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七話 委員長

 休日のほとんどを寝て過ごした京也は、いつもより早く目を覚ました。

 昨日よりは頭の中も少しは整理が付き、欠席の連絡を職員室に入れる必要はなさそうだった。食欲は無かったが、それでも彼は無理をして戸棚にあった魚の缶詰を開け胃袋に押し込んだ。


 クローゼットに掛けられた洗いざらしのワイシャツに手をかけ、着替える。

 姿見の鏡の前に立ち、制服姿の自分を見れば、昨日までの悩みなんて突拍子のない夢に思えた。前髪の先を指で整え、彼はマンションを後にした。




 教室の扉の前で、彼は一瞬立ち止まった。

 桜井と田上の顔を思い出したからだ。


 名前を塗りつぶされた、二人のクラスメイト。


 その二人の命を奪ったその手で、彼は教室の扉を開けた。


「よう白岡、金曜日はよくもサボりやがったな」


 教室の隅で友人達と談笑していた岩原が、京也の顔を見るなり早速恨み事を言う。


「ちょっと気分が悪い……っていう演技をだな」


 クラスメイトに自分の情けない部分を知られるのが恥ずかしかった京也は、笑いながら嘘をついた。あの姿を深見先生にしか見られなかった事は不幸中の幸いだっただろう。


「深見ちゃんが本気で心配してたぜ。お前それを演技って」


 岩原は深いため息をついて、京也の行動に呆れかえった。


「アカデミー賞でも狙おうかと思ってさ」

「ったく、後が怖いぞ?」

「その時に備えて、反省する演技でも練習しておくよ」


 真実を冗談交じりの嘘で誤魔化し、彼は自分の席に鞄を置いた。そしてどうしても、桜井の席に目が行ってしまう。見れば自分が傷つくことはわかっていたが、そこから目を背けることはできなかった。


 彼女の席を見た京也は、そこに置かれた物を見て目を丸くした。花が添えられるべき彼女の机には、ありふれた学生鞄が置かれていた。


「なあ、この席に転校生でも来たのか?」


 できるだけ平静を装い、彼は岩原にその席について尋ねた。


「お前何言ってるんだよ。そこは前から委員長の席だろ」


 彼の質問に、岩原は平然と答える。


「いや、だって桜井は……」


 死んだのだから、転校扱いのはずだ、と彼は言いかけたが、その言葉を続けられなかった。そんな言い訳は、自分には通用しない。


「桜井? 誰だそれ」


 岩原が臆面も無くそう言った。

 まるで彼女が、初めからこの世にいなかったかのように。


「誰ってうちのクラスの委員長だろ。あの、おでこが特徴的な」


「それって僕の話?」


 しどろもどろになりながら桜井を説明する京也の肩を、一人の女子生徒が軽く叩く。


「よぉ委員長、白岡が漫画の読み過ぎで妄想と現実の区別がつかなくなったってよ」

「馬鹿だなあ、白岡は」


 彼は振り返りその女子生徒の顔を見る。

 その顔には見覚えがあった。土曜日の戦争の日に、知り合ったばかりだった。


「奈々、方?」


 EU軍札幌基地所属の通信兵、奈々方ユウキがそこにいた。

 ただ、同じ顔ではあったがその印象は大きく違う。大きく印象的な丸い目は、今は半分ほどしか開いておらず半月のようになっている。

 背中も少し丸まっているのだろう、全体的に眠たそうな雰囲気を醸している。


「なんだよ、覚えているじゃないか」


 京也が彼女の名前を覚えていた事に安心した岩原が、溜め息交じりに言葉を漏らす。


「本当かなー。僕の下の名前は言える?」


 ただ当の本人は納得した様子がなく、訝しそうな、それでいて少しからかう様な目で京也を見た。


「……ユウキ、だっけか」


 お前の事は知っている。だけどどうしてここにいる? どうして桜井の代わりにいるんだ? 


「うわ、覚えてるとは思わなかったよ。それで桜井っていう子は何て漫画に出てたの?」

「何だったかな、忘れちゃったよ」


 怒鳴りつけたい欲求を、見られないよう拳を握りしめ抑える。


「ほらほら、もうホームルーム始まるよ?」


 能天気な声で諭してくる奈々方に、京也は猜疑心を抱き始めていた。




「なあ奈々方、ちょっと時間あるか?」


 放課後、京也は帰宅の準備に取り掛かっていた奈々方を呼び止めた。


「おーっと! あろうことか女性に奥手な白岡選手がなんとわがクラスが誇る僕っ子委員長に声をかけております! 解説の山内さん、この状況をどう見ますか?」


 そんな世にも珍しい光景を目にした岩原が、突然訳のわからない実況中継を興奮しながら始めた。


「そうだね、さすがの京也も女性と縁がなさ過ぎて焦って来たんじゃないのかな。でもいきなり可愛い子に声をかけるなんて彼らしいよね」


 相方の山内は表情一つ変えずに冷静なコメントを一つ言った。


「さあ面食い説が浮上した白岡選手に早速インタビューをして参りましょう。白岡選手、今のお話は本当ですか?」

「うるさい黙れ」


 マイクに見立てたボールペンの先を向けられた京也は、笑顔で岩原にそう言った。


「はい、わかりました」


 目の前の友人から底知れぬ恐怖を感じた岩原が、二つ返事で大人しく引き下がる。


「でもどうしたのさ白岡。私に話かけるなんて珍しいじゃん」


 相変わらず眠たそうな奈々方が、笑いながら京也に尋ねる。


「ちょっと漫画の話をしたくてさ。そう言う訳で奈々方、どこか寄らないか? 少しぐらいなら奢ってやるよ」


 聞きたい事は山ほどあると、彼は心の中で呟いた。

 もしかしたら、彼女は何一つ自分の質問に答えられないかもしれない。

 それでもいい。

 それでも、彼女が何も知らないという事だけは明らかになるから。


「いいの? それじゃぁ何にしようかな……」

「ねぇねぇ俺は? 俺達は?」


 先ほどあれだけ邪険に扱われてもめげない岩原が、二人の間に割って入って来た。


「草でも食ってろ」


 先ほどと同じ笑顔で、京也は言う。


「よし山内、一緒に手塚山に行って食えそうな野草を探そうぜ」

「僕はやりたいゲームがあるから、お一人でどうぞ」

「ひどい! 良いさ、俺は一人で野を超え山を越え文明社会に反旗を翻すんだ!」


 意味不明な台詞を捲くし立てながら、岩原は教室から走り去って行った。彼の眼からは熱い涙が流れていた。


「何なんだあいつは……」

「それじゃあ京也、僕は帰るよ。女の子を退屈させたら駄目だよ?」


 山内も机から立ち上がり、一言だけ女の子に慣れていない京也にアドバイスをしてから、教室を後にした。


「はいはい、努力してみるよ」

「うん、期待してるよ」


 満足そうな表情で、奈々方はうんうんと頷いてみせた。




 コンビニで適当な飲み物と軽食を買った二人は、近くの公園のベンチに腰を下ろした。


「桜井ってのは漫画に出てくるキャラクターで……タイトルは忘れちゃったけどさ。いつもツンケンしてるくせに、主人公の事が好きなんだよ。一緒に目覚まし時計を買いに行った時なんて、顔真っ赤にして恥ずかしがって」


 彼女と交わした、最後の会話を思い出す。

 顔を真っ赤にして、俺を映画に誘ってくれた。


 それはきっと、恋だった。それを俺は、奪ってしまった。もう戻れない。取り返せない。


「人の心はわからないねぇ」


 横に座る奈々方が、悟ったような感想を漏らす。


「そんなもんさ。奈々方は最近読んだ漫画で面白いのでもあったか?」

「奇抜な設定なら合ったよ。一週間がさ、七日もあるんだ。月火水木金土日って。どう思う?」


 ようやく来たか、と彼は思った。


 この街に来る出版物はどれも検閲されており、特に日付に関する情報は何よりも強く規制されている。漫画に出てくる些細なカレンダーも全て修正されており、一週間が七日あるなどという設定など通るはずはない。

 おまけに曜日の呼び方も正確だ。

 それがもし一週間に十日もあるという突拍子も無い設定なら話は別だが。


「問題は、そのうちのどれだけが休みかって事だな」

「そうだね」


 菓子パンを齧りながら、奈々方が笑ってみせる。


「冗談だよ、冗談。でも何となく分かるかな。ほら子供の時って、もっと一日が終わるのが長かった気がしない? 特に、この街に塀ができる前は」


 この限定戦争が始まったのは、この街全体が閉鎖、政府によれば保護という名目だが、されてからだ。

 だから彼のこの言葉は、真実を知っているという事を考えなくても、感覚的な目線で見るならば正しい。


 ただ彼は、喋りながらある疑問が浮かんだ。


 正しい記憶を取り戻すまで、俺の日付に関する記憶は曖昧になっていた。それは何故だ? ただ忘れていただけなのか、それともそう仕向けられていたのか?


「そうだね」


 お茶で食べ物を押し込み、奈々方は小さく息を漏らした。そして何かを決心したような顔つきになると、息を吸い込み言った。


「……ねえ白岡はさ、本当に一週間が七日もあるって言われたらどう思う?」

「もしかしたら、そうなのかもな」


 それぐらいは知っているよと、彼は心の中で笑った。

 だからもっと、お前の知っている事をすべて話してくれと願った。


「君って、変わってるんだね」


 奈々方は眉一つ動かさない京也を見て、一瞬目を大きく見開いた。

 そしてすぐに、柔和な微笑みを浮かべた。馬鹿にされると思っていた彼女には、彼の態度はあまりにも予想外だったが、否定も肯定もしない彼の態度に、彼女は少しだけ救われた気がした。


「変わった奴らと一緒にいるせいかな。ちょっとやそっとじゃ驚かないよ」

「そっか」


 彼女はまるで肩の荷が下りたかのように、小さなため息を漏らした。


「話の続き、してもいい?」

「どうぞ」


 京也は缶ジュースに口をつけ、彼女の話を促した。


「一週間は本当に七日あってさ、私たちはそのうちの三日間は違う事をしてるんだ。白岡は何をしていると思う?」

「何だろう、マラソンとか」


 下手に確信を付いてしまえば、折角緩んでしまった彼女の緊張の糸がまた張り詰めてしまうかもしれない。だから彼は適当に言葉を濁すことにした。


「そんな平和的な物じゃないよ。僕たちは戦争をしてるんだ」


 下手な冗談に苦笑を浮かべ、彼女はこの街の本当の顔について話した。


「へえ……」

「僕はその中で、戦争を止めるために、日夜エージェントとして頑張ってるんだ! ……ていう、漫画のお話」


 熱弁をひとしきり振るった彼女は、どうしようもない言い訳を添えて自分の話を締めた。


「面白そうだな。今度貸してくれよ」


 これで今日聞きたい事は全部聞けたと、彼は自分を納得させた。


「立ち読みした本だから、手元にはないんだ。タイトルも良く覚えてないし」

「残念だな。自分で探してみるよ」

「さてと、僕はそろそろ帰るよ。またこんな話でもしようか」


 彼女は立ち上がり、ペットボトルと包装紙をまとめて、隅に置かれた金網のゴミ箱に向かって投げる。綺麗な放物線を描くそれが、錆ついたゴミ箱に入る。金属の揺れる寂しげな音が、二人の耳に届いた。


「なあ奈々方、一つだけ聞きたいんだけど」


 背を向け帰るべき家に帰ろうとする奈々方を呼び止めた。どうしても確かめておきたい事があったからだ。


「ん、何?」

「戦争の時って、俺は何をしてるんだ?」

「うーん、流石にそこまでは知らないや。まだ生きてる事を考えると、安全な基地でご飯でも作ってるんじゃない?」


 日夜平和のために働いている彼女には、どうやらEU軍のスナイパーの事は耳に入らないらしい。目の前の彼女はどう見ても札幌基地の通信兵だが、もしかすると俺の記憶違いなのか、それとも彼女の記憶違いかも知れない。

 もしかして双子だとか、とまで思いついたところで、彼は考えるのを止めた。


 これではまるで、下手な推理小説だと。


「そうだといいな」


 京也はその言葉だけは素直な気持ちで言う事が出来た。

 

本当にそれだけだったら、どれだけ良かっただろうと自分自身を笑いながら。


 彼女も笑う。


 その笑顔の裏に、何があるかは彼女しか知らないだろう。だけど京也には、それが少しだけ儚い物に映った。最後に見た桜井のその笑顔の面影が、それにはあった。

 守れなかった大切なあの笑顔を、今度は失わずにいられるだろうか。


 例え彼女が、自分の敵であったとしても。

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