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人間ダイアリー  作者: 夢菜
Family
16/17


 私は病室に向かった。

 マイコは『今しかない』と言っていた。アツシはもうすぐ遠いどこかに行ってしまう。その前に、ちゃんと謝らないと。謝るチャンスは今しかない。

 走って病室に向かう、今日は走ってばかりでどうしても息が上がってしまう。私はマイコと違って運動苦手だからな。走るのも遅いし。もう少し体力があったならな……自分で自分が情けなくなる。


――ああ、もう少し早く病室についていれば。


――もう少し早く、気付いていれば。


 後悔、既に遅し。



 病室には若い先生と看護婦さんがいた。アツシの周りを囲んでいて、ドアからはアツシの姿が見えなかった。

 息を切らしながら入ってきた私に気付いた先生は、私にこう尋ねた。

「……アツシ様の、友人の方ですか?」

 その先生は、子供の私にも敬語で礼儀正しい人だった。『アツシ様』……そう聞くとアツシはこの病院の息子なんだなあと改めて実感する。

「……そうです」

 短くそう答えた。すると先生は目を細めて、悲しそうな表情を見せた。先生だけじゃない、看護婦さんもだ。空気がとても重く感じた。


 私は今ここで『何か』が起きていることを悟った。


 なぜ先生はそんな眼で私を見るのだろう。なぜ看護婦さんは下を向いて黙っているのだろう。この重い空気はなんだろう。ピッ、ピッ、と無機質な機械の音だけが病室に響く。その機械音がやけにはっきり聞こえた。

 この先生はアツシの担当の先生なのだろうか。ならアツシが引っ越すことも知ってるはずだ。どうにかして二人きりにしてもらいたい。それにこんな重い空気のままも嫌だ。私は思い切って先生に頼むことにした。


「……あの、ちょっとの間だけ、アツシと二人きりにしてくれませんか……? 私、どうしてもアツシに話したいことがあるんです」

「……それは構わないですけど……」

「あ、あとそれと、麻酔ってどれくらいで切れるんですか? どうしても起きているアツシに話したいんですけど……」

「……え?」


 先生の目が見開かれた。

 病室に緊張が走る。さっきの空気がさらに重くなった。なんで? 私何か変なこと言ったかな?

 敬語の使い方が悪かったのかな? それとも意味が通じてない? なんで先生たちは目を見開いているんだろう。怖い。なんだか目で責められている感じがした。


「……何も……知らないのですか……?」


「え……?」


 知ってる? 知ってるって何を? 私にはさっぱり意味がわからなかった。


「……その様子だと知らないようですね……」

「……知ってるって……何をですか?」

「……アツシ様のことです」


 アツシのこと……?


「え……アツシは昨日事故に遭って……それから……引っ越すことになって……」

「引っ越す? なんの話ですか?」

「引っ越す……と聞いたんですけど……」


「……何か、勘違いをされてるようですね」


 先生はそう言った。何を? 私は何か勘違いしてるの?

 そういえばさっき、マイコと話していて何か違和感を感じたけど……


「残念ながら、アツシ様は……亡くなりました」


 先生の一言が私に突き刺さる。胸を針で突き刺されたような感覚になった。

 亡くなった? アツシが? それってつまり……


「アツシ様は死んだのです」


 私は一瞬息が出来なくなった。

 心臓が今までにないくらい、うるさく鳴り響いている。なんだか息が上手く出来ない。息を吸えない。胸が締め付けられる。痛い。苦しい。体は動かないし、何も考えることができない。

「……え……死……んだ? 嘘、だ……」

「嘘ではありません」

「だって……アツシ、息、して……」

 言葉が上手く出てこない。あまりの動揺に敬語も忘れてしまっていた。

 アツシが死んだなんてありえない。だってちゃんと息してた。心臓だって動いてる。何を根拠にこんなこと言うのだろう。


「脳死です」


 先生はそう告げた。

「のう、し」

 聞きなれない言葉だ。初めて聞いた言葉だけど、その小さな言葉がどれほど重いものなのか、先生や看護婦さんの様子からわかった。

「確かにアツシ様の『身体』は生きています。しかし脳が機能していないのです」

「……脳、が」

「こうなった場合、回復は見込めません……しかし例外もあって、ある日突然脳がまた機能し始めることもあります」

「……じゃあ……」


「脳が……生き返ったら……アツシは目を覚ます……?」


「可能性は、否定できません……」

「そしたら……アツシとまた……一緒に遊んだりできる……?」

「はい……」

 先生はそう言った。

 脳死。脳が死ぬということ。私には理解できなかった。アツシの心臓は動いていて、アツシの温もりもあるのに死んでいるなんて。しかも身体の一部が死んでいるなんて。状況を上手く飲み込めない。私には難しすぎる話だった。

 『アツシの脳が死んでいること』と、『脳が死ねば身体は動かなくなる』、そして『脳が生き返れば身体はまた動き出す』この三つはなんとなくわかった。


 アツシが目覚める日。それがいつになるかわからない。

 いつ目覚めるのか、そもそもアツシが目覚める日が来るのか……こんなの絶望しかない。でもその絶望の中にも、少ない希望がある。

「……先生……アツシの……アツシの脳が生き返るとしたら……アツシはいつ目を覚ましますか……?」

「……私には見当もつきません。アツシ様次第です……でも……」

 アツシの身体の中で今、何が起こっているのだろう。アツシはどんな夢を見ているのだろう。アツシは何を思っているのだろう。色んなことが頭に浮かんだ。

 病室が静まり返った時、突然ドアが開かれた。


「……」


 入ってきたのはアツシのお父さんだった。

「院長……」

「……手術の準備は出来た。アツシを運んでくれ」

 手術? 手術ってアツシの……?

「あ、アツシのお父さん……」

「……ああ、アツシの友達か」


 アツシのお父さんはとても怖い。冷たくて、いつも怒っているような顔をしている。何よりもあの目が怖かった。人を殺していそうな冷たい目。アツシはお父さんのことを好きと言っていたけど、私はこの人を好きにはなれなかった。


「アツシの手術って……なんですか?」

 私は思い切って聞いてみた。怖いけど、知りたいから。

「臓器移植だよ」


 ぞうきいしょく。

「なんですか……? それ……」

「……確か君は、アツシとすごく仲良くしてくれたね」

「……まあ……」

「なら話そう。臓器移植とは、簡単に言うと人に内臓をあげることだ」


 内臓を、人に? 想像がつかない。


「アツシは死んだ。だからその健康な臓器を、誰かにあげるんだ。そのアツシの臓器で人の命を救える。アツシも最期に人の役に立てて、本望だろう。アツシは時期病院のあととりになる予定だったからな。人の命を救うという、医者らしいことができて喜んでいるだろう」

 なに、それ……じゃあ、臓器をあげたアツシはどうなるの?

「……アツシは、まだ生きているんじゃないんですか?」

「脳死と断定された時点で、死んでいるに等しい。呼吸も人工呼吸器がないとできないんだ。それだけで莫大な費用がかかる。無駄な延命だ」

「……アツシは……目覚めるかもしれないんじゃ……」

「その可能性は極めて低い。その僅かな希望に賭けるより、臓器移植で人の役に立ったほうがいい。子供の臓器は貴重なんだ」


 なんてこの人は残酷なのだろう。そう思った。

 アツシの親なのに、なんでこんな酷いことをするのだろう。アツシはまだ死んだわけじゃないのに、『死んだ』と決めつけて。

 それにこの人……アツシのことを死んだと言っているのに、全然悲しそうに見えない。隣にいる先生や看護婦さんは、すごく悲しそうな顔をしているのに。なんでこんなに冷静に残酷なことを言えるのだろう。


 この人、本当にアツシの『お父さん』なのかな?


 親だったら、もっと悲しむはずなのに。


「おっと……こんな時間だ。おい、早く手術室に運べ」

「……はい」

 アツシは連れて行かれてしまった。アツシを見たのは私にとってこれが最後になった。



 私にはどうすることもできなかった。何も出来なかった。

 目の前が真っ暗になる。これが絶望というものか。アツシの脳死を知らされた時より残酷だった。アツシが目覚めるチャンスを、アツシのお父さんは簡単に奪っていった。戸惑いもなく。アツシは今お父さんをどう思っているのだろう。

 でもどうしてもこの事実を受け入れられなくて、私はこっそり手術室に向かった。バレたらどうなるかわからないけど。でも抵抗したかった、この事実に。抗いたかったのだ。何もできないとわかっていても。

 そうでなきゃ、私は壊れてしまいそうで。


 手術室に繋がる廊下を歩いていると、誰かがいた。二人ほど。私は咄嗟に隠れた。何か話している。ケンカでもしているのだろうか……?


「私は反対です! アツシをドナーにするなんて……」

「これが人のためでもあり、病院のためなのだ」


 アツシのお父さんとお母さんのようだった。アツシのことについて何か言い合っている……


「そもそも、臓器の提供は十五歳以上のはず……十五歳以下は親の承諾がない限り、ドナーになるのは認められない」

「父親の私が承諾している。なんの問題もない」

「それに、この病院のあととりはどうするんです? 私たちに子供は一人だけ……アツシしかあととりはいないんですよ?」

「子供ならまた作ればいい。お前の身体もまだ捨てたものじゃないだろう?」


 これが大人というものなのか。

 自分の勝手で人も殺す、これが大人なのだろうか。


 アツシは事故で死んだんじゃない、病院に殺されたんだ。


 そもそもの話、アツシがこの病院のあととりだなんて誰が言った? アツシはそんなこと『一言』も言っていなかった。全部周りの大人が決めたことだ。

 それに勝手に内蔵を取り出されるだなんて。アツシはまだ生きているのに。それでも親なのか。家族じゃなかったのか。家族なんてそんなものなのだろうか。

 二つの影が手術室に消えていく。もう、手遅れだ。私は伝えたいこともアツシに伝えられなかった。


 あれ?


 アツシはなんで事故に遭ったんだっけ?


 あ、そうだ。私とケンカして……それで……


 でも待って、それって……


 あの時私が変な意地を張らないでいたら……アツシはこんなことにはならなかった……


 アツシを殺したのは私だ。


 私があんなこと言わなければ。そもそも泣いていなければ。アツシは死ぬことはなかった。そうだ、思い返してみれば全部私のせいだ。わたしが、わたしのせいでアツシがしんだ。アツシにあわせるかおがない。あやまってもゆるされないことをしてしまった。ぜ、んぶわたたしのせいいい……


「……ごめんなさい、ごめんなさい……ごめん、なさい……ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめ、めんなさ、いご、めん、なさ、い、ごめん、なさ、い、ごめ、んな、さ、い、ごめ、んなさい、ごめんな、さい、ご、めんな、さい……あ、あああ、ああ、あああああああ、あ、あ、あああああ、あ、ああ、あああ…………」


 狂ったように、何度も何度も言い続けた。膝から崩れ落ちて、泣きながら。何度も何度も。

 でもその声は手術室には届かない。


 アツシは死んだ。

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