マルスは帝国に土を付ける
「…なぜ人は争うのでしょう?」
スコップで穴を掘りながら、シャロは誰に言うでもなく呟く。
「…邪魔だからじゃないか?」
それ位しか思い浮かばない。
「…そんなことでっ!」
シャロのスコップを握る手の力が強くなるのが分かる。
感傷に浸っているのだろうな…
こんな状況じゃあ仕方がないか。
「…私は魔族も、人も、どちらにも死んで欲しくはないのです」
シャロは村人の死体を穴に入れ、祈る。
「でも戦わなければ、人が死ぬぞ」
アルはそれが嫌で戦っている。
「分かっています!…でも、魔族だからって殺していい理由はありません。いい魔族だって探せばきっといるでしょう…」
シャロの手が止まる。
「…それを私たちが見分けることができないだろ。割り切るしかない。…仕方のないことだ」
「…エリンシアさんはいつもそう言いますが、…私は、諦めたくありません」
シャロの決意は固い。
「ではどうする?魔王城へ行くのは諦めるのか?今ならまだ間に合うぞ」
「そ、それは…」
シャロが言い淀む。
…。
「…アルに相談してみろ。きっとそれなりの答えをくれるはずだ」
…それに。
「それに、いいきっかけになるだろうしな」
シャロを見る。
「…もうっ!」
頬を膨らまして怒っている。
シャロは再びスコップを持ち、穴を埋め始めた。
「女王様、シーツを取り替えます。いい加減起きて下さい」
バーミラにたたき起こされる。
「…済みません。もう少し」
起きる気になれない。
「そう言って、もう何年になったかお分かりですか?」
…分からない。
ラズワルドが来て、どの位経ったのかしら?
2人は結局、あの日からここに訪れていない。
「お気持ちは分かりますが、いつまでもそうされていても困ります。貴女は、女王なのですから…」
…女王、か。
王と言っても、エルフは私一人だけですし、従者も二人だけ…
そんな名ばかりの王に何を期待しているのでしょう?
「女王様、お客様です。3名だと思われます」
寝室に来たソマリが私に告げる。
…ラズワルド?
「本当ですか?」
「はい。一時間ほどで来られます」
「分かりました。バーミラ、準備を!」
身だしなみを整えなければなりません。
「…お久しぶりでございます。女王様」
若い男性に支えられた老婆が私に言う。
…誰でしょう?
お久しぶりです?
その赤髪…
「ルーナさん、ですか?」
…本当に?
「…憶えていてくれたのですね」
ルーナは曲がった腰で礼をした。
応接間に通し、ソファに腰掛ける。
「…お久しぶり、ですね」
あまりそんな気がしないですが、ルーナの姿が私に現実を突きつける。
「はい、60年ぶりです」
…60年。
そんなに…
「この子は息子のツバキ、この子は孫のマトイです」
2人は私に礼をする。
「…結婚されたのですね」
「はい。あれから色々ありましたからね…」
私の問いに、ルーナは遠くを見ながら答えた。
「…今日は、どうされたんですか?」
ルーナの顔を見ながら尋ねる。
「…実は、私の住んでいた国が隣国と戦争を始めまして、私達一家はそこから亡命してきたのです」
王国が遂に帝国と…
「…そうですか。ルーナさんとツバキさんの伴侶は?」
…嫌な想像をしてしまう。
「私の旦那は老衰で、息子の奥さんは病気です。この戦争は関係ありませんよ」
そうでしたか。
喜ばしいことではありませんが、ひとまず安心ですね。
…そういえば。
「弟のラズワルドさんはいないのですか?」
ルーナの年齢から、あの子はもう王様ではないでしょうけれど…
「…実は」
彼女は言いにくそうな顔をしている。
「…なんですか?」
優しく問いかけ、話を促す。
「実は、私はレミング王国の王家の血筋なのです」
黙っていてすみません、と彼女が謝る。
…。
知っていましたけれど…
どうしましょう?
知らなかったふりをした方が良いでしょうか?
「…なぜ黙っていたのですか?」
無難な質問でお茶を濁す。
「…すみません。私達の身分をおいそれと言う訳にはまいりませんでしたので…。私達の先祖と女王様が冒険仲間だと知ったのも、マーク9世様とお話した時に知りました。…決して悪意があったわけではありません」
ルーナは頭を下げたまま説明する。
「顔をお上げください。私は別に怒ってはいませんよ。…それより、王国の現状を教えてください」
ルーナの肩に手をやる。
「はい。…私の弟ラズワルドは、王国の12代国王になりました。ラズワルドの即位した当時から、切迫した雰囲気があったのですが、開戦したのはラズワルドの息子、マルスが即位してからです。戦の相手はヌートリア帝国という強大な国で、王国の広大な土地と技術力を危険視したため、戦争に発展したようです。マルスは幼少の時からマーク10世と共に学び、開戦当時は負け知らずで軍神とまで呼ばれるようになりました。しかしマルスの息子、ナーシェンは父の功績に胡坐をかき、努力を怠ってしまったのです」
…情けない話ですね。
マーク10世は何をしているのでしょう。
「…とは言うものの、ナーシェンばかりを責めることは出来ません。当時王国の防衛は万全で、大国のヌートリアにも引けを取らないとなると、参謀も兵も民衆も図に乗ります。このまま守り続ければ、帝国も諦めるだろうと皆が思っていましたし、軍神と謳われるマルスがいればこの国は安泰だと考えられていたのです。しかしマルスは病弱で、度重なる戦に疲弊し、流行病で亡くなってしまいました。ツバキの奥さんもその病で…」
ルーナの顔が暗くなる。
「…すみません。悲しい過去を思い出させてしまって…。続きを話すことは出来ますか?」
「…大丈夫です。マルス亡き後、その一人息子のナーシェンが即位したのですが、あの子の手腕ではどうにも…」
…どうやら王国は大変な状況みたいですね。
「マーク10世はどうされているのですか?」
彼の意見はやっぱり参考にしたいですしね。
ルーナの表情を見る。
彼女の顔色は変わらない。
「…実は、詳しいことは分からないのです。私は婚姻を結んで王家から出たので、最近まで王都から西にある街に住んでいました。国内情勢も数年に一度のパーティなどで、聞く程度のものしか知りません。王都に住んでいることは分かるのですが…。…私は彼が心配です。私は9世と10世の二人を見てきましたが、はっきり言って彼らは異常でした。二人とも仕事熱心なのは素晴らしいと思うのですが、私事を捨てた機械のような人たちでした。私は彼らが休んでいる姿を見たことがありません。…女王様も、マーク様とはお知合いなのですよね?」
ルーナは私に質問する。
「はい。と言いましても9世と10世はお会いしたことがありませんが…」
「そうなのですか。その割には大分親密な様子でしたが…」
ルーナは不思議そうに私を見た。
…今代にも、マークはしっかり継承されているようですね。
「…そうですか。大体、王国のことは分かりました。ルーナ様達は亡命されたとおっしゃっていましたが、王都も落とされたのですか?」
「いいえ。占領されたのは今のところ西の都だけです。そこは帝国領と隣接しておりまして、今回の争いで遂に帝国に突破されてしまったのです。私達は町から何とか逃げ出したのですが、王都側は人が多く、敵国兵の目もありまして…。そこで、昔に訪れた女王様の王宮に助けを求め迂回してきたのです。幸い、この森近隣には兵はいないようでしたので…」
…そうだったのですか。
ルーナ達は命からがら、必死で逃げてきたのでしょう。
よく見れば、ツバキはあちこち切り傷がありますし、マトイのスカートには泥が付いています。
「…大変な道のりでしたね。今日はひとまずお休みください。明日、また落ち着いたらこれからについてお話ししましょう」
バーミラを呼ぶ。
「困ったことがあれば彼女にお伝えください。最大限配慮しましょう。気長に滞在して下さっても結構ですよ」
悠久の時を生きるエルフは気が長い。
例え、マトイの天寿が全うするまで居ても困りません。
…むしろ、話し相手が増えるので嬉しくもありますね。
まぁ、そんなわけにはいかないでしょうけれど…
「…すみません。お言葉に甘えさせて頂きます」
ツバキは私に一言挨拶するとすぐに寝室に入って眠ってしまった。
彼はほとんど喋らなかったが、やはり相当疲れていたのでしょう。
マトイを連れ、ルーナを担いで遠く離れたこの地まで、周囲を警戒しながら来たのですから。
ルーナは私と少し談笑した後、浴場へ行った。
彼女ももう70をゆうに超えている。
人間で言えば相当な長寿ですね…
「…あのっ!」
甲高い声が私の後ろで響く。
後ろを振り向くと、そこにはマトイが立っていた。
この子もそう言えば王族なのですよね。
敬称を付けた方がよろしいでしょうか…
「どうされました?マトイ様?」
笑顔で微笑む。
この子はルーナの子供の時と瓜二つですね。
あの時より、少し大人びていますが…
「じょ、女王様っ!お願いがあります」
マトイが力強い眼差しで私に言う。
「…なんでしょう?」
私に出来ることならいいのですが…
「…マークを、…マーク10世様を助けて下さい」
…思いもしない言葉が彼女の口から出てきた。