8.チャイルドアダルツ
確実に朝まで工房に缶詰だったはずが、タマキの言う通りにしたところ、明日の午前に差し掛かる前に終わってしまった。
「朝帰りになると思ってたんですけど」
なぜだかシリリルは口を尖らせている。
カイとしては、元々はシリリルをこんな時間ますで拘束する気はなかった。頃合いを見て休憩を入れて送って帰すつもりだったのに、想定外の作業内容だったため、その切っ掛けが掴めなかったのである。
彼女がそのつもりだったのなら、早く終わってよかったということなのだろう。
(……)
タマキがやっぱり目を線にしてこちらを見ている気がしたが、カイは気にしない。シリリルとは歳にして半年くらいしか違わないが、『妹みたい』な娘さんに対する態度として間違っていないはずだと信じているからだ。
食堂の営業時間は過ぎているが、シリリルが気を利かせて持ってきていたお弁当を食べるためにスペースを借りてそれを広げている。
遅すぎるが夕飯である。
シリリルは夜食のつもりで持ってきたということで、軽食だが、刻んだ葉野菜と蒸し鶏ササミとゆで卵を、鶏油と酢で和えて、パリパリに焼いて崩した鶏皮と発酵乳製品のスライスを合わせて塗したサラダを、縦に切れ込みを入れて丁寧にバターを塗ったバンズに挟んでいるなど、かなり手が込んでいる。
煮沸した手拭いで手を拭いてからいただきますをしたのだが、シリリルは手を付けようとしない。
カイの隣に腰掛けてお茶なんかを甲斐甲斐しく淹れている。
(食べないのか? とか言っちゃダメですよ? 女の子がこんな時間から食べるわけないじゃないですか。炭水化物無しだったらわたしはいただきますけど)
タマキが言うことはもちろんわかっている。後半はよくわからないが。
それに言ってもどうせ、お弁当を作ってくる時に摘んだから自分は大丈夫だとシリリルは答えるに違いないのだ。その真偽はさておき、そう言われてしまえば、まだ成長期なんだからきちんと食事しろとの自分の言い分が通用しないので、言っても無駄だと弁えている。
まだ成長期のカイは遠慮無く食する。
「美味しいよ」
お茶を差し出してくれるシリリルに感想を言うと、彼女は嬉しそうにはにかむ。
どう美味しいのかと言葉を重ねてもいいが、過度なリアクションは雰囲気を損ねるだけだろう。
がっつきすぎないように丁寧に味わうばかりだ。
(……)
いい加減タマキのその視線が面倒臭いな、とカイは思いながらも努めて無視する。
「それにしても、兄さん。すごい遺跡ですね。兄さんのカスタム品ですか? わたしも勉強しているつもりでしたけど、あんな……考える遺跡っていうんでしょうか。あんなものがあるなんて知りませんでした」
シリリルが言うのは、もちろんタマキがカイに渡した遺跡のことだ。
今を以て、結局その遺跡が――というかタマキが何をしたのか十全に理解できているわけではないが、ある程度の試行を重ねた後、調律よりも先にリストアップが完了してしまった。しかも怪しさを示す係数とやらまで付けられている始末だ。
カイ自身が半信半疑だったのだが、そのリストが間違っていないかどうかを確かめるために試行したところ、百発百中どころか、流れ作業でやっていれば危うく見逃したかも知れない例まで漏れなくピックアップされていた。
(怪しいものとどれだけ相関しているかだけじゃなく、逆に、相関しなさすぎている場合っていうのも怪しいんですよね。それは狙って外している可能性が高いからです)
タマキにそうやって解説されてみれば、なるほど、という感じである。
リストアップされたならば調律の方向性も同時に割り出せる。
嘘みたいな話、調律それ自体よりもその方向性を割り出したり、仕様書を作ったりする時間の方が圧倒的に長い。嘘みたいというより、調律師という立場として見たとき信じたくない話、だ。
遺跡を取り扱うのには、識字率というか、学をある程度修めている必要がある。
そうでなければ要求仕様を書類に起こすことができないし、出来上がってくる遺跡の仕様書を理解することが出来ない。出来なければ死ぬだけだ。
冒険者をやる上で遺跡を使いこなせないことは死に直結する。決して誇張しているわけではない。むしろ控え目な表現だ。
そうした意味、冒険者というのはそれなりのエリートなのだ。貴族係累がいることからも自明のことだが。
そしてエリートという奴は、頭がいいとは限らない。
頭がいい奴とは、エリートの習性を利用する者だ。
頭がいいとは限らないエリートの行動に自分を紛れ込ませている連中が、相当数存在する。
そうした者たちは、けれどあまり警戒する必要はない。あくまでもギルド側の視点では、賢い利用者のほうが愚かな身内よりもよほど安全だからだ。
だから賢い利用者の要求仕様との折り合いは付けやすい。どの程度要求すればどの程度が返ってくるのかを理解しているからだ。
いわゆる不文律がそのようにして形成されていく。
けれど実際に調律する者としては、それら(本当にわかっているのかいないのか)を区別するところから始めなければならないため、非常に手間が掛かるわけだ。仕様書の読解力まで考えなければならないため、その作成の仕様まで考えなければならない。
しかしタマキのこのリスト作成のおかげで、その区別の見極めが非常に容易くなった。
後はそれこそ流れ作業で捌ける。
「この遺跡があれば、師匠がすごく喜んだだろうな」
その価値がわかる者が少ないという難点こそあるが、シリリルが言うように「すごい遺跡」だ。タマキがすごいのだが、体面上そう表現しなければならない。タマキが遺跡の一種だと考えれば間違ってはいないのだし。
(時代に合わない遺物呼ばわりされるのは初めてじゃないんで別にいいんですけどね)
ならばちょっぴり拗ねているような思念なのは何故なのか。
どうでもいいが、ちょくちょくこちらが伝える気のない思考を読まれるとやりにくい。
(別に拗ねている訳じゃないんですけど。わたしをそう呼んだ人のことをちょっと思い出しただけです。それと、その指輪の扱いに慣れれば思念防壁が組めますよ。貴方なら割とすぐにできると思います)
頑張ることにした。
「兄さんは、喜んでないんですか?」
タマキに割り込まれながらもシリリルとは普通に会話が繋がっている。ほぼ同時に二つのことに対処するのは、調律で割と慣れているため、一応問題ないが、疲れるのだ。
「師匠ならもっと有益な使い道が思い付くかも知れないから」
これは正直な所感だ。
タマキが現れるのがもっと早かったなら。
彼女が現れたときからずっと思っていることだ。彼女は会うべき人物を間違えた。
あるいは、師の逝くのが早すぎた。本当にもう少しだったのに。
「……誤解しないでほしいんですけど、言ちゃいますね」
「うん? うん。何?」
「ストール小父さんって、わたしの記憶ではカイ兄さんにお仕事全部任せっきりで、自分の好きなことばっかりしていたって、感じなんですけど」
そんなにすごい人だったんですか?
と、言外に疑問を示した。
身近にいたからこそ抱く疑問だ。カイにもその覚えがあるからよくわかる。
「師匠がどんな人だったかっていうのはともかく、仕事に関しては、オレが自分から請けてたんだ。修行のために」
「小父さんに言われてとかではなく?」
「だね。むしろ要らないしがらみを若い内から背負い込むなって窘められてたくらい」
「あ、なんかイメージ繋がっちゃいました」
「けどまあ最終的には、実践を積める機会ってのは悪いことじゃないってことで、色々と根回ししてくれたけど」
「ただ、そうなるとどうして兄さんは、学校に入らなかったんでしょう?」
若干話が飛んだような気がした。
シリリルが淹れてくれたお茶を飲みながら、少し考える。
つまりは他に選択肢があったのに、どうしてカイは自主的に遺跡調律の修行を選んだのかということを尋ねられていた。
「子供だったんだ。いや、今でも一人前を大きな声では言い張れないけど」
「意味がわからないです」
いっそう不思議というように、困惑した様子でシリリルは首を傾げる。
「物心付いてからずっと師匠の傍で師匠のやることを見習ってきた。けど、シルも思ったみたいに、オレは師匠の偉大さとか、一番近くで見てきたせいでわからなかったんだ。師匠を見習った自分がどこまで、何ができるのか、知りたくなるのも仕方ないと思わないか?」
「それって子供っぽいことなんですか?」
「師匠のことはともかく、自分のことがわかっていないのは、子供の証拠だと思うよ」
「そうなんでしょうか」
「大人だって自分のことがわかっていないことはあると思うけど、わかっていないことをわかっているっていうのかな。少なくとも尊敬できる大人って、そういうところがある」
「小父さんはわかっている人だったってことでしょうか」
「どうだろう。自覚的である場面が多かったのは確かだね」
正直なことを言えば、そんな場面で師匠を尊敬したことはない。大概禄でもないことをしているときこそ、彼は自覚的だった。
そう考えると逆に、自分のことをわかっていないことをわかっていることとは稚気の証明であるのかもしれない。
(無知の知を唱えたソクラテスとかまさに稚気の人と伝えられていますから、その内心の所感が正しいと思いますよ)
タマキが言うわからない話は無視した。
「ただ、それよりもオレが自分が子供だったって思うのは、そんな師匠の七光りで仕事に就いたところで、自分のことを知ることができるわけじゃないって気付くのが遅かったことだ。師匠は、オレが気付いたとき大笑してたけど」
「兄さんの言うことは、難解です」
言葉通りの難しい顔を、シリリルはした。形のいい眉がひそめられている。
「わたしはただ、兄さんと学校に通いたかったなって言いたかっただけなんですけど」
「そうなんだ?」
あの文脈でそれを推し量れと言うのも中々難解な課題ではなかろうか。あるいはタマキが入れてくる茶々めいた言及に気を取られて聞き取り損なったことでもあったのだろう、とカイは一つ頷いた。
「まあでも、師匠が言うには、オレが学校行っても浮いてしまって良い思い出も作れなかったかもしれないってことだったから、多分これでよかったんだと思う」
その可能性が高いために、ストールは都立高等学校にカイが通わないという決断を、結局は受け容れたのだと聞いた。
シリリルは溜息を一つ落として、じっとりとやや重さを感じる視線を向けてきた。
(……)
ついでにタマキも例の視線を送ってくる。
なんだこれ? とカイは首を傾げざるを得ない。
(どこまで自覚的なのかわたしをしても読み切れないんだから大概ですよね貴方)
というかなんでタマキが創造した遺跡がすごいという話からこうなったのだろう。
やっぱり文脈が意味不明だ。
食事も終わったことだし、帰宅することに。
その前に、朝までギルド会館に缶詰確定のクスターやネストリに出来上がったリストの見方を説明したり、明日以降の予定を軽く聞いたりした。もちろんこんな早くに作業が終わったことに関して、ネストリからはリスト信憑性の追求を受けそうになったが、クスターが取りなしてくれて、詳しい話は明日以降にするということになった。
シリリルには隠れて明日までにこの説明のための資料を作成しなければとカイは考えつつも無事、トライクに二人乗りして帰途に就く。夜陰をゴーレムトライクの光る目が切り裂きながら、風も切って走った。
(それにしても、コウデルコヴァー姉妹の中でこの娘は浮いてますね)
例によって風も起こさず飛翔しているらしきタマキから思念が送られてくる。
(そうかな)
(姉と妹はわかりやすい異能者ですけど、そういうのが見えないですし)
遺跡を介さず何か不思議な現象を起こすアリリルに、ゴーレムの契約すらも無視して操るミリリル。
この二人と比べてみれば、確かに浮いているかもしれない。
(オレと同じで、相性が合わない遺跡っていうのがない。まあ、これは異能って呼ぶべきかはわからないんだけどな。あと、計測上、魔力はアリーにも劣らない)
(能力値から考えると異能がないほうが不自然……普通なのが異常ってタイプですか)
(そうかもしれない。調律師になるんだったらオレより優秀になるだろうし、冒険者や騎士をやっても大成するだろうし、学業優秀だから図書資料室の司書の内定ももらってる。うん。何にでも成れるんだよな、シルは)
「兄さん」
不意に横から声を掛けられる。
「なんだ? シル」
「いえ、なんか兄さんがちょっと嫌な顔をしてました」
ふて腐れているような様子だった。夜道の運転中なので前を向きながらであって、はっきりと確認はしていないが。
「嫌な顔?」
さておき、そんな顔をした覚えがない。
「兄さん、学校の区分ではわたしと同じ学年だって、知ってますよね?」
どうやら年下扱いされていることを嫌がっているようだ。
「師匠が言ってたけど、年周期で学年を区切るべきじゃないそうだ。半年くらいがちょうどいいって」
子供の成長は早い。だから半年でも相当の差が出る。一年で同じ教育課程を踏ませると不当な観点での優劣が決まって、今後の成長の方向性を歪めてしまいかねない。必ずしも悪いことばかりではないため、個別教育を推奨するわけではないが、集団教育をするならばその区切りの期間を短くするべきだと、ストールは唱えていた。
コストの問題でそれは実現されることはなかったが、もしカイが学校に通うことになっていたら彼はそれを実現したかもしれない。こう言うと気恥ずかしいが、カイの養父は結構な親バカだったのである。
「関係ない話を持ち出して誤魔化さないでください」
「え、えぇ? 関係ないかな」
石畳で整備された道から畦道に差し掛かり、静音性に優れるこのゴーレムトライクでもガタガタと揺れて、話がしづらくなった。
その途切れたところを見計らってかタマキがコメントしてくる。
(ていうかぐいぐい行きますね、この娘)
(何が?)
(本気でそれが疑問だっていうなら田圃に頭突っ込んで死ぬべきですし、わかっていて誤魔化しているなら河川に落ちて死ぬべきですよ)
どっちにしても死ねとまで言われれば、さすがにカイも考える。
(……あ、そういえばオレ、シルにまだ王都から引っ越すの辞めたって言ってない)
なんだかシリリルの様子がおかしいことの原因が見えた気がした。タマキにそこまで言われる理由は相変わらず影も形も見えないが。
(河川に流された挙げ句水田に頭突っ込んで死ねばいいと思います)
なんだか無体なこと言われていたが、何にしてもシリリルにきちんとそれを話すことは必須である。
ただ、シリリルが一番これを伝えづらい。
何があってどうして、ということを彼女は訊いてくるからだ。
「シル、この件があったから、オレは王都に残るよ」
順番が違うので、嘘になるが、心持ち声を張って言った。
「え?」
「もちろんダンジョン探索に出なきゃいけないから、王都から離れる予定は変わらないけど、ちゃんと戻ってくる」
「そうなんですか?」
「ああ」
「そうなんですかぁ……」
ほっとしたようにも、残念なようにも受け取れる息を、シリリルは吐いた。
ハンドルから片手を離してコリコリとこめかみを搔く。さすがに、タマキの言うようにわかっていないはずもないのだ。
「シル、さっきの話なんだけどな」
「はい?」
「子供の成長が早いっていう話」
「ああ……はい」
「村や王都では十五を数える歳なら一応一人前ってことになってる。学校も完全義務じゃないし、それより若くても冒険者なんかになることはできる。貴族の使用人なんかは五つの頃にはもう働いているのも多いし、学校に通いながら家業手伝いしている子供も多い」
「知ってますけど、それがどうかしたんですか?」
シリリルが疑問を返すのと同時に、厩舎に着いた。
ゴーレムトライクを仕舞いつつ、彼女の疑問に正面から返す。
「なんでもかんでも師匠の受け売りばっかりで悪いんだけどさ、師匠は若い内から自分の方向性を決めてしまうことに反対だった。そして師匠の基準では、十五なんてまだまだガキなんだってさ。どんなに能力や技術があっても、十五で社会の中で一人前を気取らせるのは早すぎるって」
「でも、カイ兄さんは」
学校に通わなかったどころか、もっと若い内から仕事をしていたではないかと言いたいのだろう。
わかっている、と頷いてから続けた。
「もし王都に来るのが、師匠がオレを引き取った直後だったら何がなんでも師匠はオレを王都立学校に通わせたと思う。というか学校に通っているかどうかが問題なんじゃない。学習するのはどんなところでどんな環境でもいい。でも、その環境を根拠に将来まで完全に決定してしまうことに反対だったって話」
「……でも、」
「今際の際、師匠はオレに『頼んだぞ』ってしか言わなかった。何をっては言わなかったんだ。きっと自分の跡を継がせることに、あの際にあっても迷いがあったんだ」
「……」
「だから、五年。あと五年、オレは師匠の跡を継ぐ。師匠が敷いたレールを辿ってみる。それは師匠が考える一人前の基準の年齢だから」
正確には二十歳がそれとは師匠は言っていない。身体的成長(内分泌系の安定)が止まってから数年としか言っていなかった。ただ、ストールの求めたそれを突き止め、それを追究するために三年では短いだろうという予想から、五年にしたのだ。
「その後で、改めて考えるつもり。オレがどういう方向に進むのか」
だから、待ってくれたら嬉しい。
シリリルなら、伝わるだろうと声にはしなかった。
「わかりました」
シリリルは眉尻を下げて、微笑みながら頷いた。
それはどこか「兄さんって、本当、子供なんですね」と呆れているようでもあった。




