23. コントラクト
【歌】が止んで復調したカイがまず行ったことは、ゴーレム車の兵装のチェックだ。
今更これら兵装を使おうというのではない。というより、すでに使った後なのだ。
そう、アリリルの放った魔力波と【歌】が干渉する直前に、カイはゴーレム車から兵装を起動し、射出までしていた。
その時に放たれた弾体はどうなったのか、という話だ。
あの弾体には、特殊なゴーレムが包まれていた。
カイの師匠が【攻性素子群体】と呼んでいたそれ――それらは、一つ一つは目に見えないくらいに小さな粒だ。けれどどういう理由かそれらは全体が統制された動きを取り、自律的な行動さえ取る。何より重要なことに、ゴーレムであるため契約者であるカイの言うことを聞くのだ。
乱戦状態に放り込んで騎士団――というかレイスベトを護らせるのに適切と考えてのチョイスだった。
そしてチェックした結果、そのゴーレムとの契約が切れていた。
「やっぱり……」
契約が切れた理由はあの魔力波の干渉のためだろうと考えられる。タイミング的に、あの歪空間の壁に衝突したのだろう。契約には当然魔力を媒介にしているのだから、あの異常な魔力干渉空間に接触すればそれは切れてもおかしくない。
けれどそれは契約が切れた理由にはなっても、結構な大きさのあの弾体がどこにも見当たらないことの理由にはならない。あの前後で、壁が生じた範囲の物質が消失するという現象は他に見当たらないからだ。そして契約していない【自律型遺跡】は基本、魔物に対して攻撃的に行動するため、その痕跡さえもこの短時間で消え失せるということは考えづらい。
即ち、センパイはあの弾体と入れ替わりに現れた――あの弾体が『センパイ』になった。あの時の短い時間だけ現れていた黒い結晶体は弾体の残骸、或いは残渣だったのではないか。
ゴーレムが消えたことは、センパイが【超古代自律型遺跡】であると想像したカイがそう推断する材料として充分なものだった。
誰もいないのに、口角の吊り上がった口元を隠すように手で覆う。
いや、誰もいないわけではない。うっかり存在を忘れかけていたが、ガブリエラがいた。
【歌】に酔って気絶していた彼女は、ゴーレム車の保安器具で固定されていて、動けない様子だ。というかまだ意識を取り戻していない。保安器具のおかげで急停車による負傷はないようだ。【歌】が止まっても目を覚まさないのは、急停車のせいかもしれないが。
この男装少女の扱いもどうしたものだろうか。男装と言っても、せいぜい発育の悪い中性的な少年というくらいで、少しでも疑ってみれば一目瞭然だ。カイは興味がないので気付かなかったが。
正直、タマキが『ガブリエラをダンジョンに連れていくことでわかることがある』と予言していなければ、今も思い出すことさえなかったかもしれない。譬えガブリエラに男として家督を継がなければならないという事情があるからといって、心底からカイはどうでもいい。ガブリエラ個人に関しては、どちらかというと嫌いだし。
セルが飛び出していく前ならともかく、今更起こしたところで彼女にできることはないし、この場面は放置するしかないだろう。思い出しただけで意味はなかった。
今の最優先事項はセンパイのことだ。
カイはもちろん、センパイと契約するつもりだった。
タマキと契約することは避けたのに、なぜセンパイとはするつもりなのか、と言えば、それは状況が違うからというのが一番だろう。センパイがあの弾体のゴーレムを媒介に出現したのならば、あのゴーレムと同様の契約を交わせる可能性がある。タマキの時にはそうしたヒントはなかった。だから――
――いや、本音を言えば、カイはタマキのことが怖かったのだ。下手に契約を図って失敗した時のリスクを想像もできなかったし、仮に契約できたところで扱いきれる気がしなかった。
ゴーレムとの契約は契約者の一方的な支配関係というわけではない。むしろ、どうしてゴーレムが契約してくれるのかわからない。それくらい、ゴーレムが人間と契約する機能を持っている必然性がない。
契約者がいなくともゴーレムは駆動する。魔力の受け渡しなんかはあるが、ゴーレムは基本的に魔力――というか動力を自体で賄う方法を持っている。それどころか通常、契約者が受け渡す魔力程度ではゴーレムは碌に動くこともできない。コウデルコヴァー家クラスでなければ、ゴーレムが十分な性能を発揮するだけの魔力供給など不可能なのだ。契約者の魔力は本当に経路を繋ぐ以外に使われておらず、ゴーレムの駆動に影響しないということ。
端的に言って、ゴーレムは契約者を必要としていない。
契約と言っても要は、契約者はゴーレムを創造した何者かからゴーレムを借り受けているというだけの状態なのである。
カイは知っている。
遺跡は人間用に誂えられた道具ではあるが、それは人間のためではない。
遺跡の創造者は決して人間の味方ではない。
どんなことが契機で契約が反故にされるかわかったものではない。
普通の――それなりに普及しているゴーレムでさえもそんな懸念があるというのに、人間と区別が付かないような造作と自律性を有しているタマキやセンパイくらいのユニークゴーレム(仮定)ともなれば何をか況や。
カイが臆病なまでに慎重になるのも当然だろう。
それでも、センパイとは契約を結ぶ――繋がなければならない。
タマキだけであれば、躊躇う理由のほうが大きかった。けれどタマキがいるからこそ、センパイとは契約を結ばなければならない。
彼女の行動原理はセンパイに根差している。少なくとも彼女は明にも暗にもそう主張している。それは即ち、タマキはセンパイ次第でどういう立場にでもなりうるということ。
そのことをカイはずっと懸念してきた。
表には出さなかったが、カイはずっとそれを気に掛けてきた。タマキから貰った思念通信用の指輪――タマキがカイを監視するための遺跡――を通じてタマキに漏れないように気を付けていた。それがどこまで功を奏したか知れたものではないが、その懸念を払拭しうる機会が巡ってきたのだ。
それも、タマキが不在の状況下で。
正直、できすぎているとさえ思う。
できすぎていて、カイがこの状況下で他に採りうる選択肢がないほどだ。
なんであろうとセンパイとは友好的な関係を築かなければならないことに変わりはないのだから。
改めて意を決したカイはもうじきに収束するであろう戦闘の後に備えた。
†
【攻性素子群体】との契約条件は、『素手で掴んで命名し、契約者名を登録すること』だ。粒子状であるブラック・デバイスを『素手』で『掴む』というのは結構な難易度であり、比較的契約が難しい部類と言えるが、それはさておき。
カイはセンパイに対し、まずはこれを試すつもりだが、この条件だと『命名する』のところが問題になりそうだった。
タマキは元々名前を持っていたし、その同類と思われるセンパイもまた、名前を持っているだろう。先にどこかと契約されている場合、改めて契約するためには、その時に命名された名前を呼び掛けて一旦契約をゴーレム側から破棄させる必要がある。つまり『センパイ』の名前を知らなければならないのだ。もちろん他にもいくつか抜け道はあるが、そうした抜け道を使うのは最後の手段だ。
『センパイ』が名前である可能性は、あまり考えていない。センパイはタマキより先に製造されたゴーレムであり、タマキが彼をセンパイと呼ぶのは、文字通り彼が『先輩』だからなのではないかと考えているのだ。タマキたちの時代と言葉の意味が変わっている可能性があるので、絶対ではないが。
戦闘が収束し、所在無げにしているセンパイになるべくフランクな態度を心がけながら声をかける。
「やあ、お疲れ様。参戦してくれて助かったよ」
アリリルとセルは騎士団の生き残りの救助に取り掛かっている。センパイはそんなアリリルたちの方を眺めていたのだが、カイが声をかけると、少しだけ訝しげに、けれどどこかほっとしたような顔をして振り返った。
訝しげなのは、戦闘終結した今頃になってゴーレム車から出てきたカイのことを不審に思ったのだろう。もしくはフランクを心がけたのが胡散臭く見えたのかもしれない。ほっとしたのは、戦闘が終わって当面のやるべきことがなくなって次の行動方針を決めかねていたところに声がかけられたからだろう。きっと何にせよ情報が欲しいに違いない。
「オレはカイ・マニュエル。君はタマキのセンパイだよな?」
そうした分析をしつつ、さりげなく自分の名前を告げながら、タマキの名前を出す。キリヤと言わなかったのは、少なくともタマキにとってファーストネームを呼ぶことは親密度が高いことを示す指標として認識されていることを知っていたからだ。自分がタマキのことを知っていて、かつその関係は良好であると仄めかしたのだ。そしてセンパイのこともタマキから聞いていると、しかもその関係性についてまで知っていると、あくまでもさりげなく告げる。
そしてセンパイの反応は、概ねカイが予想した通りだった。
だから間髪入れずに「名前は?」と、握手を求めて手を差し出しながら、名前を求める。
「あ、マジ? 環の関係者? ってかやっぱか……。正直助かるわ。あ、で。月崎鴻だ」
素直に握手に応じながら名前を教えてくれるセンパイに、内心快哉を上げながらカイは、契約の経路を繋ぐために結んだ手から魔力を通した。
正念場だ。
どんな遺跡とも相性が合うという、カイにとって(不本意ながら)最大の武器である技能をフル回転させて、ゼロコンマ数秒の間にセンパイの魔力と繋ぎ合わせみせた。
それはゴーレム側からすれば瞬く間に契約が成立させられたということであり、センパイは硬直したまま瞠目した。
反動は、ない。
そうしてしばらく、硬直から解けたセンパイは、呆然として肩を落としつつ呟く。
「――誰得だ、これ」
言葉の意味は理解できないが、センパイ――コウ・ツキザキにとってこれは予想外の事態であるようだ。
なぜセンパイが己の契約条件について無自覚なのか、変な設計だなとカイは思うが、いや、と思い直す。コンセプトは『人間らしいゴーレム』なのだとすれば、不思議でもない。普段の振る舞いから自分がゴーレムだと自覚しつつそのコンセプトを実現するのは難しかろう。
「まぁ? 嫌な予感はしてたんだよ。つってもさー、環がコレ仕組んだとも思えねぇし? マジ、誰得よこれ?」
「正直、何言っているのかはわからない。契約するのは不満か? 保険みたいなもんだから、別に破棄してもいい」
ゴーレムとの契約を盲信していないカイとしては、コウの機嫌を損ねるくらいなら契約を破棄したほうがいい。カイとしては、『契約してコウを縛ることができた』という事実を得ることができた時点で目的は達成できている。ここで敢えて契約を破棄すれば、こちらがコウに無理矢理に言うことを聞かせるつもりはないのだと示すことができるからだ。なんならそっちのほうが都合がいい。
あくまでもカイの目的はタマキやコウを敵に回さないことであって、その力を利用することではない。もちろん彼らのことを研究対象として近くに置いておきたい気持ちはあるが、そこに契約はあまり関係ない。ダンジョン関係の問題がある程度でも終息してくれないと研究している余裕もないし。
「や、別にいんだけどよ。てか破棄されるほうがヤベー」
なんだろう。当初のタマキとはまた違ったベクトルで会話が成立していない気がする。
けれどここで焦っても仕方がない。彼らとは前提の認識が全く異なるのだから、話が完全に通じる方がありえないのだ。
「てか環は? いや、近くにいねーのはわかってんだけどよ。あいつっていてほしい時に限っていないし、いたらすぐにでも顔見せてるだろうし、つか飛びついてくるだろうし? そして別のやつに被害が行くまでがお約束な?」
そんなお約束は知らない。なぜカイの腹部に視線を向けるのかさっぱり見当が付かない。
「ああ、今はたまたま別行動してる」
「たまたま、ね……。そっちは有効か。……意味わかんねぇな?」
同意を求められても、そもそも何のことを言っているのかわからない。『在り得べからざる必然』に関係することなのだろうとは察しも付くが、その理屈をカイはまだ理解していないのだ。
曖昧に苦笑しながら首を傾げるカイをどう思ったのか、コウは後頭部に回した手でがりがりと頭を掻きつつ溜息を吐く。
「まあ、いいか。要はお前……カイって言ったか? お前のやることについてきゃなんか繋がるんだろ?」
「ついてきてくれるなら、ありがたいかな。その内タマキとも合流できると思うし」
「へぇ?」
何を窺っているのか、カイの顔を覗き込むようにして、『タマキと合流できる』というところに懐疑を示すように皮肉げに口端を曲げるコウだ。
けれどそんな自分の態度を振り払うかのように頭を振る。
「で、どうすりゃいい?」
「悪いけど、しばらくあの中で待機していてくれないか?」
ゴーレム車を指差しつつ。
「いいが、あっちのほうはいいんか?」
野戦病院化しつつある騎士団拠点を示しつつ。
「オレがあっちに対応する間、待機しててほしいんだけど……もしかして何かできるのか?」
タマキならばなんとでもしただろう。してくれるかどうかはともかく。というかタマキが何かをしようとしたならむしろカイが止めただろう。タマキを騎士団に認識されると面倒なことになる。それも彼女と別行動することにした理由の一つだ。
けれどコウの場合、騎士団側にもすでにはっきり認識されているため、ここで彼のことを騎士団から隠す意味はない。
「あぁ……どうかね。応急処置くらいのことはできるが、あそこまでやられてっと焼け石に水にもなんねぇだろうな。……いや? もしかどうにかできっか?」
「……部位欠損を遺跡で補うとか?」
タマキならばそれくらいはやってしまうだろう。コウもそれくらいしてしまうのではないかと思い、カイは問う。
「人工遺物……? いや、遺跡? ……ソウルサラウンド搭載翻訳スキルとか、ややこしいな意外と」
ややこしいとか言いながらもなぜかニヤニヤとするコウである。
「まあ、あのカノウなみの動きの源とかマズルフラッシュのないライフルとかのことだってのは、想像つくな。ってことは義手義足に類するモノを俺が作れないかって言ってるってことだな? いや? 下手すると人工臓器とかか」
意味がわからないカイはやっぱり曖昧に苦笑して首を傾げるしかない。
「何にせよ、オレたちにとって常軌を逸したことはしないでほしいって言いたかったんだ」
コウのことを隠す意味はないが、コウの逸脱っぷりを明かすのは拙い。遺跡創造とかポンとやられては堪ったものではない。場合によっては心臓止まるくらい驚くから。
「そっか。んじゃ、基準がわかんねぇし、大人しく待機しとくかね」
あっさりとコウはそう言って、ゴーレム車に足を向けてそのまま中に入っていった。
カイはそれを見送って、ふうっと肩の力を抜く。
緊張していたのだ。
「イリィよりは、話が通じそう、かな」
意味の分からない言動はタマキ以上だが、それは翻すにタマキのようになんでもお見通しというわけではないからだろう。彼の言った通り、彼もこちらの基準がわからないのだ。だからこちらに通じるような言葉を選べず、同時に探りを入れてこちらの反応を見て学習しようとしている。
タマキよりはよっぽどやりやすい。というよりわかりやすい。
ふうっ、ともう一度息を吐いたカイは、素手にしていた右手にマニュピレータ式の外装を嵌めながら騎士団拠点に向かう。
このいわゆる工具である特殊な外装を使うのは調律師くらいなのだが、別の使い道もある。細かい作業ができるということは、血管や神経を結索したり縫合したり焼き付けたり焼き切ったりといった外科的処置にも有用ということだ。
更に調律による強化外装の治癒力増強と合わせればそれなりに拾える命も増えるだろう。ブラック・デバイスの亜種である、感染症対策用の希少遺跡を出してもいい。
カイにとって自分のパーティ以外の生命保全は最優先ではない。けれど人命保持の優先順位が低いわけでもない。
タマキやコウのことを隠すことはこの場面では救命率を下げることと殆ど同義である。
であればこそ、普段は出さないような希少な遺跡や自分の技能を開示する。ストールがなるべくなら公に出すなと言っていた遺跡や技能だ。
それくらいはしなければいけないと思うのだ。
そんな選択肢しか思い浮かばない以上は。
タマキ曰くの『毀れている』カイにはそれが限界なのだった。




