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私の過去3
アツシが交通事故に遭ったらしい。
そんなことを学校で聞いた。
昨日、アツシが家に帰ってからすぐマイコが戻ってきた。マイコはアツシが家に帰ったことを不思議に思っていた。『ケンカでもした?』と聞かれたときはさすがにドキッとした。幼馴染は侮れない。適当に理由をつけてその場を乗り切った。
「何かハシゴの代わりになりそうなもの探してたんだけど、見つからなくて……アツシも帰っちゃったみたいだし、今日はもう帰る?」
マイコはそう言った。
私も『そうしよっか』と返し、昨日はここでお開きとなった。
そして今日、私はいつもどおり学校に来た。もちろんマイコもだ。
外は雨が降っていた。私は登校中にアツシに謝ろうと思っていたが、傘で誰が誰だかわからずアツシを見つけることが出来なかった。だから私は学校で謝ろうと思っていた。
(なんて謝ろう……?)
なんて言った方がいいのだろうか。何から謝ればいいのだろうか。
いざとなると言葉が思い浮かばない。どうしたらアツシは許してくれる? 今までこんなことなかったから、どうしたらいいのかわからない。
『昨日は酷いこと言ってごめんね』とか、『あれは全部嘘だから』とか、そんなことを言えばいいのだろうか。それでアツシはなんて言うだろう。アツシは優しいから許してくれるだろうか、それとも『ふざけるな』と怒るだろうか。
(ダメだ……こんな言葉じゃ……)
どうしても嘘っぽい言葉しか浮かばない。もう少し国語が得意だったらこんなに悩まなくてもいいのに。
やはり心から謝る気持ちがないと、アツシは許してくれないだろう。それはアツシだけに限ったことじゃない。人はみんなそうだろう。先生も道徳でそんなことを言っていた気がする。
私は教室に入った。クラスがやけに静かだなと思ったが、今の私はそんなことを気にしてはいられなかった。アツシに謝るんだ。まずはアツシに会わないと……
「みなさん、後ろに並んで下さい」
アツシを探しに行こうとしたら、先生がそんなことを言った。なんでいきなり? 私にはわけがわからなかった。
何もわからず、後ろに背の順で並ぶ。今日何かあったっけ? 朝会は曜日が違うし、あと思い当たることなんて何もないんだけど……
そんなことよりアツシに会いたいのに……!
なぜか今日、突然朝会が開かれた。いきなりのことだったので、少し混乱してしまう。
きっとみんなは眠い朝会をどう乗り切るか考えているだろう。でも私はアツシのことで頭がいっぱいだった。早く謝りたい。ただそれだけを考えていた。
それにしても今日はやけにみんな静かだな。いつもは整列の時も、並んで行く時も、絶対騒がしいのに……こんなに雨が降っているから、みんな気分が沈んでいるのかな?
体育館に集まり、校長先生が私たちに話し始めた。
『今朝のニュースで知っている人もいると思いますが……』
朝会早く終わらないかな。校長先生の話つまんないんだよなあ……
『昨日我が校の尊い命が交通事故に遭い、この世を去りました』
事故。それを聞いて体が固まる。しかも先生の口振りから、その子は死んでいる。
だから突然朝会が開かれたのか……
『名前は……』
その後のことはよく覚えていない。
私は学校が終わると、すぐさまアツシの家に向かった。アツシの家……すなわち病院へ。
走った、走った。五十メートル走の時よりも速く。傘を持たず、雨なんて気にせず走った。向かい風が冷たい。でも今は雨に濡れることよりも、風に当たる辛さよりも……
病院に駆け込んだ私は、まずアツシのお母さんを探した。待合室、廊下、トイレ、色々なところを探した。看護婦さんの一人に聞いてみると、アツシのお母さんが今いないことと、アツシのことを教えてもらった。
看護婦さんは私の姿を見て心配していた。『そんなにすぶ濡れでどうしたの』と言った。
私はそれを無視し、看護婦さんが教えてくれた病室に向かう。階段を駆け登り、廊下を走る。途中何度か人にぶつかりそうになったし、後ろで怒りの声が聞こえた。でも私の耳には届かない。
病室の前。確かにアツシの名前が書かれている。間違いない、ここだ。
(アツシ……)
恐る恐るドアを開ける。その私は今にも泣きそうで、震えていて。学校で泣けなかった分、今ここで泣き崩れてしまいそうだった。
病室は綺麗だった。白い天井、白い床。どこの病室よりも綺麗な感じがした。看護婦さんたちが気を遣っているのだろう。さすが病院のあととりと言ったところか。
ベッドには管みたいのをつけられた、幼い男の子が眠っていた。ピッ、ピッ、と規則正しい機械の音が聞こえる。管は機械の方に繋がっていた。こういうの、ドラマで見たことある。
男の子が眠る姿は、誰が見ても美しいものだった。整った顔立ち、白い肌……麻酔でもかけられているのだろうか。私に気付く気配はなかった。
「あ」
声が出ない。震えて、掠れて、言葉にならない。
「アツシいぃぃいいいぃぃい! ああああああああああああああああ!」
私は泣き崩れてしまった。今まで我慢してきた涙が、ついに限界を迎えてしまったのだ。
心臓が止まるかと思った。朝、アツシが交通事故で死んだという話を聞いてから、私は気が狂ってしまいそうだった。クラスのみんなが泣いている中、私は涙を出さずこらえていた。
信じられなかった。信じたくなかった。アツシが死んだなんて、思いたくなかった。先生に嘘だと言ってほしかった。『怖い嘘をつくのはやめて』と叫びたかった。
でも今、こうしてアツシは生きている。
アツシの心臓は今も動いている。
それが何よりも嬉しくて、そして悲しくて。
生きていたことはすごく嬉しい、でも車に轢きずられた時どんなに痛かっただろう。私には想像できない。そう思うとすごく悲しくなって。
嬉しさ、悲しさ、悔しさ……色々な感情が混ざった涙がこぼれ落ちた。
アツシの腕に触れる。何か管が繋がれている、細い腕に。その腕は温かかった。その温もりが私を安心させた。
「アツシ……! アツシ……!! 私……」
私は言おうと思った。謝ろうと思った。でも眠っているアツシには届かない。そうだ、これはアツシが起きてから言おう。この言葉はちゃんとアツシに伝えなくちゃいけない、大切な言葉だから。
いつまでも泣いてちゃいけない。ここでアツシが起きたら、また心配されてしまう。
「アツシ……早く元気になってね……」
今の私にはそれしか言えなかった。涙は止まらない。こんな姿をアツシが見たらなんと言うだろうか。
幼稚園の時は怖いものなしだった私。ケンカなら男子にも負けなかった私が、今こうしてアツシを前にして泣き崩れている。私はずいぶんと弱虫になってしまったようだ。
いや違う、アツシの前だから弱虫になっているんだ。
私を心配してくれるアツシに。優しさで包んでくれるアツシに。なら今度は私が優しさで包む番だ。
アツシが目を覚ましたらどうしよう。まず謝って、それから『生きててよかった』と心からの言葉で伝えよう。紛れもない、私の本心で。
そしてまた三人で遊ぼう。マイコが言っていたあの屋根に、三人で登るのもいいかもしれない。
マイコがおかしなことを言って、私がそれにツッコミを入れて、アツシが楽しそうに笑っていて……そんな日々をまた送ろう。
「……また来るね。アツシ」
そう言い残して病室を出た。
外はまだ雨が降っていた。そういえば傘を学校に置いて来てしまったことを思い出す。どうしようと考えていたら、マイコに会った。
待合室、そこには私とマイコしかいなかった。この時間帯では珍しい。
どうやら今日マイコは、お母さんと一緒に来たらしい。それはもちろん、アツシのことについてだ。
「マイコ……」
「ルマ……今日、先生から話聞いてびっくりしちゃった……まさか私たちと別れた後、あんなことがあったなんて……」
「……」
マイコは酷く落ち込んでいた。いつもの元気なマイコはここにいなかった。
「今ね、お母さんが病院の人と話してる……」
「マイコ、あのね……」
この様子、もしかしたらマイコはアツシが生きていることを知らないのかもしれない。
だって校長先生は、まるでアツシが『死んだ』ような言い方をしていた。あれじゃみんな誤解してしまう。マイコはきっと知らないんだ。アツシが生きていることことを。
なら教えなくちゃ。アツシは生きていると。
「マイコ、アツシは生きているよ」
「え……?」
ほらやっぱり。マイコは驚いた表情をしていた。
「私ね、さっきアツシの病室に行ってきたの。そしたらアツシ眠ってた。ちゃんと息はしてたし、心臓の音も聞いた。なんか変な機械があってね、それが動いてたから心臓はちゃんと動いてる。ほら、よくドラマとかで出てくるやつだよ」
「…………そうなんだ」
ちゃんと説明になっていただろうか?
病院の設備には詳しくないので、上手く説明できない。
「とにかく! アツシは生きていたの!」
「……生きて……?」
「そう。校長先生あんな風に言うからさ、私も死んじゃったのかと思ってた。なんであんな言い方したのかなあ。普通に入院してるって言えばいいのに」
「……よくわかんないけど……お母さんたちが話してたんだけどね、アツシ……遠いところに行くんだって。遠い遠いところに。この事故で、病院のあととりにはなれなくなったんだって。だから……」
「えっ……!? アツシ転校しちゃうの?」
「だからそう言ったんじゃないかな。もうすぐ行くみたい……私たちの前からいなくなっちゃうから、そういう言い方をしたんじゃないかな……それに校長先生も気が動転してたのかもよ」
紛らわしい言い方だ。色々納得できないところもあるけど、そういうことなのだろうか。全く校長め。
「そっか……どうしよう……引越しの日っていつなんだろう。私まだアツシに謝れていないのに……」
「……謝る?」
「……実はね、あの日アツシとケンカしたの。今思えばくだらないことだったんだけど……ちゃんと謝れてなくて」
「そうだったんだ……だからアツシ先に帰っちゃったのか……」
「ねえマイコ、アツシが引っ越しちゃう日っていつかわかる? それまでに謝りたいの」
マイコは視線を下に落とした。
「……今しかないと思うよ」
「え……?」
「アツシね、今日中にはもう行っちゃうの……だから今しかないと思う」
「そんな、急に……」
「全部アツシのお父さんが決めてるからね。あの怖い先生」
確かにアツシのお父さんは厳しそうな人だった。私も会ったことがある、とても怖い感じの人だった。
「ルマ、アツシに言いたいことがあるなら今しかないよ」
もう残された時間はないんだ。
「……私……行ってくるね」
急がなきゃ。麻酔で眠っているなら、無理矢理にでも起こして伝えなきゃ。
「……うん」
あとでアツシや病院の人に怒られるかもしれないけど。
伝えなきゃ。私の気持ち。