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春真っ只中の今は、桜が満開だ。
校庭に並ぶ木は綺麗な桃色をしている。
そしてこの町は山に囲まれているため、どこを見渡しても山ばかり。
山も桃色に染まっていたが、正直私には見飽きた光景だ。
そんな中、私は校庭の木の下で座り込んでいた。
次の授業は体育なのだ。だから私は今、体育着を着ている。
今日の体育はリレーだから、すっごくだるいなあとか、今日の給食なんだろうなあとか、そんなことを考えてぼんやりしていた。
徐々にクラスメイトが校庭に集まってきて、騒がしくなってきた。
私も向こうに行かないとな、そう思い立ち上がろうとすると、アイがこちらに走ってきた。
「もう~マイコひどいよ~置いてっちゃうなんて……」
「だってアイ、着替えるのすごく遅いんだもん。体育着に着替えるだけで、何分時間かけてんの」
「しょうがないよお……」
私が一人だったのは、アイを置いてきたからだ。
アイを待つのがじれったくなって、先に校庭に来ていたのだ。
「ああ~! 体育リレーだってさ! このままサボりたいなあ」
私は伸びをしながら言った。
「私だってサボりたいよ、でもそしたら怒られるからなあ」
アイもサボりたいと思っているのだ。
なら二人でサボってしまおうか? と、本気で考えてみる。
ふとグラウンドに目をやると、もうクラスのほとんどの人が集まっていた。
私とアイは顔を合わせ、仕方なくしぶしぶグラウンドの方へ駆けた。
「今日はリレーをやります! まずチームは……」
ほら、やっぱり。正直リレーとかどうでもいいから給食食べたい。
今日の給食なんだろうな、私的にはカレーとかラーメンがいいなあ。
デザートにはお米のムースがいいな、飲むものも牛乳じゃなくて、コーヒー牛乳とかがいいなあ。
ふと時計に目をやる。今の時間は十一時四十五分。
給食の時間は十二時半からだから、あと四十五分もあるのか……お腹すいて体がもちそうにない。
大体、なぜ四時間目にわざわざ体育を入れるんだろう。
一時間目も困るけど四時間目も困る。しかも外で……
先生の話を右から左へと流していると、クラスメイトはぞくぞくと立ち上がり、どこかに行ってしまった。
やっばい。なんにも話聞いてなかったから何もわかんない……
とりあえず近くにいる子に聞こうか?いや、それだと話を聞いていないことがバレてしまう。最悪先生の耳にも入るかも……
ここはアイに聞こう。うん、アイならそんなことしないから。
「アイ……先生なんだって?」
周りに聞こえないように、こっそりと聞く。
「え? マイコ、先生の話聞いてなかったの?」
アイ!なんでそう、淡々と普通に周りに聞こえるように言っちゃうんだよ!!
「ちょちょちょ、アイ、そう言われると困るんだって! 話聞いてないことバレちゃうじゃん!」
「そう言われてもね~私もあんまり聞いてなかったから……」
ダメだ! アイのこの性格を忘れてた私が悪かった!
どうしよう…ここはもう先生に聞くしかないのか……怒られるかなあ、私。
「マイコ? どこ行くんだ? マイコは俺らと一緒だろ?」
ふとそんな声が、後ろから聞こえた。
「え、あ、そうなの?」
私は突然降ってきた声に振り向き、驚きながらそう返した。
声を掛けてきた人物は、同じクラスの男子ツバキ。
ツバキは明るく、クラスの中でも人気の男子だ。
私こういう人とはあんまり話さないタイプだから、正直ツバキみたいな人は苦手なんだけど……
そもそも男子が嫌なんだけど。
「ツバキー! マイコー! 走る順番決めようぜー!」
同じチームの男子が叫ぶ。
「ああ! わかったー! 行こう、マイコ」
ツバキに連れられ、私は自分のチームがいる場所に向かった。
アイを置いてきちゃったけど、平気だよね……?
どうやら今日は、実際に走るらしい。
どのチームも一番になろうと必死に作戦会議をしたり、バトンパスの練習をしているが……そんな中で私は一人、冷めた目で周りを見ていた。
(ふう……どうしてたかが授業のリレーでここまで熱くなれるんだろう……)
本当にそうなのだ。なぜここまでみんなが熱くなっているのかわからない。
勝っても負けても、同じなのに。
私はいつもこうやって集団に馴染めずにいたので、友達は少ない方だった。
今仲がいいのはアイだけ。私は他に友達がいないのだ。
そもそも友達というもの自体、めんどくさい存在だと思っている。
まあ、アイは別として……
私はチームの作戦会議の輪にも、一人入れずにいた。
ただぼーっとして、話を聞き流して。
今日は何時に学校終わるんだっけ、なんて考えていると横からまた声がした。
「マイコ、お前足速いからアンカーな」
「え?」
突然そんなことをツバキから言われた。
「え? そんな、私足遅いし」
「何言ってるんだよ。お前リレーの選手に選ばれたことあるだろ?」
私は去年、運動会でリレーの選手に選ばれたのだ。
まあそういっても、私は選手の中でも一番足が遅い方だったが……
「いやいや、あれはたまたまなの! 選手決める時に選手候補の子たちがわざと遅く走って、私が選ばれちゃったの!」
本当の話だ。選手候補の子たちが、足が速いのにやる気のない人たちばっかりだったのだ。
それでクソ真面目に走ってしまった、私が選ばれてしまったのだ。
そのことは今でも私は後悔している。そして真面目な奴ほどバカを見るという、ちょっとブラックな現実を見たのだ。
「それでもお前は足速いよ」
「無理無理! 私がアンカーだなんて! どうせなら三番目とか、四番目とか、真ん中がいいんだけど……」
「お前、順番決める時に何も言わなかっただろ」
「あ……」
しまった。話を聞いてないからこういうことになるのか。
「もうすぐ始まるから、そろそろ練習始めようぜ」
「あ、え、ちょっとツバキ待……」
「そうそう、俺の順番マイコの前だから。バトンミスしないようにちゃんと練習しよう」
「あ、うん……」
私は今のこの状況を、黙って飲み込むことにした。
じたばたしても、今更どうしようもないことだからだ。
でもアンカーなんかやりたくない。リレーのアンカーなんて、足が速い子しかやらないものなんだから、私が走ったら確実にこのチームは負ける。
負けたら負けたで、チームの人から文句を言われるのがオチだ。「お前のせいで負けたんだ」とか言われるのが目に見えてる。
しかしこうなったのは、自分が話を聞いていなかったのが悪いのだ。自業自得か。
仕方なく私はツバキのもとへ行こうとすると、ふとバトンの練習をしているアイのチームが見えた。
「アイ! もっと早く走れないの?」
「ごっ、ごめん」
「ちょっとアイ、もしかしてわざと遅く走ってんの?」
「ちっ……違うよ……」
あー、同じチームの子にいびられてるなあ…まあアイは超運動音痴だし、言いたくなるのもわかるけど。
なんか、かわいそうだなあ……大丈夫かな。
違うチームじゃなければ、すぐに飛んでいったところだが。
私はすごく心配になった。
「マイコー!早くー」
おっと、私も急がねば。ツバキに怒られてしまう。
「今行くー」
私はツバキのもとへ駆けて行った。
バトンの練習ができたのは、せいぜい五分くらいだった。
五分という余りにも短い時間の中で、私とツバキはバトンの練習をした。
私もツバキも元リレーの選手だったので、練習はスムーズに行えることができた。
ツバキは本当に足が速くて、なんでツバキがアンカーやらないんだろうとか、ツバキの方が適任じゃないか、なんて考えていたが、そんなことを考えていたら「集中!」とツバキに言われてしまった。
とても真剣にツバキは練習をしていた。このリレー、ツバキは絶対に勝ちたいんだろうな。
それよりも私が気がかりだったのが、アイのことだ。
さっき様子を見た限り、チームに上手く入れていなかったようだし。
挙句、チームの子に怒られる始末だ。アイは大丈夫だろうか。
「何ぼんやりしてるんだよ、そろそろ始まるぞ」
ツバキが声をかけた。どうも今日、私はぼんやりしてばかりだ。
「あ、うん」
一走者がスタートの準備を始めた。先生はスタートの合図をかけようとしている。
(アイ……)
私はこの時も、アイのことを考えていた。
アイが走るのは三番目だ。バトンを落としたりしないか、転んでしまうことはないか、私はそんなことを心配していた。
走るのは校庭一周。校庭一週を全力で走るのは、私でも体力的にキツイ方なのに、私よりも運動ができないアイが走れるわけがない。
ていうか、今思えば私はよくリレーの選手なんかやってたなあって思う。
「位置について、よーい……ドン!」
先生の声が響いた。走者は一斉に走り出し、周りの人は応援の声を上げている。
うちのクラスでは、男子の方が足が速い。だから今走っているのは男子しかいない。
一走者はアンカーと同じく、リレーでは結構大事な役割を果たしている。だから、足の速い人が走ることが多い。
足の速い人はモテる人が多いので、女子たちで黄色い声を上げている人もいる。
正直うるさいんだけどな。黙れ女子共。
二走者、三走者と着々と私のチームはバトンが繋がった。今の順位はなんと二位。
アイのチームはどうかなと見ると、なんと今アイが走ってる最中だった。
やっぱりアイの足は遅くて、次々と他のチームに抜かされていく。
「アイがんばれ!」とついつい応援したくなったが、今は敵同士なのだ。
ここで応援なんかしたら、同じチームの子から白い目で見られるだろう。
私は応援したい気持ちを抑えながら、アイを見ていた。
「次、ツバキが走るぞ!」
チームの誰かがそんなことを言った。
そうだ、自分はツバキの次に走るんだ。集中しなきゃ。
ここでミスったら確実に私が責められるからな……
ここでバトンはツバキに繋がった。
「ツバキ……はえーな……」
近くにいた男子がそんなことを呟いた。
確かに、ツバキはぐいぐい他の子と距離をとっている。一位だったチームも抜かした。
ツバキのおかげで私たちのチームは一位だ。
あとは私が転びさえしなけりゃ大丈夫だろう。
私は走る準備をした。
(落ち着けー……落ち着け私!)
やっぱりアンカーだと、それなりに責任を感じる。
絶対抜かされることはないだろうけど、もしここで私がミスしたら……
そう思うと緊張してきた。
「マイコ! 頼む!」
ツバキが走ってきた。ダントツの一位をキープして。
私はテークオーバーゾーンギリギリまでリードして、ツバキからバトンを受け取った。
「マイコ、がんばれー!」
アイの声が聞こえてきた。
アイってば、敵チームなのになんで私のことを……
今はそんなことを考えている場合じゃない。走らなきゃ。
走って走って走らなきゃ。アンカーの中では私が一番足が遅いんだから、もたもたしてるとすぐに抜かされてしまう。
ここで抜かされるわけにはいかない! 私は全速力で駆けていった。ツバキやアイが待つゴールへと。
きっと私が走っているとき、私の表情はすごかっただろうな。
自分でもわかるくらい険しい顔をしながら走ってた。
みんな引いてないかな、まあ私の顔なんて見てるのはアイくらいかも。
ゴールラインを駆け抜け、私のチームからは歓声が上がった。
「マイコ! やったぞ! 一位だ!」
私たちのチームは一位になれた。
まあ、ほとんどツバキのおかげなんだけども。中盤であんなに差をつけてくれたんだもの。
ツバキがいなかったら一位なんて取れるわけなかった。
「ツバキすごかったよ、やっぱりツバキは足が速いね」
「マイコこそ。走ってるときすげー顔してたよ。おっかない顔してさ」
「みっ見てたの!?」
まさか見てるとは思わなかった。
「当たり前だろ、同じチームなんだし。それにあんなすげー顔してたら誰でも見ちゃうって。みんなの注目の的だったぞ」
「お願い! さっき見たことは忘れて!」
恥ずかしくてしょうがない。顔から火が出そうだ。
私は赤くなった顔を手で覆い隠すことしかできなかった。
「あんな顔忘れられるわけ無いだろー?」
「ツバキ~!」
ツバキにいじられながら、私はゴール前のみんなが集まっている場所に向かった。
そんなに言わなくてもいいのに……恥だ。あんな変な顔晒してしまうなんて、私の一生の恥だ。
多分ずっと言い続けられるんだろうなあ……
そんな先のことを考えながらツバキと話していると、息を切らしながらアイが駆け寄ってきた。
まあ超運動音痴のアイが校庭一周したんだから、疲れるのも無理もないけど……
「マイコ! すごかったね~……一位おめで、とう……」
「ちょっとアイ大丈夫? だいぶバテてるけど……」
「へ、平気だよ…大、丈夫。心配しないで……」
「息の切れ方がハンパじゃないんだけど!」
アイは疲れ果てた表情を映しながら笑う。
私とアイが話していると、そこへツバキが入ってきた。
「アイおつかれー息の切れ方すごいけど大丈夫か?」
「うん、大丈夫……」
「アイも頑張ってたもんなー」
(そっか……ツバキはいろんな人に優しいんだ)
クラスの中心人物ってみんな性格が悪いやつだと思ってたけど、どうやらツバキは違うようだ。
ふうん…誰にでも平等に接するタイプなんて本当にいるんだ…
ツバキはどうやら優しい人みたいだ。
「マイコ、この次のリレーも頼むぞ!」
ツバキが眩しい笑顔で私にそう言った。
「ええっ…もうアンカーなんてやりたくないよ……」
「いいじゃないマイコ、ツバキのお墨付きだもの。もっと自信もっていいと思うよ?」
「もうリレーは当分いいよ……」
私たちがそんな話をしているうちに、みんなはもう次のリレーの作戦会議をしていた。
もしかしたらもう一回やるのかもしれない…そう思うと、とても憂鬱な気持ちになった。
まだ四時間目は終わらない。




