8
理科の発表は、二学期が始まってすぐ行った。
もちろん私の班の発表は大成功! これも全部ツバキのおかげなんだけどね。
ツバキは班の人をまとめるのがとても上手くて、もうみんなツバキに頼りっぱなしだった。まあ私もそうだけど……
ああ、あの班は最高だったなあ。毎日がすごく楽しくて、幸せだったなあ。
それに比べて、今の班はすごく嫌だ。
別に何か班に不満があるわけではない、何か問題があるわけではない、むしろ優秀班と言っていい。
しかしあの楽しかった班と比べると、どうしてもこの班は劣ってしまう。
「ああ、ツバキ……」
放課後の教室で一人座って、夕焼け空を眺めながらそう呟いた。
秋の夕焼け空はとても綺麗だ。しかし私の目にそんな景色は入らなかった。
そう、私はこの頃ツバキのことばかり考えているのだ。ツバキのことしか目に映っていないのだ。
それも今に始まったことではないが、前よりも考えるようになったのだ。
時や場所を問わず、いつでもどこでも頭の中はツバキでいっぱい。
「あ、マイコ、まだいたんだ」
後ろのドアからアイが入ってきた。
しかし私は見向きもせず、ツバキのことを考えていた。
ツバキの住所と電話番号はもう知っているし、誕生日や血液型や趣味まで知っている。
他に私の知らないことがあるのだろうか。いや、きっとまだまだたくさんあるだろう。
でも、このクラスで一番ツバキのことを知っているのは私だろうな。
私しかいない、そう、私ただ一人がツバキの理解者。
それなのになんでまだ二人は結ばれないのだろう。こんなに私は好きなのに。
「……イコ、マイコ!」
はっとした。
前に目を向ければそこにはアイの顔。
「あ、アイ。ごめんごめん、ちょっと考え事してて」
「……マイコ、最近様子おかしいよ? どうしたの?」
アイが怪訝な顔をしてそう言った。
確かに私は四六時中ツバキのことを考えているが、表情に出てしまっているのだろうか?
「ううん、なんでもない。なんか最近ボーッとすること多いんだよね」
「何かあったの?」
「うーん……眠いのかな?」
別にアイに隠すつもりではないのだが、なんとなく言いたくなかった。
アイは私がツバキのことが好きだと知っているが、なんとなくアイにツバキのことを話したくなかった。
恋愛相談、ってタイプじゃないんだよな、アイは。
「マイコ、ツバキのことを考えているからいつもボーッとしてるんじゃない?」
アイは最初から気づいていたのかもしれない。
さすが長年寄り添ってきただけある。
「……アイにはごまかせないね。そうだよ、私ツバキのことばかり考えているの」
「マイコ」
「やっぱりツバキはかっこいいよ。私には眩しすぎるくらいだよ」
「聞いて、あのねマイコ」
「こんなに私は好きなのに、どうしてツバキは振り向いてくれないんだろう? まだ私の努力が足りない? まだツバキと釣り合える女の子じゃないから?」
「……なんか、マイコ。ツバキと出会ってマイコは変わっちゃったね。おかしくなってる、というか……」
おかしい、ということは自分でもわかってる。
でも恋とはこういうものなのだ。
好きすぎて辛い、好きすぎておかしくなる、という気持ちをきっとアイは知らないのだろう。
アイは初恋もまだだしなあ。仕方ないか。
「アイ、恋をすると人は変わるの。ツバキに恋してすごくわかったよ。それにね、恋はいつも戦争なの。もたもたしてると誰かに盗られちゃう。だから決めたの、私ツバキと結ばれるためならどんなことだってするって。ライバルは蹴落とすつもりだし、ツバキへの好感度が上がるなら、どんなチャンスも無駄にしない。私は恋に生きるって決めたの」
「マイコ、どうしちゃったの? いつものマイコじゃない、まるで別人みたいだよ」
「そうかな? ああ、恋をすると人が変わるって本当だね。自分でもわかるもん。でも私は変わらなくちゃいけないの。ツバキにふさわしい女の子になるためにね。やっぱりツバキも女の子らしい子が好みなのかな」
「そんな、マイコが変わる必要なんてないと思うけど……」
アイは何もわかっていない。
好きな人のために自分を変えるということが、どれほど大事なのかわかってない。
アイはこういう知識は皆無だからなあ。
「……それにマイコ、こんなこと言いたくないけど、ツバキは」
アイがとても悲しそうな顔をしてこう言った。
それは確実に、私たちの仲が壊れる威力を持つ言葉を。
「ツバキは、マイコが思っているほどいい人じゃない」
今、アイは、
アイは今なんて言ったの?
「マイコ、ツバキへの想いは捨てるべきだと思う。あんな奴と一緒にいて、マイコが幸せになるとは思えない」
その瞬間、アイは確実に私の逆鱗に触れた。
相手が誰であろうと、ツバキの悪口を言うなんて、
――許さない。
「……アイ、どうしてそんなこと言うの」
湧き上がる怒りを必死にこらえようとした。でも無理だった。
私はものすごい目つきでアイを睨んで掴みかかった。
「なんで! どうして! アイは私の親友でしょ!? どうして私の恋を応援してくれないの!? 親友なら、親友の恋の応援をすることは当然でしょ!?」
「違う! 私はマイコのためを思って言ってるの! マイコはツバキのこと勘違いしてる! ツバキがいい人なんていう妄想、もう捨ててよ! 現実を見ようよ! ツバキは悪い奴なんだよ! あんな最低な奴、好きになったら絶対後悔するよ!」
「妄想なんかじゃない!ツバキは誰よりも優しくて、誰よりも正義感が強い人なの!アイだって知ってるでしょ!?」
「違うの! お願い……マイコ、目を覚まして……私の話を聞いて……」
アイが何を言っているのか、私には全然わからない。
ツバキが悪い奴? 妄想にとり憑かれているのは、アイの方じゃないか。
だってツバキはあんなにもかっこよくて、優しくて……
「……アイが、そんなこと言うなんて思わなかった。ツバキのことを悪く言うなんて……」
「マイコ……」
「もうアイがわからないよ。なんなの? 私たちの中を引き裂いてどうするつもりだったの?」
ここで最悪な考えが頭をよぎった。
まさか、アイに限ってそんなはずはないと思うけど……
もしかして、もしかしたら。
「アイはツバキのことが好きなの?」
「え……?」
「ツバキが好きだからそんなこと言うんでしょ!? 私たちの中が羨ましくて! 引き裂きたくて! だからこんなこと言うんでしょ!? そっか、そういうことか。やっとわかったよ、最低なのはアイの方だよ。私そんな手には乗らないから。そんなことで、ツバキを諦めたりなんかしないから」
「だから違うって! マイコ何か誤解してるよ、ツバキは」
もうアイの話なんか聞きたくない。
こんな子だなんて思わなかった。もしかしたらずっと騙されていたのかもしれない。
裏切りもいいとこだ。こんなことになるなんて思わなかったな。信じてたのに。
「アイなんて、もう親友でもなんでもない。消えて。私の前から今すぐ消えろ!」
私は叫んだ。アイに怒りをぶつけ、『親友』に言ってはならないことを言った。
でもいいんだ。だって、アイはもう『他人』なのだから。
アイがなんで突然そんなこと言い出したんだろうと気になったが、もうそんなことどうでもいい。
私は教室を飛び出した。
アイがその時私に言いかけたことも、どんな顔をしていたのかも、私は知らなかった。