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転生賢者の弟子と転移魔女  作者: 久図鉄矢
プロローグ
1/25

-0.現代魔女

「逃げられた!?」


 桐谷環はその豪奢な部屋の入り口で立ち尽くし、しばらくしてから思い出したように叫んだ。

 愛しのセンパイが見当たらなかったからだ。


 まさかこの厳重なトラップに囲まれた愛の巣を突破しようとは――


「さすがセンパイです……っ!」


 普段はただの人間のスペックでしかないセンパイが独力でこの部屋から逃げることができるなんて、さすがだった。惚れ直した。環は一体何度彼に惚れ直せば良いというのか。いっそ憎らしいまでにステキなセンパイだ。ていうか憎たらしい。なんで逃げるのか。


 環の指がその小さめの口に伸びて、への字に曲げられたやや薄い唇に挟まれる。


「ちょっと島を買ったからバカンスに行こうって招待しただけなのに」


 彼が以前、沖縄辺りでの生活に憧れていることを漏らしたことを、環はもちろんその優秀極まりない頭脳によって記憶していた。

 だからいずれ沖縄に婚前旅行に行くことを約束していたのだが、環は知っていた。彼が沖縄という島に期待している想像図が幻想に過ぎないことを、あくまでも情報としてではあるが、知っていたのだ。


 沖縄は観光地として有名だが、昨今では海も汚れ、そもそも都心では定期的な移動手段がモノレールしかないために車社会であり空気は汚く、無駄にライトアップされた観光地は下品で情緒もない。人々のマナーは非常に大ざっぱで、知識水準もあの小さな島の中で歴然として格差が存在する。本土から流入した食文化のせいで平均寿命は右肩下がり。かつての沖縄の良さなどほとんど残っていない。


 半端に現代化されたあの島で、彼が求めるような癒しは存在しないに違いない。

 そう結論した環は南の海に浮かぶ無人島を購入した。

 

 もちろん割と常識人であるセンパイが驚くことはわかっていたが、喜んでくれることもまた、環は疑っていなかったのだ。

 実際この朗報をセンパイに伝えたとき、彼から「お前が隣にいてくれるだけで嬉しいよ」という言葉をいただいた環は有頂天になったほどだ。「だからいますぐ俺を解放しろ」という言葉に――そういえば前兆はあったのだなあ、と。

 有頂天になってその要求を華麗にスルーしていた環は忘れていたのだ。センパイが環をメロメロという死語でしか言い表せない状態に追い込むセリフは常に諫めるための前振りであるということを、忘れていた。


 桐谷環、反省である。

 もっと頑丈に縛っておけば良かった。むしろ事前に説明なんてせずに現地まで連れて行ってサプライズを演出すれば良かった。拉致だの誘拐だのとセンパイは言うだろうが愛があるから大丈夫だよねで赦されたはずなのだ。なんといったって環とセンパイは相思相愛なのだから。いや本当に。

 きちんとした手続きで告白してそれを受け容れてもらっている。いやマジで。


 さておきそんな愛しのセンパイに逃亡されてしまった環である。

 無人島故に当然のごとく滑走路はないわけで、だからといって船で行くには時間がかかりすぎる。そうした理由で水上機なんてものを手配していて、自分で操縦するためにその技能を修得しようとちょっと目を離した隙に、逃げられたのだ。

 今にして思えば、これが彼に逃げることを決意させた最大の要因だろう。いくら超絶天災(誤字に非ず)美少女こと桐谷環でも、水上機の操縦は経験したことがない。環が操縦すると話してしまったことが失策だったのだ。無人島に二人きりというのを想像して浮かれてうっかりだ。


「まだ……環のこと信用してないんですね、センパイ……」


 環はちょっぴり悲しくなった。「信用とかそういう問題じゃねーだろ」という彼のささやかな呻きがどこかから聞こえたような気がするほど気持ちが沈んだ。


 何にせよ、追わなければ。

 いくら環が動かせるお金が潤沢だとは云っても、この婚前旅行の用意のために消費した予算は割とバカにならない。すぐに取り戻せるとはいえ、必ずしもお金で買えないのが時間と機会である。この機会を逃せばまた纏まった時間を買うのにどれだけのかかることやらわかったものではない。


 しかし、本気を出したセンパイは、環をしても捕捉することは容易いことではない。不可能ではないが、手配した水上機にまで連れて行くための時間を考えると、間に合わない。


「センパイのことだからわたしが当たりを付けたところは悉く外してくるだろうし」


 むしろそうでなくてはならない。環の思考を読んでくれなければ。そうでなければセンパイではない。

 しかも、読んだ上で、環がすぐには手を出せない『心当たり』も、センパイにはいくつかある。そこに逃げ込まれたら、やっぱり間に合わない。そして今回に限り、時間さえ稼げばいいわけで、センパイはすでにそこに逃げ込んでいる。


 逃げられた時点で詰んでいた。

 センパイの勝ちだ。


「でも――」


 だからといって諦める環ではない。


 今回の負けは認めよう。

 しかしそれは時間がないからだ。

 であれば、その時間を作ってやろうではないか。


 環はおもむろにセンパイとの愛の巣に背を向け、超絶天災美少女としての真価を詰め込んだ地下室へと赴く。

 一般家庭では賄いきれない維持費が掛かる自作の演算器がここにはある。


「どうせいずれはわたしたちが添い遂げるために必要なことですしね――」


 センパイは知らない。

 超絶天災美少女・桐谷環の遠大な計画も。

 彼が彼女から一時的に逃げた結果、その計画が僅かに前倒しされたことも。


 その結果、彼と彼女がこの世界から消滅してしまうことも。

 それが環にも予想外の形で起こってしまうことも。

 何も。


 何も知らないまま、世界は切り替わった。

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