終わりではない、なくなりかた
答えが出ない毎日に飽き飽きしていた。
そんな毎日に、終わりが来ることを望んでいた。
段々と掠れていく視界に、段々と薄れていく意識に。
あぁ、これで終わらせられる。
そう思った。
これで、解放されると。
胸の中は“歓喜”、その一言で一杯だった。
どこかふわふわとする心地で、意識が浮上する。
ハッキリしない意識の中、俺は“白いそれ”を見つめていた。
「大丈夫ですか?」
近くから人の声がして、それに合わせるように、徐々に意識も視界も晴れてくる。
先程から見つめていたそれが白い天井だと分かると、自分の置かれた状況を何となく理解した。
「……生きてる」
この世から消えるはずだった自分が在ることに驚きを隠せず、小さく呟く。
何かしらの影響があったのか、いつもと違う自分の声に強い違和感を覚えた。
目線を動かすといつも以上によく見える視界に、苦笑する。
手を軽く握ると力こぶが容易にできた。
目を覚ましたばかりだというのに、今なら何でも出来るような気がした。
「……大丈夫です」
近くに立つ、看護師らしき人物に返事をする。
知らない部屋に知らない人。
最悪など言えない。
助けて貰ったことはありがたいと思うべきだ。
けれど、心の奥では違うことを考えていた。
ようやく終わることが出来ると思ったのに。
結局、許されないことなのか。
そんな、他人から見れば可笑しいと指をさされて笑われるようなことを。
母が聞いたら泣くだろうか。
父が聞いたら怒るだろうか。
誰もが一度は考えるだろうそれを、今まで一度も考えたこともなかった。
俺は親不孝者なのだろうか。
「驚きましたよ。あの高さから飛び降りたというのに殆ど無傷だったんですから」
彼の言葉が遠く聞こえた。
彼とは、看護師と思わしき人物のことだ。
胸の位置にあるネームには咲間、と書かれていた。
一体、咲間は何を言っているのだろうか。
“あの高さから”。“殆ど無傷”。
頭が働かず理解できなかった。
俺は相手の言葉は無視して、気になっていたことを口にした。
「……ここは。ここは、どこです」
「見て分かる通り、ここは病院の病室です。貴方はビルの屋上から落ちたんですよ」
自分の予想と同じ回答が返ってきて、安心する反面、自分自身の覚えのない行動に戸惑いを隠せなかった。
ここまで傷が少ないのは奇跡としか言いようがない、と先生も仰っていましたよ。と咲間は続けたが、俺にはそれが理解できなかった。
その行動をとった覚えがないからだ。
いくら、奇跡だと騒がれようとも、自分自身が覚えていなくてはどうしようもない。
俺は大きく胸をふくらませるように、慣れない消毒液のにおいがする空気を肺一杯に吸い込む。
そうして、自分を落ち着かせようとしたのだ。
あれから咲間にここの説明を受けた。
こことは言わずもがな、俺がいる場所のことである。
総合病院の特別棟、四階の角部屋らしい。
どこの総合病院か、特別棟とは何かという説明は聞かなかった。
彼は俺にここにいるために必要な最小限の情報しか与えなかったのだ。
この部屋の位置、トイレの場所、風呂の場所と使い方、使用できる時間。
そして、最後に。
俺はしばらくここから出られない事。
俺は普通ではない事。
当然のことだと思っていたが、自分が思っていた事とは違う理由かららしい。
いろいろ聞かれるから覚悟しておけ、とも言っていた。
「……聞かれるって言われても、なぁ」
ベッドの上で小さく呟く。
何を聞かれるのか分からない現状で、心構えも何もない。
きっと、“理由と方法”についてなのだろうけれど。
話したところで“理解される”ことは無いだろう。
俺は随分前から諦めていた。
答えが出ないから、なんて。
実際のところは未遂ではあるのだが。
笑われるのがオチか、それとも可哀想だと思われるのがオチか。
「……俺は飛び降りなんてしていない」
ここにはいない、彼の言葉を思い出してベッドに拳を叩き付けた。
目を覚ましてから数時間。
今の今まで考えていたことがある。
もしも、それが真実だというのなら。
俺は違う意味で全てを失ったのだろう。
白く、細かったはずの腕。
筋肉が付きにくい体質だったため、付いていないように見えた腹筋。
少し伸びた前髪。
そして、何より――
俺は、睡眠導入剤を大量に服用するという方法で、この世から去ろうとしたのだから。
「野々村さん」
病室のドアが開き、看護師の女性が声を掛けてきた。
その、澄んだ声に俺の中の仮定は全て真実のものとなった。
「……この人は野々村、という名前なのですね」
そう、俺は“野々宮”という人物と体が入れ替わってしまったらしい。