながら言い争う二人の門番は笑顔だった。
「…んっ、んー」
目を開ける。
寝室には誰も居ない。
…そうか。
バーミラはルーナ達の世話を任せたのだった。
ソマリも彼女たちの朝食を作っているのでしょう。
「…ふあぁ」
あくびと涙が同時に出る。
…。
マトイの願いが頭をよぎる。
「10世を助けて下さい、か」
…難しいことを言う。
それが出来るなら、とうにやっているのに…
応接間に向かう途中の廊下にマトイが立っていた。
…どうやら私を待っていたようですね。
「おはようございます。…昨日のこと、考えてくれましたか?」
案の定、マトイは私に昨日の話題を振る。
…返答に困りますね。
「…はい。考えてみたのですけれど…。私には何が出来るのでしょうか?」
10年以上冒険を共にして、私が彼を助けられたことがあったでしょうか?
それは少しはあるかもしれないが、そんなものは微々たるもので、結局マークは一人でもなんでもできるのだから…
「マーク10世様は今、いっぱいいっぱいなんです。元老院は自分の利権を保守するために自分勝手ですし、今代の国王は気位ばかりが高く、虚勢だけで無力ですし、国民も不満ばかりでなんの助けにもならない。軍は王の下で暴走し、機能しているとは言い難い…。こんな状況でも国として成り立っているのはもはや奇跡です。この状況は彼の許容量を超えています。マーク様は最近、女王様の下に訪れたことがありますか?」
マトイの言葉で振り返る。
そう言えば7世以外、お会いしたことがありませんね…
その時も、今思えば別れの言葉を述べに来たかのような雰囲気でした。
…きっとマーク達はこの状況になることを分かっていて、避けられないと察していたのでしょう。
「ここ数年はありません」
100年は会っていないでしょうか…
「お願いします。差し出がましいのは重々承知しています。…ですが、このままではグレイが…」
マトイの目に涙がこぼれる。
…?
「…グレイ、というのは?」
「…マーク10世の本名です。私が子供の頃、よく遊んでもらっていました」
…そういう事ですか。
「10世のことが好きなのですね?」
マトイに優しく問いかける。
「…はい。死んで欲しくありません」
マトイは隠すことなく堂々と私に向かって言った。
…私だって死んで欲しくありません。
7世は私に、国には干渉しないで欲しいと言っていました。
今、マークの下に訪れるのは、彼にとっていい事ではないかもしれません。
むしろ、足を引っ張る行為かも…
私はいつもそう思って、手を差し伸べるのが遅かった。
冒険を共にしていた時も、国を築いてからも…
「私も同じ気持ちです」
10世にも、ナーシェン様にも、私は死んで欲しくない。
「…それでは」
マトイの表情が明るくなる。
「はい。私は一度、王都へ行ってみることにします」
応接間にはルーナとツバキ、バーミラがおり、2人は食事を取っていた。
マトイと私は遅れて入る。
「すみません。遅くなりました」
「いえ、構いません。このような豪華な食事までご用意して頂いてありがとうございます」
ルーナはお礼を述べる。
マトイの前に食事が運ばれる。
「さぁ、召し上がって下さい。お口に合うか分かりませんが…」
「えっ?女王様の分は?」
マトイが私に質問する。
…ん?
「…私は食事を必要としません。…知りませんでしたか?」
エルフは大気中のマナを体に取り込んで、それを糧にしている。
常識だと思っていましたが…
ルーナの顔を見る。
「…いえ。私も知りませんでした。そもそもエルフが実在するなんて誰も知らないと思いますが…」
…やはり、人間は私達のことを忘れてきているようですね。
ルーナとラズワルドに初めて会った時も、私を見て驚いていたようですし。
「…人間はエルフをどのように捉えているのですか?」
「アルフォンス冒険譚という昔ばなしに出てくる空想上の生物、ですかね。耳が長いのが特徴で、華奢で美人が多い。魔術という不思議な力を使うことができる、というぐらいです」
ツバキが口を開き説明する。
マトイも初めて知った、と声を漏らした。
…確かにあの冒険譚は男の子しか読まなそうな物語でしたね…
きっと現代では、小さい子供が読むおとぎ話なのでしょう。
魔術のことも知らないみたいです。
昔は人間も使っていましたのに…
「…皆さんは魔族をご存知ですか?」
…確か、グレイル様が根絶させたはずです。
今から、200年くらい前になるでしょうか…
「私は聞いたことがあります。子供の頃によく祖母から、悪いことをすると魔族が夜に復活して攫いに来ると言われていました。実物は見たことありませんが、大昔には居たと聞いたことがあります」
ルーナがそう言うくらいの認識ならば、ツバキたちは知らないでしょうね…
「俺はこの本に出てくると言うことしか…」
「私も、エルフと同じで聞いたことくらいしかありませんね」
…そうですか。
忘れられる、というのは死別とは別の寂しさがありますね…
どこか、やり切れないような…
…きっと、人間は過去を省みない前向きな種族なのでしょう。
「まぁ、昔のことですからね」
仕方がない。
…今はそう思いましょう。
食事が一通り終わり、本題に入る。
私が王都に赴く際には、気を付けなければならないことが沢山あるでしょう…
ルーナとツバキには止められましたが、私の気が固まっていることが分かると協力的に意見をくれた。
「女王様が王都に着く頃には、帝国軍が進軍し、包囲をしていることでしょう。ナーシェン様は戦場には赴くことはありませんから、王宮にいるはずです。女王様が逸話通りの魔術師ならば、きっと強力な援軍になるでしょう。ですのでまず、マーク10世にお会いして意見を聞くのが妥当だと考えます。如何ですか?」
ツバキがもっともな意見をくれる。
「そうですね。私もそう思います。…10世がどこにいるか分かりますか?」
「…どうでしょう?普段は王宮で働いていますが、旧魔王領の視察や戦場にも行くことがありますからね。どこにいるかははっきり言って分かりませんね…」
…そうですよね。
「…では、取り敢えず王都に向かい10世を探します。いなければナーシェン様と接触しようと思います。大丈夫そうですかね?」
ルーナの顔を見る。
「…どうでしょう?あの子は複雑な子ですからね…」
不安の残る返答ですね…
取り敢えずその案は、最終手段にしましょう。
「王都の方角は北で間違いないですよね?」
「はい。馬で走れば2~3時間で着く距離ですが、徒歩となると半日くらいかかるかもしれません。…本当に護衛は要らないのですか?」
ルーナは心配そうに私を見る。
「大丈夫です。それより貴女達の方が心配ですからね」
私の保護下で死者を出したとなれば事ですから…
従者の魔力は私が担保している。
ソマリの話では、むやみに戦闘をしなければ1週間は自律できるらしい。
…なるべく早く帰らなければなりませんね。
「…5日ほど城を空けます。その間、私の従者たちを自由に使って下さって構いません」
魔術を使い、風を生み出す。
「…女王様は空を飛べるのですか?」
ルーナが驚いている。
「…どちらかと言うと飛ばされてるって感じですかね?」
この移動方法は膨大な魔力を使いますし、危険なのであまり使いたくはないのですが…
「それでは行って参ります」
…何年ぶりの空でしょう?
…久しぶりにこんなに魔力を使いましたね。
疲労感と解放感に浸される。
王都近隣には30分もかからずに着いた。
本気を出せば意外と近いのですね…
魔力供給のことがなければこんなにも近いのに…
「…久しぶりですね」
城壁に囲まれた都は、私の記憶とは大分かけ離れていた。
城壁の高さは倍ほどになっていますし、敷地も広くなっている。
門へ続く道には石畳みが敷かれていて、それが四方に続いている。
発展しましたね…
「…私はいったい、何をしていたのでしょう?」
あくびをしながら頬杖を突いていただけですね…
人目を避け、城壁を越えて城下町に入る。
ソマリに仕立ててもらったマントを羽織り、フードを被る。
これで、私も目立たないでしょう。
町の雰囲気は荒んでいた。
デモ活動の跡、武装し歩き回る国民、路地裏で座ったまま眠っている孤児…
エイリークから聞いていた話とは印象が違いますね。
きっと最近の情勢がこの現状を生み出しているのでしょう…
「ナーシェン王を出せー!、ナーシェン王を許すなー!」
…遠くで行進している民の声が聞こえる。
「急がないと、ですね…」
王城の前には群衆が集まっていた。
人々は口々に不満を叫んでいる。
「帝国が攻めてきている!」、「西の都市はどうなったの?」、「軍は何をしているんだ!」、「マルス王の頃はよかった!」など、国民の溜まった感情がここら一帯に立ちこめる。
事態は深刻ですね…
「…すみません」
隣にいた男性に声をかける。
「何だ?」
筋肉質の男性は叫ぶのを止め振り返った。
「皆さんは何をされているのですか?」
「何って嬢ちゃん…。…抗議だよ。ナーシェン王のせいで国は壊滅だ。こんな勝ち目のない戦いに自信満々に挑んだんだ。その結果この有様なんだから、王様がしっかりここに立って説明してくんなきゃ、俺たちは収まりがつかない。だから俺たちは集まって、王様に抗議してるんだ」
周りでは、人々が声を揃えて「説明しろー!」と叫んでいる。
こんなことしている場合ではないでしょうに…
「ナーシェン王は中に?」
「あぁ、閉じこもったまま出てきやしねぇ」
彼の顔には眉間の皺が寄っている。
…相当不満が溜まっているようですね。
「マーク10世も中に居るのでしょうか?」
早く彼を見つけ出さなければ…
「…マーク10世?知らねぇな」
男性が首を捻る。
…ん?
国の中枢の人物ではないのですか?
「王国の宰相です。知りませんか?」
「俺も政治には詳しい方だが、聞いたことねぇな。…ん?でもマークって言ったら学院の理事じゃなかったか?」
…学院?
「学院って?」
「あそこに立派な建物があるだろ?あれの出資者がマークって奴だった気がするぜ」
男性が指を指す。
「あそこは、頭のいい奴が通う学舎なんだ」
男性に礼を言い、学院の前まで来た。
学院は封鎖され人気がない。
…たぶん、ここがマークが建てた教育機関でしょう。
誰か、マークの居場所を知っている人がいるかもしれません。
中に入って様子を見てみましょうか…
建物の中は広く、机が並べられた大部屋がいくつかある。
中は無人で物音一つしない。
「…誰かっ!誰かいませんか!」
私は叫びながら中を探索する。
「…」
…遠くでかすかに話し声がする。
あちらの方向ですね…
…話の出来る人だといいのですが。
開かれた扉の先には、小さな子供たちと一人の女性がいた。
女性は子供たちを手で覆い、私を睨む。
「誰ですか?ここには貴方達の望むものなんてありませんよ!」
…どういうことでしょう?
少し疑問が残りますが、今は10世の所在が重要です。
「別に怪しいものではありません。…貴女はここで働いている人ですか?」
「貴女こそ誰ですか?ここは立ち入り禁止のはずです!」
彼女は私の質問に答えない。
「私はマーク10世の友人です。此度の戦争の援軍として訪れました。私はこの争いを終わらせたいのです」
彼女たちを落ち着かせるよう、冷静に話しかける。
「10世様は何処ですか?彼の力が必要なのです。居場所を知っているなら教えて下さい」
私が頭を下げると、女性に囲われていた一人の男の子が私の前に出てきた。
「…オーディン様!」
女性が手を伸ばし叫ぶ。
「…今の話、本当ですか?」
彼の目は鋭い。
「えぇ、本当です。10世様の居場所を知っているのですか?」
子供の目を見る。
「…分かりました。教えましょう」
「オーディン様っ!」
女性が身を乗り出し、オーディンと呼ばれる男の子の前に立った。
「大丈夫ですよ。…彼女は信用できそうです」
「…ですがっ!」
オーディンが女性の手を下す。
「お願いします。父を、ナーシェン王を助けて下さい」
オーディンはそう言うと、深く頭を下げた。




