1.転生賢者の弟子と三姉妹
大魔導師ストール・マニュエルの遺した家は広い。
たった二人で住むには明らかに過分であり、実際ストールとカイがその屋敷で過ごす時間はほとんど無かったと言っていい。
普段その屋敷がどのように使われているかというと、人に貸している。
大魔導師であるからして見栄えのいいところに住まなければならないとかいう、カイにはよくわからない理屈で建てられたその家は、いざ住むとなったら不便極まりなく、何より不経済だった。
なんといっても住み込みの使用人を雇わなければとてもではないが維持できない。かといって変人でもあったストールは「なぜわざわざ必要ない者を金を払ってまで住まわせねばならんのだ」と言って雇おうとはしなかった。
だから逆に金をもらって他人を住まわせることにしたのだ。もちろん家人を名乗らせるなどの条件のため、王都の一等地とは云えないながら利便性に優れる立地の屋敷としては格安の家賃ではあったが。
そのために五世帯が個別に住めるように改装した結果、十年住んでも使用人を雇うより高くついたわけだが、ストールは満足していた。
彼なりの道理に沿わないことに金を払うことが気に入らなかったのであって、別段お金を惜しんでのことではなかったのだ。
そもそもこの大きな屋敷に住むこと自体が何かからの圧力によるものであったらしく、対外的にこの屋敷に住んでいるという体裁さえ保てれば充分だったようだ。
そのストール亡き今、その資産を継いだカイはちょっとした決断を迫られていた。
というのも、当然予想できたこととして、この屋敷を間借りしているのは、一世帯を除き、ストールの名声にあやかろうとした者ばかりだからだ。
唯一の弟子であるカイにやっかみを向ける者も当然にいる。
受け継いだ資産を掠め取ろうとするような不届き者は、さすがに審査段階で刎ねられているが、快く思ってはいないだろう。
正直面倒臭い。
ここを完全に貸し家にして、この屋敷に移り住む前にいた村にでも引っ越そうか。
本気でそれを検討していた――
「え? マジで? やめときなよー。あーんなクソ田舎なんて」
この屋敷で唯一『ただの隣人』として住んでいる一世帯の内の三女の意見である。
ミリリル・コウデルコヴァー。
カイよりも五つ年下のこの幼女は、幼女にしては大人びている。
このセリフを吐く間にも、ネイルアートに勤しんでいるような有様だ。
カイが兄妹同然の関係だからと言っても態度が悪すぎだ。
末っ子で甘やかされているというのもあるだろうが、生まれたときからストールという変人の隣人として育ったことが一番の要因だとカイは見ている。
ストールが生み出した技術や文化は『異』という枕が付く程度に際物ばかりだ。
彼女が勤しんでいるネイルアートにしてもそう。
毛先だけ髪の色を変えているヘアマネキュアにしてもそうだ。
特にヘアマネキュアなどは規制を受けた禁制品だ。彼女がしているような一部だけの染色は見逃されているものの、王都はこれの不使用を推奨している。
つまりミリリルはいわゆる不良少女だ。
昔はあんなに無垢に可愛かったのにな、とカイは少しだけ残念に思いながらも、とりあえず一つの意見として聞いた。
「まあいずれにせよ今すぐってわけじゃない。村に引っ込むにしても一度訪問して村長と話して家屋を用意したりとか、準備があるし」
「あの村での生活も、悪くはなかったですねー。行くならわたしも付いていっていいですか、兄さん?」
テーブルに膳を運びながら、ちょっぴりイタズラっぽく言ってくるのはコウデルコヴァー家次女のシリリルだ。
三姉妹の中で一番ほんわかとしていて、世話焼きさんだ。今もさりげなくミリリルがテーブルに置いているマネキュア用試料を片付けている。
「というかミリィ……これから食事だっていうのに。臭いからやめてって言ったよね?」
長女アリリルがシリリルに続いて膳を運んできながら、ミリリルを窘める。
「はいは~い」
適当な返事をしながらミリリルは小さなボトルを胸のところのポケットから出して、キャップを押す。
「あ、ミリィ、バカ――」
流れるような動作だったので、アリリルの制止は間に合わない。
ボタン式だったキャップはプシュっと音を立てて煙状の粒子を撒き散らした。
「こんなことで遺跡を使うなって何度言ったらわかるのよ――っていうかお料理の香りも消えちゃうからやめろって言ったのに――って、あれ?」
鼻を突くような刺激臭だけが消えていることに、途中でアリリルは気付いたようだ。
「これだったら文句ないよねー、アリィ姉?」
遺跡と呼ばれたチューブボトルをひらひらとさせて、得意げなミリリルだ。
しかしアリリルがその剣呑な視線を向けるのはカイの方向だ。
カイは視線を受けて、軽く頷いた。
「香気を選択的に無効化させるように弄ってみた」
遺跡のカスタムはストールの弟子であるカイの生業の一つだ。
ミリリルが使用したこの遺跡は、一定時間どんな匂いも無香にするという、狩りや罠設置などを目的として使用されることが多い。
しかし先ほどアリリルが言ったように、その無効化する香気を選択することができず、料理に於ける重要要素である香りも一緒くたにして消してしまうため、あまり使い勝手がよくなかった。たとえば罠であれば、匂いで獲物を誘き寄せるような使用方法ができなかったし、自然に存在する香気も同時に消すために、直前で察知されてしまうことがある。
事前のサンプルさえあれば選択的に香気を無効化できるように改造した結果、使い勝手が増えるわけだ。
今し方ミリリルが実行したような使用方法もあるし、そこそこ需要が見込めるのではないか。
「違うわよ、カイ。貴方また、ミリィを甘やかして……って呆れてるの」
溜息を落としつつ、運ぶ途中だった膳をテーブルに置いて、また改めて溜息を吐く。
「仕方ないだろ。ミルは妹みたいなもんなんだから」
上目遣いに頼まれたら断れない。
あざといところが逆に可愛いと感じてしまう。
身内だからだ。
完全な他人が同じ態度を取ったらカイは怖気を覚えて拒絶するだろう。
「妹みたい、じゃなくて義妹にしちゃいますかー?」
マイペースに片付けをしていたシリリルが心なし椅子をカイに寄せて座りながら横から覗き込んで見上げてくる。
「妹『みたい』だから甘やかせるんであって、妹だったら将来が怖くてとても甘やかせないけどな」
「カイ……怖いくらい無責任なこと言ってるってわかってるの?」
アリリルが本気で戦いていた。
「ちがうよー。カイ兄はー、ミルを甘やかしたセキニンを取るって言ってるの。ずーっとミルの面倒みてくれるんだよねー?」
「何言ってるんですか? ねぇ、何言ってるんですか、ミリィ?」
「こわい!?」
ヒィ、と喉を引きつらせてミリリルはカイの背中に逃げる。
どうでもいいことだが、三姉妹の中で怒ったら一番怖いのはシリリルである。
しかもどこが逆鱗かわからないことが多い。
微笑みながら飛ばされる謎のプレッシャーは、カイも割と苦手だ。
だから自分の身体一枚を挟んでプレッシャーを飛ばすのはやめてほしいのだが。
「と、このようにだな。ミルをちゃんと叱ってくれる姉がいるからオレが甘やかせるっていう話だ」
「あたかもこうなる流れがわかっていたかのように言うのね、カイは……」
姉妹そろってカイとの距離が近いのに、アリリルだけは対面に座って、やっぱり溜息を落とす。
「それで、本気なの? 村に戻るって」
「別にあの村じゃなくてもいいんだけど、ここを引き払いたいな、と」
「だからー。やめようよーカイ兄。ミルは王都に残りたい」
「残ればいいじゃないですか。兄さんのことですから、このお屋敷はお家賃据え置きで置いていってくれますよ」
「シルの言う通り、別にここを取り壊すとかはしないし、売ったりする気もない。というかコウデルコヴァー家に管理を委託していこうかと思ってるんだけど。後でミカルさんに話してみるつもり」
「……そう」
アリリルは何かをためらった後に、素っ気なく頷く。
「アリィ姉、それでいいのー?」
「そりゃあ、心配じゃないわけじゃないけど、行き先がわかっているならそれでいいわ」
「アリィ姉はそりゃどこにだって追いかけていけるけどさー。ミルとかのことも考えてよー」
駄々を言い始めたミリリルに、アリリルは何かを言おうとして顔に苦渋を浮かべる。
「『ミリィには良い機会じゃない。そろそろ兄離れしなさい』……癪だわ。カイ……私がこう言うってわかってたわね?」
「誘導はしてない」
なんとなく、こういう流れになるだろうなと思ってはいたが。
わかっていたのは、ミリリルが反対し、シリリルが付いて行くと言いだし、アリリルが消極的に賛成するだろう、ということだけだ。
家族同然に暮らしてきたのだから、これくらいは予想できる。
ミリリルに遺跡のカスタムをねだられたのに応えたのも彼女が言ってきたからだし、アリリルがそれに『甘やかさないで』と苦言してくるのもわかってはいたが、別にアリリルにそれを言わせたかったわけでもない。
「シリィはどうしてこんなのがいいのかしら」
「ステキじゃないですか」
呆れるアリリルに、シリリルはしれっと言い返す。
何気に聡いミリリルは、今は何を言っても取り合ってくれないと察してふくれっ面のまま口を噤み、
シリリルはこういうとき必要以上の自己主張はせず、
アリリルは何か釈然としないという顔のまま、
食事を始めた。
「それで、兄さん。わたしが付いていくのは了承を得られたって考えていいんですか?」
「まだ本決まりじゃないから何とも言い難い」
「小父さんの研究は継ぐんですよね。なら助手とかいたらいいかなって思うんですけど」
「内定している図書館の仕事はどうするんだ?」
「辞めます」
「もったいない。まあでもそれなら、ミカルさんの了解を得られたら、別にいいけど」
「ちょっといくつか遺跡を貸してくれませんか?」
「ちょっとカスタムした遺跡くらいでシェリルさんを『説得』できるって本気で思ってるなら、別にいいけど」
「……」
シリリルは微笑んだまま固まる。
王都最強の遺跡遣いの一人、ミカル・コウデルコヴァーを説得できる人材は、今やその奥方であり相棒でもあるシェリル・コウデルコヴァーしかいない。
ミカルは自分の愛娘たちを決して王都から出そうとしない(王都に住んでいても愛娘たちと顔を合わせる機会が少ないことをこの間嘆いていた)だろうし、シェリルは娘を基本は放任する傾向にあるが、その分『自分の主義を通そうとするなら己の力のみでやりなさい』という教育方針を徹底している。だから娘がミカルを泣き落とそうとすると己が壁になることも辞さない。その壁は割と物理的だ。
ミカルを説得するためにはシェリルをまず説得しなければならないが、それは力尽くで行わなければならない。
そんなどうしようもない構図がこの家族の間には横たわっている。
「えげつないわ、この男やっぱり……」
アリリルがぼそっと呟いていた。
アリリルはああ言ったが、別にカイとしてはシリリルが引っ越しに付いてくるなら構わないのだ。
実際気心の知れた助手というのは魅力的だ。
シリリルは図書館の資料室司書に内定するほど知的であって、状況が許せばこちらから願ってもいいくらいである。
アリリルは勘違いしている。
カイは全部がわかっていたと後から賢しらに言いたいわけでも、自分に都合のいいように物事を誘導したりしているわけでもなんでもないのだ。
カイはそんな自信家になれないし、そんな力もない。
彼女の勘違いを訂正する力もないのだから、自明のことだ。
「『ヒントはどこにでも転がっているが、掴むことができるのはそれに手出ししようとしなかった奴だけ』」
一部には賢者と呼ばれたストールの言葉である。
たとえばミリリルにねだられて考案した消す『香気』を選択するというカスタムだって、思い付けばちょっと遺跡カスタムをかじったことのある者ならば、根気さえあればできることであり、新しいことではない。
けれどそれが他のヒントに繋がるかも知れない。だからカイはミリリルがそれをどう使うかを予想していながら引き受けた。
カイは未熟だから、無我になれ、と常頃から言われてきた。そうしなければ師匠のやることが見えない。一歩か二歩、自分を後ろに置いて物事を眺める。そのように教育されてきた。
その方面ではカイに才能があったらしく、幼少から仕込まれて程なく、カイはストールが見ている何かを漠然と捉えることができるようになっていた。
ただし、その捉えた何かを活かせるのはストールのやっていたことだけだ。
即ち遺跡研究。
「『この世界はどこかおかしい。それを突き止める』」
ある時ストールは研究の目的をミカルに問われてそう答えていた。
何かの比喩なのだと思う。
この世界がおかしいと感じたならば、この世界の歴史を紐解くなり、各地を探索するなりといった手段が順当だと思う。
なぜその手段が遺跡研究一本なのか。
少なくともカイは彼が遺跡研究以外のことに興味を示したところを見たことがない。趣味的なことは他にもあったが、栄達にも興味がなかったことは前述した通りだ。
遺跡と呼ばれるくらいだからその制作者を辿りたかったのか。
それならそれこそやはり歴史書などにも興味を示して然るべきだ。遺跡の掘り出された場所を探索するのも有効だろう。
あるいは単に、ストールはその彼が言う『真理』を探していなかったのではないか。少なくとも本気ではなかったのではないか。
色々と思うところはある。
けれどカイは彼の研究を引き継ぐことを約束した。
あれで霊魂の存在を信じていたストールだ。
その弟子であるカイも、半信半疑ではあったが、霊魂を在る物として、その遺言を遵守するつもりでいる。
ならばストールが本当は何を目指していたのかを、カイは知らなければならない。
ストールが遺跡研究に的を絞ったその理由を、彼の軌跡を辿って、探る。
カイを彼が引き取る前に、それはあるかもしれないからだ。
それを知って初めてカイは師匠の後を継げる。
だからまずは故郷の村へ行く。
引っ越しの動機の一つである。
「この世界はどこかおかしい、ね……」
おかしなことしかないと、一歩引いた目線が定着したカイは思う。だからこの軌跡を辿る旅は難航するだろう。
「うーん……これもですね。このアーキテクチャ……この世界、なんか変です」
おかしなことだらけだと、どれが目的の『おかしさ』なのか、判断がきっと難しい。
例えば自分の工房で見慣れない銀髪紅瞳の少女がいつの間にか侵入してうんうんと唸っている様を見るにつけ、実感する。
「あ、こんにちは? あ、おはようですか? そもそもこの挨拶って当たってますか?」
「たぶん、『おはよう』で当たってる」
「では改めて、おはようございます。どちら様ですか?」
これ以上こっちのセリフなことは早々に見当たらないなぁ、とカイは思った。




