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ギリギリ授業に間に合った私とアイは、互いに息を切らしていた。
教室から理科室までの距離は結構ある。階段を下りて廊下をダッシュ!
なんてやってたら疲れるのも当然だな。
理科室の席は新しい席になっていた。
新しい席といえば、私の席はツバキの後ろ……
ダメだ、さっきのアイの話で変にツバキを意識しちゃう……
私は新しい席に着いた。
「どうしたんだマイコ? 顔が赤いぞ」
ツバキに声をかけられ、私はつい肩が跳ねてしまった。
「えっ? な、なんでもないよ、気にしないで」
今の会話は普通にできただろうか。
これも全部アイが変なことを言うからだ……!
全てをアイのせいにして、私はアイを思いっきり睨んだ。
授業の内容は耳に入らなかった。
どうやら今日は実験をするみたいだったが、その説明も全く聞いていなかった。
頭の中がツバキでいっぱいだったからだ。
ただの友達なのに、なぜこんなに意識してしまうのだろう。
なぜツバキと普通に話せないんだろう。
(はあ……アイのせいで、ツバキとまともに話せなくなっちゃったよ……)
気が付けばみんなは実験の準備をしていた。
これから何やるんだろう。いや、もうそんなことどうでもいいや……
今はツバキのことしか考えられない……
「マイコっていつもぼんやりしてるよな」
「えっ?」
ツバキから突然話しかけられた。
びっくりした私は声が裏返ってしまった。変に思われていないだろうか。
「その様子じゃ、先生の話も聞いてなかっただろ」
「うっ……おっしゃるとおりで……」
「はあ……今からやる実験は、炭酸水の実験だよ」
「炭酸水? 飲むの?」
「何言ってんだよ、とにかく実験やるから、マイコは水槽に水入れて」
「……? わかった」
今日は炭酸水の実験をするのか。
ん? でもなんで炭酸水の実験で水槽を使うんだろう?
机には他にも試験管とかビーカーとかあるし……
相変わらず理科はわからないことだらけだ。私には理解不能。
ツバキに言われたとおり、水槽に水を入れて持ってきた。
これで炭酸水の実験? 何をやるんだろう?
私は水槽を前に呆然としていた。同じ班の人たちは実験の準備をしているのに。
何をやっているのか全然わからない……確かリレーの時も、先生の話やチームの話を聞いてなくて、すごく損をしたことがあったっけ。
呆然として立ち尽くしていると、ツバキから声をかけられた。
「マイコ、本当に先生の話聞いてなかったのか?」
「それは……それよりも炭酸水なんてどこにあるの? あるのは実験道具と水だけみたいだけど」
「だーかーら……炭酸水を作るんだよ、俺たちで」
え? 炭酸水を? 作る? あのお店で売ってる?
「炭酸水ってあのー……しゅわしゅわしてるやつ?」
「うーん……マイコの想像してる炭酸水とは違うな……」
「作ったら飲むの? おいしいの?」
「いや、多分飲まないよ。てかその前に、これは飲めないし……」
飲めない炭酸水? なんじゃそりゃ。
「それじゃ炭酸水じゃないよ。ツバキ、炭酸水を勘違いしてるよ」
「勘違いしてるのはマイコの方だって。あー……何から説明すればいいんだろう」
ツバキは心底呆れた様子だった。
私は今何か変なことを言っただろうか。
私の頭の中はハテナマークでいっぱいだった。
「マイコ、炭酸水って泡が出るだろ? あれ中に二酸化炭素が入ってるからなんだよ。……二酸化炭素くらい知ってるよな? ほら、地球温暖化で問題になってる」
「それくらい知ってるよ。もしかしてツバキ、私のこと馬鹿にしてる? いくら私でも二酸化炭素のことくらいわかるもん」
「……それならいいけど。で、今日はその二酸化炭素が水に溶けるかどうかっていう実験なんだ」
そんなことどうでもいい気がするが。
二酸化炭素が入っていようが入ってなかろうが、中身がおいしければそれでいい気がする。
「今日はあくまでも二酸化炭素が水に溶けるかどうかっていう実験だから、飲むことはないぞ」
「そ、そうなんだ……」
あれ? さっきの私、とんでもなく馬鹿なこといった気がする。
そう考えると恥ずかしくてしょうがなかった。
ああ……何も知らないって損するな……つくづく思うよ……
「ねえ、次は俺にやらせてー……ありがと!」
「ペットボトル? 何に使うの?」
ツバキは同じ班の人からペットボトルをもらっていた。
「ここにペットボトルと水が入った水槽と、あと二酸化炭素が入ってるスプレー缶と、細長い管があるだろ?」
「うん、実験はこれでやるの?」
「そう。試験管も使うんだけど……まあそれは置いといて、まずこっちからやろう」
「う、うん」
ツバキがこっちに寄ってきた。私の肩とツバキの肩がくっつく。
あれ……? なんでこんなにドキドキしてるんだろう…?
心臓の音がすごく大きく聞こえる。それになんだか顔が熱い。もしや何かの病気!?
「マイコ聞いてる?」
「へっ? あ、ああ聞いてるよ」
今はツバキの話を聞くことに集中しなきゃ。
心臓は帰ったら病院に行けばいい話だ。
「まず二酸化炭素が入ってるスプレー缶に、細長い管を取り付ける」
「ほうほう」
「次にペットボトルに水を半分くらい入れて、そのペットボトルを逆さまにして水槽に入れる」
「うんうん」
「そしたら繋がってる管をペットボトルの中に入れる。二酸化炭素入れて」
「あ、うん。……これでいいかな」
私はツバキに言われたとおり、スプレーをした。
改めて思うけど、ツバキって本当に優しいな……
こんな私にもちゃんと説明してくれるんだもの。
ツバキは私に優しくていねいに教えてくれた。
説明はとてもわかりやすくて、馬鹿な私の頭にもすっと内容が入ってきた。
「そうそう……入れたらペットボトルに蓋をして振るんだけど、マイコ振ってみる?」
「振る振る!」
「振ってみ?」
そう言われて私はペットボトルを振った。
そしたら私の目の前で信じられないことが起こったのだ。
「えっ……? えええっ!?」
なんとペットボトルが凹んだのだ。
私は目を疑った。ペットボトルがいきなり凹んだのだ。
え、なんで? 私潰したりなんかしてないよ?
信じられない私は、口を開けてぽかーんとしていた。
「くっ……あはは……」
ツバキはお腹をかかえて笑っている。
どういうことなの!
「もう! ツバキ、そんなに笑わなくたって!」
「あはは……ごめんごめん。だってマイコ、鳩が豆鉄砲くらったような顔して立ち尽くしてるんだもん」
「え、ねえ、これどういうこと? 何が起きたの?」
「よかったなマイコ、実験は成功したよ」
実験? 炭酸水の実験ってこれのこと?
「ペットボトルが凹んだのはな、水に二酸化炭素が溶けて気体の量が減ったからなんだよ。つまり実験は成功。その中に石灰水入れると多分白く濁ると思う。石灰水は二酸化炭素を入れると白く濁るだろ?」
「これが炭酸水なの?」
「ああ、だって水に二酸化炭素が溶けた水溶液だし。これは炭酸水だよ」
「え、ええー……」
私が考えている炭酸水と、全然イメージが違うんだけど……
しかもこの炭酸水は、ちょっと飲みたくないかも……
「じゃあ試験管は? 何に使うの?」
ツバキは試験管の存在を忘れているのだろうか。
確か最初、ツバキは試験管も使うって言っていたような。
「それは石灰水を入れるための試験管だよ。そこに石灰水とさっき作った炭酸水を入れて、二酸化炭素が入ってるかどうか調べるんだ」
「あ、そういうことね……」
なーんか私が期待していたものと違うなあ……
ペットボトルが凹んだのはびっくりしたけど、なんかこの実験は地味だなあ……
「マイコ、どうしたんだ? そんな微妙な顔して」
「微妙な顔ってどんな顔さ……いや、なんか想像してたものとだいぶ違ったから……」
「小学校の実験はみんな、こんなもんだろ。中学になれば、もっと派手なことやると思うけど……例えば爆発の実験とか」
「ばっ爆発!?そんなことするの……?」
「多分な、小学校よりももっとレベル高いことやると思う」
小学校の理科ですらついていけないのに、これよりもっとレベル高いことってなんだろうか。
ああ今から憂鬱だよ……
「爆発は面白そうだけど、なんか危なそうだなあ……ツバキは理科好きなの?」
「うん。面白いし」
だろうな。好きじゃなきゃ、あんなに生き生きと説明なんかできないし。
ツバキは実験をやるとき、すごく生き生きした表情をしていた。
口では呆れていたけど、目はなんかキラキラしてた。
勉強が好きってことなのかな……ああやっぱりツバキは頭いいんだな……
「そういえば、理科で自由研究の宿題が夏休みあったよな?」
「え、そんなのあったっけ……?」
多分その話も聞いていなかったんだな、私。
そもそも私は、先生の話を聞いていることがないのかもしれない。
ああ、嫌だ。なんで休みなのに勉強なんかしなきゃならないんだろう、休みなんだから宿題もなしでいいのに!
しかも自由研究か……何やろう……やりたくないな。
私はもっと憂鬱になってしまった。
「マイコって本当に先生の話聞いてないよな。自由研究は班でやるんだよ。で、レポート書いて二学期に発表」
「この班で? 何やるかもう決まってるの?」
「いや、これから考えるんだよ。それにまだ夏休みまで日にちあるだろ? だからまだ何も決まってないんだ。何かいい案があったら出してくれよ」
いい案と言われてもなあ……
ん? その前にこの班でやるってことは……ツバキと一緒にやれるってこと!?
夏休みにツバキと会えるの? 二人きりで? ……いや、自由研究は班でやるんだ。二人きりにはなれない……
あれ? なんで私、こんなにツバキのことで頭がいっぱいなんだろう。
実験やってる時も、ずっとツバキのことを考えていたし……
「……これが、恋?」
「マイコ、何か言ったか?」
どうやら今日病院に行く必要はないようだ。
そっか、これがアイが言ってた『好き』なんだ……
私は、ツバキのことが、『好き』――。