20. 現出
強大な魔力波――ダンジョンが奏でる【歌】がここまでヒトに対して毒となるというのは、きっと計算外だったのだろう。
それがこれだけ長い時間響き続けるというのもおそらく計算外だったに違いない。
カイたちが向かってくる方向以外から押し寄せる狂乱魔物群によって集られて、騎士団はほぼ総崩れとなっていた。
阿鼻叫喚の有様だ。部位欠損は当たり前で、腹を食い破られた者もいれば、勢いよく押しつぶされて地面に埋まる者もいる。冗談みたいに宙に撥ね飛ばされる者もいる。頭から食いつかれて上半身を失った者もいる。鋭利な刃物で切り裂かれたかのように上半身と下半身を分断された者もいれば、縦に三つに分かたれてしまった者さえいた。
それでも、全滅こそ免れているが、個々で対抗するしかできておらず、一か所だけ空いた包囲の穴に逃げ込む余裕さえない。
遠からず壊滅する。
「(まあ、こうなるよな)」
その光景を苦々しく思いながらも、カイは口の中でさもありなんと呟いた。
アリリルと共に行動していると忘れがちだが、魔物の大群の襲撃に遭うというのは本来こういうことなのだ。
魔物の何が厄介って、死ににくいことだ。殺しにくい。平均的な冒険者だと、一体の強い魔物を倒すために一時間以上かけることなどザラにある。そうして時間をかけたせいで他の魔物を集めてしまい、数に圧殺されるというのが冒険者で最も多い任務失敗だ。
どうやら魔物には急所があるらしいが、その急所は、種別が同じ魔物であっても位置が違うことがあるし、そもそもそこまで攻撃を通せない。何故なら強い魔物なら下手な金属よりも硬い上に、弾性と靭性をも持ち合わせた表皮を持っていることがあるし、その表皮を傷つけても瞬時に回復してしまう。魔物の強さの指標は、攻撃力よりも主に、『死ににくさ』になっていることの所以である。
そんな物どもに対抗するためには、超火力による連続的集中攻撃しかない。アリリルのクリティカルヒットは例外中の例外だ。それだってわざわざ威力を落とした上で単体を狙った場合に限る。
けれど、だから余計に混戦となっている今の状況は非常に手を出しづらい。アリリルによる超火力で一掃しようにも、確実に、今も魔物に辛うじて対抗している騎士たちを巻き込んでしまう。
魔物の群れを懐に寄せてしまった時点で、騎士団は最早壊滅が避けられない状態に追い込まれてしまっているのである。
「(ってことはつまり、ミカルさんが魔王の担当になったってことだ。なら、指揮官は誰だ?)」
ゴーレム車に敷設した兵器を起動操作しながら、冷静にカイは状況を分析する。
誰であっても仮にも貴族だ。この状況にあっても指揮官はまだ生きているだろう。――無事であるかどうかはともかく。
この場面でカイがそれを気にするのは、その指揮官を助けたほうがいいかを判断するためだ。
言い換えれば、命の貸付を行って意味があるかどうか。
命を救われたからといって感謝を寄越してくれる相手とは限らない。感謝と言わずとも、義理を感じてくれるかどうかも限らない。万人にそうである可能性があるが、貴族となるとより一層にその可能性が大きくなる。自身の命が自助努力なしに存続することを当然のことだと信仰しているような輩だ。
そうした輩を救っても、デメリットこそあれ、メリットはない。より正確には、そうした輩を自身のメリットにできるような能力がカイにはない。世の中にはそうした輩でさえもメリットに転換できるような人物がいるが、自分には無理だとカイは弁えているのだ。
そして程なくカイは見つけた。
レイスベト・ラメラ・ヘームスケルク。
最前列で魔物を押し返そうとしている彼女を認めた瞬間に、カイはゴーレム車の兵装を起動した。
カイは、王都騎士団長と親戚同然の関係だったり、冒険者ギルドの本部長と親しかったり、師匠の関係で現在の王都調律師業界で最も多くの伝手を持っていたり、挙句には冒険者が表の顔で実は騎士団出向の監視官だったり、ついでにその気になれば使える商業ギルドへの貸しがあったり……と実に様々なところに顔が利くが、実のところ、政治は門外漢だ。
コウデルコヴァー以外の貴族関係で強い伝手を持たないのだ。
それでもその貴族については、その他に比べれば知っているほうだ。
なぜならば、女性だからだ。
貴族に女性が少ないわけではないが、指揮官クラスの立場で直接戦闘現場に出てくる者は多くない。というかシェリルを除けばレイスベト以外にいない。そしてそんなマイノリティ同士であるためか、それとも単に歳が近いからか、シェリルとレイスベトは個人的な仲がよいのだ。立場が近い貴族同士としては珍しいことに。
つまり、シェリルの思惑が見えたから、カイはレイスベトを助けるべきだと判断した。
「――アリー。頼む」
ゴーレム車のルーフに斜めに生えた筒状の突起からポシュっと軽い音を立てて大口径の弾体が飛び出していくのと同時に、アリリルにゴーサインを送る。
レイスベトは本来、旅団規模の軍隊を率いる立場だ。旅団となれば一般兵――遺跡を持たない兵士が多数含まれる。つまりレイスベトは騎士のみで構成された部隊の運用に不慣れなはずなのだ。今回のように兵站の関係で一般兵を連れてくることのできないシチュエーションで、ミカルの代わりにダンジョン攻略を任されるというのは違和感がある。事実、いかに【歌】のために部隊が機能不全に陥っているとはいえ、ここまで追い詰められている。
壊滅寸前までは予想していなかっただろうが、シェリルはカイたちのパーティが――正確にはアリリルがここまで辿り着くことを織り込み済みで、レイスベトがダンジョン攻略を任されるように動いたのだろう。
シェリルの思惑は、カイたちがレイスベトを助けることだ。より正確には、レイスベトがダンジョンを攻略することを補助するなり、攻略の手柄を譲るなりさせて、レイスベトに貸しを作ることだ。
現時点で壊滅寸前にまでなっているのは、シェリルの想定外であり、平たく言えばミスに違いない。犠牲が多くなる采配はシェリルの本意とは思えないからだ。或いは、シェリルが墜ちたことが影響しているのか。
いずれにせよ迅速かつ確実に、被害を低減させなければならない。ミスを挽回できないまでも、帳消しに手懸りが付く程度までには、せめて。
カイの合図を受けて、開いたルーフから顔を出したアリリルはアミュレットを外して銃杖を本気で稼働させる――と。
カイにも予想外のことがその時、起こった。
刻が止まったと錯覚するまでに、しん、と。
唐突に【歌】が消えた――聴こえなくなったのだ。
「――【波】の干渉?」
咄嗟に思い至った仮説が口から零れる。
音が音を打ち消すように、【歌】に対して逆位相の魔力【波】がアリリルから放たれたことで【歌】が打ち消された、という仮説だ。
「――ってことは」
拙い。
すぐにそこまで思い至ってカイの顔から血の気が引いた。
【歌】が打ち消されたことが拙いのではない。
拙いのは――打ち消されたのがアリリルを中心とした小範囲でしかないこと。
そして、その範囲外では必ず【歌】が増幅されていることが、非常に危うい。
二点間の中心から球状に広がる波の位相は、逆位相の位置があれば必ず同位相となる位置も存在する。即ち、その位置ではその波の威力が増幅されてしまうのだ。
ただでさえダンジョンから遠い王都を越えてまで魔物を呼び寄せるほどの【歌】に、平原中の魔物を呼び寄せるアリリルの魔力波が加わるのだ。
何が起こるかわからないが、それはとてつもなく悪い予感を搔き立てた。
そしてその予感は瞬間後に具現化する。
カイにも可視されるほどの空間の歪みが、ゴーレム車を中心に球状に形成された。
その厚みを持った歪球の膜は視覚を阻害する。
ゴーレム車の索敵さえも通さず、球の外の一切の情報が遮断されてしまった。
カイは、たまらず急ブレーキ。
整備された街路とは程遠い地形上で相当の速度が出ていたゴーレム車が突然前後不覚に陥ったのだ。これでブレーキをかけるなというほうが無茶だ。
そして相当の速度に対する急ブレーキは必然的に車内に強い慣性力を生じさせる。
車内に保安器具は備えてあるが、いつでも飛び出せる体勢にするべくそれらをカイたちは装着しておらず、カイは思いっきり頭をフロントにぶつけてしまう。
「ぐぅ……っ!」
舌を噛みかけて悲鳴も押し込められる。強化外装を纏っているため、ムチ打ちこそ避けられたが、衝撃を完全に緩和することはできず、額が裂けて流血、そして脳震盪。カイは前後不覚に陥る。そのせいで、自分以外がどうなったのかを考える余裕さえない。
それでも危機的状況であることははっきりしている。かなりの速度で魔物の大群へと向かっていたのだ。
だからカイは脳震盪で思い通りにならずにぐにゃぐにゃと歪んだ視界で、それでも状況把握に努めた。
その歪んだ視界にはっきりと――歪んでいるはずの視界にはっきりと、ゴーレム車前方に人影を認める。
何もかもがおかしかった。
カイの意識が飛んだのは一瞬だった。無理に気絶を堪えたせいで悪心が酷いことがそれを示している。
つまり一瞬しか、その前方をカイは見逃していないのだ。
その一瞬でその人影は現れたということ。
幻覚を疑うべきだった。
けれど酩酊する意識はその疑いを持つことさえ許さない。
そして、だから、その黒髪の少年はそこに居た。
そして、アリリルがその少年のすぐ傍に降ってきた。
意味が解らない。
カイは頭痛と悪心を忘れるほどに呆気に取られる。
いや、アリリルはルーフから身を乗り出していたところだったのだ。急ブレーキのために慣性によって前方へと投げ出されたのだろう。アリリルがゴーレム車の前方へと降ってくることの必然性に疑問の余地はない。むしろこれは、カイが一瞬しか意識を飛ばしていなかったことの証明だ。
アリリルは危なげなく――強化外装を纏っているわけでもないのに危なげなく宙で身を翻して、突然に出現した少年の前に着地する。
アリリルも少年の出現に驚いているのか、落とさなかった銃杖の先を困惑げに揺らした。
ゴーレム車に対して背中を向けていた黒髪の少年は、やれやれと言わんばかりの気だるげな様子で額にすっと指を伸ばした手を当てつつ――なんというか香ばしいポーズだ――振り向き、アリリルに対して何か言おうと口を開いたところでその動きの一切を停止する。
けれどそれも一瞬。
すぐさまアリリルから距離を取るように飛び退き、何かの構えを取って、言う。
「――どーせ環だろって思ったら誰だアンタ。つーかなんだ此処。てかヒトっぽいの食い散らかしてるあの化けモンどもなんだ。ていうか色々説明とかよろしくしろやどーせお前の仕業だろ環ぃ――ってぇのにだからいねぇーってどういうことだっつぅの!?」
ゴーレム車の中にいたカイはその困惑混じりの絶叫を聞き取れなかった。けれど、確信していた。
彼が、タマキの捜し人だと。
†
いや、その可能性を考えてはいたのだ。
タマキはあたかもそのセンパイが自分よりも『前』に出現しているという前提で行動しているかのようだったが、タマキが言うにはセンパイは『自分の想定を裏切るためにいるかのようなヒト』なのだ。
当然、タマキよりも『後』に出現する可能性だってありえたのだ。
正直、あのタマキがその可能性を考慮していなかったとは思えない。
カイでさえ、タマキから『タマキとセンパイの出現時期は一致しない可能性』を聞いた時点でそのことに思い当っていたのだから。
タマキにその可能性を確認しなかったのは、そもそもセンパイの情報を持つのがタマキしかいなかったからだ。タマキがその可能性を言及しないのであれば、それを追求する必要がカイにはなかった。
それに、いずれにせよ変わらなかったからだ。
すでに居るとしたらタマキの言うとおりに探すしかなく、まだ居ないとしてもタマキが言うなら探すしかない。
タマキがカイにこの可能性を言わなかったのも同じ理由だろう。
センパイの出現の前後は彼の捜索方法に対して何も影響しない――それは本当に?
疑問はある。
けれど矛盾はない。
少なくともカイが知りえた情報から導き出される推測としては。
なんにせよ、酷いタイミングだ。
そう遠くない位置では魔物の群れによって阿鼻叫喚の有様が展開されており、その救援を行おうとしたところで誰もが予期せぬ事故が発生したのだ。
そしておそらくは、その事故のために、少なくともタマキと同等程度には特異的であろう『センパイ』が出現したのだ――よりにもよって、タマキを送り出した矢先に。
酷すぎて何が酷いのかわからない。
カイはすべてを放り出して気が遠退くのに任せたいと心底から願った。
投稿したら書く気力が湧いてくるかなって思って出してみました。
気付いたら一年以上なろうに投稿していなかったのですね……。
なんかフォームも変わっているし。重力波は観測されるし。時が経つのは早いものです。
とりあえず近いうちに(上述の時間感覚踏まえると信用できないにもほどがある)次話投稿すると思いますが、まあよろしくお願いします。




