雲月の龍
私は昔、龍を見たことがある。幼い時、部屋の窓の外を覗くと夜空に金色に輝く、揺らめく影を見たのだ。その今までに見たことがない神秘さと、月の見えない夜空でみるにはどうにも異質すぎた存在感に、なにも知らぬ私は「これは龍だ」と思ってしまったのだ。
それから数日は自分が龍を見たということに地面から足が浮いたような心地でいた。しかし、その心地も長くは続かなかった。パパとママに教えたい、友達に自慢したい。そんな傲慢な心を持ってしまったのだ。
「気のせいよ、それは」
「りゅうなんて本当はいないんだよ」
「きっと夢を見ていたんだよ」
「信じられないよそんなの。ばかみたい」
その気持ちがダメだったのだ。誰からもすごいと言われることはなく、自分も見たという人もいなく、ただただ私が可笑しな子供になっただけであった。
高校生になり、私はもうそんなばかなことは言わなくなった。しかし未だに私はあの龍が夢だとも幻だとも思っていない。ただ、言わなくなっただけなのだ。
天気予報士が雪が降るかもしれないと言った日、少しだけ早めに家を出る。空には少なくない量の雲が、十分な厚さをもって存在していた。学校にそろそろつくという時、視界に白いものが映った。あと数歩もすれば正門という場所で、上を見る。雪にしては少し速度が速いようにも見えるが、確かに雪が降っていた。カン、カンと音を立てそうな調子でコートに当たった雪が跳ねていく。下を見ればアスファルトに当たった雪が砕けて転んでいった。
(金平糖を落としたような…いや、それは在り来たりな)
雪のような静けさもなければ、雨のような騒々しさもないそれは、霰のようであった。確かにお菓子のようで可愛らしいそれは、偶然にも口に入った時、甘いように感じられてしまった。想像と現実が口の中で混じり合っていた。これはきっと、誰にもわからない感覚だ。こうして人知れず私は己の感性に少し高揚とした気持ちを抱いたのだった。
課外が終わり、学校から出ると、外はもう夜になっていた。日に日に感じる冬の訪れが、冷たい風となって私に再度感じさせた。どうにもいつもよりも、冬だとしてもいつもより、暗く感じる道を通る。その時、そういえば昨日、明日は満月だなあと思いながら寝たのだったと思い出した。満月にしては今日はとても暗かった。雪雲のせいだろうか?そう思い東を見る。と、
「あ……」
暗い暗い夜空のむこう、金色に輝く細長いそれがあった。幼い頃にみた、龍だ。つい足が止まり、龍に釘付けになる。あの時の記憶そのままの、神秘的で、異質な存在感を持っていた。私は龍から目を離したくなった。それが龍だとわかった瞬間、私が何を見ていたのか、同時に分かってしまったからだ。しかしそんな気持ちとは裏腹に、目は龍からそらされることはなく、その龍の本当の姿を見ようとしていた。
だんだんと太くなっていく龍の胴体。それは数秒もすれば龍の形を作ることさえままならなくなり、残ったのは雲と、そこから這い出てきた月だけであった。満月が、龍の独眼のように私を見つめてきた。
私が見た龍は、月と雲であった。
厚い厚い雲の向こう、月はだんだんと登っていく。雲の上部、すこし薄いそこは月の光を通した。月のほとんどを隠している雲が、唯一光を分散させ、龍として私の前に現れたのだ。
私は見なければよかったと思った。しかし、見てよかったとも思った。長年の夢を壊されたような心地と、あの時の私は、こんな奇跡のような瞬間を見ていたんだという高ぶった心が、私の中で同居していた。
足を動かし、家へと向かう。もう雲月の龍の夢は見られない。しかし、私はいつだってその龍を認識することが出来るのだ。その事実に気づいた時、私の同居した心を、それは全て喜びに塗り替えていった。
もう、人に龍のことを言うつもりはない。私に共感できるのは、私しかいないのだ。むしろ、この感覚を自分という人間と共有出来ることが何よりも幸福に思えたのだ。
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