21. システム
頭を打ったせいで見える幻覚なのかなんなのか、空に向かって吠えるように絶叫する少年の周りでは黒いのにどこか黄金のような光輝を放つ硬質の物質が舞っている。
カイにはそれが、何故か遺跡と同質の物であるように見えた。
そのせいなのか、どうにもその光景は幻想的だったが、美しいとはいえず、そもそもその光景の奥は阿鼻叫喚の地獄絵図であり、割と差し迫った現実である。こうしている間にも騎士部隊の人員は魔物によってその数を減らされているのだから。
従って、動かなければならないが、動いたら確実に嘔吐するという確信が、カイにはあった。しかも酔いのそれと違って嘔吐したとしても症状が軽くなることはないだろう。
急ブレーキの際に頭部に強い衝撃を受けたためだ。どうやら頭蓋の内側がシェイクされてしまったらしく、額の傷と違い、強化外装の防御や回復ではどうしようもない。回復は多少早くなるだろうが、強化外装での治癒促進は、そもそも人によってはそれ自体が悪心を引き起こすほどなのだ。
「おいっ、カイ大丈夫か!?」
そんな状態のところに、何故か大してダメージを受けた様子のないセルが「ってか何があったんだ!?」とか疑問を呈しながらカイの肩を後ろから掴んで揺すってきた。
「せ、セル。頼む、揺らさな、いでく、れ」
気遣いはわかるし、焦りもわかるのだが、この状態のところを揺らされたら、本格的に気持ちが悪い。
「っと、わりぃ」
彼の心境的にはそれどころではないだろうに――ヒトが現在進行形で蹂躙されている――、遠慮してくれる。それで少しだけカイも持ち直した。
「セル――あのアリリルの隣にいる男は――」
俯きながらなんとか腕を上げて少年を指さし、
「無視して、ヘームスケルク卿の援護をしてくれ――アリリルに一言かけてから、頼む」
ちっとも回らない頭ではこんな指示を出すのが精一杯だ。それでも現在の優先順位はレイスベトを救援することであって、そしてそれができるのはセルしかいない。だが今セルだけを向かわせても彼に死にに行けと言っているようなものだと途中で思い至り、アリリルにそのバックアップをするようにしてほしいと――まあ、アリリルならなんとか伝わるだろうから、セルにはこれだけでいいはずだ。
はっきりと異常な状況で、セルにも疑問は多いはずだ。けれどセルはあらゆる疑問を飲み込んで「了解」と短く言ってゴーレム車を飛び出していく。
セルのああいうところを、カイは素直に感心するし、羨ましいと思う。
カイは良くも悪くも行動よりも先に思考を進める癖が付いている。そして現場に於いてはその点は悪癖となる場合が多い。こんな風に思考が働かないような状態になってしまえば猶更だ。
まあ、反省している場合ではない。一刻も早い回復に努めると共に、回復後に即、行動できるように考えをまとめておかなければ。今悪癖を矯正することなどできないのだから。
だからカイは顔を上げる。少しでも情報を取り込んでおくために。
すると――
ますます頭の痛くなる、理解に苦しむ、そんな光景が眼前には展開されていた。
†
唐突に現れた少年、名を月崎鴻という。
ごく一般的な少年だと本人は言い張りたいのだが、そうするとあたかも『自分は普通だと言い張るチラチラくん』みたいで嫌だという気持ちもあり、まあ要するに、そういうことを気にするごく一般的な感性の、少なくとも普通ではない少年である。
まあ、突然に異世界と思しき場所へと現れて、しかしそういうことが起こりうる――起こしうる心当たりがある時点で、一般的と言い張ることは難しいっていうか無理だ。
なお、鴻がここを異世界だと判断した理由は、地球だとちょっと考えられないような生物が暴れまわっている光景がすぐに目に入ったからだ。
一体や二体くらいならばどこかの怪しげな研究所から逃げ出したクリーチャーだとか、そういう怪物を生み出す能力者の仕業だとか――あ、後者はありそうだな、と現実逃避気味な思考で鴻は思い当った。
まあ異世界かどうかはあまり重要ではない。そもそも異世界って何よ、という話である。
何かわからない内に突然見知らぬ場所に放り出されたと思えば空想でしか知らないような怪物がヒトと思しきを蹂躙している光景が眼前に展開されているという事態であり、そこに加えて、背後の物音の正体に見当を付けて振り返ればなんか銃器っぽいものを構えた少女が驚愕の面持ちで自分を見詰めているという状況である。
うん。何が重要なのかも判断できないくらい飽和的に疑問だらけだ。
だからとりあえず鴻は叫んだ。
今の状況で叫んだりしたらあの怪物たちの気を引いてしまうのではないかという危惧がないでもなかったが、どうしても『心当たり』に当たり散らさなければ気が済まなかったのだ。
いや、こうして『心当たり』――つまりは桐谷環の名前を叫べばその彼女が現れてくれるのではないかという期待もあった。てっきり彼女だと思って振り向いたら全然違う少女だったことの照れ隠し的なものもある。なんかポーズとか取っちゃったりしちゃってたし。
何か不可解でトンデモなことが起こったら大体は彼女のせいだ、との考えに至るのはすでに条件反射である。
そして環が現れる気配はないわけで、ようやく鴻は現状に対処しようという心構えになった。
現状が環のせいであることには未だ以て確信があるが、その彼女がいないのであれば、もう自分でどうにかするしかない。まずは何が脅威かを見定めなければ。
銃器を持った少女も危険と言えば危険だが、やはり最も警戒すべきはあの怪物どもだろう。改めて振り向いて観れば、なんか体が半分千切れているのにシュウシュウとか煙を上げながら再生しているような奴もいるのだ。そしてその怪物の損傷を成し遂げたヒトっぽい誰かは、別の怪物に撥ね飛ばされた。そしてその怪物の横っ面が突然に弾ける。
その怪物はそこで動きを止めた。
そしてそれを成し遂げたのは、どうやら鴻の傍に降ってきた少女のようだ。マズルフラッシュではないが、その少女の構えた銃から何かが飛び出していく気配を鴻は横目で捉えた。しかも間髪入れずにそれが連続で発射される。
そして次々と怪物たちは動きを止めていく。全体から観るとそう大した割合ではないが、少女のその援護によって、襲われていたヒトたちが怪物たちに蹂躙されるがままという状態から抜け出す端緒とはなった。
「――アリリル! おれはヘームスケルク卿の援護に向かう! カイはグロッキーだ!」
そして鴻のことをまるっと無視したかのように少女に声をかけながら怪物たちの群れへ一直線に向かう少年。
その少年の足は速すぎるくらいに速い。少女の応答を待つことなく、つむじ風を残してあっという間に鴻の位置から離れていった。
だが鴻はその速度よりも、その少年が発した言葉を理解できることに気を取られる。
「(マジで異世界っぽいな……)」
明らかに聞こえた言語は日本語ではなかったのに、理解できた。なんらかの不可解な現象が自らの身に宿っている。
「(ってことは、ここがゲーム的異世界なのか、それとも純ファンタジー的異世界なのか……)」
銃少女が攻撃したためか、それとも足の速い少年が向かったためか、怪物どもの一部がこちらに向かってくる。
疾走少年が怪物の足を止め、銃少女が仕留める、という流れで、すぐに鴻に危険が迫っているわけではない。けれどそれも時間の問題だろう。疾走少年が足止めできる数は限られている。疾走少年の動きにはもう違和感しかないくらいトンデモ現象だらけだが、そこを追究している場面ではない。
いや、それは今鴻が知りたいことのヒントになるかもしれない。
何しろ、鴻は環がいなければ割と普通の人間でしかないのだ。異言語理解と思しき不条理現象が身に宿っていることは確定として、他にもチートがなければあの怪物に襲われては一溜りもない。少年少女の助けを期待してもいいかもしれないが、何か明らかに二人には無視されている。期待はしてもいいかもしれないが、完全にそれを当てにするのはやめたほうがよさそうだ。
そして、希望を言うならば鴻としてはゲーム的異世界のほうがいい。
というのも、鴻の知る限り、ゲーム的異世界のほうがチート含有率が高いからだ。というか、転生モノであればともかくとして、転移モノである場合、ゲーム的な――語弊を承知で言えば安易な――チートでもなくば、現代っ子が怪物蔓延る世界で元からその世界で鍛えている現地人を差し置いて強くなり、生き残ることなどできない。ゲーム的であるほうが現実的な設定なのだから異世界は皮肉に満ちている。
ともあれ、そういう希望を込めて
「ステータスオープン」
唱えてみた。
ゲーム的異世界の定番と言えるだろう。これがなくてもゲーム的ということはあるし、それを開く能力が転移直後では備わっていない場合もある。ただ、あったらそれ即ちゲーム的要素が含まれているという確定だと言って過言ではない。
だからあくまでも希望である。
▼
性別:♂
個体名:月崎 鴻
種族:ヒト
カテゴリ:???
適合係数:解析不能
スキル:名称不明
△
希望でしかなかったのである。
「いやー。マジであると逆にヒくわー」
半透明で虚空に浮かんでいるように見えるステータスウィンドウを見て、マジでヒくわー、と鴻は呻く。思わず、手首をくいっと鋭利な角度で曲げて手で口元を覆うという香ばしいポーズをとってしまうほどだ。
というかこのステータス、あっても意味ない。
大事そうなところは「解析不能」か「名称不明」とか、つまりは意味不明だし、カテゴリに至っては何の分類なのか明記がない。そもそも鴻が期待していたのは攻撃力とか防御力とか、そういった数値的なものだった。そうした意味で、唯一それっぽいのが「適合係数」とかいうものだが、解析不能ときた。それは高すぎて解析できないのか、逆なのか、あるいは規格が違うのか。
まあ、いずれにせよそれが何と適合するかどうかの値なのかわからないので、あっても意味がやっぱりないわけなのだが。他と比較できる鑑定とかないとステータスって意味ないのだ。そして念のため銃少女を見て【鑑定】と念じてみても表示されなかった。最も有名なチートはないらしい。残念である。
意味はなくてもこれで、ゲーム的異世界だと判断できる。それだけでも充分といえば充分なはずなのに、鴻は何か納得できない。
納得はしていないが、この状況で深く考察しているような余裕はない。
適合係数と違い、スキルは名称が不明なだけで、あるはずだ。そして異世界から来た自分のスキルがこの世界で名称を持っていないというのは筋が通っているように思えた――本当に?
違和感。
ならばなぜ「解析不能」ではないのだろう。数値ではないからだろうか?
そんな疑問が浮かぶが、それはやはり今の状況で深く突っ込んでいる場合ではない。
問題はそのスキルの使い方だ。どんなスキルなのかわからないと使えないが、先ほどの「異世界出身故に名前のないスキル」という推測が正しければ、心当たりがないわけではない。
「この距離だと……これしか知らないか」
果たして環がいなくても使えるものだろうか、と不安に思いながらも翳した手を怪物に向ける。
するとその手に逆巻くような炎が纏わりついた。その炎は見た目は火だが、熱くはなく、ある程度鴻の意思に従って流動してくれる。鴻の知っている通りの炎だった。
鴻はほっとする。同時に多大な疑問も湧いたが、自分の思った通りのチートが備わっていることは間違いなかったからだ。
「といっても、環がいなくても俺が偽術を使える世界、か。あんまいい予感しねぇな」
ステータスがあったにも関わらず、それが期待したものとかけ離れていたせいもあり、鴻はぼやく。
そして鴻はその腕に纏わりついた炎を怪物に向けて射出した。




