22. あらすじにもどる
遺跡を使っていない――
それは間違いがない。カイは遺跡の調律師だ。そこを見誤ることはさすがにない。遺跡が小型で例えば服の中に仕込んでいようとも、カイはそれが遺跡によって起こった事象であるかどうかを判別できる。それはアリリルが何かしら不可思議な現象を起こしたときに、それが遺跡由来の現象であるかどうかをすぐにでも見抜けることと同じことだ。
つまりはあの少年は――あの突然と出現した黒髪の少年は、アリリルと同じように、あるいはタマキと同じように、【触媒】を用いずして【現象】を起こし、操っているということ。
しかもそれが、よりにもよって【炎】だ。
師匠がよく疑問として言っていた。
武装遺跡には何故か炎を用いて攻撃するものが極端に少ない。機構を解析した師匠によると、熱を用いているものは数多あるというのに、炎を用いるように作られているものは全くと言っていいほどないのだという。
師匠は、おそらく炎というのが軽いためだろうと言っていた。炎を物質として見たとき、重量がなさすぎる。燃焼性の『重い』物質を燃やして衝突させるならばともかく、炎単体だと軽くて有効な攻撃にならないのだろうと。一瞬だけ熱いとかでしかないなら、再生能力に優れる魔物にとっては全く脅威ではないのだから。
他にもなにやら理屈と仮説を唱えてはいたが、どうにも言った師匠本人が納得していない感じだった。研究者としての師匠はよくそう言った「自分も信じていない仮説」を唱え、潰すという手法を採っていたから、これもそういった仮定の一つだったのだろう。
つまり、これも師匠がやり残した命題の一つだ。あるいは彼が求めた真理に繋がるヒントの一つ。
だと思ってカイはガンガンと痛む頭を無視して黒髪の少年の行動を注視していたのだが、どうもそれは、火に見えて火ではないようだった。
爆発――というのとも微妙に異なる。
彼の伸ばした腕から放たれた炎は、魔物に着弾し、魔物を吹っ飛ばしているのだが、それは爆発というのとは何か違うのだ。
「……爆発、じゃなくて……膨張、か」
それが最も適切な表現に思える。
何せ黒髪の少年――面倒だからもうセンパイと呼ぶが――は、着弾した結果を認め何か納得したように頷いた後、その炎を自身の足元に伸ばし、その炎を足場に跳ねた。
そして連続で跳ねて空へ駆け上がる。
勢いの続く限り広がる爆発とは異なり、勢いも規模も限定され、ある程度の持続時間のある『膨張』。
だから自分の足を吹き飛ばすようなことをせずに、空を駆けるような真似ができる。
そして上空を取ったセンパイから雨霰のように振り落とされる『膨張』の炎は魔物に降り注ぎ、魔物を地面と『膨張』のサンドイッチの具にした。
さしもの魔物の生命力であろうと全身を圧し潰されては堪ったものではなかったらしく、そこで再生することなく絶命した。
それで要領を掴めたとでもばかりに一つ頷くような動作をしたセンパイは、近くの岩場と木を足場にして跳び上がってきた魔物相手に至極自然に――視線を向けることもなく裏拳を振るう。その拳には炎が纏わりついており、どういう理屈か魔物だけを上方に弾き飛ばした。そしてその魔物を追いかけ、囲むように炎が展開し、『膨張』。
ぐしゃり、と。
体積を減らした魔物は原型を取り戻すことなく墜ちていく。
「……とんでもないな」
何がとんでもないかと云えば、センパイの身のこなしだ。正体不明の見た目炎も驚異といえばそうだが、それはまだ受容できる。遺跡という不条理を――知れば知るほどそれが不条理だと実感できる道具を取り扱うカイにとっては、まだ『そういう謎』というだけのことだと受け入れられるのだ。
けれど彼の身のこなしは、カイの知る人間の身体能力を逸脱していない。逸脱していないのに、魔物の動きに対応している。
理解できない。
普通の人間の身体能力でどうやったらあんな逸脱した能力を使いこなし、魔物の動きに対応できるのか。強化外装を纏ってさえそれを出来ない者が大半だというのに。
理解できる部分があるからこそ不条理が際立っている。
けれど、それだけといえばそれだけだ。
タマキほどには外れた感じがしない。あの理外感――不条理の塊のような、存在自体がどこかズレているような、視界にいるだけで奇妙な掻痒感を抱くような――そんな圧倒的な存在感を覚えない。
単にタマキで慣れてしまったというだけなのだろうか?
この距離で見た限りセンパイの容貌が特別優れているわけではないから、タマキのあの理外の美貌のせいで相対的に霞んでいるということは、あるかもしれない。
けれど、それだけではない。
なんというか、既知と感じる。この感じをカイは知っている。
カイにとっては慣れ親しんでいるというか……アリリルに感じるものとはまた違う、親近感? いや、親しみというよりも、やはり慣れだ。
カイはセンパイから受ける感じにひどく慣れている。
「……そうか」
カイはその感覚の正体に思い至るなり、知らず、頭痛や悪心も忘れて口角を吊り上げる。
頭が回るようになって、そういえば、と気付けばダンジョンからの【歌】が止んでいた。
アリリルが発した魔力波との干渉による一時的な途絶の後も、しばらくは響いていたはずだ。
どうやらカイの不調の原因の一端は【歌】だったようだ。それが止んだことで動くのに支障はない程度には持ち直し、【歌】が消えたことに気付く余裕ができた。
眼前の戦況は、センパイの参戦によって間違いなくこちらに傾いている。センパイが無差別に攻撃しているようであればその限りではなかったが、立ち回り方を見ても、明らかに『人間』に配慮しているようで、騎士団にも被害は及んでいない。
アリリルとセルのおかげもあり、もはやこの場の趨勢は決したと言っていいだろう。
カイが今更出しゃばるまでもない。
だからこそ、カイは行動を開始する。
これは千載一遇のチャンスなのだ。
いや、或いはこれも『在り得べからざる必然』なのか。
行動する前にまず思考を進める悪癖を持つカイは思い出していた。
あの時、タマキが何をしたのか、ということを彼女に質問したときのことを――
†
【作者注:これ以降、単なる設定説明であり意味不明で全く参考にならない会話が続きます。しかも回想です。「†」が出るまで読み飛ばしてもきっと問題はないでしょう。】
これからしばらくは別れて行動すると決まって、もしかしたら二度と合流することもないかもしれないと考えたカイは、この際に疑問を解消しておこうとタマキに尋ねたのだ。
「あの時、何をしたのか、ですか?」
あの時、というのが何時というのかわからないと一瞬考えるようにしたタマキは首を傾げ、ややあって思い当たったというように両手の平を合わせた。
「ああ、【因果の逆相転移】のことですね」
あの淫魔だった亜人との戦闘状況に陥っていたときのことだ。劣勢だった流れが、タマキが何かをしたその瞬間を境目に、裏返った。
けれどどれだけ思い返して考察しても、彼女が何かをした形跡が見当たらない。
やはりタマキは何もしていない。
あの淫魔にタマキは認識されてさえいなかったのではないだろうか。
「といっても、アレはかなり特殊でして、説明してもわかるかどうか」
けれどやはりタマキは何かをしたのだと認める発言だった。
んー、と形の良すぎる顎に人差し指を当てて悩むようにしたタマキは、けれど説明してくれた。
「まあ、いい機会ですし……。まず、前提としてですね、わたしの力って、直接的であるために亜人や魔物には効かないか、効きづらいんですよ。そこはわかりますよね」
「ああ、遺跡で直接殴ってもあまり効果がないどころか逆効果ってことがあるのと同じだよな?」
明らかに魔物や亜人に対抗するために作られている遺跡での直接攻撃は、けれどむしろ魔物を活性化させる。
これは意外と知られていない事実だ。
なぜなら、そもそも遺跡で直接魔物に殴りかかるような者がいない。例えば銃杖を鈍器として扱うような者がいないのと同じ理由だ。遺跡には大抵の場合、明確な使途があり、その使途を外した使い方をするような者が遺跡使用を許可されることは基本的にない。故に、敢えて別の使い方をしようとするのは、それこそカイの師匠くらいのものだった。そしてだからこそ、ストールはその事実に気づいた。
強化外装の付属装備の多くは、強化外装と接続するための部分以外は『普通の道具』であることもこれを裏付けている。普通といってもその機構は一般的ではないが、ここでは余談だ。
例えばセルのロマン武装であるパイルバンカーであれば、機構の殆どが遺跡以外によって構築されている。故に壊れやすい。遺跡であれば、負荷が大きい機構であるパイルバンカーであったとしてもあの程度の衝撃で簡単に傷んだりはしない。事実として、接続され殆ど一体化している強化外装も同様の負荷を受けているというのにまるっきり傷まないのだから。
「なので例えばわたしが炎を生み出してぶつけたところで、彼らに損傷を与えることは難しいわけです」
「難しい?」
「はい、無理ではないです。炎自体は効かなくても、炎が存在することによって生まれた現象――熱やそれに伴う衝撃なんか自体を彼らは無効化・吸収できるわけではないんですから。効かないように見えるのは、単純に彼らが頑丈で、その程度では損傷しないからです。挙句に炎を吸収して回復力が活発化するわけで、要は費用対効果が非常に悪いので、『難しい』んですね。効くようにしたら魔物よりも先に周囲の環境が壊滅しちゃいます」
どこかで聞いた話だと、この時思ったが、師匠が唱えた仮説と同じだとすぐには繋がらなかった。
「で、まあそういう前提があるために、直接的な攻撃をあの亜人に向けるのは効率が悪かったんです」
「つまり、間接的だった?」
「はい。というか、いいえ? わたしはあの亜人を攻撃したわけでもなければ、陥穽に嵌めたというわけでもないです。わたしはあの亜人に、何もしていません。あれは結果的にああなっただけで、ああなることなんてわたしも把握してませんでした。わたしがあの時に対象としたのは、むしろ亜人を除いた凡て、です。周囲が壊滅するまでやらないと有効打が与えられないから、周囲をどうにかしてしまおうという逆転の発想ですね。亜人に非幻象が効かないとは言っても、周囲の環境に依存していることはわたしたちと共通なので」
カイは、なるほど、と。
はっきり言ってタマキの言説の意味は欠片も理解できないが、なんとなく納得した。
やはりタマキはあの亜人に対して『何もしていなかった』という己の感覚は間違っていなかったのだと納得したのだ。実際あの亜人に降りかかった不運は、すべてタマキを起点にしていない。穴も落ち葉も折れた枝も、それらすべてがタマキの用意したものではなかったのだから。
「それで、あの時に何をしたか、という問いに対しては本当に、ええ、それはもう本当にややこしい話になるので掻い摘んで言いますと、わたしはあの場面にあった『因果』という時間的概念を恣意的に搔き乱したんです。貴方たちの行動が貴方たちにとって都合のいい結果となるように置き換えたというか書き換えた、というか……まあ、わかるわけないですよね、こんな説明で……。時間という概念の捉え方から説明しないととっかかりさえ掴めないでしょうし」
「詳しいことは確かによくわからない。けど、要は『因果』というか『運命』みたいなものを君の思うように並べ替えたってことか?」
「んー……。幾分語弊がありますね、それだと、わたしが『運命』を操作したってことになっちゃいます」
「違うのか?」
タマキならばそれほどに壮大なことをあんな小規模な場所でくらいやらかしても不思議はないとカイは認識していた。
「違いますね。実証はできませんが、『運命』なんてもの、存在しないんですよ。存在しないものを操ることはさすがにできません」
「『因果』と『運命』は別ってことか?」
「ああ、ええと……。本当に説明が難しいんですが……そうですね。飛ばさないでこっちを先に説明しちゃいましょう。まず、時間というものについて、説明しますね。そもそも時間って、なんだと思いますか?」
「色々と定義はあると思うけど……この場面で言うと、過去に何かが起こって現在に至り、現在を過去にして未来の結果に至る、一方向の空間の流れ、って感じか?」
「はい。それが時間ということにします。では『過去』とはなんですか?」
「現在の前にあった出来事」
「『未来』とは?」
「現在の後にある出来事」
「はい。全部不正解です」
「……いや、意味がわからない」
「正解は、『過去』も『未来』も、それは『実存しない概念』です」
「ちっともわからない……」
「カイくんが言っているのは『時系列』であって、『時間』ではないんですよ。『時間』って、きっと貴方が思っているよりもずっと不確か……というか『存在しない』ものなんです」
「未来が存在しないってのは、なんとなくわかる。これから起こるであろうこと、なんだから。でも、過去も存在しないのか?」
「『世界五分前仮説』ってご存知です?」
「ああ……なんか師匠がそんなこと言っていたような……」
思考実験の名称だったはずだ。ああ、なるほど。『過去の存在を証明することはできない』のだ。
カイがある程度を理解、というか納得した様子を見てタマキは続けた。
「わたしはそういった『実存しない概念』のことを【幻象】と呼んでいます」
記憶や記録、情報といったものとして『在る』にも関わらず、触れれず直接的な干渉力を持たないが、確かに周囲に影響を与えるもの――それはなるほど、幻だ。
「わたしが――というより貴方方が遺跡を介して行使している【非幻象】のことに行き着くにはまたワンクッションややこしい話が入るんですが、概ねこんな感じですね。
わたしはあの時、『実存しない概念』を『矛盾しない』ように、けれど『在り得ない象』として因果に捻じ込んだんです。完全にわたしの思う通りにやろうとしたらあまりにも力を使いすぎちゃうんですけど、元々『存在しない』ものですから、ちょっと梃子を入れる――指向性を持たせる、くらいだったら殆ど力も要りません」
そういうカラクリですよ、とタマキは説明を締めた。
十全に理解したとは言い難かったが、それでもカイは疑問を抱いた。欠片も理解できていないとこうした疑問さえも抱けない。
「それって、『あの場面に存在した因子だけがあの結果に導いた』って理解でいいのか?」
「はい」
「ってことは、それは『元々在り得た可能性の選択的な具象化』ってことじゃないのか?」
そうだとしたら何故『在り得ない象』なのか、と疑問に思ったのだ。
「矛盾しないことがイコール在り得るのかって問われたら、貴方はどう答えます?」
「イコールじゃないのか?」
「イコールですよ。それは可能性の話ですから。だからこそ、わたしが因子を捻じ込んだことでそれは本来『在り得ない象』になったんです」
「……この期に及んでからようやく、君が本当にややこしい話って言った意味を実感してる。つまりどういうこと?」
「いえ、むしろここまで訳わかんないだろうこと言われてまだ理解しようって姿勢でいる貴方がすごいと思います。というかわたしは実感としてこれらを識っているだけなので、正直他人にわかるように説明できる気がしないんですよね」
「……さすがに、『じゃあなんで説明しようと思った』って思った」
いや、説明を頼んだはこちらなのだが。
理不尽とは思ってもイラっと来るカイである。
「もしかしたら理解できるかなーって。やっぱり、さすがに口頭だけじゃ無理そうなので、資料を作ってプレゼンしてみましょうか?」
「……機会があったら、お願いするよ」
ひどく疲れた気分だが、カイは仮にもストールの後を継ごうという研究者だ。どれだけトンデモ理論であろうと理解を完全に放棄するわけにはいかない。
「ま、一言で云おうと思えばできないこともないんですけどね」
「……」
動揺を見せない態度に定評のあるカイだが、いい加減額に青筋が立ったことを隠し切れなかった。
「わたしは『在り得べからざる必然』に干渉する権限があって、それを行使したってことです」
けれどやっぱり一言でも意味がわからなかったので、タマキを責めるわけにもいかなかった。
タマキは「ほらやっぱり」と言わんばかりに肩を竦めた。
†
思い出してもやっぱり理屈は理解できない。意味不明だ。
けれど一端話が終わり、改めて思い出したことで少しだけとっかかりが掴めた。無意識のうちに話を自分なりに整理していたのだろう。
重要なのは、タマキには『因果という時間的概念に干渉する権限がある』というところだ。
『権限』だ。
能力ではなく、『権限』。
普通、権限というのは、権能を行使しうる範囲のことを意味する。
謂わば、タマキは“何か”からその因果に干渉するための能力を使用することを“許可”されているのだ。
前提としてタマキにはその権能がある。
しかしその権能を行使するためには許可が必要である。
そこが重要なのだ。
一体何から“許可”されているのか。
最近はすっかり忘れていたのだが、カイは当初、タマキを一体何だと思っていたか。
忘れていたのは、タマキがあまりにも『この時代』について知らないことが多かったからだ。
タマキは博識で聡明で、その隔絶した見識は師匠以上とさえカイは感じている。だからこそその彼女が知らないことがある――例えばダンジョンを誰が作り、どんなものであるのか――ということが、カイが当初想像した彼女の正体との違和感を抱かせた。
だからダンジョンが目覚めたことで、そしてタマキがそれを予想していなかったことで、カイは自分の想像を棄却したのだ。
即ち、タマキ・キリヤが【自律型遺跡】だという想像を。
けれどそのタマキが言っていたではないか。
それこそセンパイは遺跡になっている可能性がある、と。
実は彼女は一度も自分が遺跡であることを否定していない。
そして自身の髪と瞳の色が変わっていると言及もしている。
従って、タマキは己とセンパイが以前とは形態が変化していることを認めている。以前とは違うのだから、以前は持っていた知識を失っていたとしても不思議ではない。もしくは、彼女が稼働していた当時はそもそもダンジョンなんてものが存在しなかったのかもしれない。
それくらいに、世界と彼女たちが変化していると――世界観が隔絶するほどに遥かな以前に存在した遺跡だとしたら、矛盾がないのだ。
即ち、タマキとセンパイが【超古代自律型遺跡】だとすれば。
だとすれば自ずと明らかだ。
タマキは己を創造したモノ――遺跡を創造したモノによってその権能の行使を許されている。
そう考えると辻褄が合う。
あくまでも憶測だ。大分牽強付会の嫌いはある。
だが、これには賭けてもいいと思えるだけのメリットがあった。
もしもこの憶測が正解していたならば、一つの重大な懸案があわよくば解決する。
そのためにはもう一つ賭けなければならない事案もある。
だからカイは――
「オレはカイ・マニュエル。君はタマキのセンパイだよな? 名前は?」
「あ、マジ? 環の関係者? ってかやっぱか……。正直助かるわ。あ、で。月崎鴻だ」
そしてカイは、賭けに勝った。
「――誰得だ、これ」
センパイ改めコウ・ツキザキは呆然とぼやいていた。
後半場面が飛んでいるように見えるのは仕様です。
いやホントに。
間を描写するのが面倒だったとかじゃないんですよ。
すべて書いている余裕がないのが悪いんです。




